2007年

記事タイトル一覧 曲名(管理者が感想を書いたものだけ)
12月23日  二人の会(喜多六平太記念能楽堂)    (感想) 舞囃子『葛城・神楽』、狂言『花子』、『鉢木』
12月16日  梅若研能会(観世能楽堂)    (感想) 『松風・戯之舞』、狂言『地蔵舞』、『山姥』
12月11日  坂井同門会(観世能楽堂)    (感想) 『浮舟』、狂言『長光』、仕舞『道明寺』、『野守』
国際研究集会『散楽と仮面』・『能楽写真家協会写真展』 (感想)
12月5日  定例公演(国立能楽堂)    (感想) 狂言『抜殻』、『六浦』
11月22日  企画公演(国立能楽堂)  狂言『栗焼』、『小督』
11月20日  浅見真州の会(国立能楽堂)    (感想) 仕舞『白楽天』、仕舞『二人静』『邯鄲』、狂言『名取川』、『鉢木』
8月28日  能を撮る撮影会(横浜能楽堂)   (報告)
11月4日    友枝会(国立能楽堂)    (感想) 『巴』、狂言『杭か人か』、『山姥』
10月25日  狂言特別公演(国立能楽堂)    (感想) 狂言『腰祈』、狂言『居杭』、素囃子『楽』、狂言『比丘貞』
10月19日  定例公演(国立能楽堂)    (感想) 狂言『若和布』、『玄象・替之型・早装束・クツロギ』
10月12日  銕仙会定期公演(宝生能楽堂)    (感想) 狂言『萩大名』、『江口・平調返』
2度目の書込みです
9月14日  東京大薪能(お台場)    (感想) 『高砂』、狂言『末広』、半能『石橋・連獅子』
9月11日  坂井同門会(観世能楽堂)    (感想) 『芦刈』、狂言『伊文字』、『源氏供養』、仕舞『雨月』、『阿漕』
9月9日   ぬえの会(喜多六平太記念能楽堂)  (感想) 仕舞『老松』『春日龍神』『高砂』『山姥・キリ』『弱法師』『難波』、舞囃子『邯鄲』、狂言『縄綯』、『井筒』
9月8日  普及公演(国立能楽堂)    (感想) 狂言『簸屑』、『三井寺』
9月5日  定例公演(国立能楽堂)   (感想) 狂言『墨塗』、『俊寛』
9月1日   川崎市定期能(川崎能楽堂)    (感想) 狂言『苞山伏』、『六浦』
大蔵流山本東次郎家狂言公演のお知らせ
8月17日  定例公演(国立能楽堂)   (感想) 狂言『八尾』、『夕顔・山端之出・合掌留』
8月5日  金剛永謹能の会(国立能楽堂)    (感想) 狂言『咲嘩』、『春日龍神・龍神揃』
7月28日  セルリアンタワー定期能・第2部    (感想) 狂言『柑子』、蝋燭能『黒塚』
7月28日  セルリアンタワー定期能・第1部   (感想) 狂言『昆布売』、『玉葛』
7月18日  定例公演(国立能楽堂)    (感想) 狂言『瓜盗人』、『杜若・日蔭之糸・増減拍子・盤渉』
7月14日  名曲を観る会・源氏物語の能(宝生能楽堂)   (感想) 舞囃子『源氏供養』『須磨源氏』、『落葉』
7月7日  七夕と狂言の宴(玉川高島屋・屋上)   (感想) 狂言『呼声』
6月24日  喜多流自主公演(喜多六平太記念能楽堂)  (感想) 仕舞『雲雀山』『船橋』、『満仲』、狂言『磁石』、『夕顔』、仕舞『経政・クセ』、『大会』
初めまして
6月19日  日経能楽鑑賞会    (感想) 狂言『舟渡聟』、『清経・音取』
6月18日  日経能楽鑑賞会(国立能楽堂)     (感想) 狂言『舟渡聟』、『清経・恋之音取』
6月21日  梅若研能会(観世能楽堂)    (感想) 仕舞『嵐山』『班女・舞アト』『大江山』、『忠度』、狂言『二人大名』、『春日龍神』
6月12日  坂井同門会(観世能楽堂)    (感想) 連吟『山姥』、仕舞『杜若・クセ』、『羽衣・和合之舞』、狂言『酢薑』、『鵜飼』
ご冥福をお祈り致します。
6月3日  巨福能(建長寺・方丈)    (感想) 仕舞『千手』、『隅田川』
5月26日  友枝昭世の会(国立能楽堂)       (感想) 狂言『文蔵』、『邯鄲』
5月18日  代々木果迢会(代々木能舞台)     (感想) 『実盛クセ』、仕舞『嵐山』『杜若クセ』『大江山』、『忠度』
5月11日  銕仙会定期公演(宝生能楽堂)          (感想) 『雲雀山』、狂言『文荷』、『鵜飼・真如之月』
4月14日  五雲会(宝生能楽堂)     (感想) 『右近』、狂言『土筆』、『花月』、『源氏供養』、狂言「悪坊」、『草薙』
4月11日  代々木果迢会  (代々木能舞台)     (感想) 仕舞『弓八幡』『羽衣・キリ』『花月・キリ』、『楊貴妃』
4月4日  靖国神社夜桜能(悪天候のため日比谷公会堂)    (感想) 舞囃子『融』、狂言『磁石』、『巴』
3月15日   梅若研能会(観世能楽堂)      (感想) 仕舞『西王母』『錦木キリ』、『百万』、狂言『土筆』、『車僧』
3月10日  普及公演(国立能楽堂)    (感想) 狂言『二人大名』、『松山天狗・三段之楽』
2月25日  二人の会(国立能楽堂)         (感想) 『卒都婆小町』、狂言『鎌腹』、『実朝』
2月22日 企画公演(国立能楽堂)       (感想) 復曲狂言『近衛殿の申状』、復曲能『鵜羽』
2月17日  セルリアンタワー五周年記念公演 金剛 第一部    (感想) 仕舞『八島』、『雪・雪踏之拍子』
2月11日  月並能(宝生能楽堂)      (感想) 『志賀』、狂言『寝音曲』、『東北』
1月24日 NHK能楽鑑賞会(国立能楽堂)     (感想) 一調『玉ノ段』、狂言『船渡聟』、『隅田川』
1月19日 定例公演(国立能楽堂)    (感想) 狂言『石神』、『百万』
1月8日 梅若研能会(観世能楽堂)    (感想) 『翁・法会之式』、『楊貴妃・彩色』、狂言『鍋八撥』、『恋重荷』
国立能楽堂 自主公演 (情報)
はじめに



12月23日  二人の会(喜多六平太記念能楽堂)    (感想)
2007-12-28 03:06
舞囃子『葛城・神楽』香川靖嗣・松田弘之・横山晴明・柿原祟志・小寺佐七

謡いも動きも、ゆったりと始まり、「いざや、奏でん」と静まる。「降る雪の」から、しっとりとして綺麗。
舞は神楽の囃子で、常より軽快だが、動きはゆったりとやわらかで、雪の静けさ。次第に力強くなり、神々しい雰囲気に。
「天乃香具山も」と見渡す姿が美しかった。


狂言『花子』茂山千之丞・山本東次郎・茂山あきら

珍しい組み合わせのメンバーだが、とても素晴らしい。
東次郎さんの妻は“しっかりした女”という感じで、さりげなく言いくるめて夫を外に出させない様にしようという雰囲気。
ゆったりした話し方の千之丞さんは言い負かされそうなのを、必死に知恵をしぼって、やっとの事で一晩の座禅をする…ここまででもかなり良い雰囲気。
太郎冠者を呼出して、脅して身代わりにさせる様子もメリハリが有って上手い。
太郎は妻に正体がばれて、心底恐れている感じが出ているし、妻は悔しくて「燃ゆるよう」と体をひねる仕草がかわいい。
小歌を歌いながらご機嫌で帰宅する様子は楽しそうで、太郎と妻が入れ替わってるのを知らず、頭を叩いたり、話を聞かせたりと、ストーリーは分かっているのに“あぁ、やっちゃったよ”と思ってしまう。
座禅衾を無理に取って、妻が入れ替わってると知り、尻餅をつく様に倒れて驚く感じが絶妙。
慌てて言い訳をするもの、「ゆるいてくれい」と逃げて行くのも、必死で、上手く、とても面白かった。


『鉢木』塩津哲生・香川靖嗣・宝生閑・則久英志・山本則孝・山本則直・松田弘之・横山晴明・柿原祟志

ワキ『次第』〜『道行』とテンポは遅くないが、どっしりとして、静か。ツレゆっくりと立ち上がり「誰にてわたり候ぞ」と突然の訪問に不思議そうに対応する感じが自然。
シテはゆっくりと『一ノ松』に出ると「ああ、降ったる雪かな」と僅かな驚きを含みつつ、静に実感する様子。
「それ雪は」と淡々として、「袂も朽ちて」としっとりと綺麗な謡。
「あら曲もなや」とワキは仕方なく諦めた風で出て行くと、ツレは「あさましや」としっかりとする。
「某追っつき」と正先に出ると、ゆっくりと『橋掛リ』を向いて、遠くに声を届けようと一音一音をしっかり届ける感じで、ゆったりと呼び掛け、そのまま遠くから見つめる様に、正先に止まっている。
ワキの動きはほとんど無いが、雪に翻弄されて進めなくなっている様子を、シテと一緒に遠くから見ている気分。
地謡の『下歌』で『橋掛リ』に行くと、「見苦しく候へど」と肩を叩く。ワキはすぐに振り返って『上歌』はさらり。「総じて」から静で、「なう、御覧ぜよ」と少し強くなるが、再び抑えて寒々とした冷気がそっとぬけて行く感じ。
「今も梅松桜を」と淡々としつつも、その心は決まっていて、雪を払って感慨深く見つめるが、枝を切る事に躊躇いはない。
名を問われて、答える様子も謡は静だが「いつか!」という思いを感じ、「これは只今にても」と力強くて、「ちぎれたりとも」や「なんぼう無念の」と迫力が有る。

後はしっかりとした『一セイ』。「常世が常に」と少し抑え「痩せ馬の」と長刀を抱き込む様に持って舞台の方を向く姿が美しい。
「足よわ車の」と『三ノ松』まで下がり足元を鞭で細かく打ちながら常座へ行き、鞭を捨てて、長刀にすがり付く様に立つ姿は痩せ馬でやっと到着した感。
「常世はこれを賜りて」で堂々と、ゆっくり礼をすると、自信に溢れ、「はじめ笑ひし」と見せ付ける様に廻り、「さて」とさらりとして、長刀を取る。
シテは「その中に常世は」としっかりと、地謡はさらりとして「今こそ」と長刀で『差ス』と角を回り『二ノ松』へ、「安堵して」と長刀を横に構え「嬉しかりける」と肩に預けてトメ。

前半から野心的な秘めたる思いを感じる演技で、後の堂々とした雰囲気に合っていてカッコイイ!



12月16日  梅若研能会(観世能楽堂)    (感想)
2007-12-19 03:43
『松風・戯之舞』梅若万三郎・梅若紀長・村瀬純・山本則重・松田弘之・大倉源次郎・安福建雄

ワキの謡は静に始まり、「さてこの松は」からしっとりと変わる、「秋の日の」とさらりとして、美しい。
シテ・ツレ『一セイ』は儚げで、『サシ』、「関吹き超ゆる〜」も抑えて静だが、しっかりとして綺麗な謡。
『下歌』はどっしりとして、冷たい海風が吹き抜ける様。
『上歌』からはゆったりとした中にもメリハリが有る。
「女車」とやわらかなシテに対し「寄せては」と地謡は勢い良く入る。「寄せては」で脇正の方を見、「汲むは影なれや」と足元を見ると波が見える。
汐を汲む姿が優美で、特に車の紐を引く場面が印象的。
ワキとの会話は自然で、「げにや」からの『同吟』が綺麗。
『クドキ』の始め、やや重めだが、「御つれづれの」とテンポが上がり、「塩焼き衣」とたっぷりとなって良い感じ。
「御立烏帽子、狩衣を」としっとりとして、「これを見る」と烏帽子・狩衣を見つめる姿が、哀れで、「思いこそは深けれ」と『シオル』。やり場の無い思いが伝わる。
「三瀬川」とどっしりとして「あら嬉しや」と急に気配が変わり、松を見つめる。シテが松に寄るのを止めるツレは真剣で、陶然としたシテと冷静なツレの対比と緊張感が見事。
舞の終盤でワキ座の方から松の前を通って(小書:戯之舞・舞はこの一箇所になる)回り込み、短冊を手にする。
「いざ立ち寄りて」と正先に出、袖を返すと松にもたれるような感じで、扇も顔前に合わせ、松=行平を抱きしめているかの様。そのまま扇だけを下げて、『シオル』形になる。「松に吹きくる」から風が吹きぬける様にサラリと終了。


狂言『地蔵舞』山本則直・山本則重

則重さんの亭主は、初め融通の利かない人、という感じだが「笠に宿を借りた」と言われ、「う〜ん。それはもっとも」と素直に納得してしまうギャップが面白い。
則直さんの出家は「さては笠に入ろう」とこっそり部屋に入る仕草が上手いが、「良く寝た」と言うところはもう一呼吸“間”が欲しい気がする。酒の肴に経を読もうとするあたり、詰まらないのが分かっていて、わざと意地悪をする様で、亭主は反応を見抜かれて、良い様にあしらわれている雰囲気。2人のバランスが取れていて良い。


『山姥』八田達弥・青木健一・野口能弘・(ワキツレ2人)・山本則直・栗林祐輔・曽和正博・国川純・大川典良

軽快なワキ『次第』だが、『サシ』『上歌』と焦っている様にも聞こえる。
ツレ:「とても修行の」からもう少し静めて、たっぷりとしても良いのではないかと思う。
シテ:『呼掛ケ』に色気が有って、美しく、「そのためにこそ日を暮らし」と正面を向く姿に静かな力が有る。
「よし足引の」から少し暗いが、「年頃色には出させ給ふ」とサラリとして「我国々の山廻り」は力強く変化して良い。

囃子『一声』が激しい曲から静かになると、ゆっくりと後シテの登場。「あら物凄の」と趣き深く、「寒林に」と杖を突く姿に、茫漠とした世界観を感じるが、「巌我々たり」の後の『胸杖』が堂々と明るい印象でいまいち。
『サシ』はしっかりと始まり、「ことに我が住む」と閑か。
「前には」からの地謡が少しバラつき気味だが、『クセ』からは良い。
「法性峯聳えては」と右を見回すと、世界が広がり美しいが、「金輪際」で下を見、踏み込む部分で、タイミングを計っている様に見えた。
「そもそも山姥は」から綺麗な型が続き、『立廻り』の始め、大鼓と杖、太鼓と足拍子が揃い、面白い。しかし、この後の型は、1つ1つ丁寧だが、単調。
「暇申して」からの激しい動きは、技巧的に走りすぎているのか、考えながらという感じがして、もう少しだった。



12月11日  坂井同門会(観世能楽堂)    (感想)
2007-12-16 04:53
『浮舟』津村聡子・森常好・三宅近成・八反田智子・観世新九郎・佃良勝

静謐なワキの『上歌』。
シテの謡い出しは聞き取れなかったのだが、「葉末の露」からしっとりとして、「定めなき世の」とどっしりと美しい。
地謡『クリ』『サシ』としっとりとして良いが、『クセ』「色深き心」のあたりは静過ぎる気がする。「宵の人目も」と少ししっかりとして良いが、その後だらだらした印象。
ワキ・シテの『問答』で締まり、「なお物怪の身に」と暗いが綺麗な謡で、「待ち申さん」とワキを見る姿に思いがこもって美しい。

後シテ、『一セイ』から『クリ』にかけて、力が入りすぎて聞きにくく、肩で息をしているのが目に付く。
『カケリ』は正気を失った女の怖さが有って、綺麗。
「小島の色は」で扇を広げ、サシながらくるりと常座に回る姿も華麗で、「大慈大悲の」の足拍子には気品が有る。「頼みしままの」と美しい声で「今この聖も」でワキの方に寄る動きが滑らかで、女性的な優美さ。やさしい光に満ちる様な最後。


狂言『長光』三宅右近・三宅右矩・三宅近成

右近さんの盗人は、常習の盗人という感じで、手際よく刀の紐を自分の腰に着ける。
盗み聞きの様子や「寸を囁いて申す」と聞こえなくて慌てる姿が上手くて面白い。
「寸を言え」と迫られて、さっき言ったことを繰り返したり、捕まっても、なぜ自分が捕まるのだ、とでも言いたげで、着物を脱がされて、投げ出されても、ちっとも懲りず、面白いイタズラをして楽しかった、と言いそうな憎めないキャラ。こちらもそんなイタズラをこっそり見ている気分で、くすりと笑ってしまう。


仕舞『道明寺』坂井音重

立ち上がってすぐの数拍子は少し力が入り過ぎな気がしたが、「膝を屈して」とゆっくりと座る姿は厳かに美しい。
「降るや一味の雨風を」での扇ぐような動きが絶妙で綺麗。この後も格調高く、優美で良かった。


『野守』坂井音晴・殿田謙吉・澤祐介・一噌隆之・鵜澤洋太郎・柿原祟志・助川治

ワキ:しっかりとしつつも軽快な『次第』、『道行』は少しトーンを下げて、しかし、テンポは速くて俊敏な山伏という風情。
シテ:一の松で、右手に持った杖を左寄りにトンと突く、その美しい姿のまま『サシ』になるが、謡は力が入りぎみで、単調。
『下歌』から少ししっとりとして良い。
『上歌』の間の動きが力み過ぎ。
『問答』はサラリと自然で、塚の方を向いて「夜は鬼となって」と杖を下ろし、「これなる〜」と静だが迫力が有る。
「立ち寄れば〜」静かに、綺麗な地謡。正中に座り、「昔この野に」としっかりとした『語』。

軽快な『出端』の囃子にワキのどっしりとした謡が一見チグハグの様で、実はピッタリと調和する。
「あらありがたや」と力強いが、「鬼神は塚に入らんとす」などで面をキル時の型が大げさ過ぎる。
『舞働』からは迫力が有って良い。



