2008年

記事タイトル一覧 曲名(管理者が感想を書いたものだけ)
08年12月23日  第22回二人の会(喜多六平太記念能楽堂)  (感想) 舞囃子『春日龍神』、仕舞『歌占』『柏崎』『山姥』、独吟『徒然』、狂言『悪太郎』、『定家』
08年12月21日  代々木果迢会・別会(国立能楽堂)  (感想) 『清経・恋ノ音取』、狂言『福の神』、一調『笠之段』、『巻絹・諸神楽』、『望月』
08年12月16日 無形文化遺産部公開学術講座  (報告)
08年12月19日  定例公演(国立能楽堂)    (感想) 狂言『内沙汰』、『龍虎』、
08年12月14日  月並能(宝生能楽堂)    (感想) 『絵馬』、狂言『悪坊』、『蝉丸』、『黒塚』
08年12月10日  開場25周年記念特別研鑽公演(国立能楽堂)  (感想) 舞囃子『邯鄲』、『望月』
08年11月28日    特別企画公演(国立能楽堂)    (感想) 狂言『花子』、『三笑』
08年11月2日   友枝会(国立能楽堂)    (感想) 『橋弁慶』、狂言『清水』、『半蔀』、『道成寺』
08年11月7日  慶応義塾創立150年記念祝賀能(三田キャンパス中庭) (感想) 『土蜘蛛』
08年10月21日  武田同門会(観世能楽堂)    (感想) 『淡路』 、狂言『柑子』、『二人静・立出之一声』、『安達原・黒頭』
08年10月12日   粟谷能の会(国立能楽堂)    (感想) 『絵馬・女体』、狂言『布施無経』、『木賊』
08年10月4日  橘香会(国立能楽堂)    (感想) 連吟『鵜之段』、『高砂・八段之舞』、仕舞『合浦』『夕顔』『融』『通小町』『実盛・キリ』、狂言『昆布売』、『木賊』
08年9月28日  自主公演能(喜多六平太記念能楽堂)    (感想) 仕舞『鉢木』『船弁慶・キリ』、『養老』、狂言『粟田口』、仕舞『井筒』、『鳥追船』
【情報】 「第12回さがみはら能 かゞり火能」
08年9月26日    東京大薪能(お台場)   (感想) 『加茂』、狂言『仏師』、『葵上』
【情報】 「第七回 恭秀の会」
08年9月19日  開場25周年記念公演・四日目(国立能楽堂)  (感想) 狂言『川上』、『三輪・神遊』
08年9月18日  梅若研能会(観世能楽堂)    (感想) 『氷室』、狂言『成上り』、『班女』
08年9月13日  開場25周年記念公演・二日目(国立能楽堂)  (感想) 『大原御幸』、狂言『蜘盗人』、『泰山府君』
08年9月3日  開場25周年記念公演・初日(国立能楽堂)    (感想) 『翁』、『絵馬』、狂言『末広かり』、『湯谷・三段之舞』
【情報】 第26回「小田原城薪能」
08年8月17日  能楽座自主公演(国立能楽堂)    (感想) 舞囃子『百万』、『清経・恋之音取』、小舞『鐘の音』『通円』、舞囃子『誓願寺』、狂言『栗隈神明』、仕舞『江口・キリ』『実盛・キリ』『羅生門』、袴半能『融・クツロギ』
08年8月15日  相模薪能(寒川神社)    (感想) 『大仏供養』、狂言『蚊相撲』、『養老・水波之伝・祝言之式』
08年7月13日  代々木果迢会プレ・レクチャー    (感想)
08年7月26日  セルリアンタワー能楽堂定期能 第2部    (感想) 狂言『栗焼』、蝋燭能『鵺』
08年7月6日  観世会定期能(観世能楽堂)    (感想) 『自然居士・忍辱之舞』、狂言『伯母ヶ酒』、『半蔀』、仕舞『道明寺』『知章』『花筐・クセ』『車僧』、『鉄輪・早鼓之伝』
08年6月26日  日経能楽鑑賞会(国立能楽堂)    (感想) 狂言『隠狸』、『松風』
08年6月25日  日経能楽鑑賞会(国立能楽堂)    (感想) 狂言『隠狸』、『松風』
【情報】
08年6月19日  梅若研能会(観世能楽堂)    (感想) 仕舞『弓八幡』『夕顔』、『歌占』、狂言『二九十八』、『項羽』
08年6月14日  普及公演(国立能楽堂)    (感想) 狂言『素袍落』、『善知鳥・組落シ』
橘香会を見た方いらっしゃいませんか?
08年5月31日  二人の会(喜多六平太記念能楽堂)    (感想) 舞囃子『野守』、仕舞『知章・床几』『熊坂・長袴』、『谷行・素袍』、独吟『母衣』、狂言『八尾』、『芭蕉・二重趾・モロクモ拍子・薬草喩品』
08年5月24日  友枝昭世の会(国立能楽堂)    (感想)  狂言『伊文字』、『求塚』
08年5月16日  定例公演(国立能楽堂)    (感想) 狂言『子盗人』、『碇潜・船出之習』
08年4月11日  銕仙会定期公演(宝生能楽堂)    (感想) 『熊野・村雨留』、狂言『呼声』、『野守・黒頭』
【情報】第35回「川崎大師薪能」
08年4月9日  近藤乾之助試演会(宝生能楽堂)    (感想) 仕舞『鞍馬天狗』、舞囃子『羽衣・バンシキ』、仕舞『歌占・クセ』『船弁慶・キリ』、狂言『鱸包丁』、『熊野・膝行・三段之舞』
08年4月6日  春の別会(観世能楽堂)    (感想) 『求塚』、仕舞『実盛・キリ』『羽衣・クセ』『隅田川』『歌占』、『恋重荷』
08年4月3日  靖国神社夜桜能第二夜    (感想) 舞囃子『八島』、狂言『樋の酒』、『巻絹』
08年3月28日  特別企画公演(国立能楽堂)    (感想) 狂言『柿山伏』、『鵜飼・空之働』
08年3月28日 無形文化遺産部所蔵SPレコード公開鑑賞会  (感想)
08年3月23日  春の別会第1日(宝生能楽堂)   (感想) 『鶴亀・曲入』、狂言『二人袴』、仕舞『八島』藤キリ』『昭君』、『西行桜』、仕舞『玉之段』『雲林院クセ』『籠太鼓』、『道成寺』
08年3月11日  坂井同門会(観世能楽堂)    (感想) 連吟『弱法師』、『東北』、狂言『土筆』、仕舞『笹之段』、『葵上』
第九回 いけだ薪能
公演情報
08年3月1日  山形出羽の芸能(国立劇場小劇場)    (感想) 黒川能『羅生門』
08年2月28日  企画公演(国立能楽堂)    (感想) 『巻絹・五段神楽』,『夕顔・山端之出・法味之伝』
08年2月24日  地域伝統芸能まつり(NHKホール)    (感想) 『翁』
08年2月23日  條風会(喜多六平太記念能楽堂)    (感想) 仕舞『難波』『歌占キリ』、『采女』、狂言『伯母ヶ酒』、仕舞『西行桜』、『国栖』
08年2月15日  定例公演(国立能楽堂)    (感想) 狂言『痩松』、『小塩』
08年1月14日  梅若研能会(観世能楽堂)   (感想) 『翁』、『三輪・素囃子』、狂言『宝の槌、『野守・白頭・天地之声』
08年1月23日  NHK能楽鑑賞会(横浜能楽堂)    (感想) 狂言『附子』、『安宅・勧進帳・滝流』
3度目の書込みです
国立能楽堂自主公演  (情報)




08年12月23日  第22回二人の会(喜多六平太記念能楽堂)  (感想)
2009-01-24 04:33
舞囃子『春日龍神』塩津哲生・一噌仙幸・大倉源次郎・柿原祟志・観世元伯

しっかりとした地謡。シテは「難陀龍王」と、どっしりと謡うと、気配が変わり、重みの有る『足拍子』が美しい。
「百千眷属」と『角』に出て、舞台を廻ると雄大で、「聴聞する」と座ると静まるが、内に力が篭っていく様。「引き連れ〜」と『正先』に出て、どっかりと『安座』するのも、ゆったり目の舞働も余裕が有って、大物の風格。「天に群がり」と上を『サス』と周りの空気が雲の様にまとわりついている様に思えた。


仕舞『歌占』友枝昭世

どっしりとした謡。静かに立つと、緊張感が有って、ただならぬ気配。
“タメ”の有る型とさらりとした部分のバランスが良く、地謡もとても良かった。


仕舞『柏崎』内田安信

シテは陶然とした風で「されば始の」と謡いつつ、少し明るめの雰囲気。
続く地謡もたっぷりとして良いが、その後のシテの印象はちょっと弱め。


仕舞『山姥』佐々木宗生

雄大な様子で、少し荒い様なところも有るけれど、マズマズ。
地謡が所々乱れ気味で惜しい。


独吟『徒然』高林白牛口二

「あだし野の」と、すっと自然な謡だし。「世は定めなきこそ〜」と、しっとりとしているが、男っぽさが有って、“背中で語る”様な深い綺麗な謡だった。

 この曲は「徒然草」の七段をそのまま謡にしたもの。喜多流にのみ伝わるらしい。


狂言『悪太郎』野村萬斎・野村万之介・野村万作


萬斎さんの悪太郎は、「この長刀は切れましょうかの」とわざとらしく見せびらかす感じが、良いと思ったが、酔っ払ってから、長刀を振って見せたり、目が覚めて驚く様子はやりすぎな気がして、そうなると、初めの部分もわざと、わざとらしくしているのでは無く、今日は全体にわざとらしい演技なのかなぁ…とも思えてしまう。。
僧:万作さんの登場後は、流石に息がぴったり。


『定家』香川靖嗣・宝生閑・宝生欣哉・則久英志・野村万作・一噌仙幸・大倉源次郎・柿原祟志

シテの『呼掛ケ』は、どこかから風にのって届いた様に静かでさらり。
ゆっくりと現れると、しっとりと謡い、対するワキも上品。
地謡『上歌』は侘しげで、「物凄き〜」と下がる様子も寂しそう。
シテは「お僧に申すべき〜」とゆっくりとワキの方を向くと、すがる様な気配。
静かに語りだし、「ともの邪淫の」と重苦しげで、哀れ。“墓”の前(左より)に座ると、静かな『クリ』。「絶えなば〜」としみじみとして、続く地謡はしっとり。「後の心ぞ」と重くてとても綺麗な謡。
シテ「げにや嘆くとも」と絞り出す様なつらい雰囲気が良い。
「今は包まじ」と気品が有って、「これまで」と立ち上がって右に回り、「石に」と“墓”を見て、寄り、陶然とした感じで“墓”の中へ。。