国際研究集会『散楽と仮面』・『能楽写真家協会写真展』 (感想)
2007-12-11 03:22
12月7日、早稲田大学大隈小講堂で『散楽と仮面』という国際研究集会が行われていて、申込不要だったので、覗いて来ました。
他に用事が有ったため、15時半からの聴講で
「多武峰常行堂修正会の「翁」は魔多羅神にあらずー翁系仮面研究序説ー」 天野文雄(大阪大学)

「越境の場としての仮面:狂言とコメディア・デラルテにおける人間性の超越」 スタンカ・ショルツ・チョンカ(トリア大学)
しか聞けませんでした。

極簡単に内容を書くと、

「翁」:近年の研究では「翁面」(白式尉面)と"魔多羅神”の関係、特に“多武峰常行堂修正会”との関係が有ると考えられているが、その根拠となった『常行三昧堂儀式』の内容はごく一部しか紹介されておらず、改めて全文を読むと、魔多羅神と翁は別だと考えられる。というもの。

これは中々興味深く、私見を述べれば、魔多羅神は原始母体の様な大きなイメージ、又反対に、生死を司る激しい神…チベット仏教やビンズー教に有る和合の象徴の様なイメージが有って、いずれにしても翁とはイメージが違うと思っていた。又『明宿集』に魔多羅神が出てこない事など、気になる点も多く疑問に思っていた。…と言っても詳しいわけでは無いけれど、この説は非常に面白かった。

「狂言」:狂言の面とコメディア・デラルテの仮面という歴史的に接点の無い2つの面の比較を中心とした話。

どちらも面白く、用事を切り上げて早く行けば良かったと、ちょっと後悔。でも資料はもらえたので、それだけでも楽しめた。



『能楽写真家協会写真展』(実はこっちが本命で、↑は会場が近かったから…。)
こじんまりとした展示でしたが、薪能や普通の舞台でのものが多く、特に舞台のものは照明が活きていて、とても素敵な作品が有りました。
普段の舞台では有りえない、深い陰影が新鮮で、蝋燭能の様な神秘で厳かな雰囲気。

薪能など野外の公演は、背景を多く見せたものが多く、そうした写真を見ると、やはり演者よりも背景が目立つ。確かにせっかく外で行うのですから、どこだか分かる様に撮るのは当たり前なのですけれど。

こうして比較すると、外の写真はアップで、能楽堂の写真は引きで撮った方が、演者が活きるのが分かります。
それは同時に能楽堂の簡素な背景が、いかに相応しいものであるかを物語っている様に思う。
同時に江戸初〜中期の『能楽鑑賞絵』(演劇博物館所蔵)が公開されていて、舞台の上だけでなく、見所まで描かれていて、当時の雰囲気が伝わり面白い。…写真より真剣に見てしまった。



12月5日  定例公演(国立能楽堂)    (感想)
2007-12-09 04:10
狂言『抜殻』善竹十郎・善竹大二郎

酒を出さずに使いに行かせようとする主人に対して、物言いたげな返事が上手い。
酒を飲んで次第に酔っていく雰囲気が良いが、千鳥足で出かけて行く姿は少し硬い。
最後に川に飛び込もうと、飛び上がった瞬間に、面を脱ぐ動きは鮮やか。


『六浦』浅見真州・福王茂十郎・福王知登・喜多雅人・大藏吉次郎・藤田朝太郎・観世新九郎・亀井広忠・金春國和

ワキの次第はサラリとして、何気なく、ふらりと立ち寄った感じが出ている。
シテはゆっくりと登場すると、こちらもさり気ない感じだが、やや単調とも言える。
「かかる東の」と少し恥らう感じで、「功なり、名遂げて」からしっかりとして風格が有る。
「我はこの木の」とワキの方を向くと神々しく、地謡も上品で美しい。

後は『待謡』『一セイ』と静で淡々として、『クリ』から少し明るくなる。地謡は伸びやかで美しく、「ただ雲とのみ」からしっとりと変化してとても良い。
舞は初め、ゆったりとして、しっかりになり、軽やかに終わる。この後も最後まで地謡が美しく、シテも優雅。

前シテの装束が変わっていたのも有って、前半の方が印象的だった。
9月に同曲を見ているが、9月の友枝さんは軽やかで、"紅葉の葉”が風に舞う様な感じだったのに対して、地に根を下ろした古木の紅葉の頑なな気配がして、この感じは好きだなのだが、全体に静で、少し弱い印象だった。



11月22日  企画公演(国立能楽堂)
2007-11-27 02:50
狂言『栗焼』野村小三郎・松田高義

アド:松田さんは物腰のやわらかい主人と、いった感じで、表情が良く、最後に怒る流れも自然。
シテ:小三郎さんは栗をどこで焼こうか思案する様子は少しオーバーに見える。芽を取るのを忘れて、慌てて栗を手前に寄せるところは、慌てぶりが良くい。
栗を焼く部分はさっぱり目で、その後の"熱い!”という感じを強調…これも良い感じだが、この後の食べる部分〜言い訳ときっちりだが、面白みに欠ける。


『小督』近藤乾之助・金井雄資・山内祟生・宝生閑・野口隆行・杉市和・成田達志・亀井忠雄

ワキのさっぱりとした、『名ノリ』その後、しっかりして、「いかに〜」とシテを呼び出す。
シテは「「誰にて、渡り、候ぞ」と一語づつ切る様に答え、さっと膝を付くと「宣旨畏まって」と、どっしりと受ける。さらりとしつつも、丁寧で、品の有る会話。
『上歌』はしっとり目だが、少しぼやけた印象。
小督:金井さんはこんな声だったか…?無理に抑えたように謡いにくそう。
シテ『一ノ松』で『一セイ』、爽やかに始まり、次第にしっとりとして上品で美しい駒之段。
小督はさらりと先ほどよりは大分良く、シテ、「笛仕れ」と抑えた感じで、地謡『下歌』も静に続く。
侍女:「仲国御目に」とさらりとして、「御入り候」と戸の前に座る姿が美しい。
「御恐れながら」と厳かだが、小督の「もとより」から再び不調な感じ。「変わらぬ」と地謡はしっとりとして、「身に白玉の」から少し軽快になる。
「これまでなりや」と別れを惜しむ感じで、「声澄み渡る」と景色を見る姿が綺麗。
ゆったりとした『男舞』は優雅で、かつ、1つ1つの動きがカッチリとして男らしい。
「今は帰りて」と正中に行き、「嬉しさを」で座り、「袖打合せ」と左袖を見る様にする姿は、やさしい美しさで、「小督は」と『二ノ松』で振り返ると、颯爽でカッコイイ。


この日は最初に雅楽『想夫恋』『越天楽・残楽』が有った。
『想夫恋』は平家物語で小督が弾く筝の曲で、能でも、この曲を弾いている事になっている。ひっそりとこんな曲を弾いていたら余計に寂しくなってしまいそう。しかし、この曲を先に聴くことで、能の音の世界が広がった様で、面白かった。
『越天楽・残楽』は雅楽の定番曲『越天楽』の最後の部分を次第に楽器を減らして、静に終わる、余韻の有る曲。

以前、薩摩琵琶を聞いた時に、私のイメージする琵琶の音では無いと思ったが、この雅楽の琵琶が私のイメージする琵琶の音だったのかと、今更気付く…雅楽は何度も見ているのに…というか見ているからか…。



11月20日  浅見真州の会(国立能楽堂)    (感想)
2007-11-26 00:59
仕舞『白楽天』泉嘉夫

地謡が纏まらず、「手風神風」で変化は有るが、ぼんやりした印象。
シテもゆるやかに美しいが、単調ぎみ。


仕舞『二人静』鵜澤久・鵜澤光

2人の動くタイミングがピッタリと一致して、鏡を見る様な面白さ。
しかし実力の差は歴然。例えば、久さんは扇を持つ手が自分の一部であるかのように、滑らかで自然。対して光さんは扇に重量感が有って、動きもどこかぎこちない。


仕舞『邯鄲』観世銕之丞

出だしから力強く、"王”の貫禄十分だが、後半テンポが上がると、慌てる様に見え、迫力が弱まり、後も静まるというより尻つぼみな感じでもう少し。


狂言『名取川』野村萬・野村扇丞

自分の名を忘れない様にと、謡ったり踊ったりする姿が、楽しそう。
川から上がって「何やら忘れたよう…」と、きょとんとした感じがとても良い。
謡が入って川を浚う姿は真剣で、軽い謡との差が面白い。しかし“名取の某”とのやりとりは型通りという感じがして、硬い印象。


『鉢木』浅見真州・坂真太郎・宝生閑・宝生欣哉・野村万蔵・小笠原匡・藤田次郎・大倉源次郎・安福建雄

ワキはゆっくりと雪を分ける様に『橋掛リ』を進む、静かな『次第』さらりとした『名ノリ』、どっしりとした『道行』は"寒さ”を感じさせる。
シテは一の松で止まると、そのまま静止…たっぷりと間を取って、「ああ、降ったる雪かな」と感慨深げで、「それ雪は」から淡々として静かに降る雪の様。
「それがし追っつき」と急ぐ様に正先に出ると、振向きゆっくりと呼び掛ける。
シテは『橋掛リ』へ行ってワキ:僧を引き止める…動きは無いが、2人は互いの事を理解している様子。…閑さんカッコイイ!
「総じてこの粟と申すものは」からは、とつとつと語る感じで、雪に音をかき消された、外の静けさを表している感じ。
「さん候、それがし〜」と鉢木の事を語る部分は少し誇らしげで、「これぞ真に難行の」と静だが、迷いの無い、心の強さが見える。
「一族どもに」と諦めたように静に語ると、「かように落ちぶれて」から少し力強くなり、「一番に馳せ参じ」とテンポ良く、「なんぼう無念の」で下に手を付く姿は強い思いを内包している感じがした。
ワキはさらりと暇を告げると、シテ・ツレは上品に答え、ワキ「御沙汰捨てさせ給うな」とスッとシテの方に寄ってから中入。…この時、既に後半の出来事を予見させる様なただならぬ気配。

後シテ、「打てどもあおれども」と進まぬ馬の感じが良く現れている。「やあいかに」とのワキのセリフは親しげに始まり、「梅桜松にて」と懐かしげ。
書状を受け取ると「常世はこれを」と、どっしりと謡い、書状を周りに見せるが、少し控え目な感じで、三の松まで行くと、「安堵して」と長刀を回す姿は堂々として、ここで初めて、実感を持って喜んでいる様だった。

シテ・ワキとも上手いが、閑さんが素晴らしくて、つい閑さんの方に視線が行ってしまう。

後シテが鉢巻ではなく、侍烏帽子を着けていた。正装に近い姿で、文化人という感じを狙ったのかもしれないが、鉢巻の方が良いように思う。

仕舞が『白楽天』『邯鄲』とこの『鉢木』に縁の有る曲を配し、面白い趣向だと思った。



11月4日    友枝会(国立能楽堂)    (感想)
2007-11-06 05:11
『巴』友枝雄人・殿田謙吉・則久英志・野口能弘・一噌幸弘・曽和正博・國川純

ゆったりと綺麗な囃子『シダイ』、ワキもさらりと謡い出し、「定めぬ〜」からしっとりとして美しい。
しかしシテの『サシ』は棒読みのようで、「これこそ御身〜」で変化するものの、今度は堂々としすぎる感じがして、もう少し。
「行く日も山の端に」と景色を見渡す雰囲気が出て、「我も亡者の」でゆっくりと回ると消える様な儚い印象で美しい。

後シテは堂々と登場するが、謡は今一歩。『ロンギ』で地謡がテンポ良く、シテも良くなり、「こはいかに」と腰を浮かせる姿が、静かだが印象深い。
「長刀ひきそばめ」と長刀を下げて正中に進む姿に緊張感が有るが、長刀をさばきがサラサラとしすぎて、戦いという感じでは無い。
「信楽笠を」と笠を頭上にかざしてゆっくりと舞台を廻ると、まさに雨の中の薄暗い景色が広がり、雨の中にかき消えて行く様で有りながらも、雨が水溜りとなるように、悲しみが残る様だった。…これはシテよりも地謡からくるイメージ。地謡が全体に良く、かなり助けられていたと思う。


狂言『杭か人か』野村萬・野村扇丞

萬さんの太郎は、外に出たくてウズウズしている様子が、じれったい様な間なのだが、ついこちらも早く外に出ないかと期待してしまう。
「胸がだくだくする」と震える様子が上手く、「杭か人か?」と尋ねて「杭、杭」との答えに安心してしまうとぼけた雰囲気を好演。


『山姥』友枝昭世・佐々木多門・宝生閑・大日方寛・御厨誠吾・一噌仙幸・北村治・柿原祟志・助川治

軽めのワキ『次第』、「又、この頃は善光寺へ」から気分が変わり、『サシ』も美しいが、軽快な『上歌』はワキツレと息が合わない。
シテの『呼掛ケ』にワキ・アイがゆっくりと幕の方を向く感じが不思議そうで、唯事では無い気配が漂う。
「あれにまします」でツレの方を静に見る姿に迫力が有る。
この後の謡は静かで、「すはや」と少し早くなり、『上歌』もしっとりとして控え目な印象。ところが「謡ひ給はば」でサッと立つと、急に力強い動きになったと思うと、穏やかに中入。

静かな囃子、幕を上げて少し待ってからゆったりと一の松まで進む。
どっしりとした『一セイ』で杖を突く姿に迫力が有り、ゆっくりと舞台を廻り、正中で胸杖すると、重厚な気配。
ツレとの会話は恐ろしくも上品。「何ぞと問ひし」でさがる仕草は女性的。
この後の謡は、ツレも良い雰囲気で、朗々と美しい。
杖を扇に持ち替えると床几にかけ、『クリ』『サシ』『クセ』とサラリとしながらも雄大な気色。
「金輪際」で立つと大きく地を指し断崖を表すのに十分な気迫。
「さて人間に」から地謡が少し重くなって、「重荷に肩を」と扇を肩に上げて座る姿が綺麗。
『立廻り』の前に再び杖を持つと、囃子に合わせて一周し、正先に出ると座り、杖を持ち直して立って、大小前でくるくると回る。…かっこいい。
「暇申して帰る山の」で常座に行き、扇に持ち替えると、「月見る」と正先で『月の扇』をし、冴え冴えとした優美さ。
「鬼女が有様」で急調になり、「谷に響きて」で『雲の扇』の様に斜め左右に手を広げるて、「山めぐり」で『橋掛リ』へ行き、幕の前でくるくると回り舞台の方を向くと「行方も」で幕が上がり、そのまま数歩下がって、向こうを向いて幕入。
消えたのでは無いが、スーッと行方を眩ました様に見え、見送る様に立ち上がったワキもまた、呆然と白昼夢から覚めた様な表情に思えた。

喜多流が通常”白頭”なのを失念していて、後シテの登場で「白頭の小書付いていたっけ?」と悩む。(『小書・白頭』が有るのは観世・金春・金剛だけ。こちらは常は姥髪。)
白頭なのも有って、女らしさは少なく、鬼神の強さと冷たい美しさ。静かな部分が多かったからこそ、メリハリが利いて、凄まじさを感じる良い演技でした。



10月25日  狂言特別公演(国立能楽堂)    (感想)
2007-10-29 04:25
狂言『腰祈』山本東次郎・山本則俊・山本則直

則俊さんのしっかりとした『次第』は立派な山伏の様だが、段々立場が無くなっていく変化が面白い。
東次郎さんは床几に掛けてチョコチョコとかわいい動き。祈られて、上を向いたままになったり、床几から落ちたりしても、祖父にとっては子供のした事、怒る気にはならないという年長者のやさしさが有る。

和泉流の様に怒った祖父が山伏を追いかけるのではなく、杖で背中を押さえて程よいところで止めてもらって…と緩やかな可笑しさは、割と硬い演技をする山本家に意外と合っていた。


狂言『居杭』茂山千作・茂山七五三・茂山千五郎

大人が演ずる『居杭』は初めて見たが、子供の『居杭』より、ほのぼのとやさしい印象。
七五三さんの何某は居杭が来ると、本当に楽しそうで、かわいいから"頭を張る”という設定は子供でなければ無理が有ると思っていたが、案外、気さくな雰囲気になる。
頭巾を被ると、当然子供と違って身長が有るから、目が合っているのに、"いない”という事になり、より面白い。
千作さんの居杭は、占いの様子を興味深げに覗き込んだり、2人に挟まれて、自分の方を見られると、視線を避ける様にちじこまって、見えないとはいえ、つい隠れる様にしてしまう心情を自然で、かわいく表現している。捕まらない様に逃げる場面ものんびりとして、子供が演ずるのとは違う味わいの有る、面白い内容。


素囃子『楽』一噌隆之・幸正昭・柿原祟志・小寺佐七

正直、上手いと手放しでは言えない。特に、こうして囃子だけの演奏は誤魔化しがきかない。真面目にきっちり…は良い事だが、余裕が無いと詰まらない印象になって、曲自体に変化が有っても、空気が変わらない。決して下手ではないだけに残念。


狂言『比丘貞』野村万作・石田幸雄・吉村康眞

狂言だが、謡の要素が多く難しい曲。
アドの2人は伸びやかに謡いつつ盃を交わし、良い雰囲気。初めて拝見した子方だったが、爽やかで、上手い。
比丘尼は、はじめは積極的ではなく、控え目な雰囲気で、だからこそ変な命名をするのが面白い。
舞が綺麗で、老女が恥らう風で有りながら、うれしさを抑えられない様でも有り、万作さんの気さくな雰囲気と交じり合って、味わい深い。