ワキ・ワキツレ「夕べも過ぐる」としっとり。
シテは“墓”の中から「雪かとよ」と静かで、「昔は松風〜」とたっぷり。
「そとはつれなき」で『引廻シ』をを下ろす。
ワキ「あらいたはしの」と優しく、シテは静かに綺麗な謡。
「あら、ありがたや」と少し強く謡い、地謡「一味の」とはっきり目で、「定家葛も」と触れる様に手を上げて“纏わり付く葉”を見つめ、ゆっくりと外に出る様子が印象的。
「火宅を出でたる」と、たっぷりとした謡で、思いがこもり、ワキに向かって手を合わせると柔和な雰囲気。
ゆったりとした舞は女性的だが、威厳が合って、『オロシ』で時が時が止まった様に立ち止まると、その後はとても静かで、悲しげ。“墓”の前で扇を上げ、「面無の」と静かで、扇を回すと、一瞬輝く様に綺麗で、「もとより」から暗めの気配になって「桂の眉墨」と扇で眉を指し、「おちぶるる」と下がって『シオリ』、左に回って、「恥づかしや」と扇で顔を隠しつつ、『角』を向く様子は、可愛いらしく、哀れ。
「夢の中に」と“墓”の方を向き、「ありつる所に」と“墓”の右の柱を掴んでそれを軸に回るように、中に入って右に出、「這い纏はるるや」と左の柱を持って入って左に出て、「定家葛の」と正面から入って、『角』を向き、「形は」と下がって座り、身を抱くように両手を重ねると、そのまま『トメ』。
柱に纏わりつく様に回る様子は、自身に呪縛をかけている様で、定家の姿とも重なるが、それよりも本当は内親王自信が定家にすがっているいる様にも見えて、葛の中に甘んじて埋もれていく様で、美しかった。


すっかり書くのが遅くなって、一月遅れになりましたが、08年はこれで見納めでした。



08年12月21日  代々木果迢会・別会(国立能楽堂)  (感想)
2009-01-18 04:41
『清経・恋ノ音取』小早川修・武田友志・野口敦弘・一噌仙幸・曽和正博・國川純

ワキはスラリと『名ノル』と、どっしりとした『道行』、静にツレに話すと、ツレは始めしっかりで、「なに身を投げ〜」と驚くが気丈な感じ。
「悲しけれ」と『シオル』姿は綺麗だが、手を下ろした姿が男っぽく見える。。

シテは笛に引かれて現れ、笛が止むと止まって『シオリ』、再び笛で歩き出して…と3回繰り返して舞台へ進む。
その姿は闇の中に居て、見失いそうな細い糸の様な笛の音を頼りにやっと現れた、といったところか。笛が弱いわけではないのだが、イメージは細い、細い糸に思えた。
「うたた寝に」とどっしりと悲しげで、ゆっくりとツレの方を向く姿は儚い。
シテ・ツレの会話は静かだが、ぶつかり合う様な心の葛藤が見える。
シテは『正中』で『床几』にかけ、しっかりと語りだし、立つと、「かかりけるところに」と暗い気配の地謡。
「げにや世の中の」で『橋掛リ』に進み、「保元の」で扇を上げたり、「散り散りに」と『足拍子』したり、「松見れば」の『サシ』や「多勢かと」と右を見ると、過去を静かに、リアルに再現する様で、「ここに清経は」とゆっくり舞台へ戻って行くと、思いつめた気配が有る。
『正先』に出て、「水鳥」のと右下を見たり、「暁の」と月を見たり「腰より横笛」と、ゆっくりとした地謡で、扇を笛に見立てて持つ姿がとても静かで美しく印象的。


狂言『福の神』山本東次郎・山本泰太郎・山本則孝

則孝さんと泰太郎さんはゆったりと丁寧。
シテ:東次郎さんはいつも通りかっこいい感じだが、ふと可愛く、コミカルな感じも有って可愛かった。


一調『笠之段』浅見真高・國川純

真高さんは少しつらそうな部分も有ったが、自然体で楽しそう。
國川さんは丁寧で、少し畏まった印象。


『巻絹・諸神楽』浅見真州・武田文志・高井松男・山本泰太郎・一噌庸二・幸正昭・佃良勝・小寺佐七


ツレはゆったりとした謡でやや単調ぎみ。「や、冬梅の〜」からどっしりだが、さらりと進む。
地謡「その身の咎は」と控え目だが、シテは「のうのう」と咎める様子で現れ、威厳が有る。
「その縄解けとこそ」と『サス』姿は冷静に説得しようという感じ。
『問答』はシテもワキもしっかりで、ツレ「今は憚り申すに」と、しっかりしつつものびやかで、シテ「匂はざりせば」と静かだが、力が有る。
地謡「もとより」と厳かな雰囲気で、シテはゆっくり前に出ると「げに疑ひ」とツレのに寄って縄を解いて捨てる様子は威厳たっぷり。
地謡『クリ』『サシ』はとても上手いけれど、もっと纏まれたのではないかと思う。
どっしりとした『クセ』で『角』に出て、ゆっくり美しく舞台を廻る。
「されば天竺の」と『サシ』つつ『角』の方へ進むのも、ふんわりと静かに神々しい。
ゆったりとした『達拝』の後、やはりゆったりとした『神楽』を舞う。…静かで清浄な神そのもののイメージ。(小書:諸神楽なので『神舞』にならず『神楽』を舞う。)
「証誠殿は」と、どっしりとした謡でゆっくり舞台を廻り、「三世の覚母たり」と、くるくると回るのは“操られた人”の感じで、「翔り翔りて」と右、左と踏むようにして「地にまた」と後ろを向いて膝をついて、すぐ戻り、「これまで」と『橋掛リ』に進んで“枝”を捨てると、どすん!と落ちる様に座る。
「声のうちより」と地謡もシテも静まって、シテはゆっくりと立つと、呆然と幕に消えた。
最後の変化がはっきりで、見事!
浅見さんは装束とか演出とか、凝る方なので、何か有るかと思ったが、今回はシンプル。でもそれがかえって好きでした。


『望月』浅見慈一・長山耕三・小早川康充・村瀬純・山本則孝・一噌幸弘・鵜澤洋太郎・亀井広忠・金春惣右衛門

ツレ・子方の『次第』はゆったり目で、ツレはしっかりと武家の女の風格、子方は丁寧な謡で、とても良い。
シテ「不思議やな」と力が入りぎみだが、「やがて某と」と思いついた感じで、「何をおん包み」と神妙な語りが良い。
地謡はどっしりと綺麗な『上歌』。
ワキは静かに現れ、落ち着いた『次第』。『名ノリ』からは、はっきりで、アイとの問答もしっかりとしつつも、自然な流れ。(アイが宿を探す件で、迷わずに甲屋に決める…和泉流の迷うのを見慣れているから、すごくあっさりに思える。)
アイの「望月の秋長ではのうて」で、シテは驚く様に一歩下がるが、やりすぎ。。
シテは「言語道断の」と、はっきり言うと、「親の敵」と力が入るのが、リアルで良いが、その後も力が入りっぱなしで、アイとの会話に緊張感が有りすぎて、これではすぐにバレちゃいそう。
ツレ・地謡の『クリ』『サシ』『クセ』と、のびやか→しっとりと変化して、美しく、子方の獅子は舞台を大きく使って、堂々としたもの。
シテは『一ノ松』まで走り出て、欄干に足をかけて、舞台を見る姿はとても綺麗でかっこいいいが、その後は、大きく動いているのにキレがいまいち。敵を打つところは問題ないが、その後「とげぬれば」と子方を立たせ、「常座」に行くあたりは、型が少ないのに慌てた印象でもう少し。トメは晴れやかで良かったので惜しい。



08年12月16日 無形文化遺産部公開学術講座  (報告)
2009-01-04 03:27
国立能楽堂大講義堂で行われた、文化財研究所の企画。昨年のSPレコード鑑賞会の拡大バージョンといったところ。
1部はSPレコードの歴史についての解説。
2部は観世清廉・宝生九郎知栄・野口兼資・喜多六平太能心・桜間弓川・宝生新・松本長・観世華雪らの謡を聞く。
3部は囃子に注目して、『八島・キリ(一調:六平太・九淵)』『是界(大ベシ:弓川・巳久馬・九淵・豊次』『玉鬘(一調一声:華雪・祥光)を聞く。

今回はレコードではなく、CDに録音してあった為か、会場が良かったのか、前回よりも安定した音だった様に思う。しかし、せっかくならSPレコードから直に聞きたかった。

国宝 松雪図と能面  (報告)

2009-01-04 03:36
三井記念美術館で09年1月24日まで開催中。

展示室1〜3までは、能楽に関連する銘の付いた茶道具や、新年に相応しい取り合わせの茶道具の展示。(こちらは、あちこちで見たことが有る物が多く、微妙。)
展示室4〜7に能面を展示。旧金剛宗家伝来の能面54面が揃うのは見もの。
午前中に行ったが、空いていた。

細川家の能面・能装束  (報告)

2009-01-04 03:57
永青文庫で12月25日まで開催されていた。9月から公開されていたのに、全然気付かず、終了間際に知って、最終日に見に行った。
展示数が少ない事も有ってか、こちらも空いていた。クリスマスだからとポストカード(3枚入)を下さった。

能面の他に、装束、小鼓の胴、烏帽子なども有って、個人的には三井の展示より面白かった。
又“能絵合かるた”というカルタが展示されていた。4枚の絵合だから、花札の要領で遊べるのかと思ったが、よく見ると、カルタに十五点とか五十点とか書かれていた。遊び方さえ分かれば、自分で作るのに…。

08年12月27日 能狂言と茶の湯  (報告)

2009-01-04 04:21
青山グリーンアカデミーの中の“茶の湯文化学講座「茶の湯と日本の文芸」”の3回目の講義。この講義は全5回で、1回だけ聞くことは出来ないのだが、わけあって、この1回のみ聞くことが出来た。
講師は橋本朝生先生。

能に縁の茶道具は山ほど有るが、能の中に“茶の話”は出てこないので、このタイトルでどういう話をするのか、興味深かったが、結局狂言の話しばかり。
茶が出てくる狂言の、その部分を読んで、茶屋の形式、茶の種類などを読み解いたり、茶筅で茶をたてる仕草をする狂言を紹介したりするが、狂言になじみが有る人にとっては、珍しい話は無く、せめてVTRでも録音でも聞かせてくれれば良いのに、と思う。(珍しい曲が多く、VTR等用意出来なかった、とのこと)
もっとも、この講座が茶道関係者向きのものだから仕方ないのか…。

能絵合かるた

2009-01-06 22:25
兎谷さま

明けましておめでとうございます!
昨年はいろいろお世話になりました。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

永青文庫、行かれたんですね。
かるた、いいですよね〜。
どうやって遊ぶのか学芸員の方に質問すればよかった・・・と
私も帰ってから後悔しました。
復刻版が出たら能楽ファンに売れるかも?

お殿様のお茶碗でお茶されましたか?

Re^5: 能絵合かるた

2009-01-07 03:43
こっこ様
明けましておめでとう御座います。

こちらこそ、大変お世話になりました。今年もよろしくお願い致します。

永青文庫、ぎりぎりの日程で見てきました。展示品は少ないけれど、面白かった〜。行って正解でした。
お茶はしませんでした。時間が無かった、いや、無くなってしまったので…。
というのも、カルタ作りたいってのは半分本気で、何の曲で、何が書いて有るか、が分かる程度に…かなり雑にですが、スケッチしていたのでした。
でも肝心の遊び方が…。仮にカードを作って、遊んでみれば何かわかるかな?とも思うのですが、そんな暇が作れるか。。



08年12月19日  定例公演(国立能楽堂)    (感想)
2009-01-06 02:36
狂言『内沙汰』野村万蔵・野村扇丞

妻:扇丞さんの地頭のフリや、右近が左近の役をしたときの話しぶりに感心する様子が上手い。
右近:万蔵さんは、はじめのんびりした口調で、わかりやすいけれど、変化に乏しい。
「まだ身どもの番が有るな」と忘れていた感じも、稽古を始めて、いかにも気が小さい感じが良いが、「ごゆるされませ」と気を失う部分は、ふざけている様に見えてしまった。指を指す時の「さすぞよ〜」と嫌味でもったいぶった言い方が面白かった。


『龍虎』出雲康雅・大島輝久・狩野了一・工藤和哉・大日方寛・則久英志・小笠原匡・藤田朝太郎・柳原冨司忠・亀井実・助川治

ワキのしっかりとした『名ノリ』は上品だが、思いの強さの様で良いが、『道行』にダイナミックさは無く惜しい。
シテ・ツレ『一セイ』はどっしりと静かで、「霞に遠き眺めかな」と雄大さを表現したのは分かったが、こちらもいまいち。
「五嶺蒼々として」とのびやかで、「帰る山路の」と何気ないが実感が篭っている。
シテ「さては渡天の」と、どっしりで、威厳が有り、しっかりとした地謡で「果てしはあらじ」と少し出ると、その言葉に重みが出た様に思える。
「げにご不審は」とゆったり言って、「あの竹林の」と『角』を向いて見渡す様子が上手い。
地謡「それ生を享くる者〜」と勢い良く、纏まりが有って、『クセ』からはどっしりとして綺麗。

しっかり安定したアイの語りの後、『作り物』を『大小前』に出す。

ワキ「さても不思議や」と、どっしり伸びやか、「あれあれ峯より」と広大な地謡で、後ツレは『一ノ松』へ出、「かくて黒雲」でさっと『角』まで行って、「見えつるが」で“岩洞”の方を向いて "打杖”を下向けて膝をつく。
『引廻し』を下ろすとさっと立ってにらみ合う姿は、まさに獣がバッタリと出合ってしまった緊張感。
ツレは『橋掛リ』の方へ、後シテは"岩洞”を出て、再びにらみ合いを繰り返し、シテが膝を着くと、ツレも「かかりける所に」と膝を着いて、雲から下りた様子。
舞台へ進み、「悪龍を取らんと」と、足拍子すると、シテも立ち、「左も右も」と打ち合う様にして、2人とも右に廻り、「背けて」とツレが打ち、シテは座って、「金龍に」でツレは『橋掛リ』へ行くと、シテは立って、ツレを見送り、「また竹林に」で『橋掛リ』に行って、幕の前で回ってトメ。
にらみ合う部分は緊迫感が有って良かったが、動きの迫力は弱い。
最後はさらりと日常の様に、見送って、また幾度もこんな光景を繰り返すのだろう…と思わせる。



08年12月14日  月並能(宝生能楽堂)    (感想)
2008-12-29 03:48
『絵馬』小林与志郎・内藤飛能・東川尚史・小林晋也・殿田謙吉・遠藤博義・若松隆・山本泰太郎・松田弘之・幸信吾・安福光雄・小寺佐七

シテ・ツレ『一セイ』はゆったりとして、控えめだが、風格は有る。
ワキはしっかりと話しかけ、シテも静かだが、しっかりと答え「暫く候」とどっしり。
「賀茂の御生の」とゆったりと静かな地謡で、「たなびく白雲」と橋の上の方を見渡すが、遠くを見ている感じはいまいちで出ていない。しかしその後の『胸杖』する姿は飄々とした高貴な気配。

後シテは『一ノ松』で「我は日本〜」とどっしり、「水を蹴立つる」と『サシ』右の方へ見渡す様子が鋭く、威厳が有る。
舞になると、どっしりとした『足拍子』は良いが、少し慌てている様に見える部分も有って惜しい。
シテが『作り物』に隠れる、とツレ2人は立って、それぞれ“幣”と“榊枝”を持ってゆったりとした『相舞』になる。
扇に持ち替えてからもさらりと纏まってまずまず。
「おもて白やと」と静かな地謡でシテが少し扉を開けると、ツレ2人は『作り物』に寄ってシテを『正先』まで引き出し、さらりとしたラスト。しかし地謡が綺麗なところと惜しいところと有ってもう少し。


狂言『悪坊』山本則直・若松隆・遠藤博義

悪坊も出家も2人とも丁寧な感じで、わかりやすいけれど、やり過ぎな気も…。最後の「やい、悪坊!」と脅してさっといたずらっ子の様に走り去る姿が良かった。


『蝉丸』今井泰男・今井泰行・工藤和哉・山本則直・中谷明・亀井俊一・安福建雄

ワキ・ワキツレは静かで寂しげな『次第』。『下歌』「足弱車〜」とどっしりと綺麗。
ツレ「いかに清貫」と、しっとりで、答えるワキは、静かだがしっかりと良く、ワキ「さるにても」と憂いを含んでさらりと美しい謡。
この後のツレは静かで、既に諦めの境地の様にも見えるが、「早帰るさに」で腰を上げて見送る姿が儚く、ワキもゆっくりと歩く姿が後ろ髪引かれる様。

シテ「これは延喜〜」と静かに登場。その姿は狂人でも、どこか覚めた目を持っている様な大人の気配。
「松虫鈴虫〜」と、下の方を見渡す姿が自然で綺麗。
『正中』に進み、「逢坂の」と、ポツリという感じが良いが、「影見れば」と下を見たり、「髪の影映る」と頭を抱える様に両手を挙げて、下を見るなどは、形式的な印象。
「不思議やな」と神妙な面持ちで“藁屋”の方を向くと、立って「世になつかしき」と“藁屋”を見つめる姿が印象的。
ツレが“藁屋”を出ると、シテ「さも浅ましき」と下がって、一瞬恥らう様子で、しかし、すぐに2人は寄って、泣き崩れる雰囲気が良い。
シテ「引かれてここに」と、しみじみとして、地謡「浅からざりし」から『クセ』と静かでとても美しい謡。
「思ひやられて痛はしや」での『シオリ』は弟を思う姉の優しさを見せて、労しく、最後の別れで、「藁屋の軒に」でツレが立ち、シテはゆっくりと振り向いてから正面を向き、「幽かに声する」とツレが『常座』の方に進むと、シテもツレの方を向いて見つめ合い、シテは『シオリ』つつ幕へ。
ツレはその場で『シオリ』。…見つめ合う2人は言葉を交わさないけれど、通じている様で、だからこそ1人残される孤独と、残して去らねばならない姉の悲しみが深く見えた。


『黒塚』近藤乾之助・宝生閑・山本泰太郎・一噌隆之・観世新九郎・國川純

はっきりとした『次第』。『上歌』は気迫が有りつつも颯爽として閑さんらしい。
シテ『サシ』「げに〜」と細々と女性的で、ワキとの『問答』は侘しく儚げ。
「しばの戸を」で、少し右を向いてから立ち、「給へとて」で足元を気にする様にゆっくりと出てくる姿が色っぽい。
シテ「げに恥ずかしや」と静かで、「まそおの糸を」と静かで美しい地謡。
シテはゆっくりと、糸を繰ると手を止め、「あさましや」と思いを廻らす様子で静かに『シオリ』…糸を見つめる様子も、再び糸を繰る姿も侘しげ。
再び糸を繰り、その手を早めると、すぐに糸が切れて、『両シオリ』するが、静かで主張し過ぎない。
気分を変えようとするかの様に「あまりに夜寒に」と語りかけると、立って行きかけ、「のうのう」とゆっくりと振り返える、ねっとりとした気配が不気味。

後シテは『早笛』でスルスルと登場。(『絵馬』が『出端』だからかぶらない様にとの配慮)『一ノ松』の手前で止まり、ワキを睨んで怒りを露わにする姿に迫力が有る。
“負柴”を捨て、「野風山風」と右を向いて、「満ちて」と左下の方へ見渡すと、風が流れて行く様。
舞台に入り、ワキを見込むのも迫力が有って、ワキは数珠を揉んで対抗し、互いに譲らない力の拮抗の様を見せるが、“面”を『キル』型は少し弱いところも…。
シテは“打杖”を振り上げて、『一ノ松』あたりで柱を掴む様な感じで、手を広げると、後ろの空気を掴んでいる様な凄い威圧感。
ワキはシテに押されると、『ワキ座』に下がり、膝をついて「東方に」としっかり祈り、すぐに立って祈り続けると、シテは勢いそがれたかの様にゆっくり目に回る。
シテは“打杖”を扇に替え、「今までは」と静かに謡い、立って、「眼くらみて」と顔を隠して下がり、右へ回って『角』から“萩藁屋”を見上げると、少し寄って「恥づかしの」と下を向いて「物すさまじく」と舞台を廻って、『橋掛リ』へ行き、『二ノ松』で止まり、「夜嵐の」と『足拍子』して、右へ回って『正先』の方を向き、扇で顔を隠してから右を向いて『トメ』。
全体にとても綺麗な地謡で、シテは迫力が有りながら、女性的な気配を強く感じた。