御本人がパンフの中で、「面白くない曲」と述べておられるが、そんな事は無く、特に今回の様に狂言の会では、良いアクセントになると思う。


狂言だけの会はかなりひさびさ。これだけの豪華メンバーが揃う事は滅多に無いだろうと、行く事にしたが、大正解。個性を遺憾なく発揮して、充実した内容。

茂山千作さんが、文化勲章を受賞された。狂言界では始めての事らしい。能や歌舞伎の役者さんが受賞されているのを考えると、遅すぎる気がするが、取り合えずめでたい。



10月19日  定例公演(国立能楽堂)    (感想)
2007-10-23 03:29
狂言『若和布』野村小三郎・松田高義・奥津健太郎・野口隆行

シテの小三郎さんはキッチリとした話し方なので、だからこそ、女が"わかめ”だと説明すればするほど、怒りを買う事になる流れが自然。
女役:野口さんが上手く、強引に妻になって、盃を交わす場面は楽しそうで、住持が覗きに来て、羨ましくなってしまうもの納得。
最後に師匠である住持を投げ飛ばしてしまう、…住持がかわいそうな話だが、女がシテを呼ぶ感じが、いかにも親しそうで微笑ましい印象。


『玄象・替之型・早装束・クツロギ』観世清和・観世芳伸・関根祥人・岡久広・村瀬純・村瀬提・村瀬慧・藤田六郎兵衛・観世新九郎・守家由訓・三島元太郎

『次第』は纏まりが悪く、師長のセリフも弱い。
『一声』は静かに味わい深く、「汐追風の〜」から少し強く、伸びやかに変化して謡い上げる。
汐を汲む仕草は綺麗だが、前後の桶を肩から下ろしたり、下に置いたりは紐が長いので大変そう。
ワキ「これにござ候は」と威厳の有る言い方で、師長が引き立つ。
シテ「龍神も賞でけるにや〜」と程よく上品だが、ツレは少し硬い…。
師長「この須磨の」から感慨深げで美しく、受けた地謡も良い。
シテ「静に聴聞申さんと」で背に差して有る扇を取る動きが、若者になってしまっていたが、扇を広げて雨音を聴く姿は唯の人では無い優美な佇まい。
琵琶を受け取って「撥音爪音」と、しっかりしつつも軽やかな地謡で雰囲気は良いが、シテの扇で打つ様に琵琶を弾く表現は少し荒い気がする
「梅が枝にも」から弾く感じもしっとりとなり、地謡もゆったり。
「何しに留め」でシテは『橋掛リ』へ向かい『一ノ松』で止まる。「今は何をか」と静だが厳かで、師長がその威厳によって膝を折る流れが自然。
「かき消す」でサッと『中入』。ツレ・姥はそのまま少し見送っている。『来序』が入り、ゆっくりと退場すると、曲が『出端』になり、後シテの登場。(小書『早装束』のため『アイ』が入らない。)
「獅子丸持参」と袖を返して『ツメル』、堂々と余裕の貫禄。
ツレ:龍神は力強い登場。
『早舞』は高貴な感じで、シテも囃子も変化に富み美しく、途中で『橋掛リ』へ行く(小書:クツロギ)。「八大龍馬に」でツレ:龍神も立ちシテと同時に袖を返して退場する。タイミングも揃い爽快。師長が常座に立ち、見送って終わる。(小書:替之型)


『玄象』は久しぶりに拝見しましたが、改めて良い曲だなぁ…と思う。しかし『早装束』はツレが遅れて中入になり、テンポは良いが、不自然な気がした。



10月12日  銕仙会定期公演(宝生能楽堂)    (感想)
2007-10-15 03:45
狂言『萩大名』野村萬・野村扇丞・野村万蔵

秋の定番曲で正直、見飽きている、と思っていた。しかし始まってみれば面白い。
シテの萬さんは、重々しく「白梅は白き梅の事なり」と言ってから、「これは誰でも知っている事じゃな」と当たり前だと気づく雰囲気に、何とも言えない味が有る。
太郎冠者がいなくなって、慌てたり、そそくさと帰ろうとする仕草も上手く、「太郎冠者の向こう脛」と、脛を見るのも堂々として、でもそれは開き直りでも何でも無い、自然な、“天然”な人なのだと思わせる演技だった。


『江口・平調返』浅見真州・長山禮三郎・西村高夫・宝生閑・宝生欣哉・則久英志・小笠原匡・杉一和・幸清次郎・亀井忠雄

笛と小鼓のみで始まり、大鼓が入る…省略しない優美な囃子の『シダイ』。
ワキ『次第』はあっさりと、『名ノリ』から『上歌』はさりげなく、美しい。「世の中を〜」と西行の歌をしっとりと謡う。
シテの『呼掛ケ』はしっかり目で、『問答』にも説得力が有って、幽霊というよりは、生身の女という雰囲気。
地謡『上歌』は纏まってはっきりしつつも、どっしりしていて良い。「仮に住み来しわが宿の」から少し単調な感じがしたが、「江口の君の」からシテの動きと連動するように地謡も緩急をつけて纏まり、綺麗に中入。

アイの語の最後から笛の『アシライ』が入り、ワキ・ワキツレは立って『待謡』…舟が出ると座る。
しっかりとした囃子、地『上歌』は明るめだが、『下歌』からグッと静まりとても良い。
舟中のシテはやはり生身の人の様で、美しい姿なのにどこか、俗の醜さを感じさせる。この段階では菩薩のイメージは皆無…大丈夫か…と思ったのは結果的には失礼な事だった。
『クセ』は静でただ流れままに定めを受け入れているといった風。
「六根の罪」での足拍子も淡々としてあらがえない悲しさを表す。
『序ノ舞』は『乱拍子』の様な足使いや『達拝』の仕草が入り、いつの間にか生身の女であった姿が幽霊に変わっている。

静かな『ノリ地』は、メリハリが有ってとても綺麗。
「舟は白象と」で『橋掛リ』に向い、「白妙の」と『摘扇』をして「うち乗りて」と足拍子をして白雲に乗り、「西の空に」と扇を上げたまま二ノ松まで行って、ゆっくり扇を下ろしつつ、幕入。
この『橋掛リ』での姿に気品が有って、正に菩薩…それを超えて仏の領域。大丈夫か?などと思った自分が恥ずかしい。

今まで見た『江口』は始めから菩薩の気品を持ったものばかりで、これ程の変化を見せる『江口』は始めて。
この小書も見た事が有るが、寧ろ、この小書が付くと、重厚になって、更に神仏の世界を表す…と思っていた。
わざとなのか、私が勝手にそう見ただけか、は不明だが、長いこの曲を(この日の所要時間は140分)飽きさせず、むしろ初めて見る舞台の様な新鮮さで、見る事が出来た。



2度目の書込みです
2007-09-27 01:21
 こんばんは。6月に初めて書込みをさせて頂いた者でございます。
 下記演能の情報を見付けましたので、お知せ致します。

  「相鉄・ほどがや能」
   http://www.sotetsu150.jp/archives/2007/09/post_49.php

 私は現在、喉を痛めて素謡の稽古が出来ない状態でおります。季節の変り目でございますので、管理人様におかれましても、風邪にはお気を付け下さいませ。
 失礼致しました。



9月14日  東京大薪能(お台場)    (感想)
2007-09-17 01:39
『高砂』辰巳満次郎・辰巳孝弥・森常好・舘田善博・森常太郎・遠藤博義・寺井宏明・幸信吾・柿原弘和・徳田宗久

マイクを通しているので、本来の声より悪く聞こえてしまう。…薪能にはよく有る事だが…。

シテ『一セイ』は重めだがきっちりとして、悪くない。尋ねられて、「こなたの事にて候か」は力が入りすぎている。
「昔の人の申しは〜」から朗々として、ツレもさらりと良い謡。
『クリ』『クセ』もさっらりと進み、「今は何をかつつむべき」と厳か。
「あれにて待ち申さんと」と扇を上げて示したつもりだろうが、示した感じはあまりしない。

端麗な待謡。シテの謡も重めだが美しく別人の様。
「梅花を折って」と頭に簪をさす様な仕草をするが、少しぎこちない。
神舞は力強く綺麗だが、後半、少し雑な感じの部分が有り、この後最後まで良いところと、もう少しのところが混在していて惜しい。


狂言『末広』山本則俊・山本則秀・遠藤博義

太郎:則秀さんは少し硬い感じだが、言われたことを素直に信じてしまうキャラとしては、良いのかもしれない。
追い出されて「あ〜!」とふてくされた様子が上手い。
則俊さんは傘を渡されて「んっ!?」となぜ傘を渡されたのか、戸惑う感じが良い。太郎が囃子物を始めてつられて踊りだすところは最初はバタバタしている感じだが、次第に楽しそうになる。


半能『石橋・連獅子』渡邊筍之助・山内祟生・森常好・寺井宏明・幸信吾・柿原弘和・徳田宗久

ワキ『名ノリ』がかっこよく、半能ではなく全部見たい。
ツレの赤獅子は派手な動きと勢いで"若い”という感じだが、シテの白獅子は動きは控えめだが、睨みつける迫力が有り、ゆったりと良い感じ。しかし全体に抑え目で迫力に欠ける。


この薪能は行く予定では無かったが、たまたま時間が有ったので、行ってみた。
無料の会は開場前から"長蛇の列”いうのが普通なので、立見覚悟で開場1時間前に到着。思ったほどの混雑ではなく、良席をキープ。
後援がエジプト大使館とカンボジア大使館なので、「ベリーダンス」と「カンボジア舞踊」が行われていたので、そちらを見ているうちに開演時間に…時間潰しが出来て、至れり尽くせり、と気を良くしていたのも束の間、挨拶が始まらない。
15分押しで大使の挨拶が始まり、内容はパンフに書かれていたのとまったく同じで、これを通訳をつけて読むのもどうかと思うが、後援者なので仕方ないか…。
その後、解説として、深見東州さんが能と他の演劇の違いや、五流の差、面を実際に持って角度による変化などを話したが、とにかく話が長すぎる!
今日の曲については一言も語らず1人で40分程も話していた。(挨拶と解説で30分の予定だったのに。)おかげで能の開始時間は50分遅れ。
無料の会だから我慢するが、有料の会なら返金を要求して帰るところだ。主催者なら自分の出番を削ってでも、時間を調整すべきではないのか!?それともここは深見ファンの集まりなのか…。
能はまずまず、良かったのに、もう行く気がしない。
(深見ファンの反論が有りそうだが、能関係の話はどうぞ書き込みを。宗教や政治がらみは遠慮願いたい。)



9月11日  坂井同門会(観世能楽堂)    (感想)
2007-09-17 01:18
『芦刈』坂井音隆・津村聡子・森常好・ワキツレ2人・山本則孝・藤田次郎・曽和正博・亀井広忠

ワキの軽快な『次第』サラリと難波の浦に辿り着く。
ツレ:『サシ』は麗しい。シテ『サシ』で景色を見る姿が美しいく、『翔』も良いが、「前の世の戒行こそ」からはいまいち。
「浦に出で〜」で脇正の方を向くと荒涼とした感じで、「異浦見れば」で再び右を向くのも「眺め来し」と遠くを見る感じもそれぞれに良い。
『下歌』で蘆を刈る所作は爽やか。
『笠の段』の部分は型をきっちり、という印象で、少し硬いが、繊細な美しさも有り、若さを考慮したらかなりの上手さ。
芦を所望され、笠に載せた芦をツレの前に落とすのだが、笠の紐に引っかかって落ちにくかった様子。惜しい。
「いかに古人」からは(シテは気品が有り、良いのだが、)ツレが儚く美しい過ぎてシテが霞んでしまう。
「今は怨みも」と袖の露(紐)を持って手を合わせるのは、堂々として晴れやか。しかし男舞は、いかに男舞と言えど直線的過ぎる部分が有る。舞の後は地謡のノリも良く、型も美しくてとても良い。


狂言『伊文字』山本東次郎・山本則重・山本則俊

東次郎さんの『伊文字』は以前にも拝見したが、今回の方が断然良い。
初めの女の姿ではかわいらしい雰囲気。
「急がしや」と駆け込んで、"関”で止められる動きにキレが有る。
「なんじゃ、そなたがいた」とあきれた様に言い、ここではのんびりとして、「飛び越えて行こう」となんとか関を越えようとするテンポが良い。

「いの字のついた国の名」と言いつつ、所狭しと動き回るが、思案している感じがとても出ていて、何とか早く思い出そうと必死な様子。
同じセリフを繰り返しているだけなのだが、言い方や仕草に変化が有ってとても面白い。
「さらば、関守」とゆったりと謡う様に言う感じも良く、「梅はほろりと落つれども」と笠を綺麗に投げ、「とまった」と足拍子して座る。かっこ良すぎ!


『源氏供養』岩屋稚沙子・村瀬純・ワキツレ2人・八反田智子・幸正昭・安福光雄

ワキ・ワキツレ『次第』は出だしいまいち、『道行』からは纏まるものの、ぼやけた印象。
ゆっくりだが、サラリとしたシテの『呼掛ケ』にワキは重めの返答。
「名は形見とは」と三ノ松で正面を向く、姿も謡も美しいのだが、「さむらへば」と「然るべくは」の間が一瞬空いてしまい…出てこなかったのか?…惜しい。
問答でのシテの謡はあまり良いとは言えないが、『上歌』の地謡がとても良く、小さく回って中入、の姿は綺麗。

暗い足取りで後シテの出。「移ろい易き」とサラリと進むが、「知ろし召されろや」の最後で『ツメル』部分に式部の気品が漂い良い感じ。
「夢をも誘う」と舞台を廻るが、昔を思い出す様で美しい。
「恥ずかしながら」と言う部分は少しっかり過ぎる気がするし、「色めづらしき」はセリフが出ないし、と残念な感じだが、『次第』の地謡が静かに、幻想的に引き締める。
『クリ』『サシ』と寂しげながらスラリと進み、「一つの巻物」と経をワキに渡す。ワキは経を広げる姿が厳かで綺麗。この後は、はっきりした部分は美しいが、他は無表情な感じで、なんとなく…過ぎてしまう。地謡が良かったのが救い。


仕舞『雨月』坂井音重
「砧打とう〜」からやや単調だが、「月見がてら」からが美しい。
「木の葉」と広げた扇に視線を落とす姿は優雅で、「色にも交じる」と左右の下を見ると、降り積もった落葉が見える様で素晴らしい。


『阿漕』古枝良子・殿田謙吉・ワキツレ2人・山本則秀・寺井宏明・森澤勇司・高野彰・大江照夫

静かなワキ『次第』どっしりと良い声の『名ノリ』と『道行』。
シテはゆっくりと登場だが、謡はサラリと始まり、「拙なかりける」と暗めに変化し、「出でて候」と静まる。
「いかで漏るべき」寂しげ。「総じてこの浦を」からの語はどっしりとしていて、途中もあまり変化が無いので「罪科を」と重く言っても効果が薄い。
「すわや手繰りの」と竿を持つ肩に力が入っていて「繰り返し〜」と竿に紐を絡めるのにいっぱい、いっぱいな印象だが、「浮きぬ」と竿を両手で持って回り、「立ちそひ」と脇正の方へ走りよる姿は迫力が有り、「叫ぶ声の」と両手を挙げて回ると、何事も無かったかの様に静まり、中入。地謡もメリハリが有って良い。

ゆったりとした『出端』で現れると、静かに謡う。
「船は見えず」と海を見渡す感じが出ている。
網を置くと、一の松に戻り、前髪を掴んで月を見上げる姿が美しく、魚を網に追い込む様にする仕草も自然で上手い。
「丑三つすぐる」からの地謡が良く、「なお執心の心」と悲しげな姿。「紅蓮大紅蓮の」と足拍子はどっしりと静めで、この後の動きも辛い苦しい感じは有るが、迫力は弱く、闇の中に沈みこむ様な感じで終わる。…悪くはないが、後はもう少し凄みが欲しい。



『芦刈』アイの語の中で「難波の味は伊勢のハマグリ」→「難波の芦は伊勢の浜荻」と訂正される部分が有る。
『阿漕』では「物の名も所によりて変わりけり難波の芦の浦風も、ここは伊勢の浜荻の音をかえて聞きたまえ」と有って、「草の名ぞ所によりて変るなり難波の葦は伊勢の浜萩(莵玖波集)」が元だろうが、関連の有るこの2曲が上演されるのは良い組み合わせだと思う。



9月9日   ぬえの会(喜多六平太記念能楽堂)  (感想)
2007-09-10 05:33
仕舞『老松』八田光弥

小さな手で大きな扇をもって、大きく舞台を廻る。幼いながら堂々としたもの。何よりかわいい!それだけで十分。

仕舞『春日龍神』八田和弥

かわいらしい小龍といった感じだが、「渡るまじ」と明恵に迫るなど、ちゃんと演じていてる。
昨日も舞台に立っていたのにどちらもぬかりなく、感心。

地謡が気合入りまくりで「謡は任せろ、後は思い切ってやれ!」という父の心意気…親子競演(?)ならでは?!