08年12月10日  開場25周年記念特別研鑽公演(国立能楽堂)  (感想)
2008-12-14 03:21
舞囃子『邯鄲』高橋章・八反田智子・大倉源次郎・野彰・大川典良

高橋さんのゆったりとした『楽』は、1つ1つの動きががとても綺麗だが、もう少し明るい雰囲気だと良いのになぁ…と思う。
「謡ふ夜もすがら」からは明るめで、「紅葉も」と『角』に出ると、鮮やかな色を示す様に力強く、「雪も降りて」と扇を上げると、その扇から雪がこぼれる様で美しい。
「ありつる」で左右を小さく見ると、現実に気が付いた感じで、小さな動きでも深い印象。


『望月』観世清和・山階彌右衛門・小早川康充・則久英志・高野和憲・槻宅聡・鳥山直也・原岡一之・金春惣右衛門

シテ「かように候ふ者は」としっかり貫禄が有って、ただ人ではない気配。
子方・ツレは静かな『次第』。「何処とも〜」としっとりして美しい。
シテは『一ノ松』で『不思議やなこれに」としっかりなのに独り言という感じでとても上手く、「わかれし主君の」と顔を上げて子方を見る様子が、複雑な心情を表す。
ワキ『次第』はびっくりする位、力が入っていて、少々力み過ぎかと思うが、ここが力強いのは閑さんゆずり…だと思う。。
子方「なに望月と申すか」と気迫たっぷりなのを、さっと留め、「暫く〜」と、どっしりと語るが、しだいに抑えても滲み出る様な殺気がすごい。
ツレ『クリ』はしっとりと『サシ』はどっしり目で、続く地謡『クセ』もどっしり。このあたりの謡いは普通くらいか…と思うが、ツレの“鞨鼓”を打つ仕草が女らしいのは良い。
子方「いざ討たう」と立ちかかると、全員に緊張が走り、迫力が有る。
子方は首から提げた"鞨鼓”を上手に打つ感じで、メリハリが有る。
終わると軽快な囃子は静まって(『乱序』)、しっかりと『獅子』の囃子で、後シテはゆったりと登場し、さっと『一ノ松』に走ると、軽やかな獅子の舞へ。
ワキは舞の内に眠ってしまうが、この獅子舞、上手すぎて私なら眠れない(苦笑)。
ワキは常の様に“笠”を置いて下がり、シテは“頭”を取って「または八撥を」とさっと子方に寄って、背中を押す感じが、気遣う様で、とても良く、“望月”を討つ様子は、力と思いが篭って怖いくらい…最後は爽やか。


今回は特別研鑽公演ということで、真の主役は国立能楽堂の研修修了の方々。
みんなもうお馴染みのメンバーで、安心して見ていられるので、今更…という気もするが、これからの為には必要かも。。
ならば、『望月』は観世流だと、最後にワキは“笠”を置いて下がってしまうから、『邯鄲』を観世にして、『望月』を宝生にすれば良いのになぁ…と思っていたが、始まってみたら、清和さんがカッコイイので(笑)、観世で『古式』の『小書』を付ければ良かったのに、と考えを変更…もちろん十分堪能しましたが。。



08年11月28日    特別企画公演(国立能楽堂)    (感想)
2008-12-04 04:06
狂言『花子』山本東次郎・山本則俊・山本則重

妻:則重さんはしっかりと現実的な女という印象。
シテ:東次郎さんは、始め寂しそうで、妻に外出の交渉をするのも、懸命だけど暗いなぁ…と思ったら、座禅の許可を得て、妻が居なくなったのを確認するや否や、急にテンションが上がって、嬉しそう。
いそいそと出かけて行く様子も"一刻も早く!”という感じが出ていて、さすが。

後ろ髪引かれる様にゆっくりと帰ってくると、『一ノ松』で「柳の糸の〜」と色気を含んでしっとり。『シオル』型が有るけれど、その部分より、ただ唄っている姿が切なく見える。…浮気じゃなくて本気っぽい。よく帰って来たなぁ、という気も。。
「太郎冠者が待ち兼ねておろう」と、しみじみとした言い方は、現実に戻らなければ、という哀愁が有る。
太郎だと思って妻に話す場面では、かっこつけてみたり、照れ笑いを浮かべる様に話したりと、リアル。
妻が現れて、崩れる様に尻餅をつき、オロオロと混乱している様子から、急に観念した様に許しを請う変化や、すごすごと去って行く、ラストのテンポが良かった。


『三笑』大槻文蔵・梅若六郎・観世銕之丞・山崎英美里・山本泰太郎・一噌庸二・幸清次郎・安福建雄・小寺佐七

シテは「晋の慧遠」としっかりと静かで、地謡「かくて流れを」とどっしりと雄大。
ツレは『橋掛リ』に出ると、『一声』「雲無心にして」と静か。「頃もはや〜」としっとり目で、「八入に見ゆる」とゆったりと見渡すと世界が広い。
シテはゆっくりと『作り物』を出て、3人とも『床机』にかけると、陶淵明「いかに慧遠禅師に」としっかりと話しかけ、シテは「何事にて」と静かで、ゆったりとした掛け合いは、時の流れの違う世界を見たような不思議な気分。
地謡『クセ』「そもそもこの」と、どっしりたっぷりだが、纏まりはもう少し。
「盧山の虎渓にも」と3人で向き合うと、互いに通じ合っている感じ。
子方は立って、3人に瓢箪で注ぐ仕草をすると、瓢箪を扇に変えて、『破の舞』へ。…舞は上手いとは言えないが、一所懸命だし、可愛いから、まあいいか。
地謡「さす盃の」と、どっしりとして、子方が下がり、シテ・ツレが立つと、「酒狂の舞とや」と地謡はしっとりとして、シテは『ワキ座』に行き、ツレ2人の『楽』になる。
2人はさらりと舞台を廻り、シテの方を向くと、シテは誘われる様に舞いに加わる。始めはゆったりと、次第にテンポ良く、3人で舞うが、それぞれに綺麗だけど、何と無く少し窮屈そうにも思え、揃う所より、少しずれたり、型がそれぞれに違う部分の方が良く見えた。
シテ「万代を」とたっぷり謡い、地謡はどっしりとおおらか。
3人は『橋掛リ』に向かい、「よろめき給えば」とシテは陸修静の肩に掴まり、陶淵明が後ろを支える様にすると、シテはちょっと振り向いて…その仕草が大丈夫と言っている様な雰囲気で、微笑ましい。
「淵明禅師に」でシテは再び振り向いて、「破らせ給ふかと」と陶淵明は何気なく片手を出すが、"あっ!”と指差す様な鋭さが感じられ印象的。
「一度にどつと」と3人で『打合』て座ると、笑い転げる様に見え、しかも上品で、仙境を垣間見た気がした。


この日は、ロビーに警備員っぽい人がやたらに多いと思ったら、天覧能だった。
休憩後、カメラが舞台を背にしてスタンバイ。両陛下の入室を撮影する為だ。
狂言の時、脇正に15席位固まって空席が有って、どうしたんだろう?と思っていたら、SPだか何か関係者席だった。こんな離れたところに居るなら、外で待機でいいんじゃないかと思う…数人ウトウトしてたし(苦笑)。
だって、今回のチケットは、ほぼ完売で、私も初日に申込忘れて、買えず、それから毎日の様にキャンセルが無いかチェックして、やっと買ったのに…。ただのグチです。それにしても、なんでこの日だったんだろう…。



08年11月2日   友枝会(国立能楽堂)    (感想)
2008-11-20 04:36
『橋弁慶』友枝雄人・佐藤寛泰・友枝雄太郎・吉住講・槻宅聡・観世新九郎・柿原光博

シテ『名ノリ』から、「げに奇特なる」での『打合』の辺りまで、しっかりで力が入り過ぎ。
「いや、弁慶ほどの」はふと、思いついた感じがある。
子方はりりしく登場。「そぞろ浮き立つ」と『角』を向くと遠くを見ている感じが有る。「とどろとどろと」での『足拍子』も良い感じ。

後シテ『一セイ』はしっかりで、「真中を取って」の辺りのあて振りっぽい型はやりにくそうに思うが、丁寧でマズマズ。
「弁慶かくとも」と、どっしりで、『立廻り』で、ゆっくりと切りかかる時、は緊張感が有って良いが、次の型までの間に、緊張が切れている感じがして、もう少し。「大薙刀打ち落されて」と子方が薙刀を掴む部分は力強くきまり、「不思議や御身」とシテは子方の方を向くが、その気配はやわらかで、気遣いが感じられて、この後の展開が自然。


狂言『清水』野村萬・野村万蔵

シテ:萬さんは、水汲みが本当に面倒そうで、反抗的な態度が良い感じ。面をかけて脅かして、驚く主人の“間”が良いが、主人は後半はやや形式的な気も…。
正体がバレて、「御許されませ」と言いながらも、何だか楽しそうで、萬さんらしい、味わいの有るラスト。


『半蔀』友枝昭世・宝生閑・小笠原匡・一噌仙幸・曽和正博・柿原祟志

ワキは、しっとりとやさしげな『名ノリ』、『正先』に出て、座る様子が恭しく「敬ってもうす」としっかり。
前シテはしっとりと上品で、地謡『上歌』はさらりと、程よく始まり、しっとりと静まって美しい。

落ち着いたアイの語りの後、シテが中に入った『作り物』を『一ノ松』に出す。
ワキは『正中』で「ありし教えに」とたっぷりと叙情的。
後シテ『一セイ』はしっとりとして、地謡「しうたんの泉の声」とさらりと纏まって綺麗。
『下歌』「さらでも袖を」と静かで、「盧山の雪の」でゆっくりと『引廻し』を下ろす。
シテ「山の端の」と、どっしり目で、「さらばと思ひ」と静かに謡い、ゆっくりと手を上げてると、"半蔀”が上がって、外に出るのだが、"半蔀”を上げるタイミングがほんの少し遅いような…。
『涙のとどまらず」とぐっと抑えて綺麗な地謡。
静かな『クセ』は次第にたっぷりとして、再び静まって、静かな『合掌』。「そぞろに濡るる」でのゆっくりした『シオリ』が哀れ。
「白き扇の」と扇を広げ、その上に花をのせて運ぶ様子で『正中』へ、「源氏つくづくと」としみじみと扇を見つめ、そのまま扇を少し下げて「その花と」と右を向いてから『正先』に『ヒラキ』、「逢ひに扇を」と扇を前にして見つめ、「契りの程の」と手を下ろしつつ、右へ陶然と回る。
ゆったりとした舞は所々勿体つける感じで、中空に羽毛がたゆたう様な、静かな幻影。
シテ「折りてこそ」と重めで、そのまま最後まで静かな印象。
「また半蔀の内に」と『作り物』に戻り、ゆっくりと正面を向いて"半蔀”を下ろし、少し舞台の方を向いてそのままトメ。

シテはずっと『作り物』の中にいて、だたそこに夕顔の花が咲いていただけ…花が見せた幻の様でした。


『道成寺』井上真也・宝生欣哉・野村万蔵・野村扇丞・一噌幸弘・成田達志・佃良勝

ワキはどっしりとした貫禄の有る『名ノリ』。
アイは命じられて"鐘”を釣るが、とてもスムーズ。
シテは重めの『次第』。
『上歌』は力が入り過ぎだが、動きには侘しげな気配。
『物着』の後、シテはすっと立って、『一ノ松』へ、"鐘”を見上げると、さっと『常座』へ行き、「嬉しや」とはっきりと勢いが有って、「花のほかには」としっとり目に変わる。
『乱拍子』はきっちり、という感じだが、深みに欠け、"鐘”を見込んで力強い足拍子も、見込む様子が窺っている様で弱い。
「江村の漁火」と『角』に出て見渡す様子は不気味で良いが、「恨めしやとて」で扇で"烏帽子”を払う前に"烏帽子”が落ちてしまい残念。
右手を上げてさっと"鐘”の下に入り鐘入…とても急な感じ…。
ワキ「落ちたるとは」としっかりと自然で、どっしりと語る。「さあらばめんめんも」と威厳を持って祈り始めるが、その動きは少し軽い。
地謡「すはすは」とさらりと謡うと、微かに"鐘”を揺らし、「引き上げたり」で、常の様に現れ、立ち上がってゆっくりと衣を巻く様子や、打杖を振り上げる様子は迫力が有る。
“鐘”を見上げたり、ワキに対すると、兎に角、めいっぱいな感じだが、「また起き上がって」で“鐘”の方を向いて膝を付き、立つとすぐに『橋掛リ』へ駆け込んでそのまま幕に飛び込むのは、綺麗にきまっていた。

それにしても欣哉さん、ずいぶん上手くなったなぁ。。



08年11月7日  慶応義塾創立150年記念祝賀能(三田キャンパス中庭) (感想)
2008-11-22 04:09
『土蜘蛛』坂井音重・宝生閑・坂井音隆・坂井音晴・山本泰太郎・藤田次郎・鵜澤洋太郎・大江照夫

胡蝶はしっとりした『次第』、「これは頼光の」としっかりでも女らしい。
頼光は静かで、従者はしっかりと良い謡いだし。
地謡「心をなるぞ〜」で『半幕』でシテが現れる。
『一セイ』「月清き」と、どっしりと重いが、幕の方まで照明がバッチリで、明るいせいか、不気味さ半減。
「心かな」とはっきりと『キル』と様子は力強く、「かくるや千条の」と糸を投げたり、"一畳台”に乗っての『足拍子』もしっかりで良い。
しかし、「形は消えて」で『大小前』に控え、登場したワキと『橋掛リ』ですれ違って、糸を投げるが、その時の糸の広がりが弱く、せっかくの『小書』が活きない。
舞台に入ったワキが辺りを見回すと、「何事!」という雰囲気が出ていてとても上手い。
ワキ『一セイ』「土も木も」と、しっかりとして、『角』に出て「塚の内より」と塚を見る様子も、この後も最後まで緊張感が有ってさすが。
「鬼神の形は顕れたり」で『引廻し』が下りると、シテは赤頭で緑地の半切。(入違之伝の時って黒頭ではなかったっけ…?これはキマリではないのでしょうか?)
「我知らずや」と、どっしりとして力強く、塚を出る動きや足拍子は、はっきりとしてかっこいいが、数回投げる糸の中に少し弱いものが有って、惜しい。
全体に"強さ”が感じられて、もっと不気味さが有ると良いと思うが、照明や、うるさい周りの環境のせいかも。。


どうせ良い席は取れないだろうと、開演15分前に到着。
既に一般用の席は無く、立ち見でした。その中でもわりと良い場所を取ったつもりでいたら、直前にカメラスタッフが脚立を持って前方に…そこに立たれたら見えない!!そんなわけで、そこを離れ、横の建物の2階から乗り出すようにして見ていました(苦笑)。
パンフレットは大量に余っていたので、たくさん来ると分かっているようだし、もう少し席を詰めるなり、前方を桟敷にするなり、すれば良いのになぁ…と思いますが、タダじゃ文句は言えませんって言ってるか。。



08年10月21日  武田同門会(観世能楽堂)    (感想)
2008-11-06 05:39
『淡路』小早川修・佐川勝貴・舘田善博・(ワキツレ2人)・善竹富太郎・寺井宏明・鵜澤洋太郎・佃良太郎・小寺佐七

ワキはしっかりと意思を感じる『名ノリ』、さらりと綺麗な『道行』だが、ワキツレはモゾモゾとした動きで、謡もなれていない雰囲気。
シテ・ツレ『一セイ』は硬い。『サシ』『下歌』『上歌』としっかりで、真面目な綺麗さ。
ワキの問いにしっかりと答え、「谷水を堰く〜」とたっぷり目だが、やはり硬い。
地謡『上歌』「種を蒔き」と勢いが有って爽やか。
『クリ』「それ天地」としっかりで、どっしりとした『クセ』に続く。
シテ「天下を保ち」と美しいが、地謡「すべては八十三万〜」と纏まりに欠けてもう少し。
『ロンギ』「げにや神の」から纏まってどっしりと綺麗。
「神とも今は」とワキを見ると威厳が有って、スッと『常座』に行くと、ゆったりと中入。

後シテは颯爽と『一ノ松』に登場 (…ちょっと真っ白になってしまった様で、地謡がつけて)「海神の」と威厳たっぷり。
「扶桑の御国に」と袖の"露”と取って、舞台に入り、「山は〜」と『サシ』て『達拝』するが、手の高さが少し低いのか…もう少しはっきりしても良かったかも。。
舞台を廻る様子は力強い感じで良いが、舞い始めに扇を広げたり、舞の中でもスムーズでない部分が有り、もう少し。
『ロンギ』地謡「げにありがたき」と伸びやかな様子から、しっかりに変化して良く、シテ「ふり下げし」と謡は重いが、『サシ込ヒラキ』は綺麗で、「淡路よと」のどっしりとした『足拍子』も良い。
「南北に」と舞台を廻るとゆったりと雄大だが、最後の「千秋の」と両袖を巻上げたりは安定感に欠け、惜しい。


狂言『柑子』善竹十郎・善竹大二郎

太郎:十郎さんは大人しそうなのに「やいやい」と力強かったり、「こうじ門を出でず」とオーバーな表現がギャップを生んで面白い。
その前半に対して後半は少し弱いかなぁとも思うが、まずまず。

俊寛の件で、しだいに寂しげに語っているのに、“鏡の間”の方から声が…。脇正にいるとよく聞こえてしまうけれど、正面席までよく聞こえていました…気を付けて欲しいです。


『二人静・立出之一声』武田志房・武田友志・森常好・松田弘之・観世新九郎・國川純

ツレ『一セイ』はたっぷり目だが少し硬い。「木のめ春雨」としっとりとして、「いふばかりにや御吉野の」と右を向く姿が美しい。
シテは静かに幕の中から呼びかけると、「御吉野へお帰りあらば」とゆっくりと登場して、『二ノ松』で立ち止まる。
「我が跡とひて」としっかりと言うと、「まずまず此由仰せ候ひて」と静かだが不気味。
「よくよくお届けあれと」と少し寂しげで美しく、「夕風まよふ」と下がってくるりと回ってから、静かに中入。

ツレ「かかる恐ろしき」と始め、びっくりした様子で、『正中』に座ってワキの方を向くと、「菜摘川のほとりにて」としっかりと語る。
「申さじとは思えども」としだいに重くなって、「うたてやな」と正面向いて「桜は花に」と再びワキを向いてたっぷりと綺麗な謡。
「何をか包み」としっかりとして、本当に取付かれているみたいに気配が違う。
「誠は我は」と寂しげで、地謡「つつましながら」とどっしり目の謡も綺麗。
「申さん恥ずかしや」とうつむく姿が哀れ。
ツレ「恥ずかしや」と謡うものの、その様子は明るくしっかりとしていて、静御前の自信が垣間見えた気がして、シテが「菜摘の女」と、しっとりと謡いつつ現れる展開に自然に繋がる。
「さても義経」とシテとツレは『橋掛リ』と『舞台』で向き合って、静かに美しい謡。
地謡「とか有りけるかと」と、とても重い謡で、2人は鏡の様に対称に『シオル」』…そろっていて、見事。
シテは床几にかけ、ツレは『大小前』へ。(小書の為、シテは床几に掛けたままツレを見ている。)「花に宿かる」と『角』に向かって『ヒラク』が、少し慎重過ぎる感じがしたが、「月はおぼろにて」での『月の扇』や「猶あし引の」と『ツメ』る姿は寂しげで美しい。
ゆったりと舞うと、「賎のをだ巻」でシテが扇を広げて立ち、舞台に入る。
地謡「思い返せば」とシテはツレの後ろにピッタリと立ち、「衣川」と下がって2人は離れるが、まだ心残りが有る様で、「名をば」と座り、シテ「もののふの」と静かな謡や、「物事に」と立ってシテは幕に向かって静かに消える姿も儚げ。

この『小書』、珍しくは無いが、初めて見ました。しかし、やっぱり『二人静』は『相舞』が見たい様な…。
でも『相舞』だと、力量が同じくらいのシテ・ツレでないと、ならないが、この『小書』なら、座っているだけで気配を感じる様な力の有るシテで、ツレは程ほどだと、凄い舞台になるのかも。。