仕舞『高砂』梅若紀長

どっしりとしつつも、のびやかで、格調高くとても美しい。

仕舞『山姥・キリ』梅若晋矢

面をキル感じで左右を見る姿に迫力が有る。「山めぐり」と辺りを見まわすと景色が広がり、美しい。

仕舞『弱法師』深野新次郎

しっとりと趣き深い謡。杖を持って舞台を廻るなど前半はとても美しいが、「貴賎の人に」とぶつかって座り込み、杖を探す部分は少しはっきりしすぎたか、少し白々しく見える。

仕舞『難波』梅若万佐晴
祝賀という雰囲気で良い感じだが、最後の「治むる」で舞台を廻るのが硬い印象で惜しい。

仕舞の地謡が纏まっていて素晴らしい。これだけ有って全曲良いってなかなか無い気がする。

舞囃子『邯鄲』梅若万三郎・一噌仙幸・久田舜一郎・大倉正之助・観世元伯

優美で静か目な舞…中盤から力強い感じに変化する。
「昼になり」と舞台を大きく廻ると、本当に変化していく様。
「栄華も尽きて」と呆然とした様にゆっくり『ヒラキ』。「皆きえぎえと」から急調となり、小屋に飛び込まなくても迫力十分。さすが。

狂言『縄綯』高澤祐介・三宅右矩・河路雅義

太郎冠者が河路殿の屋敷の話をする場面が、とにかく上手くて面白い。
主人と河路殿とそっと入れ替わって、気が付いて、太郎冠者はそっと、抜き足差し足で逃げようとして、河路殿はサッと縄を引いて、「そこなやつめ!」と怒る。このタイミングが絶妙。

『井筒』八田達弥・森常好・三宅右近・一噌仙幸・久田舜一郎・安福建雄

冴えた笛の音。しっとりとしたワキの『名ノリ』。
シテの『次第』はしっかりとした謡で始まり、「人目まれなる」としっとりとして、古寺の寂しい景色が広がる。
「頼む仏の御手の糸」は重く祈る心が表れる。
木の葉を置いて、手を合わせる姿がきれい。
ワキとの問答は静か。「故も所縁もあるべからず」とワキの方に『ツメル』が、ここで『ツメル』のは強すぎる気がして、個人的にはこの前の「弔ひ参らせ候」で『ツメル』方が好きなのだが…。
『上歌』の地謡が美しく、「草茫々として」と脇正面の方を向いて辺りを見る感じは悲しく寂しげ。
『クセ』はしっかりとして、いとおしい昔の思い出を語る事で、自分のすべてがそこに有ったのだ、と再確認している様に見えた。

待謡が美しく、月夜の静寂の中にシテが静かに現れる。
『サシ』は力が入りすぎている気がするが、「我筒井筒の」から気が変わり、「形見の直衣」と左袖を見る姿は儚げ。
舞は扇を開く手に緊張が伝わり、抑えようとしたのだろうが、型が萎縮してしまい、いまいち。
「此処に来て」からは美しく、幸せな過去に戻った様なのびのびとした雰囲気で良い。
「業平の」と扇で薄を分け、「面影」と覗き込むが、扇で薄を分けると不安定なのか、薄の方に気持ちがいっている気がしてしまう。
「我ながら」で『シオリ』、「花の色」で左袖を巻き上げ、扇で顔を隠しつつ座る…美しい型。その姿は再び思い出を自らの内に閉じ込める様に悲しく、「破れて覚めにけり」とワキは現実に帰るが、シテは呆然として、今の出来事が夢で有る様に、また思い出だけを見つめる日常に戻っていく様だった。
地謡が素晴らしく、ここまでの地はなかなか無いと思うほど。



9月8日  普及公演(国立能楽堂)    (感想)
2007-09-09 22:43
狂言『簸屑』野村祐丞・荒井亮吉・野村万禄

祐丞さん:太郎は主人に茶を挽け、と言われてもやる気が無い様子。次郎に「色の悪い茶」と言われて「簸屑じゃもの」と馬鹿にしたように言う、ふてぶてしい感じが良い。
茶を挽きつつ、次第にうとうととして、寝てしまう演技も上手いが、鬼の面を着けられて、鏡で自分の姿を確かめるあたりは、動きが有る場面の割りに面白みが少ない。
荒井さん:次郎は太郎冠者を起こそうと、相撲を真似たり、舞を舞ったりと真剣で、確かにこれだけやって寝られたら腹も立つ。
最後の「寝ていたので面をしておいた」と悪びれず、楽しそう。
のびのびと楽しい雰囲気。



『三井寺』梅若万三郎・八田和弥・井松男・則久英志・御厨誠吾・野村万禄・炭哲男・一噌仙幸・柳原冨司忠・亀井忠雄

まず始めにゆっくりと舞台に入り、正中に座る。
「南無や〜」と祈る。その体は弱々しい女の疲労と苦悩にあふれているが、祈りには子を思う母の強さが籠められている。

「あらありがたや」と少しだけ明るくなるが、アイとの会話は静かで、霊夢を見たからと、簡単には希望を持てない、現実の重さか?不慣れな旅立ちの不安の様などっしりとした「『アシライ』で中入。

ワキ・ワキツレのしっかり、どっしりとした『次第』だが、「雲を厭うや」から少々強すぎる。

シテ『一セイ』は前半の重さから考えると、テンポが少し速い気がして、「今目の前に」と手を合わせる姿が、のんびり名所を楽しんでいる様にも見える。
「あの鳥類〜」から子供に会えない焦りの様子で、『カケリ』でゆっくりと廻り、強い足拍子など、悲しみと苛立ちの複雑な境地を現す。
「ある詩に曰く」と重めの謡で、月が冴々と辺りを照らし出してゆく趣き。
「諸行無常と」声が夜風にとけて「驚く夢の世の」と辛い思いもとけだす様に静まっていく。
子方、セリフがしっかりとして、とても上手い。
「あら珍しや」と『ツメル』姿が子供に会えるかもしれない期待に溢れ、打たれて常座に座ると、寂しげで、うれしい再会だが、物狂となった我が身の姿を思い出し、恥じ入る様子。
「鐘故に逢う夜なり」と鐘楼を見つめ、子を見て『シオル』…仏への感謝の様で、子方が橋掛を帰っていくのを見送る後姿に優しさが溢れて美しい。



9月5日  定例公演(国立能楽堂)   (感想)
2007-09-07 03:20
狂言『墨塗』茂山忠三郎・善竹十郎・茂山良暢

シテ:忠三郎さんの大名はのんびりとした雰囲気で、前半は少し単調な感じ。
しかし墨をつけた女を見て、初めは驚き、次第に楽しくなって、最後は自分が墨を塗られても、面白くて仕方がない様子。
女役の良暢さんも始終、自然な演技で、怒って墨を塗りつけるのも、子供じみたイタズラのお返しに、墨を塗ってやろうという、子供のケンカの様。
積極のところ、皆仲が良いだろうなぁと思わせるほのぼのとした内容。


『俊寛』近藤乾之助・朝倉俊樹・佐野登・福王茂十郎・古川道郎・藤田次郎・住駒幸英・國川純

ワキのどっしりとした名宣リ、重要な任を務めに旅立つ姿に相応しい。

シテの一セイは消え入りそうなほど弱々として、その姿も常より更に小さく感じられる。ゆっくりと座ったり、動作がつらそうで、リアルなのか演技なのか…と思う部分も有るけれど、「ただ喜見城の〜」と正面を見ると、ふと昔を思い出す様な侘しさが漂う。
このあたりの地謡は少しもっさりとして、纏まりは有るが、もう少し。

『赦免状』を読む康頼に「俊寛をば読み落とし給うぞ」と、下の方から睨み上げるように見つめる姿に迫力が有る。
「こはいかに、罪も同じ〜」と『赦免状』をたたみつつ、その手が次第に震えて、堪えきれない憤りと、絶望の境地。
「書ける文字は更になし」と『赦免状』を投げ捨て、立ち上がりかけるも、力を落として最早立つ事も出来ない、という様にへたりと座る。

ワキ「舟人纜押し切って」と力強く、冷酷な態度にそれでも「ただ手を合わせ」と未練が残る風情が哀れ。
「もとの渚に」から地謡のテンポ、強さが良い。
この後のワキ・ツレのセリフが揃っていたので、かえって白々しく、俊寛は希望を持ちたいものの、信じきる事も出来ず、突然の事に呆然と、そして深い悲しみと孤独の中、舟を見送る。複雑な心境を見事に表現。



9月1日   川崎市定期能(川崎能楽堂)    (感想)
2007-09-03 04:21
狂言『苞山伏』野村万蔵・吉住講・野村扇丞

シテ寝ている山人の苞を盗もうとして、寝返りに驚いての、「寝返りであった。」と安心した様に言うセリフが、田舎者ののんびりとした雰囲気が出ていたので、盗みを山伏に押し付けて、飄々としていても憎めない印象になる。
最後の法力で引き戻される様子も上手く、安定した良い演技。
アド・小アドの二人は真面目に型通りで、決して悪くは無いが、面白さは弱い。


『六浦』友枝昭世・工藤和哉・高井松男・井藤鉄男・山下浩一郎・松田弘之・森澤勇司・國川純

ワキの道行は旅を楽しむ様な雰囲気で、称名寺に着いて、何気なく紅葉を見ている。
そんな中、シテは静かな呼掛ケ。ゆっくりと幕を出ると、人ならぬ気配を醸し出す。
「いかにして〜」と詠歌をどっしりと美しく謡う。
謂れを語る部分はサラリとして「身を退く」と言った紅葉の精らしい。

後、たっぷりとして豊かな『一セイ』。『クリ』『サシ』とスラリと進む。
『クセ』の地謡はどっしりと趣を変える。「さるにても〜」からはふんわりとした印象で美しいが少し単調。
「更け行く月の」から太鼓が入り、シテの謡もしっとりとして、急に空気が引き締まる。
ゆっくりと手を合わせて序ノ舞に入る。舞は爽やかで、長絹が緑地に金で紅葉と流水だったのも有って、秋というより、青嵐といったイメージ。
「散るもみぢ葉の」での扇使いや、「庭の面」と下のほうを見る姿も、青い紅葉の葉が風に乗って、辺りを撫でる様に吹き抜けた様で、颯爽とした美しさ。

写真はこの曲の舞台、「称名寺」。もっとも10年以上前の写真(古っ!)。

称名寺の橋

2007-09-03 04:32
今日調べたら、平橋は2004年に老朽化で撤去。残る橋も通行不可になっているそうで、寂しいですね。
今となっては、この、橋の上からの写真は貴重かも。

『六浦』に登場する「青葉楓」は枯れてしまったのですが、紅葉しない「常盤楓」が98年に金堂前に植えられたそうです。
久しく行かないうちに、色々変わった様で、今度見に行ってみよう。



大蔵流山本東次郎家狂言公演のお知らせ
2007-08-31 14:15
山形県小国町において、「白い森文化創造ワークショップ事業『大蔵流山本東次郎家狂言公演』」を開催いたします。

日時:平成19年9月2日(日)
   午後1時30分開場 午後2時開演

会場:小国町立小国小学校体育館
  (山形県西置賜郡小国町小国小坂町382−2)

出演:山本東次郎、山本則俊、山本則重、山本則秀

演目:「二人袴」「柿山伏」「呼声」

*入場は無料となっております。
 お誘い合わせの上、ご来場ください。

お問合せは
   小国町教育委員会事務局
   電話0238−62−2141
   FAX0238−62−2143
   

8月28日  能を撮る撮影会(横浜能楽堂)   (報告)
2007-08-31 04:19
全日写連主催の『能を撮る会』に行ってきました。その名の通り撮影会です。


演目は『白田村』『巴』。シテは出雲康雅さん。地謡は狩野了一さん・金子敬一郎さん・粟谷浩之さんの3人で、後見も兼ねていたので、1人になってしまう事も…。

囃子は無くて、アシライだと聞いていましたが、ワキ・アイもいないシテのみの上演…しかも『巴』は半能でした。

予想はしていましたが、素人とは思えない機材がズラーリ。能楽ファンは…私だけ…?

馴れない状況の為か、地謡の出だしが上手くいきませんでしたが、全体に良い謡で、シャッター音にかき消されてしまうのはもったいないくらい。
シテの出雲さんもとても素敵で、写真なんか撮ってないで(本末転倒)、じっくり見たいというのが私の本音。
装束を着けた姿なのにワキがいない、というのは、私はとても不自然に感じましたが、素人に写真を撮らせるだけでも滅多に無い事なので、贅沢は言えないってところでしょうか。

今回、撮影の為、常と型が違う部分が有り、この部分は公開してはいけない、という決まりが有り、現像したものをチエックするのだそうで…もしも200枚とか送っても全部見るのでしょうか…?
そんな手間をかけるなら、型通りに演じれば良いと思うのですが…。

さて、ド素人ながら、型が分かっているという強みを活かして(?)写真を撮ってみました。しかし手持ちカメラは自由に構図が決まるが、三脚に乗せてしまうと難しい。馴れていないとやはりダメな様です(苦笑)。

そんな中から、チエックを受けずにさっさと公開しちゃいます。(もちろん問題ない部分。…送ったら、いつ戻るか分からないし。面倒だし←本音)

転載・二次利用厳禁です。二次利用防止の為、文字を入れて有ります…本当の美しさを伝えるならこんな文字邪魔なだけ、なのですが…不便な世の中です。

『田村』後シテ

2007-08-31 04:28
迫力有!

『巴』

2007-08-31 04:33
実際に見ていると後姿がカッコイイのですが、写真では“面”が見えていないとつまらない。…写真の腕が無いからでしょうか…?

『巴』と言えば、長刀を振るこの場面が見せ場ですが、この後の小袖を取る場面も切なくて良いシ−ン。
先ほどまでの力強さとはガラリと変わって、しっとりと美しく、哀れでステキでした。

入選しました

2007-11-09 04:48
写真ド素人なんですが、コンテストに応募したら『入選』を頂きました。

上位の方々の作品は全日写連の機関紙「フォトアサヒ」1月号に掲載されるそうで、1月号が出たら、http://www.photo-asahi.com/kanto/kanto-index.htmの「コンテスト入賞作品」で見られるのではないかと思います。(違ったらごめんなさい。)

ただの『入選』の兎谷は名前だけ載るらしい…。会報みたいな雑誌なので、全日写連会員以外は目にすることは無いと思いますが、見ることの出来る方は御覧になって下さい。

皆一方に切り立てられて

2007-11-09 05:00
↑が受賞写真のタイトル。

まんまじゃないか!と思ったあなたはマニアです。(笑)
そのまま、謡の文句をタイトルにしました。
…安易だけど、謡と動きが分かってないと、この付け方は出来ないので、そんなところで能楽好きをアピール。。もちろん審査員が分かってくれないのは承知してますがね…。でもこの掲示板閲覧者は分かってくれる…かな。。



8月17日  定例公演(国立能楽堂)   (感想)
2007-08-20 00:56
狂言『八尾』三宅右近・三宅右矩・一噌幸弘・大倉源次郎・柿原弘和・三島卓

囃子と地謡が入り、謡う部分が多い能に近い曲。
閻魔役の右近さんの『次第』で一瞬厳格な雰囲気に…しかし男がやって来ると、「人くさい。人くさい。」とユーモラスな仕草に一変する。
(まったく関係ないが、ふと、dwangoのCMでインコが「鳥くさい。」と言っているのを思い出す。そうか原型はこれか…そんなはずは有りません。念の為。)

さて、文を差し出されて、「またか」と嫌そうだったのに、「閻もじ参る、地より」と宛名を読んだだけで、まんざらでもない様子。このあたりの仕草が上手くて、面を掛けているのに、良い表情をしている様に見える。

この後聞かれてもいないのに、昔、自分(閻魔)と八尾の地蔵が恋仲だった事を語り、文を読む。
文の内容がこの男を極楽に送って欲しいという内容だったので、男は調子にのって、閻魔を投げ飛ばし、自分が床几にかけてしまう。
この辺りは閻魔がだんだん情けない感じになって、なんだか気の毒。
しかし最後に極楽に向かう男が…橋掛リを帰って行くのだが、「名残惜しの罪人やとて〜」で振り向いてペコリと一礼したの姿がかわいくて、憎めないキャラに。

ストーリーだけ見ると、閻魔をさんざんに扱ったすごい曲ですが、こうしてかわいく演じられると、楽しい1曲。


『夕顔・山端之出・合掌留』粟谷能夫・工藤和哉・大日方寛・梅村昌功・澤祐介・一噌幸弘・大倉源次郎・柿原弘和

始めに、藁屋の作り物を大小前に出す。
シテはこの小屋の中から「山の端の〜」と謡い出す(小書:山端之出)。静かだが重すぎず、はかない美しさ。引廻しを下ろすと、淡い色合いの花がパッと開いた様に、美しい。
「さればこそ初めより」からどっしりとした謡になり、悲しく美しい。
シテは『サシ』から座ったまま動かないが、『クセ』の地謡が静で情緒深い。
「泡沫人は息消えて」とシオルが、返しが少々軽く見えた。

ワキの待ち謡は個人的な好みを言えば、もう少しどっしりとした方が好きなのだが、シテの『一セイ』の後、問答の様に会話する部分は、さっぱりとしつつも、老長けた高僧のような貫禄が有ってとても良い。

序ノ舞は綺麗だし、テンポに変化をつけていているが、まったりとしてぼやけた印象。
「お僧の今の弔ひを」で座ってワキ・僧に向かってゆったりと合掌する(小書:合掌留)。
「東雲の道より」で橋掛リに行き、二ノ松で止まると、舞台の方を向いて、左袖を被き、ゆっくりとしゃがむ様にして留メ。霞の中に消え行く様で淡い美しさ。
しかし舞を中心に印象そのものも淡く、儚さを強調しすぎる気がした。



8月5日  金剛永謹能の会(国立能楽堂)    (感想)
2007-08-10 04:08
狂言『咲嘩』野村万作・野村万之介・深田博治

3人とも役柄を掴んで上手いが、万作さんがずば抜けて上手いので、つい目が行ってしまう。
個人的にはそれほど好きな曲では無いが、今回は好印象。


『春日龍神・龍神揃』金剛永謹・今井克紀・金剛龍謹・廣田泰能・廣田幸稔・豊嶋幸洋・豊嶋晃嗣・宇高竜成・片山峯秀・工藤寛・宝生欣哉・石田幸雄・松田弘之・大倉源次郎・亀井広忠・小寺佐七

シテ「一セイ」がツレとの連吟になり荘厳な雰囲気になる。
ワキとの問答は思いがけない事、という感じが有り、更に思いとどまらない上人の言葉に「これは又仰せとも〜」と苛立つ様な感じで、まだ正体を明かさない老人と僧の自然な会話。

「鹿までも〜礼拝する」ではワキの方に一歩「ツメル」のみで"礼拝”の仕草をしない。ここは鹿の事を話しているので、礼拝しない、この型も良いように思う。更にツメル事で次の「かほどの奇特を〜」に説得力が出た。

「サシ」からシテは座るが、クセ「我を知れ」からの地謡と囃子のバランスがとても良く、思い止まらせるだけの威厳を感じた。

後、早笛なのは同じだが、一音一音を伸びやかにしたゆったりとした早笛(←変な表現だが)となり、厳かな雰囲気の中、杖を突きながら、ゆっくりと後シテの登場。龍王の威徳を示す。
後に続くツレが橋掛リに並ぶと、それぞれが名宣るように「○○龍王」と謡い、「百千眷属〜」シテと龍女2人、ツレ龍王2人が舞台に入る。