『安達原・黒頭』小川博久・宝生欣哉・(ワキツレ1人)・善竹大二郎・八反田智子・幸信吾・河村眞之介・金春國和

ワキ、ワキツレ『次第』→『上歌』と、しっかりととても良い。
シテ「げに侘び人の」と寂しく「あら定めなやの」と美しい『シオリ』。
『掛ケ合』になると、正面を向いていても、ワキの言葉を注意深く聴いている様で、「月影たまらぬ」とたっぷりと綺麗だが、「留め申すべき」でワキの方を向いて、すぐに戻るが、その時の姿勢が先ほどより背筋が伸びていて、もう、戸を開ける気になってるの?って感じ。。
糸を繰る姿は自然で、手を止めて「賎が績み」静かで悲しく美しい。
地謡「人の徒なることを」と重く、ワキの方を向くシテは、俯きぎみで寂しそう。
「賀茂の」と糸を持ち、糸を繰ると、悲しみを抑える様子で、「月によるをや」と遠くを見る様に視線を上げて、再び糸を繰ると思いがこもり、次第に早く糸を巻くと、糸が切れて、愕然とした様に『両シオリ』。…流れはとても良いけれど、シオリは少し強調しすぎかも。。
「あまりに夜寒に」としっかり話すと、ゆっくりと立って行きかかり、「や」と振り返り、静かにどっしりと“閨”を見るなと言って、『一の松』まで行って、そっと振り向き、サッと幕の方を向いて素早く中入。…幕の方を向く鋭さは良いが、歩みは少し軽い。

後シテはちょっと出てきて、見渡すと下がって幕内に戻り、再び現れる。
舞台に入って『正先』に出るとしっかりとワキを睨んで、良い感じだが、『橋掛リ』から再び戻って『角』で"面”を『キル』のは下向き気味で、効果が出ない。
“柴小屋”に寄って、『道成寺』の『柱巻』のように“柴小屋”に取付き、“打杖”を振上げる姿は迫力が有る。
「祈り伏せにけり」で、どっかと 『安座』すると、「今までは」と杖を支えに立つのは良いが、「安達原の」で飛んでヒザを付く様子は微妙。
左手で顔を隠すとサッと『橋掛リ』に行って「立ち紛れに失せにけり」で幕へ。…不気味さを残しつつのラスト。



始めの10分弱で着付実演。"縫箔”を『腰巻』して、"水衣”を着ける。
時間が短いので、先に鬘を着けて有るなど、出てきた時のモデルは不思議な格好だが、手早い着付けを見られて、贅沢なオマケだと思ったら、着付実演は今回が最後だそうです…。
その後5,6分で解り難いところのみ解説。こちらも話しすぎないところが気に入りました。


この日でやっと"脇能”呪縛から解放です…。9/18『氷室』・/19『三輪』(本当は四番物、でも略脇能になる曲で、出だしのパターンは同じ)・/26『加茂』・/28『養老』・10/4『高砂』・/12『絵馬』となぜか続いた!(1つ挟んでいて続かないが、9/3も『絵馬』だったし)
…出だしのパターンがまったく同じ…脇能ってこんなに定型だったんだなぁと改めて思いました。



08年10月12日   粟谷能の会(国立能楽堂)    (感想)
2008-10-27 05:15
『絵馬・女体』粟谷明生・大島輝久・内田成信・粟谷浩之・宝生欣哉・御厨誠吾・野口琢弘・野村万禄・小笠原匡・山下浩一郎・野村扇丞・一噌幸弘・大倉源次郎・亀井広忠・助川治

ワキ・ワキツレはさらりとした『次第』。ワキは『名ノリ』もさらりだが、変に力が入っている様で、落ち着かない印象。
シテ・ツレは静かな『一セイ』。ワキの問いに対しても、2人とも静かだが、威厳を含んで言葉に重みが有って良く、ツレは気品が垣間見えて美しい。
地謡『クセ』「僧正遍照は」と綺麗な謡で、「信ずべし」でワキの方を向く姿が綺麗。

後シテ(小書によって、日輪を頂く女神姿)・ツレ(天細女命と手力雄命)は『出端』で軽快に登場すると、「月読の明神の」とツレ2人は前を『サシ』、シテは扇を杓の様に立てて持ち、「我は日本秋津島の」としっかりと明らか。
舞台の方に進み、ツレ2人が座ると、シテはどっしりと謡い、「あらはに神体」とさっと"露”を取って回り、『達拝』する。…早い動きだが、滑らかで優雅。
早めの舞は綺麗だが、所々荒い感じがして、男っぽく見える。
「天の岩戸に」と『正先』に出て、静かに『ヒラク』と左に回って『作り物』の中に。。

ツレ:天細女命は立って"幣”を持つと、『作り物』を『サシ』てから座り、"幣”を振って、捧げる様に手を合わせ、さらりと『神楽』を舞う。
舞の最後で、『正先』に出て、"幣”を前にして、手力雄命を招く様にすると、手力雄命はサッと素早く立ち上がって、袖を被いで、『正先』に向かって"面”を『キル』姿がかっこいい!

ツレ2人に引き出される様に『作り物』を出たシテは「高天原に」とゆっくり舞台を廻り、のびやかなラスト。
今回は地謡も含めて、惜しいところが散見。


女体なのは観世流で見慣れているから、寧ろ違和感がないけれど、明らかに違うのは、舞のテンポ。喜多流はシテの舞が速くって、3人の流れは速→遅→速と良いけれど、女体ならばゆったりの方が舞い易そう(型だから仕方ないけれど…。)



狂言『布施無経』野村萬・野村万蔵

萬さんの僧は、もの静かで素朴な印象。そんな僧が、どうにか布施を貰おうとする様子は良い味が出ている。
しかしこの2人の、この狂言を前にも見ているが、今回の方が弱い気がする。。


『木賊』粟谷能夫・金子龍晟・粟谷充雄・佐々木多門・佐藤陽・森常好・舘田善博・森常太郎・一噌仙幸・曽和正博・國川純

ワキ・ワキツレの『次第』はしっとり。
ワキは先月の「橘香会」と同じ森さんだが、この日の『道行』はのんびりと明る目。
シテ・ツレ『一セイ』はどっしりと静か。
シテ『サシ』からしっかり目で、「袖の露も」と左袖を見る様子も朴訥とした雰囲気。
『ロンギ』「刈るや木賊の」と軽やかで、シテ「木賊かる」としっかり。
「秋の夜の」からしっとりと綺麗な謡。「磨かぬ露の」と少しだけ顔を右、左と動かして辺りを見て、「胸なる月は」と左手を胸に当てる姿が綺麗。
「木賊刈りて」と草を刈る様子は硬い草を刈る様に力強く、リアル。
「あれに見えたるこそ」と『角』を向くが、弱くて広がらない。
地謡「よそにては」とさらりと綺麗な謡。
「此の尉は」と、どっしりと語り、酒を注ぐ様子もしっかりしている。
地謡『クリ』、シテの『サシ』もさらりとして、「恨の涙を」で『シオリ』、『クセ』「然るに」ととても抑えた地謡で、「あはれを知らざらんは」と静かな『足拍子』は男らしく悲しみを堪えている感じ。
「げに人の親の」と儚くも伸びやかな謡。「和が子はかうこそ」と、左袖を見てから引き付け、『ハネ扇』の様にサッと放す様子は慕わしい。
「涙とや人の」で『シオリ』、常座へ…思いをめぐらす様に暫し動きを止めてから、『ヒラキ』『合掌』。
ゆっくりと舞台を廻り、扇を広げると、『角』に出て、扇を左手に待ち、右に回って『正中』へ、下がって膝を付くと、静かに扇を見つめて、扇を下ろしつつ、右手で『シオリ』、ゆっくりと立ち上がって、昔を懐かしむ様に、しみじみとした舞を舞う。
「子を思ふ」と静かに謡い、「回るも盃」と扇を前に倒して盃をあらわすなど、謡に添った型が続くが、その姿には孤独感が有る。
「子は囃すべきものを」とはっきりと『打合』て、「あはれ立ち帰り」と『正先』に出て、「父に見えよかし」で下がって、崩れる様に座って『シオリ』…舞までは抑えられていたのに、ここにきて思いが溢れてしまった様で哀れ。
「誰そや我が子と」とはっきりと子方の方を向いて、「こはこは夢か」と『招き扇』しつつ、嬉しそうに子方に寄ったり、子方を先に『橋掛リ』に行かせて、後に続き、『一ノ松』を過ぎたところで止まって、手を前に出して見送ってから幕入。

…無口で不器用で、でも本当は良いお父さん、というイメージでした。
この曲の舞は狂乱の舞と言われますが、今回は舞の部分より、その後の方が悲しみが深い様に感じました。



08年10月4日  橘香会(国立能楽堂)    (感想)
2008-10-23 03:21
連吟(13名)『鵜之段』

上手い人もいるが、全体に纏まりに欠け微妙。


『高砂・八段之舞』梅若万佐晴・梅若泰志・舘田善博・三宅近成・藤田次郎・森澤勇司・安福光雄・桜井均

さっぱりとした『次第』→伸びやかな『上歌』と爽やか。
静かなシテ・ツレ『一セイ』。シテ「誰をかも」としっかりだが、『下歌』『上歌』とぼんやりした印象。
シテ「仰せのごとく」と静かだが貫禄が有る。
『正中』に座り、「しかれどもこの松は」とたっぷりと綺麗な謡だが、続く地謡がいまいち。
「中にもこの松は」から、静かだが趣が有って綺麗。
地謡「げに名を得たる」としっかりで、シテ・ツレ「今は何をか」とさらりとして、「津の方に」とすっと静まる様に『中入』。

後シテは初め落ち着かず、軽く流している様な印象だが、舞は変化が有って、長くても飽きさせず美しい。
「住吉の」と『橋掛リ』の松を見、「松影も」と『胸ザシ』して「青海波は」と『ヒラク』様子は爽やかで「さて万歳の」で、左袖を被いで扇で顔を隠す(『翁』の型…八段之舞でもこの型が入るのですね…八段之舞、見たこと有る筈だけど忘れている…)。
「万歳楽には」と両袖を巻き上げからの常のラストも綺麗。


仕舞『合浦』梅若志長

しっかりとしていて、まずまず。…今後に期待。


仕舞『夕顔』梅若久紀

地謡がしっとりととても綺麗。シテもやわらかな印象で、最後はゆったりと消える様に、儚く美しい。


仕舞『融』梅若紀長
しっかりとした謡出し、型はきっちりなのに、なめらかで美しく、隙がない。


仕舞『通小町』青木一郎

地謡はしっとりと静か。「暁は」と重い『足拍子』が良い。
「ただ独り寝ならば」と下がる姿が悲しげ。
「姿は」「いかに」と地謡の強調した謡い方も、シテの、ふと考える様な様子も良い。


仕舞『実盛・キリ』観世喜之

「鞍の前輪に」と手をかける仕草は、軽いのに力が篭って見え、「むずとくんで」とくるりと回って落ちる動きや、その後の部分に、老いの悲しみがちりばめられていて、良かった。


狂言『昆布売』三宅右矩・澤祐介

アド:澤さんは脅かされて止める様子がいかにも“型”という感じがして、刀の持ち方もポーズを決める様に分かり易い…少しやり過ぎな感じ。。しかし唄う部分は上手い。
昆布売:右矩さんの方は脅かされて慌てる様子が良くて、最後もテンポ良かった。
2人とも立場が逆転する前後の差が少な目なのが惜しい。


『木賊』梅若万三郎・伊藤嘉寿・伊藤嘉章・長谷川晴彦・青木健一・森常好・一噌仙幸・幸清次郎・亀井広忠

シテ・ツレはゆったりと登場。『一セイ』はゆったり。
「面白や処は鄙の」と静かで、「木曽の御坂の」とたっぷり。 
『下歌』「男鹿鳴く野の」と、どっしり落ち着いた地謡で、「いざいざ木賊刈らうよ」と抑えて美しい。
「袖ぬれて」で右袖を見る姿は寂しげで、「身をただ思う」と座って草を刈る様子も黙々と侘しげ。
ワキ「あの伏屋の森に」とさらりと尋ね、シテ「御覧候へ梢に」と静かで、地謡「よそにては」としっかり目で、全体に綺麗な謡。シテは『正中』に座ると、「いかに御僧たち」と、どっしりとして、「此尉は」と寂しげに語る。
地謡『クリ』「夫れ誤って」とさらりとして、シテ『サシ』「たとひ老後の」と感慨深い感じがとても良い。
「親は千里を行けども」としっかりした地謡で、シテは立っているだけなのだが、鋭さが有って思いの激しさが垣間見える。
「親を思わぬ」と下がり、『シオル』姿も、「面影の忘らぬ」と『正先』に出て、下を見る姿も寂しげで、「此手をば」と扇を左手で回したり、『ハネ扇』する様子が、昔を思う様で、労しい。

舞は『常座』からゆっくりと舞台を廻ると、扇を左手に渡し、それを見つめつつ左に回り、扇を抱くようにして『常座』に行き、下がって『シテ柱』にもたれて『シオリ』、ゆっくりと扇を前にして見つめ、再び『シオル』。
(…とても印象的で美しいが、美しすぎて女性的にも見えてしまう。。)
続いて、さらりと舞い終わると「子を思ふ」と静かで、「子は囃すべきものを」と激しく『打合』て『シオル』と抑えていた思いが爆発する様で、「今一目」と座って手を合わせる様子が切実。
ワキはその様子を見て、急かせる様に子方を立たせ、再会はしっとりと、悲しさと嬉しさと、少し照れくさい様な感じを含んでゆったりと上品。



08年9月28日  自主公演能(喜多六平太記念能楽堂)    (感想)
2008-10-16 04:09
仕舞『鉢木』塩津圭介

ゆっくりと綺麗な型だが、全体にやや単調ぎみ。


仕舞『船弁慶・キリ』大島輝久

地謡は始め少々乱れぎみ。大きな動きはとても綺麗だが、"面”を『キル』部分は力強さは有るものの、躊躇いが有るように見えた。


『養老』狩野了一・佐々木多門・福王知登・喜多雅人・中村宜成・大藏教義・松田弘之・古賀裕己・國川純・三島元太郎

ワキは颯爽とした『次第』、しっかりとした『道行』で脇能らしい。
シテ・ツレ『一セイ』は静かで、「心は茅店の」とどっしり目に変化するものの、地謡『下歌』『上歌』もさらりとして、地味な印象。
シテ「ありがたや」と丁寧な感じが良い。
地謡『クリ』「実や尋ねても」とテンポ良く、少しどっしり目に変化して、『ロンギ』はシテは静か、地謡はさらりと調子は良いが、荘厳さが欲しい。
シテは立って、両手で桶を持って「影さへ見ゆる」とそれを見、「老の姿も」と『ヒラク』と力がみなぎる様。

後シテは『一ノ松』で「ありがたや」とさらりとした『出端』。「我はこの」と『ヒラク』と神々しく、左、右と見渡す姿に力が有る。「拍子を揃へ」で狩衣の露を取ると、たっぷり綺麗な『達拝』をして、颯爽と扇を広げてゆったりと舞始める。
テンポが上がって袖を返す姿は力強く、どっしりとした『足拍子』も良い。
「松蔭に」とのびやかに謡うと、最後はゆったりと雄大な雰囲気で綺麗。謡(特に前半)がさらりとし過ぎて、物足りないが、後半の動きはさっぱりと美しかった。


狂言『粟田口』大藏彌太郎・吉田信海・大蔵基誠

ハキハキとした"粟田口”、のんびりと素直な太郎冠者、とそれぞれの役を掴んで上手い。
大名:彌太郎さんは大声で床几にかけて、聞こえただろうか?と耳打ちする様子が小者らしくておかしい。
「ちと、ぞんざいな」「何、きゃつか」と囁く様子も「よくよく物を〜」と寂しげにつぶやく様子も良く、"わかりやすい狂言”という印象。


仕舞『井筒』塩津哲生

しっとりとした謡い出し、ゆったり舞台を廻る姿が美しく、たちまちその世界観に引き込まれる。
「面影」と『正先』に出て、少し下を向く姿は、可愛くはかない。
ゆっくり下がって座り、「残り」と『角』を向く姿が、風の音を聞いている様に見え、『大小前』でくるりと回ると、風の中に掻き消えてしまった様にやさしく美しい。


『鳥追船』友枝昭世・友枝雄太郎・福王茂十郎・福王和幸・大藏千太郎・一噌隆之・曽和正博・佃良勝

ワキツレはしっかり目に『名ノリ』。「又頼み奉る」と、どっしり目に変化し、説得力が有る。
シテが登場した時は、『面』のせいか"気が強そうな女”の様に見えたが、「花若のことはいとけなく」とやさしい母の姿。
『下歌』『上歌』ともしっとりと静かで「人も訪はざる」と子方と向き合う姿が、労しく哀れ。

ワキは伸び伸びとした『次第』、『サシ』「面白や」と、どっしりと、こちらは別世界の事の様。
シテ・子方は「わらわは〜」と静かで、2人のバランスも良い。
「うち靡く秋の田の」とゆっくりと右の方を見渡し、「面白の鳥の」と笠を掴んで、遠くを見る姿が叙情的。
シテは「さるにても」と暗く、「たとひ訴訟は」と静かで悲しげ。
「花若に悲しくとも」と子方の肩に手を掛ける仕草に労わりが有る。
「夜の衣を」と扇を左手に渡し、ゆっくりと回りつつ顔を隠す姿が美しく、「恨みは日々に」とどっしりとして、哀れ。
「涙の数そへ」とさっと立ち上がると、「我が心」で激しく鼓を打つ様子や、「家を離れて」としっかり謡い、少し明るくなるものの、すぐに沈むように、僅かな間の変化がその心の乱れを表す。
「すはすは群鳥の」と飛び立った鳥を目で追うように、さっと『橋掛リ」の方まで向くと、秋の景色が広がる。

ワキの、のんびりと舟を眺める様子から、一転、「その舟寄せよとこそ」と力強く言うと、ワキツレは「や」と棹を落として平伏し、シテは少し恥ずかしそうで、その3人のバランスは絶妙。
シテは「しばらく」としっかりとワキを止め、「めのとの科も」と女らしく、「況んや十余年の」と自分の怒りを内包しつつ、それでもやさしく縋る様で、色気が有る。
シテは全員を見送ると、立って、「若木の里に」と扇を広げ、『正先』に出て、『常座』を『サシ』て進み、ほっとした様にくるくると明るく回って『トメ拍子』…と華麗なラストだった。



【情報】 「第12回さがみはら能 かゞり火能」
2008-10-13 16:12
 こんにちは。本日の讀賣新聞に、シテ方観世流能楽師による新作能の記事が載っていました。私は新作能を観た事は有りませんが、現行曲とは随分と趣を異にするものなのだろうなという気はします。


http://www.hall-net.or.jp/schejule/kouen/01green/20081106_g.html

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kanagawa/news/20081013-OYT8T00110.htm

Re^1: 【情報】 「第12回さがみはら能 かゞり火能」

2008-10-15 03:13
こんにちは。いつもありがとう御座います。
この新作は“二胡”を使っているから、かなり違った印象でしょうね…。
以前上演された時も、気にはなっていましたが、結局行かなかったんです…今回はどうしよう…。

新作は全然御覧にならないのですか?たまには面白いのも有りますよ…って“たまには”ってのが問題か。。私は微妙な時でも、「ここを削ったら」、とか「同じ主人公でも別のエビソードなら…」とか勝手な妄想で楽しんじゃいますが(苦笑)。



08年9月26日    東京大薪能(お台場)   (感想)
2008-10-08 04:11
昨年、2度と行かないと豪語したものの、誘惑に負けて行ってしまいました。

『加茂』辰巳満次郎・辰巳孝弥・辰巳大二郎・殿田謙吉・則久英志・梅村昌功・善竹大二郎・寺井宏明・住駒充彦・内田輝幸・林雄一郎

シテ・ツレは少々重めの『一セイ』。
ワキがさらりと問うと、シテ「総じて神の」と威厳を持っていて、謂れを語る部分もしっかり。地謡「汲むや心も」とさらりと綺麗で、シテは「うつろふ影は」と下を見つつ前に出る姿が美しい。
「誰とは今は」と力強過ぎる気もするが、立ち上がると既に本性を現した様に神々しい『中入』。

後ツレ「あらありがたの」とさらりだが、少し軽い様に思う。続く地謡「守るべし〜」も少々乱れ気味。
ツレは美しい『達拝』をすると、さらりと舞い、「加茂の」と『正先』に出ると、左袖を返して座り、扇で水をかける仕草がとても優美。

『早笛』で現れた後シテは、「そもそもこれは」としっかり。
『角』に出て、「又は国土を」と上の方を『サス』姿が綺麗だが、「あらありがたの」と『大小前』で回って『サス』ところは勢い余る感じ。。
『舞働』はさらり、「風雨随時の」から力強く、かっこよく決まった。


狂言『仏師』善竹十郎・善竹富太郎

アド:富太郎さんは、始め丁寧だが、単調な語り。
仏像を見て、生きている様だと驚いたり、ニセ仏師の話に納得させられてしまう様子は上手い。
十郎さんは、仏師のふりをして、もっともらしい説明をするのに説得力が有って、仏像のふりをして、色々なポーズをとる姿が可愛いくて、楽しかった。