「仏の会座〜聴聞する」と全員が座るのだが、舞台中の5人が固まって、戦隊モノの決めポーズみたい(かっこいい意味で)。橋掛リに4人で龍王・龍女が全部で9人…圧巻です。

龍女(龍謹さん・泰能さん)の舞は優美でバランス良く、変わってツレ龍王達は6人で飛び上がったりと、迫力満点。…一人ずつ言えば難も有りますが、ツレ6人も名人は揃わないのは当たり前…ですね、やはり。
最後にシテ龍王は龍戴の尻尾が、本物の尻尾のように遅れてついてくるほどの大きな龍を乗せて、大きな鹿背杖を持って威厳たっぶり。
「明恵上人さて入唐は」と胸杖して問うのも余裕の風格。
「その丈千尋の」と袖を返して杖の頭で地を指すように構え、そのまま横に動く面白い型。最後は重厚な感じでした。
囃子も良くて、文句を言わせない大迫力を堪能しました。

謡の文句は同じでもこうして実際にたくさんの龍王が登場するともうすごいとしか言えない。いや、でも謡では百千眷属なのだからもっとすごい事になってるのだよなぁ…。
(こうしてまで(?)引き止められた“明恵上人”の事なども調べたいが時間が取れない…後の課題に…。)

さて、附祝言は『氷室』。珍しい気がするのですが、前にも聞いた様な気もする…記憶力が悪いだけか…。



7月28日  セルリアンタワー定期能・第2部    (感想)
2007-07-31 03:32
狂言『柑子』野村万作・深田博治

アド:深田さんは人の良さそうな弱い印象で、2人で向き合うと主人には見えない。
しかし太郎冠者の変な言い訳を素直に聞いて、仕方ないと納得してしまう人柄と考えれば、こんな感じだろうか…。

太郎冠者:万作さんの最後の蜜柑を『俊寛』に例える謡がとても良くて、これなら主人が思わず泣き出してしまうのも頷ける!?
そして、その上手さが可笑しさを誘う。面白かった。


蝋燭能『黒塚』友枝昭世・宝生欣哉・御厨誠吾・石田幸雄・一噌幸弘・曽和正博・亀井広忠・金春國和

蝋燭能であるが、照明を残していたので、手元の本が読めてしまう様な明るさ。規制が有るのかもしれないが、もう少し暗い方が良いと思う。

しんみりとして、美しいサシ。
ワキ:山伏に宿を請われての「人里遠き〜」は静だがしっかりとして、辺りの寂しさが伝わる。
「月に夜をや〜」から上歌としっとりめの謡とは逆に、次第に早く糸を繰る様子が、糸を繰る事で寂しさを忘れようとして、かえって思い出してしまう様。
(残念な事に今回は座席が悪く、柱で肝心なこの辺りの動きがまるで分からない…丁度顔と手元が見えない位置で、糸繰りは“枠”の動きで、巻く速度を推測。)

薪を取りにと橋掛リの方へ進むが、作り物(この時は自分の閨を表す)の横を通るあたりから歩みがゆっくりになり、「覗くな」と言うか言うまいか迷う様子であったが、さっと振り返って「閨の内ばし御覧候な」と言って出て行く様子は、やはりどうしても言わずにはおれない複雑な心情が表れていた。
橋掛リで、1ノ松を過ぎると、両手で着物の裾をサッと上げると、1歩1歩、力強く、大きな歩調で進んでいく。それは険しい山を登る様に見えるのだが、同時に、見たままの寂しげな老女が出来るはずの無い強い歩みで、唯の人では無い恐ろしさを醸し出す。

アイとワキのやり取りは良い感じだったが、ワキの閨の内を描写する謡は、いまいち恐ろしさが出ていない。残念。

出端で登場したシテは迫力の有る謡出しで良いが、「鳴神稲妻天地に満ちて」と更に威厳に満ちて、『白頭』という事も有って神の様にも見えてしまう。(ちなみに面は般若、白頭の時はキマリ。)
柱巻など綺麗に決まるが、やはりどこか神の様な雰囲気…。
山伏の経によって次第に弱っていく感じが出て、「浅ましや」で扇で顔を隠すと、橋掛リに行き、幕の前で「たちまぎれ」で座り、「失せにけり」で立ってトメた。
この最後の方法もいろいろ有るが、飛廻らなかった事で、消えたと言うより正にどこかに紛れた様に余韻のある感じが出て、良かった様に思う。



7月28日  セルリアンタワー定期能・第1部   (感想)
2007-07-31 01:34
狂言『昆布売』野村萬斎・破石晋照

萬斎さんの大名は真面目な雰囲気で、昆布を売る破目になって、「昆布買え!昆布買え!」とぶっきらぼうに売ってみたり、言われた通りに節をつけて言った後に昆布を投げ捨てたり、とイヤイヤ売っている感じをはっきり表現していて面白い。


『玉葛』友枝昭世・森常好・高野和憲・ 一噌幸弘・曽和正博・亀井広忠

シテ:ワキの問いに「これは初瀬寺に〜」と静に答える。しっとりとしながらも、説得力の有る不思議な女の雰囲気を醸し出す。
「かくて御堂に参りつつ」と正先に出て座り、ゆっくりと手を合わせる。この時の"間”が丁寧に礼拝する感じでとても良い。
この後中入まで動きが少ないが、地謡がとても良くて聞かせてくれる。

しっとりしつつも伸びやかなワキの上歌。
経に導かれた様に静に現れた後シテ、乱れた心を表すのか「乱るる色は」と正中に出る姿に迫力が有る。
「げに妄執の雲霧の」から少し明るすぎる様な印象で、迷いや報いといった感じではなく、若い女の苛立ちの様に見え、人間くさすぎる気がする。
「影もよしなや恥ずかしやと」と顔を隠す様にする仕草は美しく、蛍の光に映し出されたその時の姿を垣間見た気分。(源氏物語に源氏が蛍を玉葛の御簾の中に放すシーンが有る→『源氏物語・蛍』参照)



7月18日  定例公演(国立能楽堂)    (感想)
2007-07-23 00:34
狂言『瓜盗人』大藏吉次郎・大藏彌太郎

のほほんとした印象の盗人だが、案山子に不思議そうに近づいたり、怒って畑をめちゃくちゃにする演技が自然で上手い。
「案山子が化けた」と手を打ち合わせてのんきに驚きを表すのもほのぼのとした笑いを誘う。


『杜若・日蔭之糸・増減拍子・盤渉』今井清隆・高安勝久・一噌隆之・幸正昭・柿原祟志・桜井均

シテの謡は聞き取り易いのだが、一語一語途切れているようにも聞こえてしまう…上手いのだが少し気になる。
「水行く川の蜘蛛手なれば」と角に出て、下を差スと清い乙女の様な美しさ。

物着後、「身に添え持ちて侍らうなり」とワキの方を向く、その仕草にその衣が大切な物である事が伝わる。
すぐに戻って「我は杜若の精なり」と再びワキの方を向くと今度は気高い趣が有る。ワキの方を向くというちょっとした同じ動きだが、違いが有る。
クセから舞の前あたりまで細かな型が続く。(正確には分からないが他流より動きが多い感じで難しそう。)
舞は神の様な雰囲気で淡々と舞うが、イロエで少ししっとりとしながらも終盤は男性的で、業平=菩薩のイメージがはっきりと伝わった。
地謡もとても良くて良い舞台でした。


小書「日陰之糸」は観世の「恋之舞」と同様に冠に"日陰之糸”を垂らす。
観世で「恋之舞」の小書が付くと自動的に盤渉になるが、別々に書かれているということはそれぞれ独立しても行うのだろうか?
それから舞の部分の型も通常とは違っていた様に思ったが、勉強不足で具体的には分からなかった。…金剛流なかなか見られないからなぁ…。



7月14日  名曲を観る会・源氏物語の能(宝生能楽堂)   (感想)
2007-07-17 04:58
舞囃子『源氏供養』香川靖嗣

しっとりとして花の有るとても美しい地謡。
シテ「花散る里に〜」での動き(上羽)が少々暗すぎる気がしたが、次第に良くなる。
ロンギ「光源氏の御跡を〜」と儚げな姿が「蓮の花の」とワキ柱の方を向くと気品にあふれ、次第に昇華されてゆく様に美しく変化していった。


舞囃子『須磨源氏』友枝昭世

爽やかで美しい舞。面も装束も無いのに、そこに居るのは若き光源氏。
最後の部分「夜は山よりや明けぬらん」(1度目)の地謡が乱れる感じがしたが、悪い感じは無く、寧ろザワザワとした風が吹きぬけた様な面白さが有った。


『落葉』塩津哲生・宝生閑・宝生欣哉・御厨誠吾・高澤祐介・一噌仙幸・横山晴明・柿原祟志・観世元伯

あらすじ:旅の僧(ワキ)が小野の里に着くと辺りは霧に包まれていた。
その景色から古歌「荻原や軒端の露にそぼちつつ八重立つ霧を分けて行くべき」と詠ずる。
すると女(シテ)が現れ、その古歌の由来、この地に住んでいた“落葉宮”の不名誉な名の由来、“柏木”と“女三宮”の恋を語ると、自らが“落葉宮”の霊である事をほのめかし、霧の中に消える。
通りかかりの里人(アイ)に落葉宮の事を尋ねると、里人は“落葉宮”について詳しく語る。
僧が弔いをしていると、“落葉宮”の霊(落葉の精)が現れ、いにしえを想いつつ舞を舞い、消えて行く。



ワキ「次第」から「問答」まで自然な流れで小野の景色が広がる。
そこに「呼掛け」で現れたシテも「上歌:心細き夕べかな」と角の方を向く姿はさびしげで、夕日に照らされてぽつんと立っている様に思え、風景が更に明瞭に美しく表される。

シテ「小簾の外洩れし面影の」と抑えた静かな謡を受けて地謡もしっとりと「クセ」に入るが、「夢なりけりと」が(次第に盛り上がってゆく所では有るが)少し強すぎる気がする。
「夕霧の〜」垂れ込めた雨雲の様な重いイメージで常座に廻ると中入。

アイの「語」が長いが、メリハリを付けて、きっちり聞かせてくれる。(…上手い人で良かった。)

後、静かな「一セイ」。神妙な感じで「合掌」して舞になる。「序ノ舞」は巫女が舞うような雰囲気。
「得聞是陀羅尼者〜」と法華経の文句が入って「破ノ舞」になる。
「破の舞」は明るく楽しそうに舞うが、終わって「石にそそぐ〜」淡々としている。落葉の精として自然の中に溶けてゆく感じで終わる…かに思えたが、「落葉と」と座る姿が女らしくて、野分に散る落葉にしては人間くさい。



さて、この曲について…
『落葉』というタイトルの曲は2種類有る。
金剛流に現行曲として有る『落葉(京落葉)』と宝生・喜多流に伝わる『落葉(陀羅尼落葉)』である。

今回はこの『陀羅尼落葉』を見直す試み。
喜多流では昭和40年に復曲されて以来の上演。(宝生流では明治期に上演されて、現在は廃曲扱い。)


今回の最大のポイントはシテの役柄を"落葉宮”と解釈した事。
過去の上演ではシテは"雲井の雁”とされていた。
というのもこの曲中では、はっきりと正体を明かすセリフが無く、「我も音を泣く雲居の。雁がね寒み吹く風の誘うとばかり失せにけり」と中入する。ここから“雲井の雁”と解釈されていた。
これを今回は「「我も音を泣くもろかづら落葉の時雨降る雨の誘うとばかり失せにけり」とし、他にも"柏木”との関係などを補い、クセを短くしていた。

元の詞章でも話の中心は"落葉宮”で、主人公は"落葉宮”と考える方が自然なので、この改訂は良かった。

しかしアイの語が長く、説明しすぎるように思う。(アイの部分は新たに書かれたもので、著者も長いと認めている。)
更に、後シテが太鼓序ノ舞を舞う事から"落葉宮”=落葉の精霊と解釈し(『杜若』などと同じ展開)その事もアイに語らせている。

太鼓序ノ舞は草木の精が舞うがのは確かだが、"落葉宮”は弔いに引かれて現れ、過去の修法(陀羅尼)を思い出すというという話から、太鼓は過去の陀羅尼を表すと解釈しても良いのではないだろうか?
…いやむしろ断言しないで、精霊としても"落葉宮”の霊で有っても、どちらでもその時の演者や観客の解釈に任かせた方が面白いのではないかと思う。


さて、更に勝手な考えを言うと、後半の短い曲なので、見せ場は前半の語と後半の舞になる。
精霊として美しく舞うのも良いが、そうすると脇能の様な感じがして、『源氏物語』を題材にしたにしてはそっけない気がする。
「序ノ舞」は過去に聞いた陀羅尼の功徳によって至る法悦の世界、そして「破ノ舞」は波乱の人生でも美しくある女と、散ってもなお鮮やかな紅葉を重ね合わせて、そのままの姿での成仏(女人・草木)を表し女性的な終盤だったら、『源氏物語』っぽいんじゃないだろうか…。

ところで"落葉宮”という名は蔑称なのに、自ら名宣り、その謂れを語る…自虐的とも言える展開は少々かわいそう。そのくせ後半はほとんど語らない、何か足りない様な不自然さはやはり残った。
主人公を“落葉宮”とするなら『京落葉』の様に後半にもう少し語って欲しいが、そうすると差が出ないし、いっそ“雲井の雁”としても良さそうだが、そうすると後との繋がりがおかしいし…。
面白い試みでは有ったが、曲としての検討はまだまだ必要だと思う。



7月7日  七夕と狂言の宴(玉川高島屋・屋上)   (感想)
2007-07-09 05:08
狂言『呼声』茂山千三郎・茂山宗彦・鈴木実

屋上に設置された舞台で、橋掛リがとても短い。更に幕もなく、よしずで囲まれた鏡の間(と言えるほど立派ではない)が有るだけ。

しかしこの状況を上手く使っての上演。

太郎冠者:千三郎さんは次郎と主人に呼ばれている間は舞台袖に隠れていて、自分の出番近くまで出てこない。
こうすると、呼んでいる間は舞台上は太郎冠者の家の外になる。
太郎冠者が登場して、常の通り扇で顔を隠して居留守を使うと、舞台上は家の中、外、半々の空間になる。

ずっと太郎冠者が見えている、通常の状態より、いちいち隠れてしまった方が、より、こっそりと外の声を窺っている感じが出る様に感じられた。短い橋掛リで、幕もなく、サッと出入出来る会場ならではの、良い演出。

全体に自然で、おおらかな茂山家らしさが有る公演でした。


しかし、1曲だけって物足りない〜!
千三郎さんの解説を入れても30分弱。


この日は始めに、短冊を渡されて、七夕の願いを…という事だったので、能楽の人気がブームに留まらず続く事を祈願しておきました。この短冊は栃木県足利市の織姫神社に奉納されるそうです。

ウェルカムドリンク・ちょこっとおつまみを出して、演者紹介・解説・狂言と進行。ワイン片手に狂言鑑賞というのは初めて。
狂言終了後、食事。とは言え、小さな小皿に乗った料理は美味しかったけれど、なんだか試食みたいで(特に混ぜご飯、ちょうどMDサイズの小皿に上品に…。)いっそお弁当でも良いのに…机の無い座席で置き場に困ったし。

音響担当の方(名前忘れてしまった)の曲(狂言以外の時に音楽がかかっていた)の解説と風鈴についての話も有りました。(この会は風鈴がたくさん飾って有って、「茂山千三郎と千の風鈴」というサブタイトルがついている)

夜は着物で丁度良いくらいの涼しい日だったので、まさに夏の夕涼みという雰囲気を堪能してきました。…出来たらせめてあと1曲!



6月24日  喜多流自主公演(喜多六平太記念能楽堂)  (感想)
2007-07-02 01:47
仕舞『雲雀山』佐々木多門

全体にゆったり長閑な感じで、シオリが少々白々しい。「峰つづき〜」サシつつ右に回ると景色が広がって良い。


仕舞『船橋』大島輝久

始めは勢いだけ、という感じだったが、「沈みけり」から人が変わった様に良い。
「橋柱に立てられて」と扇を逆手に持って杖の様に構えつつ立ち上がる姿には厳しさと良い風情が有った。


『満仲』友枝昭世・中村邦生・狩野祐一・友枝雄太郎・宝生閑・一噌仙幸・大倉源次郎・亀井忠雄

この曲、子方が2人も登場し、セリフも多い。今回2人とも十分な上手さで、哀れな物語に健気な美しさを添える。
シテ:「や、」と使いが来た事に気づく仕草は少々わざとらしいが、「使いが参りて候」と子方(美女丸)に礼をする動きが重々しく、最早どうする事も出来ない無力感に包まれる。
舞を所望されて、扇を頭上に上げてから立ち上がる。まるで天にいる我が子に向かって舞おうとするかの様に見えた…。「いかが、うれしかるべき」は感慨深げ。
囃子も含めとても良い舞台で、満仲ってこんなに面白い曲だったんだなぁと認識を改める。


狂言『磁石』野村萬・野村扇丞・野村万蔵

アド:扇丞さんは盗み聞きをする仕草や、恐々確かめに行く歩みが上手く、面白い。しかし肝心の、磁石と名乗り、刀を吸い込むふりをする部分の動きが分かりにくい。他の部分が良かっただけに残念。
萬さんはサラリめの余裕の演技…キャリアが違う。。


『夕顔』松井彬・工藤和哉・御厨誠吾・梅村昌功・小笠原匡・一噌幸弘・亀井俊一・大倉正之助

しっとりさせたいのだろうが、地味な感じの謡だし。
上歌「つれなくも〜」で少し気分が変わる。中入まで、動きはとても綺麗だが、謡は少し暗く、印象が薄い。

後場、ワキに手を合わせた後「罪深きに〜」と急に強く言うが、少々不自然。この後謡が良くなるが、今度は動きが…。
序ノ舞は始めまったりしていると思ったが、中盤から少し明るい感じになり、オロシで静止するなどやわらかさの中に緩急が有り、美しく決まる。

「夕顔のゑみの眉」しっとりとして、「開くる」でヒラクと明りが差す様に見え、「嶺の松風」で角を向いて扇をゆっくりと下ろし、遠くを見る様にすると風が吹く様で、そのまま風に乗って掻き消えるような優美な最後。


仕舞『経政・クセ』長田驍

遠くを見るなどの静かな型は決まるが、動き出すと、ここでピタリと止まると良いのに…と思うところできっちり止まらず、シャキっとしない。


『大会』内田成信・塩津圭介・大日方寛・吉住講・槻宅聡・住駒匡彦・原岡一之・三島元太郎

若々しい山伏だが、しっかりとした謡だし。
「言うかと思えば」と正面を差したり、扇を上げる仕草は力が入りすぎている。
小廻りして「かき消す様に失せにけり」と少しも"かき消えた”とは思えないが、若い実直な良さが有る。

後は「不思議や虚空〜」とのびやかな地謡で清冽に始まるが、作り物(イス)の中での動きがとても窮屈そう…重ね着しているにしても、もう少しなんとかなりそう。
するすると「経」を広げる姿にも威厳は感じられない。

「恐れをなしける」で驚いた様に作り物から出ると、急に軽やかで、辺りを警戒している感じが出ている。

ツレが半幕をしてから現われ、打杖で差しつつ走りこんでくる…力強くてかっこいい!
シテはこの隙に釈迦の姿から天狗の姿へと早替する。

「たちまち、さんざんに」でツレが打杖で打つ様子が軽く見えて、シテはどっかりと座ったので、なんだか天狗の方が偉そうだが、それは一瞬の事。
その後はかっこよく決まって、「その時天狗は」と帰り際に、一畳台の端に片足を乗せて、拍子を踏むように踏みしめてから幕へ。岩根を降りる感じで力強くて良かった。


喜多の能楽堂、改修工事が終了してから初めて行きました。舞台が新しくなったばかりで、白っぽい板は光に弱い私の眼には少々眩しい…と思いつつ、演技に集中してしまえばそんな事は忘れてしまう。
交換されたのは床板だけなので、柱や鏡板との色の差が歴然。これが落ち着くまでどの位かかるのだろうか…。
2階に工事の様子の写真が展示して有りました。



初めまして
2007-06-28 18:17
管理人様

 初めて書き込み致します。私は3年半ほど前から観世流の素謡を習い、能鑑賞も時折している者です。運営、お疲れ様でございます。
 最近こちらのサイトの存在を知り、閲覧させて頂いております。公演情報を関東地区に絞って掲載しておられるところ等、見易くて大いに参考になります。有難うございます。今後とも宜しくお願い申し上げます(末尾に私が偶然に知り得た2つの公演のURLを載せさせて頂きます。不適当でしたら、大変お手数ですが削除なさって下さいませ)。


@小田原城薪能
 http://www.odawara-kankou.com/page700.htm

A川崎市定期能
 http://homepage2.nifty.com/k-bunkazaidan/teikinoh/index.htm

Re^1: 初めまして

2007-06-29 03:39
拙サイトをご覧頂き、又、情報をお教え頂きありがとう御座います。
早速、サイトにUPしました。


今後も情報等御座いましたら、お教え頂ければ幸いです。
又、ご意見・ご要望などでも構いませんし、感想や疑問(…謡を習っておられるならお詳しいからこれは無いか…)何でも書き込み頂ければ嬉しく存じます。


6月21日  梅若研能会(観世能楽堂)    (感想)
2007-06-22 23:01
仕舞『嵐山』長谷川晴彦

緊張して力が入り過ぎたか、手の動きがぎこちない。勢いにまかせて猛進という感じで、少々雑な感じ。


仕舞『班女・舞アト』伊藤嘉章
「荻の葉の」でちらちと正面を見るところがとても良い。全体にやわらかで、上品な美しさ。


仕舞『大江山』青木一郎

型はきっちりだが、だからこそ"型”の連続を見るようで、面白みに欠ける。


『忠度』中村裕・舘田善博・遠藤博義・寺井義明・亀井俊一・上條芳暉

「問う人あらば須磨の浦の」と中正の方を見る、静かな侘びた景色の雰囲気が出ていた。
「あまりに愚かなるお僧の〜」や「峰の嵐や」など品が有って、ただの人では無い気配を醸し出す。

最後の方、「両馬が間にどうと落ち」は力強いが、「かの六弥太を」以降の語る声は悲しげでだった。このあたりもそうだが、その前の「語」の部分も、戦物は盛り上がる様にしっかり語るのが一般的、しかしこうして、自分の過去を振り返る様に語るのも儚げで面白い。
「左の御手にて」で首を掴む手にリアルな重量感が有る。
全体に派手では無いが、綺麗な感じで、歌人・忠度の雅さと人間味を前面に出した感じ。


狂言『二人大名』山本則俊・山本則秀・山本則孝

大名2人は力強い派手な動き。それでも弱そうな通りの者の言いなりになる事に違和感を感じさせない。
ストーリーはきっかけで、あくまでもその型や小歌を聞かせる、芸能なのだと思わされた。無駄のを無くした完成度の高い狂言。


『春日龍神』八田達弥・宝生欣哉・山本則重・寺井宏明・幸信吾・佃良太郎・観世元伯

前シテはものすごく抑えている、という印象だった。(面の表情がやさしそうだった事も要因かもしれない。)
「左右の眼、両の手の〜」と語る姿に威厳が有る。
「今は春日の御山こそ」と正面を見ると(ほとんど動いていないのに)広がりが有って良いのだが、「鹿までも礼拝する」と軽く頭を下げる…これは鹿の動きを表すだけだから、軽く下げるだけなのだが、少し軽すぎたのか、礼拝という雰囲気は出ない。

後「すは、八大龍王よ〜」一之松で朗々と謡出すと、スケールの大きさを表し、とても良いのだが、舞台に入ってから「恒沙の眷属」と2度打ちながら出るところが、焦っている様に見える。安座して打杖を抜く姿はかっこいいが、その後少々バタバタとしてしまった印象。



6月19日  日経能楽鑑賞会    (感想)
2007-06-22 03:53
狂言『舟渡聟』野村万作・高野和憲・野村万之介

船頭は、酒を飲みたさ、という感じではなく、相手の言い方に腹を立てた所業という感じ。

シテが舟を揺らすところや、アドが舟が流されて慌てるところなど、やりすぎで、芝居がかって見えるが、客ウケは良く、見所はよく笑っていた。分かり易さが良いのか、まず型ありき、が良いのかは好みの問題でもあり難しいところだが、今日はホールや初心者の為の会では無い。狂言としてきっちりと上手いはずのメンバーだけに残念に思う。
…でも上手いんだけどね。


『清経・音取』友枝昭世・内田成信・宝生閑・一噌仙幸・大倉源次郎・柿原祟志

ワキ:道行がとてもしっとり。囃子もどっしりとして時雨降る、容赦のない暗い情景が浮かぶ。
一噌流の音取はきっちりとして“冷えた”音のようだった。表れたシテは白大口に摺箔、青紫の長絹を肩ヌギにしてまさに死人の様だった。
笛の音に操られる様に歩む姿は無心で、今の自分の状況すらも分からず、ただ引き寄せられる様。二ノ松でふと顔を上げて舞台の方を見て、初めてそこに有る現世に気付く。

クセ「かかりけるところに〜」での地謡はしっとりとしているものの、少々バラつく。
「船に取り乗りて〜押し出す」と下がりつつ遠くを見ると景色が広がる。

この後地謡も良く、シテも儚げで美しい。
「舟よりかっぱと」で左袖を返して、普通に舟から降りるようにゆっくりと降りる動きをして、「沈みゆく」とくるくる回りながら正中に座る。舟から降りる(飛び込む)動きが緩やかなだけに沈みゆく深さがかえって増す。(喜多流の方が派手な型をするかと思っていたので、意外。)


二日連続の公演は違いが分かってとても面白い公演。やってる方はあまり嬉しくないかもしれないけれど…。

『清経』の終盤「西に傾く月を見れば」での月の扇をする向きが、正反対で、どちらを西に設定するかの違いが出る。これは他の曲でも有ったなぁ…。



6月18日  日経能楽鑑賞会(国立能楽堂)     (感想)
2007-06-22 02:30
狂言『舟渡聟』野村萬・野村万蔵・小笠原匡

シテ・アドが同じでこの曲、今年2回目。頻繁に見る曲は重なるもの。
しかし前回(1月)より各段に良く、こうも印象が変わるものかと、改めて思う。
シテ:船頭は酒が好きでたまらない感じが良く出ているし、「どうなりともするならば」と再び船を漕ぎ出す部分で急にやる気を出す変化が面白い。
アド:聟は今回は人が良さそうな雰囲気で和やかな感じで良いが、その分少し印象が弱い


『清経・恋之音取』浅見真州・谷本健吾・宝生欣哉・杉市和・横山晴明・亀井忠雄

ワキ、次第は良いが名ノリが少し重い。
ツレの妻はさっぱり、きっぱり話す女という感じで、少し冷たい様な反応。それでも肩身を見れば思いが増さると、形見を返す姿が、いたわしい。それを受けた地謡の下歌「手向け返して〜」はしっとりと悲しげで、良かったのだが、シテの登場後、良い所とバラつく所が有り、しっとりするべき部分でも、無理に抑えているような不自然さを感じた。

小書・恋之音取で笛に引き寄せられる様にシテの登場。
森田流の音取は綺麗で、少しかわいい旋律だった。(これは明日の友枝さんの方が似合いそう…と思ったのだが、実際はそんな事は無かった…それは次の記事で。)
笛に引かれて登場すると、橋掛りで2度シオル。夢でも幽霊でもなく、過去から現れた様な、人間的な雰囲気。
「形見を返すは此方の怨み」とじれったい様なもどかしい様な複雑な感じが出ている。この後の型は綺麗だが、地謡のバラつきも有って、シテの謡ももう少し。
「腰より横笛抜き出し」で扇を閉じてゆっくり手を合わせると静だが、張り詰めた緊張感が有る。
「舟よりかっぱと〜」と扇を頭上から足元まで、掬うように下ろす、大きな型。そのまま下がって座り、「沈みゆく」でシオルが悲しげな感じはあまりしない。
「変わらざりけり」から派手な型が続きメリハリが有って良い。

Re^1: 6月18日  日経能楽鑑賞会(国立能楽堂)     (感想)

2007-06-23 15:38
狂言『舟渡聟』について

今年2回目、前回より断然良い演技に思えました。
同じ人の同じ演目を2度見るというのは、素人目にも調子の違いがあったりして、見ていて楽しかった!


能『清経・恋之音取』について

浅見真州は久しぶりに拝見しましたが、やっぱり上手いな〜と感じますね。

笛の演出が小書きにあるようにちょっと特殊で、
まるで「だるまさんがころんだ」ですね。これは楽しい。
しかも笛の音がなんだかヒョロヒョロンって感じで、
(わかりづらいか(笑))
印象的でした。

どちらかというと囃子を楽しむ私にとって、
今回の小書きはナイスでしたね。



6月12日  坂井同門会(観世能楽堂)    (感想)
2007-06-16 03:30
連吟『山姥』柴崎和雄

どっしりとした良い謡出しだったのに、「山めぐり〜」あたりから地謡がばらつく。後半、力強さは有るが、少し荒すぎる印象。


仕舞『杜若クセ』鈴木利弘

始めのうちは何処を見ているのか、定まらない感じがして、「光も乱れて飛ぶ蛍の」で分かり易く辺りを見ても、良い効果が出ない。
しかし「「暗きに行かぬ〜」あたりから、爽やかで美しい。


『羽衣・和合之舞』鷲見敦子・高井松男・(ワキツレ2人)・藤田次郎・観世新九郎・國川純・小寺佐七


松の立木を出さず、1の松の後ろの欄干に衣を掛ける。
シテの呼掛ケは少し重い感じで、1の松に立って「天上に帰らんとても」と、松を見つめる姿は悲しげ。「それ偽りは〜」とサラリとしすぎて、威厳が欲しいところ。大人しすぎてやや暗い感じ。
角を向いて座り「南無帰命〜」と合掌するは美しい。
小書・和合之舞のため、序ノ舞の最後で途切れずに囃子が急調になり破ノ舞に入る。舞はやはり大人しい印象だが、破の舞に入る直前の扇使いが美しく、自然に破の舞に繋がる。舞の後は気品が有り、「施し給う」で崩れる様に座わってしまうが、すぐに立て直し美しい最後。


狂言『酢薑』野村萬・野村扇丞

息が合っていて、長閑で楽しそう。
「ス」と「カラ」という言葉だらけの言葉遊びの曲だが、2人が見物して回っている、町並みが見えてくる、自然でとても良い演技。


仕舞『藤戸』坂井音重

「刀を抜いて〜」と淡々とした感じがかえって冷たく恐い印象を与える。「浮きぬ沈みぬ」で波を表すと景色が見える様で美しい。
「水馴竿」と杖を引き寄せる姿がかっこ良く、「成仏得脱の身となりぬ」と杖を手放すと、消え入る様に終了。とても良い仕舞。


『鵜飼』小久保正雄・村瀬純・(ワキツレ1人)・小笠原匡・藤田朝太郎・古賀裕己・柿原弘和・小寺真佐人

前シテは静かな感じで、特に語りの部分が自分の身におきた辛い過去を語るように、悲しげで辛そうな語り。『鵜飼』はかなり見ているが、このように儚い語りは初めて。こんな方法も有ったのかと、驚く。
アイの語も“フシズケ”の方法を説明するバージョンだったので、より残酷な感じになる。
後シテは面のかけ方か、声がこもってしまい聞きにくい。
橋掛りではどっしりとして、良い印象だったが、舞台に入ってからはパタパタと軽い印象でもう一歩。



さて、狂言『酢薑』終演後“薑(はじかみ)”が何か分からない…とゆう声を聞いた。“はじかみ”とは“しょうが”の事。
現代では、一般に若い生姜を甘酢に漬けたもので、焼き魚などに添えられている…と言えば分かり易いだろう。
写真は“谷中生姜”だが、もっと若い“矢生姜”を漬ける。

もちろん狂言では単に生姜と解釈して良いのだが、実は“はじかみ”という名は元々“山椒”を指す言葉だったらしく、日本に有った山椒を“和のはじかみ”、中国から伝わった生姜を“呉のはじかみ”と言っていた。
山椒だと考えるとはじかみの語源もはじける実→はじかみ、と納得がゆく。(この語源は諸説有るが…。)

ところで、天正時代の脚本には『すからかわ』というタイトルが有り、江戸期の天理本にも『すいからし』というタイトルで「酢売」と「はじかみ売」が言い争い「仲裁人」が入る、『茶壷』などに似た話が有る。
“からかわ”=辛皮は山椒の枝の皮の事なので、もしこの脚本が変化して現在の『酢薑』になったのだとしたら、元々は「山椒売」だったのではないかとも考えられる。
『酢薑』の中で「酢売」は「ス」が付く言葉を言い、「はじかみ売」は、はじかみが辛いからと「カラ」という言葉を連発するが、「ス」が直接的なのに対して、少し遠い感じがする。(「はじかみ」が付く言葉はなかなか厳しいけれど、「はじ」や「かみ」から無理にこじつける事は出来そうだし。)
古いタイトルが『すからかわ』や『すいからし』だったら「カラ」が付く言葉を言う事が自然な流れの様に思う。
『酢薑』の最後は、酢とはじかみは縁が深いものだと、笑って終わるが、大藏流の替えの型で、「はじかみ売」のみが笑い「酢売」は「ごめんすい」と言って終わるバージョンが有るらしい。これだと、はじかみが生姜だと断言できない。
“はじかみ”という言葉の意味が山椒から生姜に変わるにつれて、狂言もその解釈を変えているのではないだろうか…。


*これは何の根拠も資料もなく、考えただけの事なので信用しないで下さい。「間違っている!」でも「そうかも!?」でも、何かご存知の方はぜひ書き込みをお願い致します。



ご冥福をお祈り致します。
2007-06-11 04:14
8日、観世栄夫さんがお亡くなりになりました。

先月の交通事故で、報道では軽症と言われていましたが、実際は肋骨を5本折る重傷であったと聞いていました。…が、まさかお亡くなりになるとは…。

新作能、演劇、CMなど多方面の活躍はあまりにも有名であり、又先代の銕之丞さんが亡くなられてからは、関係者の尊敬を一身に受けておられたのではないかと思います。そのような方がお亡くなりになった影響は計り知れません。

実のところ私はあまり舞台を拝見していなくて、最後に拝見したのは創作能で、クローデルの『薔薇の名』でした。まだまだこれから拝見出来ると思っていたのに…。


「この光陰に誘われて 月の都に入り給ふ粧ひ あら名残惜しの面影や 名残惜しの面影」
合掌。



6月3日  巨福能(建長寺・方丈)    (感想)
2007-06-05 03:29
仕舞『千手』梅若万三郎

しっとりと気品のある千手。私が持っていた千手のイメージより、少し大人びた印象だったが、扇が定番の妻紅ではなくて花の模様だった。そこに千手の優しさが表れているようで、美しかった。


『隅田川』八田達弥・八田和弥・安田登・高橋正光・寺井宏明・古賀裕己・大倉正之助

特設会場に有りがちな短い橋掛。今回もかなり短いが、違和感なく謡いだされた「一セイ」は重くなりすぎず、程よいトーン。

「鄙の鳥とや言ひてまし」と正面を向く…問うてはみたが、鳥に答えなど期待していなかった…とゆう醒めた趣き。

じっと船頭の話を聞く姿が美しい。
(狭い会場で最前列に居たので、まるで自分も同じ舟に同乗している様な近さ。綺麗で憂いを帯びた深井の面を間近に見られてそれだけでも幸せ。)
しかし「まして母とても〜」と次第に激昂していく様が少々力強すぎる様に思う。
八田さんの“母”は強い感じがする…でなければ一人で子供を捜しに来たりなどしないかもしれないが…。

上歌「さりとては〜」がっくりと力を落とす悲しさが表現されて、良かったが、受けた地謡がもう少し…。

最後のトメの後に笛が残る終わり方で、余韻が有ってとても良かった。


今回の会場、てっきり周りを開け放って上演されるものと思っていました。ところが、しっかり締め切られ、スポットライトのみの照明で蝋燭能の様な雰囲気。しかしスポットライトは味気なく、演者さんたち眩しそう…。

ところで、この写真。シテが持つ狂い笹。

始まる前、早めに着いたら、会場の外の広縁で待っているように言われ、裏に回ったら池が見えるな…と奥に回ったら欄干に笹が立てかけてあったんです。
こうして置いて有ると爽やかなのに、舞台で見ると不安な感じに…不思議なものです。



5月26日  友枝昭世の会(国立能楽堂)       (感想)
2007-05-31 03:14
狂言『文蔵』野村万蔵・野村扇丞

京を懐かしむ部分での雰囲気がとても良く、語りもしっかりと聞かせる。しかし全体に、どこかまったりとして、もう少し緩急が欲しい。


『邯鄲』友枝昭世・狩野祐一・宝生閑・工藤和哉・御厨誠吾・梅村昌功・野口能弘・大日方寛・小笠原匡・一噌仙幸・成田達志・亀井忠雄・金春國和

迷いの中に打ち沈む青年…次第、道行、着ゼリフと地味な始まりだった。
それが、大宮の中に入り枕を持つと、枕の持つ力に惹きつけられたかの様に、清浄な気配へと一変する。
シテが横になろうとして、まだ臥せきらないそのうちに、ワキ・勅使はその横に寄って、横になったと同時に、床を打ち、盧生を起こす。夢は盧生が横になる前にもう始まっているのか。

子方の舞の間に、掛絡を外し肩ヌギにし、束ねていた黒頭を下ろす。

一畳台の上でも狭さを感じさせない楽を舞うが、その最後の部分で足を出す…『ソラオリ』と言うらしい。でガクっと台を踏み外した様に見え、一瞬驚く。
しかし優雅な戻り方に演出だと、安心したが、大宮の柱を掴んでいたし、どう見ても踏み外した様に見え、あまり良いとは思えない。

「喜びの歌を〜」と正先に出ると、面なのに笑っている様に見え、栄華に浸り、感極まっていく様子を示す。
夢はもう少しで終わる。子方はサッと切戸へ消えたが、大臣達は少しもたもた…惜しい。

橋掛リからするすると大宮に寄ると、ピタリと止まって拍子を踏んで、飛び込んだ。
ゆっくり起き上がると、唐団扇をゆっくりと下ろす。呆然とした感じが良く出ていて、「盧生は夢醒めて〜」と茫然と静かに謡い、地謡もそれを受ける。
「栄華の」でシオルとその思いは、悲しげで有りつつ、どこか諦めに変わっていく。「南無三宝〜」そして更に感謝・喜びに変わる様に晴れやかに変化していく。
急展開でもそれぞれの心情を細かく丁寧に演じていて良い舞台。
囃子が、決して悪くは無いが、シテ・ワキ・地謡に比べるともう少しで、少し残念。



5月18日  代々木果迢会(代々木能舞台)     (感想)
2007-05-22 04:08
独吟→仕舞に変更『実盛クセ』浅見真高

足元が不安げで、見ていて大丈夫かなぁと思ったのも始めだけ、「錦着て家に帰ると」の足拍子は力強く、変わって「人や見るらん」しっとりと悲しげな様子。「会稽山に翻し〜」と地を踏む姿がとても美しい。


仕舞『嵐山』小早川泰輝

若手とは言え順を追うのに精一杯で、余裕なし。地謡も含めもう少し稽古して欲しい…。


仕舞『杜若クセ』浅見真州

「さてこそは信濃なる〜」とサラリと気分が変わって世界が広がり、「澤辺に匂ふ杜若」と僅かに見渡す様にしただけで、眼前に杜若が広がる。
先ほどまでと打って変って、地謡も良い。仕舞の地謡は同じメンバーなのに、シテの上手さに比例して地謡も良くなる…引っ張られるのか、気合の入り方が違うのか…?


仕舞『大江山』小早川修

全体に硬さが有るものの、「荒海、押し開けて〜」と扇で開ける仕草をする後ろ姿がとてもきれい。


『忠度』浅見慈一・大日方寛・(ワキツレ2人)・山本則孝・内潟慶三・古賀裕己・亀井忠雄

前シテの謡の間がとても良い。最後の様子の語りも、「光明遍照〜」最後の静けさが見られ、「打ち落とす」と頭上の扇の先を落とすようにして頭を指す部分はしっくりと重すぎず美しい。
しかし合戦の様子や一番最後の「木陰の宿とせば〜」の型はやりすぎで、芝居がかって見えた。

忠度の後シテ、軍装姿では鉢巻をするが、今回は浅黄色の鉢巻だった。装束と合っていて良いと思う。

近年、白が定番だが、古くは浅黄を使っていたと、事前レクチャーでご本人が語っておられた。なんとなく戦後とか、昭和に入ってからの事と解釈していたが、今、家に有る大正時代の謡本の装束附を見ると白鉢巻と有る。白になったのは意外と古い事らしい。もっと古い謡本も有るが、そちらには装束についての記載が無い…残念。



5月11日  銕仙会定期公演(宝生能楽堂)          (感想)
2007-05-15 04:23
『雲雀山』鵜澤久・後藤真琴・工藤和哉・大日方寛・則久英志・梅村昌功・三宅近成・高澤祐介・三宅右矩・金田弘明・藤田朝太郎・幸清次郎・亀井忠雄

前シテ、小屋の戸の開閉など、さりげない動きに気品が有り、美しい。
後は語までは場面に添って気分も変わるが、舞は美しいけれど単調な感じだったのと、地謡は全般に変化が少なかったのとで、もう少し緩急が欲しい印象。


狂言『文荷』三宅右近・前田晃一・三宅右矩

場面ごとの登場人物の気分の変化がきちんと演じ分けられていて、面白い。右矩さんの動きが少々オーバーぎみの部分も有るものの、右近さんの上手さに引っ張られて良い出来。


『鵜飼・真如之月』浅見真州・宝生欣哉・御厨誠吾・一噌仙幸・大倉源次郎・柿原祟志・助川治

小書の為に常とはかなり違う印象。
まず前場の最後『鵜之段』の部分で鵜を追って橋掛に行く。そのまま橋掛で常の所作が有り、さっと中入。これはこの後のアイの語が省略されるので、さっと中入して装束を変えようという事だと思う。
鵜を追って橋掛に行くのは勢いが有って面白いけれど、そのまま見せ場とも言える『鵜之段』を橋で行うのはなんだか勿体ない気がする(正面席だったら観にくいし、遠い…)。
幕入りまでが短いのでスゥと消える感じは有る。
送笛のあと、前述の通りアイは省略されて常のワキの待謡、気のせいかも知れないが、いつもより少しゆっくりとしている。
中入から6〜7分で後シテの登場(裏は大変そう!)この後の型もけっこう常とは違う所が多く、常よりもどっしりした感じで、動きまわる派手さはないが力強く、個人的にはこの型の方が好き。
この小書の解説でよく言われる「一の松で髪を掴み月を見上げる」という部分はよく分からなかった…が、緩急、間、謡、どれも上手くて、良い舞台。

ところで、後の役柄を閻魔王とする説が有り、個人的には川→賽の河原に通じ(しかもワキが小石に経を書くのは石積に通じる)、閻魔王の本地(本来の姿)・地蔵菩薩に相応しく、この説を支持しているのだが、常の型では少しバタバタしすぎて閻魔王らしくない。しかしこの小書のどっしり感は閻魔王とする説にふさわしい。
『鵜飼』には「空ノ働」という後シテが座りっぱなしの小書も有って、こちらは更に閻魔王っぽいけれど見たことが無い…上演されないかなぁ…。



4月14日  五雲会(宝生能楽堂)     (感想)
2007-04-19 03:10
『右近』宝生和英・田崎甫・金森隆晋・野口能弘・野口琢弘・吉田祐一・山本則孝・松田弘之・森貴史・安福光雄・金春國直

前半の掛け合い部分でワキは良いが、シテが素の本人が話しているかの様に趣が無い。後の舞はとても綺麗。しかしその後もメリハリが有るものの、サバサバしすぎていて、もう少ししっとり感が欲しい。


狂言『土筆』山本則直・山本泰太郎

則直さんの土筆を取る仕種や「何でござろうか?」と首を傾げる様が自然で、役の性格を捉えていて上手い。相撲になってからのテンポの良さもなかなか。

この曲、歌を詠んで、可笑しい笑われ、怒って相撲になる話だが、家によって少々違う。
山本家では『どひつ』と読む。シテが「ぐんなり」も「芍薬」も両方の歌を詠んで笑われ、相撲でも負けてしまう。
大藏家では『つくづくし』と読む。内容は同じ。
茂山家も『つくづくし』と読むが、シテとアドで一首ずつ歌を詠み互いに笑われて相撲になる。
野村家ではタイトルごと変わって『歌争い』。話の順序も違い、「芍薬」が先でアドが笑われ、その後シテが「ぐんなり」を笑われる。
同じ曲でそれぞれ微妙に違う面白い曲。


『花月』金森秀祥・大日方寛・山本則秀・藤田貴寛・住駒匡彦・佃良太郎

「うぐいす」の辺りの謡は良いが、クセから少々暗い感じに…。鞨鼓を打つ部分では(勿論、実際には打たないが)打つ事よりも振り上げる事ばかりが目立っていた。地謡が後半良い感じだっただけに惜しいところ。


『源氏供養』渡邊旬之助・宝生欣哉・小野寺竜一・大倉源次郎・高野彰

地謡「月も心せよ〜」でシテが中正を見ると、高貴な静けさが漂い、ゆったりとしたイロエは夢の世界に沈みゆく様に美しい。地謡の良さも有って、良い出来。


狂言「悪坊」遠藤博義・若松隆・平田悦生

若松さん、気弱そうな僧侶を好演。この後の『草薙』のアイでの堂々たる語とは別人のよう。悪坊の遠藤さんもワルっぽい感じはとても良いが、最後で出家になってしまう部分はもう少し…。


『草薙』東川尚史・辰巳大二郎・御厨誠吾・若松隆・成田寛人・幸信吾・内田輝幸・小寺真佐人

前半はシテよりツレの謡が良い。後シテ、一セイから力強く、床几に掛けてからの謡もメリハリが有って、迷いが無い。「尊剣をぬいて」で立って刀を抜いて払うと、その切っ先に気迫がみなぎり、一気に最後まで突き進む。前が良ければ文句なしなのだが。。



4月11日  代々木果迢会  (代々木能舞台)     (感想)
2007-04-14 03:15
独吟→ナシ

仕舞『弓八幡』浅見慈一

最初は上体に力が入りすぎている感じたが、中盤から伸びやかで、良い感じ。

仕舞『羽衣・キリ』小早川修

速度・動きが均一な感じで、きっちり過ぎるくらいきっちりした型。綺麗だが機械仕掛けの様で面白みに欠ける感じ…。

仕舞『花月・キリ』小早川泰輝

最後の方で型に迷いが有るのか、止まるべき所でピタリと止まれない。それでも個性を感じる…これからに期待。


『楊貴妃』浅見真州・宝生欣哉・高野和憲・藤田次郎・鵜澤洋太郎・國川純

楊貴妃の作り物(小宮)には普通、鬘帯を下げる。

余談だが、「玉簾」の小書が付けば、シテの姿が見えない位たくさん下げて、実際に「玉の簾をかかげつつ」の謡(もう少し後の場合も有る)で扇や唐団扇でかき分けて、シテが登場する。深窓の貴婦人として、簡単に面を見せない、のだろうが、引廻しがやっと降りたのに更に隠れているのはやりすぎな気がして、普通に隙間から見える程度が良いと思う。

今回の作り物には鬘帯と瓔珞が下がっていた!
作り物の前面には何も付けず、側面と後ろのみで、シテの姿を隠す事なく、豪華な宮殿を表現していた。このパターンは初めて見たので、引廻しが降りた瞬間の美しさに息を呑む。
作り物を出てからは全体に少々重い感じで、体も重そうに見えたのだが、舞に入ると別人の様にふんわりと美しい。まさに在りし昔の姿に戻ったかのよう。
最後にワキを見送ると、「うち沈み〜」で定座に座り、唐団扇で顔を隠すようにして留めたのは、実際に作り物に戻るよりも宮殿の中に掻き消えた様に思え、儚げで良い終わり方だった。(この最後の方法も、宮に入る、唐団扇を抱くようにして座るなど、パターンが有って、どれも面白いけれど。)
元々の上手さもさる事ながら、演出の妙にしてやられた。




4月4日  靖国神社夜桜能(悪天候のため日比谷公会堂)    (感想)
2007-04-06 03:02



初の会場変更です!もう10年以上通っていますが、途中で雨が降り出した事は有りましたが、会場変更は始めての経験。でも結局夜は降らなかったので、無理にでも靖国でやって欲しかった!





舞囃子『融』梅若晋矢・松田弘之・大倉源次郎・大倉正之助・三島卓

始まっても会場内がざわざわと落ち着かない。その雰囲気に呑まれたか、シテ・囃子・地謡と息が合わず、広い舞台で何だか貧弱に見えてしまう。後半は良くなるも、皆上手いはずのメンバーなのにパッとしない。


狂言『磁石』野村万作・野村萬斎・竹山悠樹

萬斎さん登場と共に拍手がおこる…ここはコンサート会場か!
しかしファンの方々が真剣に見ているせいか会場内が静かに。更にホール慣れしている野村親子は堂々の演技で会場を沸かし、結果舞台が引き締まる。これはさすがと言うほか無い。


『巴』梅若六郎・森常好・舘田善博・森常太郎・深田博治・松田弘之・大倉源次郎・大倉正之助

六郎さんは尼姿で登場…恰幅が良すぎて弁慶が出てきたのかと思ってしまう(相当失礼な表現だが)。元々この曲の前シテは里女なのだから、唐織にすればいいのに…。
中入り前の地謡が良くて、シットリとして、「知らずはこの里人に〜」と振り向いてから中入りする姿が美しい。
ところが、後シテの装束も常と違って、蝶の模様の縫箔・源氏香の図の入った色大口、ここまではとても良いのだが、朱色の側次!それもやたらと肩が碇型に上がって、如何に女武者と言えど、勇ましすぎ。
しかし「巴、泣く泣く賜りて」とシオリつつ後ろを向く姿が、まるで悲しみに絶えかねて背を向ける様だったり、「執心を弔いてたび給え」と手を合わせる所作は乙女の様な麗しさ。派手な装束の割りに、良かったのは女らしさだったりして、基本的な上手さを見せ付けられた感。でも派手好き…狙いすぎの装束はやめて欲しい。


さて、公会堂での公演でしたが、舞台上には桜の木が設置されていて、一応夜桜能を演出していました。わざわざ、東北から運んで来たのだと言っていましたが、そこに凝るなら、照明も凝って欲しい所。普通に明るい照明で、夜桜能と言いながら、真昼間みたい。蝋燭は無理にしても、それ風の柔らか照明で、夜の感じを出して欲しかった。
写真は終演後に取ったので暗いのですが、上演中は明るかった…。
正直この公演は桜の下で…という環境が有るから行くのであって、室内になるなら中止で良いのに…と思うのは私だけでしょうか?



3月15日   梅若研能会(観世能楽堂)      (感想)
2007-03-17 02:50
仕舞『西王母』青木健一

始め緊張していてガチガチか思ったが、「袖も裳裾も〜」あたりからとても綺麗で、春霞の様な美しさ。


仕舞『錦木キリ』古室知也

地謡と息が合っていないように感じた箇所が数回。型を追いかけている感が有り、もうちょっと慣れたら良くなりそう。


『百万』梅若紀長・梅若志長・野口能弘・大藏千太郎・成田寛人・船戸昭弘・高野彰・助川治

全体を通して単調な感じ。大きく言えば緩急が有るのだが、1つの動きの中にも緩急が有るべきなのにそれが無い。綺麗だが上品のという名のフィルターに覆われた様。地謡が良いだけにおしいところ。子供と再会を果たした最後の部分は愛おしそうで良かった。


狂言『土筆』大藏彌太郎・大藏基誠

2人ともおおらかな感じで始まるが、とても上手な演技で、シテの太郎さんは、負けっぱなしの役どころで、何だか可哀想に思えるし、アドの基誠さんは、人のミスを笑い飛ばしてしまうふてぶてしい男に見える。役どころをきっちり掴んでいる。


『車僧』加藤眞悟・殿田謙吉・大藏基誠・一噌隆之・野中正和・大倉栄太郎・小寺真佐人

ワキ・殿田さん、動きは少ないが、威厳が有って、いかにも高僧って感じが出ているし、アイの基誠さんもとても上手い。シテ・加藤さん、前シテでワキ僧に挑みかかるセリフは迫力がしだいに増してよい感じ、しかし動きは力みすぎ。先月、同曲を見ているのでつい比較してしまうが、宝生流にくらべ観世流は舞台を広く使ったり、型が大きい。その割りに今回気迫が弱い様に思う。地謡は良いが、囃子方は悪くはないけどもう一歩…って感じで、全体にもう少し…かな。



3月10日  普及公演(国立能楽堂)    (感想)
2007-03-13 02:32
狂言『二人大名』丸山やすし・松本薫・網谷正美

脅された2人の大名が刀を取られ、着物を取られ、物まねをさせられる。その度に同じようなセリフが繰りかえされるのだが、分かっていても面白い。
2人ともおおらかな大名といった感じで、言いなりになってしまう気の弱い人物を好演、それぞれに個性が表現されている。特にアド(大名)の松本さんが迷惑な事だなぁという雰囲気が漂い最高でした。


『松山天狗・三段之楽』宇通成・豊嶋晃嗣・宇竜成・飯冨雅介・茂山宗彦・松田弘之・幸清次郎・安福建雄・観世元伯

ワキ・飯富さんは、なれない感じ、上演頻度が少ない曲では仕方がないか…。
囃子方が少し軽い印象、なんとなく意外な感じがしたが、聞いているうちにとても良い感じ…私が勝手なイメージを持っていただけらしい。
シテ・宇さんは前シテの老人の趣は良いが、後シテがきれいに纏まりすぎている様に思う。西行の訪問を喜び、舞ううちに怒りを表すはずだが、天狗の力強い舞に見える…。
写経を焼かれた事で天狗に変じた崇徳院だが、それだけでは無い不遇の帝の怒り、悲しみが内に有るはずで、その複雑な心情を感じる事は出来なかった。
今回小書により早舞が楽に変わる。いずれにしても派手な動きに情を込めるというのは至難の業。面白い曲だと思うが現行曲としているのは金剛流のみ(観世流で試演されているが)。こんな曲は意外と内に籠もる宝生流が得意だったりするのではないだろうか…?



2月25日  二人の会(国立能楽堂)         (感想)
2007-02-27 03:38
『卒都婆小町』香川靖嗣・宝生閑・宝生欣哉・一噌仙幸・大倉源次郎・安福建雄

橋掛りの休息、着キゼリフの「あまりに苦しう、候ほどに」と区切った言い方に老女の身の重さが漂う。杖で床几を打て、確認して座るのは、実際に確認も出来て、老人らしさも表現出来て、良い方法。それでいて物言いは僧を論破する知性的なしっかりした女を表現。
物着の後、舞台を廻る部分が少々前傾しすぎている様に見えた。
自然に出た震えだと思うが、「九夜とよの〜」の部分と座ってから「憑き添いて〜」に部分で扇を震わす仕種は深草少将の思いか、その思いに責められる小町の苦しみか…いや、むしろその思いに抵抗しようとする小町の強さの様でなんだか深い。キリ「これにつけても後の世〜」の地謡の雰囲気が変わって素晴らしい。初演とは思えない完成度。


狂言『鎌腹』山本東次郎・山本則秀・山本則俊

東次郎さんはいつもの安定した上手さで、自害しようとしても怖くて出来ない男を好演。一方則秀さんの女は、わわしい女という感じが出ているが、少々わざとらしい気も…。


『実朝』塩津哲生・森常好・山本則重・一噌幸弘・幸清次郎・柿原祟志・金春惣右衛門

淡々とした語から急に自身の最後のさまを激しく表現する、その変化が凄い。
後は出端で登場するも、謡われるのは和歌の道に託した思い。そして壮大な海について歌うと、荒海を現すような力強い早舞を舞う。
舞い終わって波が引く様に穏やかになり「やがて船出の由比ガ浜辺に〜」と正先で遠くを見つめると絶望感が漂い、夢破れた人生の悲しさが表現される。
橋掛りに行って舞台に向かって面をキルと再び激しくなって、荒波そのものになったかの様に、息もつかせない迫力で幕入。
兎に角、最後が凄かった。細かい型がたくさん有ったが、煩雑になる事も無く堪能させられた。



2月22日 企画公演(国立能楽堂)       (感想)
2007-02-26 01:42
復曲狂言『近衛殿の申状』山本東次郎・山本則孝・山本則重・山本則俊・山本則直

あらすじ:領主・近衛殿は領地の水害を聞き、心配している。一方代官・左衛門尉は水害にも関わらず年貢を厳しく取り立てる。百姓は困り果てて、年貢の減免を願う書状を領主に渡すため、左衛門尉に口添えを頼む。左衛門尉は書状を確認し、更に百姓が勝手な事を言っては困るので、同道する。近衛邸に着くと、百姓は書状ともう一通、この書状に偽りが無い事を天神に誓った祭文を差し出す。実はこの祭文と称した一通にこそ、村の現状と左衛門尉の非道ぶりが書かれていたのだ。領主はこれを読み上げ、左衛門尉を叱る。

このあらすじで分かるように、しっかりとしたストーリーで、通常の曲に比べて複雑。登場人物も5人と多め。祭文と称した訴えは祭文の中に訴えが読み込まれているので、祭文の様に高らかに読み上げ、掛詞や例えを多用した面白い内容。
しかし全体を通して、物語性が高く、お芝居を見ているような感じ。近衛殿の人間性が深く描かれるが、狂言としては面白みに欠ける。前半をもう少し簡略化して、祭文を読んだ時の左衛門尉の反応などを滑稽に描く方が面白いのでないかと思うのだが…。


復曲能『鵜羽』観世清和・赤松禎英・森常好・舘田善博・森常太郎・藤田六郎兵衛・大倉源次郎・山本哲也・観世元伯

あらすじ:恵心僧都(ワキ)は旧跡・九州鵜戸の岩屋を見に行く。岩屋に着くと、海士の乙女たち(シテ・ツレ)が神代の昔を偲んでいる。そこには仮屋が有り、屋根が片方だけ鵜の羽で葺いてあるので、恵心僧都はその謂れを尋ねる。女は、遥か昔豊玉姫が懐妊し、仮屋を作ったが、屋根を鵜の羽で葺き合わせ途中で尊は生まれた。今日は尊の誕生日なので、先例に従い仮屋を作ったのだと言い、神代を讃える。更に女は自身が豊玉姫だとほのめかし、海に消える。所の者(アイ)がやって来て、海幸彦・山幸彦や豊玉姫の懐妊の物語を語る。しばらくして龍女となった豊玉姫(シテ)が千珠・満珠と共に現れ、奇瑞を見せると海に戻って行く。

前半は「葺く」にかかる言葉を連ねた面白い謡。シテ・ワキ・地謡と謡繋ぐ感じで面白い構成だが、シテの清和さんは今日はパッとしない…なれない曲で謡が安定しないのか…。と思っていたら、後では、舞始めは舞台に置かれた2つの珠を意識しながらの雄大な動きで、潮が引いていくさまを表し、囃子が急調になって満珠を手にすれば、押し寄せる荒波が眼前に広がる素晴らしい出来。

現存する謡本ではワキは“当今の臣下”であるが、それを“恵心僧都”に直し、台本を原形に戻す試みが行われて、ワキの次第と後シテの最初のセリフが少しだけ変わっていた。(後は「国の宝となすべきなり」→「聖人のみ法を得んとなり、ありがたや」と変わる)
ワキが僧に変わる事で、女人成仏の仏法を尊ぶ物語になっていて、後シテが龍女で現れる事が自然になる。しかしシテが豊玉姫で、神話世界を語るのだから、臣下のワキで帝に珠を捧げるという筋の方が神話世界らしい感じが出るような気もする…。

この日ツレの面が庸久作の「雪」の写しの小面だった。2連続「雪」とはめずらしい。(今回は写しだが。)

早く感想を書かなければと思いつつ日がたってしまう。そうこうするうちに、次の公演を見てしまった。そちらも書かねば…って事で次回『二人の会』の感想です。



2月17日  セルリアンタワー五周年記念公演 金剛 第一部    (感想)
2007-02-18 23:33
仕舞『八島』宇通成
戦ものではあるが、人々に見えるのは海辺の景色、本人のみが戦場を見ているという曲らしいキツすぎない良い動き。地謡がやや軽いか?

狂言『無布施経』茂山千作・茂山千三郎
経化をしているその雰囲気がとても良い。なんとか布施を貰いたいが、ハッキリ言えない…ぼかして言っても分かってくれないもどかしさ…。
とても楽しい狂言でした。

『雪・雪踏之拍子』金剛永謹・宝生欣哉・一噌仙幸・大倉源次郎・亀井広忠
この曲は初めて見ました。小書の雪踏之拍子は足拍子の時、音をたてないで踏むこと。降り積もった雪に音を消された静寂の世界の表現。
旅の僧が雪に降られて休んでいると、雪の精霊が現れて、舞を見せる。という単純なストーリー。所要時間も55分と短く、たっぷり見たい私にはとても短くて、もっと見たいな…と思ってしまう。
ワキの道行の後、作り物の引回しを下ろす…が引っ掛かったのか一瞬下ろせない…なんとか下ろして、シテの謡。安定した綺麗な謡で一瞬緩んでしまった雰囲気を一気に締めなおす。
静かな序ノ舞は、降り始めの粉雪の様に軽やかで、ただ風にのみ翻弄される景色そのもの。地謡も囃子も良くて、バランスの取れた舞台でした。

ところで、今回使用の小面、石川龍右衛門作の"雪”!
これは秀吉に献上された"雪・月・花”の1つ。ちなみに"月”は消失、"花”は三井美術館蔵。
"雪”はややふっくらした感じで、雪の感じとは違う気がする…私のイメージが変なのか?昔とは美的感覚が違うのか…?
しかしそもそも"雪”というネーミングは雪をイメージして作られたからではなく、3面の若さ・華やかさから順番に雪月花とつけたと言う。ならばこの曲に合っているとは言えまい。
貴重な面を実際に使っているのを見られるのはうれしいし、綺麗では有ったが、ちょっと気になる。



2月11日  月並能(宝生能楽堂)      (感想)
2007-02-13 01:37
『志賀』朝倉俊樹・小倉伸二郎・宝生欣哉・舘田善博・則久英志・前田晃一・一噌庸二・住駒匡彦・亀井広忠・小寺真佐人
こもった声で一セイが聞き取れない。ワキのなぜ休むのか、の問いに答える「仰畏まって承り候いぬ〜」からとても良い雰囲気。しかし、クセからの地謡が纏まりきらずもう一歩。
後、神舞が上手い。早い動きでも雑にならずに魅せ、更にその後、急に静になっても、気を抜くこと無く終了。前シテより後シテが断然良かった。

狂言『寝音曲』三宅右近・三宅近成
右近さんの謡が上手く、舞も良い。普通に『玉之段』の仕舞を楽しませてもらった。

『東北』今井泰男・野口敦弘・野口琢弘・吉田祐一・高澤祐介・藤田大五郎・大倉源次郎・國川純
しっかりとした呼かけ、梅の話などの語が上手い、が、舞台を廻る動きは足元が覚束ない。しかし中入する後姿に趣が有る。
後シテで、「ありがたや」と手を合せる動きがたどたどしい。「鳥は宿す」と正先で少しテラスとかわいらしい感じで、ここから舞に入るまでやさしい、上品な女性の印象。舞の中で袖を返すと、現実に戻る感じか…少しキリリとして、花びらが落ちるかの様な静かなラストが美しい。
歩きや、立ち上がるところなど、年齢を隠せない部分も有るが、ベテランの技が光る。
調べてみたら今井さんは85才、笛の藤田さんは91才だった。。元気すぎ!

『車僧』近藤乾之助・森常好・三宅右矩・寺井久八郎・幸信吾・上條芳暉・金春國和
「心空なる雲水の〜」で爪先立つと気迫が凄い。ここから中入まで力が抜けず、カッコいい!
後は挑むシテと泰然としてほとんど動かないワキの対比が面白い。勢い凄まじくワキ車僧に挑めども、近づくとすうっと力が抜けるように引く姿が、自然でとても上手い。一見パントマイムのようでも有るが、決して一人芝居ではなく、ワキの存在感も有り、やりすぎてもいない。たとえ台詞がなくてもその動きのみですべてを伝えられる気がする。
一昨年あたりから乾之助さんの調子が良いように思う。昨年は素晴らしかった。今年も期待大!

この日はあまり体調が良くなくて、ボーっと見ていたので、なんだか評価が甘いかも…と思ったが、今考えても割合良い公演だったと思う。
おじいちゃん達のパワーを貰ってすっかり元気に成りました。



1月24日 NHK能楽鑑賞会(国立能楽堂)     (感想)
2007-01-26 04:37
一調『玉ノ段』梅若六郎・横山晴明
六郎さんは日頃の派手なイメージが有るせいか、謡だけでは物足りない。しかし「かくて竜宮に到りて〜」「思い切りて〜」と気を変えて謡いわけるのはさすが。「かくて企みしことなれば」から謡も小鼓もノッて上手いが、小鼓は全体に控え目で、もう少し変化が欲しかった。

狂言『船渡聟』野村萬・野村万蔵・野村万禄
万蔵さんの聟がかたい。始終つっけんどんな都会人っぽくて、舟の上で酒を飲ませたいが、これはダメ、というやり取りがイジワルにすら思える。萬さんの舅の棹さばきはさすがで、舟を揺らすところは楽しそう。しかし、自慢のヒゲを剃られても、まぁ仕方ないか、という感じで素っ気ない。2人とももっと上手いはずなのに…。

『隅田川』友枝昭世・内田貴成・宝生閑・宝生欣哉・一噌仙幸・横山晴明・柿原祟志
いい。その一言に尽きる。良い舞台は良いところを上げればキリが無くて書きにくい。まぁそう言ってしまうと、元も子もないので、特に気になったところを上げてみる。
今回唯一気に入らなかったのは、子方を登場直前に切戸から入れた事。確かにすっと待っているのは大変だろうけど、いくら黒布を被って出たって、明らかに子方が入って行くのが見えてしまうのはいただけない。
さて、シテの出。ここは重くてはいけない、母はまだ子供が生きていると思って、旅をしているのだから。…友枝さんはスッと幕から出た。すぐにテンポを緩めて、それでもスルスルと一の松まで歩む。その姿は狂女で有ながら、手に持つ笹の存在感が無い。しかしこれは後に船頭に「優しき狂女」と言われるその雅な風情を既に表している様に思う。
「優しき狂女」このセリフは都鳥に関するやり取りから出るセリフだが、そのやり取りが出来る知識深い女である事が前提なのだから、その登場にその女の格が現れるのは自然で、これほど「優しき狂女」のセリフが当然の様に感じられたのは初めてだった。
閑さんの船頭がまたパーフェクト。その船頭に対して、子供の事を問う母の、次第に感情が昂ぶって、搾り出す様な震える声がリアルで悲しい。
船頭に支えられて立つ母は本当に支えが無ければ立てないのではないかと思う迫真の演技。もちろんこれは型どおりなのだけれど。
子供の幻が消えて、呆然と空を見上げる姿が凄い。
『隅田川』たくさん見たし、良いと思う公演も有った。しかし、これほどリアルでしかも美しい『隅田川』は他に無い。



1月8日 梅若研能会(観世能楽堂)    (感想)
2007-01-10 04:41
『翁・法会之式』梅若万三郎
追善公演に行われる、法会之式という小書付き。しかしこの小書、詞章が若干変化するのみ。今回は装束が白地に金茶の模様の狩衣と白地に紺か何かで模様が入った指貫と、落ち着いた追善公演らしい出立。(席が遠かったので、模様はおろか色まで良く判らなかった。)
昨年も万三郎さんの『翁』を拝見したが、やはり今年も素晴らしい。何より“カマエ”が美しい。これだけ威厳が有って、優美な翁を年頭に見られるのは至福。しかし大鼓の出だしがキツ過ぎる。そんなに力ま無くても…。三番叟の野村萬斎さんがこの頃上手い。こう言うとファンに怒られそうだが、昨年の同役を見るまであまり評価していなかった…しかし着実に腕を上げている。今年も上手くなっていた。

続いて『楊貴妃・彩色』
シテの作り物の中からの謡出し、ゆったりたっぷりとして、趣がある。ここから、玉の簪(天冠)を渡すまでの間の、シテとワキのやりとりで、互いの身分・人柄が上手く表現されている。又始めのうちは昔を懐かしむ様で、舞では若かりし頃の姿を現し、再びシットリとして現在に戻る、その変化が素晴らしい。しかし全体に少々上品過ぎる…。

狂言『鍋八撥』野村万作
威勢のいい鞨鼓売りと、一見ひかえめそうな鍋売り、しっかりとした目代と、それぞれの役柄をハッキリ表す。シテの最後のセリフ「数が多うなってめでたい」が味が有ってさすが。

『恋重荷』梅若万佐晴
地謡が出だしは良い感じだと思ったが、盛り上がりに欠ける。シテも「持てど持たれぬ」と荷を上げられず座る処は良いと思うが、スッと立つのは機械的であったり、「思い知らせん」と走り込む姿が若く見えてしまったりしたかと思えば、「地獄の重き苦しみ」と胸杖して重たく座り、荷を睨んむ姿が決まっていたり、と、良い部分とイマイチな部分が繰り返されて、もうちょっとなのになぁ、と思ううちに終了。

ちなみに追加(附祝言の様に最後に付ける一文。追善バージョンの事)は『海士』でした。追加って滅多に聞かないからいつもと違って面白い。

補足

2007-01-16 03:26
この回の『翁・法会之式』は詞章が若干変化するのみ、と書いた。
しかし重大な違いが有ることが判明。

それば三番叟の持ち物。常の「鈴」ではなくて、「錫状」に変わる。錫杖と言っても、修験者などが持つ大きな杖ではなくて、その頭の部分だけの短いもの。金色をしていたので、不覚にも気付かなかった。

少し調べただけなので、確かとは言えないが、「錫杖」を使うのは法会之式のキマリ事らしく、その基本は鷺流の三番叟に有ったものを、法会之式に取り込んだものらしい。(また調べて何かわかったら追記します)



国立能楽堂 自主公演 (情報)
2007-01-13 04:36
4月以降の国立能楽堂の公演が発表されました。
こちらに一覧を作ったのでどうぞご覧下さい。
http://homepage2.nifty.com/seiadou/kokuritu2007.html

さて、こうして見ると、小書が多い。特に白頭、6月なんて2回も。あんまり続くのもどうかと思うけれど、見たくなってしまうのも事実。

『杜若・日蔭之糸 増減拍子 盤渉』
『夕顔・山端之出 合掌留』
なんて珍しい。金剛流をあまり見ないからかも知れないが…。
『杜若・日蔭之糸』の方は観世で言う「恋之舞」と同じでしょうか…確かめる為にも見に行かないと。。

今年も見たい公演が多くなりそう…。



はじめに
2007-01-09 00:29
能楽関係ならなんでもOKの掲示板です。

ご自由にお書き下さい。

初めての方はお手数ですが、《ポリシー》をお読み下さい。