『葵上』渡邊荀之助・渡邊茂人・殿田謙吉・則久英志・善竹富太郎・寺井宏明・住駒充彦・内田輝幸・林雄一郎

ツレの綺麗な"梓”に引かれて、シテはいつの間にかそこにいるかの様に、静かに現れる。
静かな『一セイ』。(この間に、風で飛びそうになった『出小袖』に重りを入れていた…厚みが出て、何となく艶めかしい。)
「これまで現れ〜」と不気味さを漂わせると、その後は静かに、しっとりとした謡。
『正中』に座り、「それ娑婆電光の」としっかり目に語り、ゆっくりと『シオリ』。
「かかる恨みを」と重々しく苦しげ。「何を嘆くぞ」と腰を上げると「恨みは」と『角』を向いて戻り、「あら恨めしや」と『シオリ』、その手を下ろしつつ、『出小袖』を見つめる姿に迫力が有る。
呆然と我を忘れた様に『出小袖』を打つと、立って、『常座』に行き、振り向いて「思い知れ」と『サス』姿が強くて怖い。
「生きてこの世に」と『出小袖』に寄ったり、「返らぬものを」と『足拍子』する姿に恨みが篭る。…更に風で鬘帯が乱れて迫力と美しさ30%アップ!!
「破れ車に」とさっと唐織を被るが、何となく気迫が途切れた印象(風のせいかも。)
ワキはどっしりと「行者は加持に」と祈るとシテがゆっくりとワキの横に出て、伏せる。ゆっくりと顔を上げる姿は不気味で、立って衣を巻くと、ゆっくりと『常座』に行って、振り向いた時の迫力がすごい。
この後も迫力十分で、祈り伏せられて、崩れる様に座る姿も美しく、良いラスト。


今年も解説が長くて辟易。。失礼ながら、本を読みながら聞いていました(苦笑)。…半分以上、去年と同じ事を話していましたし。。



【情報】 「第七回 恭秀の会」
2008-09-30 02:04
 こんばんは。観世文庫・観世会のサイトが新しくなっており、そこで見付けました。

  http://kanze.net/topics.php?id=38&schemas=type010_38_2&topics=1#id1

  http://kanze.net/public/_upload/type010_38_2/file/file_12209530919.pdf

 (※先月、今月と、上田城跡能・小田原城薪能を観て参りました。大きな会館、もしくは屋外での観能は初めてだったので、マイクを通じての雑音が少々気になってしまいました)

Re^1: 【情報】 「第七回 恭秀の会」

2008-09-30 05:34
情報ありがとう御座います。早速サイトは更新しました。
観世の公式サイトが最近更新されていないと思っていたのですが、リニューアルしたのですね。。
先日、観世能楽堂に行ったので、来年の予定もわかっているのですが、更新する時間が取れず、もう少し後になりそうです…。。以前は公式サイトより、幽玄堂の方が早く情報を載せていたりして、ちょっと自慢だったのですが(苦笑)、今ではかなり遅れていて、ちょっと悔しい…かんばろう。

さて、薪能に行かれたのですね。雰囲気が良さそうなので、私も行ってみたいなぁ…。
でも確かに、薪能などでのマイク使用は問題が多くて、(あと周囲の音や光、観客のマナーなど)純粋な観能としては微妙になってしまうことが多いですね。それでも、薪能には薪能の魅力が有って、ついつい行ってしまいます。
去年ここで、もう2度と行かないと言った東京大薪能も実は行ってしまったし…(この感想もまだ書きかけ…苦笑)。

余計な話で長くなってしまいました。
それではまた、書き込みして下さいませ〜!



08年9月19日  開場25周年記念公演・四日目(国立能楽堂)  (感想)
2008-09-29 01:09
狂言『川上』野村万作・石田幸雄

登場、シテ:万作さんの杖の音が響く…道を確かめつつ歩いているだけなのに、一気に引き付けられる。
しだいに目が見える様になる変化が上手く、「帰ろう」と杖を取って、ふと手元を見て、ついクセで杖を手にしてしまった事への自嘲的な笑いが秀逸。
妻:石田さんも“悪縁”と言われて驚いたり、地蔵を罵ったりと、いかにも狂言に登場する女らしい。
再び盲目になった夫の「手を引いてたもれ」と言う最後のセリフに、妻に甘える様な愛情と、重い現実への哀愁が漂う。


『三輪・神遊』友枝昭世・宝生欣哉・野村萬斎・杉市和・横山晴明・亀井忠雄・前川光長

シテは何時の間にかそこにいる、という様にスーっと静かに登場。
「三輪の〜」と静謐で「貴き人の」とはっきりと敬う様子。
「罪を助けて」と手を合わせる姿が綺麗で、地謡もたっぷりと美しい。
衣を受け取って、「あらありがたや候」と心がこもる感じで、引き止められて、ゆっくりと振り向くと、「わらわが栖は」とさらりと品が良い。

後はしっかりとした『クリ』さらりとした『サシ』、どっしりとした『クセ』はどれも美しい。
『作り物』を出ると、「裳裾に」と『胸ザシ』したり「結ぶや速玉の」と『角』に出たり、「己が力に」と『正先』へ『サシ』て出、下がって右に回り「糸繰り返し」と左に回り、『作り物』に近づいて見つめる姿が、とても女らしい。
「こはそも浅ましや」と左袖を返して『サス』様に『作り物』に寄って、再び見つめ、目を離さずに下がる姿は、受け入れられない驚きに立ち尽くす様。
「さらば神代の」と手を合わせる姿が美しい。
「ちはやふる」と、さらりとして、たっぷりとした優美な舞。「常闇の世と」と扇で顔を隠しつつ、『中正』へ、くるりと回りつつ扇を下ろす。…このあたり神社の神楽の様に少し俗っぽく、それが楽しい。

「天照大神」と『作り物』に入り、岩戸を開く仕草をして、『正先』進むと神々しい。
「見ゆる」の後、『橋掛リ』幕の前まで行って、扇を上げつつ『二ノ松』へ。右に『ツメ』、左を向くと、左袖を被いて、扇で顔を隠すようにする。『正中』に行って袖を下ろしさっと左袖を巻いて『角』へ…この『破の舞』の緩急のつけ方が絶妙。

『正中』に行き、「妙なる」とゆったりと『ヒラキ』。『一ノ松』へ行って「思えば」とどっしりと謡い、『角』まで出て、「今さら何を」で再び『一ノ松』へ行って、振り向くと「夜も明け」と左袖を返して戻すと、すらりと幕入。


数年前に見た友枝さんの同曲は、もっと清浄なイメージで、人を寄せ付けない神々の世界の様だった…。今回は女の色気を感じたり、楽しい神楽と、綺麗な中に強さを秘めた神々しさという感じで、面白かった。



08年9月18日  梅若研能会(観世能楽堂)    (感想)
2008-09-22 03:23
『氷室』八田達弥・古室知也・八田和弥・安田登・三宅近成・槻宅聡・幸信吾・柿原光博・徳田宗久

ワキ、 『次第』『名ノリ』と、どっしりとしているが、『道行』でテンポが上がると、力の入りすぎが、焦っている様にも見える。(ワキツレが大人しいので余計に…。)
シテ・ツレ『一セイ』はしっかり目。シテが肩に掛けていた『エブリ』を下ろす仕草が綺麗。
『サシ』「それ一花」と固めで『下歌』もしっかり。『クリ』「それ天地人の」とさらりとして、「陽徳折を」としっかり。
地謡は「夏の肌に」としっかりだが、爽やか。
「然れば年立つ」で立ち、「翁さびたる」と『角』の方から正面を見て、「去年のままにて」と上を見て右下を見下ろしたり、「夏衣なれども」とワキの方を向いて座る姿に品格が有る。
「人こそ知らね」と伸びやかで、地謡は静かに美しく、「雪は降り落ち」と右を見上げて下を向くと、風が通り抜ける様。

アイの雪を丸めつつ、「あら、冷たや」と手に息を掛けながら、雪玉を作る様子が生きいきとして、面白い。

ツレ:天女は、今日は小4の男の子。かわいい。。
長絹の露を取って、『達拝』する姿が明朗。
舞いもキッチリと囃子に合わせて舞っているし、前を向いた時の視線の遠さが良い。…もうプロだなぁ。。
地謡「舞の袖かな」の後、『作り物』に向かって座る。…この型だとよりシテの威厳が出て、良い工夫。
シテはしっかり、どっしりと謡うと地謡もしっかりと纏まって綺麗な謡。
ツレ:天女が『笛座』の方へ行き、「現れたり」と『引回し』を下ろす。
「月も輝く」と上を見てから『氷』を見たり、「晴嵐梢を」と右を見上げて見渡す姿は、力強さが有りつつ、さらりと自然で綺麗だが、「引き放し」のところで、『氷』を膝につけて前に出す型は荒い。
『舞働』では『正先』で膝を付くところが力強く、『氷』をツレに渡して「すはや都も」と『雲の扇』が美しい。
「供ふる所も」と『正先』に『サシ』て出、左袖を巻き上げる姿がカッコイイ!

全体にしっかり目で、『脇能』らしい爽やかさが欲しい…でも今日の能は2番だし、この方が見ごたえは有って良いのか…!?。


狂言『成上り』三宅右近・三宅近成・前田晃一

主人:近成さんは、「気徳なことじゃなぁ」と不思議そうにしたり、まじめな雰囲気は良いが、動きがわざとらしい部分が有り惜しい。
太郎:右近さんは、嫌な事は主人に押し付けてしまう“したたかさ”が自然で上手い。
縄を綯って輪にして、「さあどうぞ」と言わんばかりの表情と、主人とすっぱの、きょとんとした様子が面白かった。


『班女』加藤眞悟・殿田謙吉・三宅右近・藤田次郎・鵜澤洋太郎・佃良太郎

アイの『口開』はしっかりとして、シテはゆっくりと、気だるい様子で登場。それに対してアイは苛立つ様に「長は仲たがいにて候」ときっぱりと言い切って去ってしまう。…上手い。
シテは扇を取って『シオル』と「げにやもとよりも」と悲しくしっとりと美しい。

後シテ『一セイ』は、少し力が入り過ぎな気もするが、「夕暮の」と右を見て、「上の空に」と左へ見渡す姿が女らしく綺麗。
「この神々に」と手を合わせる型は少しわざとらしい。
「思い初めしか」の『足拍子』や『翔』はやるせない心持で、「あら、うらめしや」と思いがこもり『シオル』姿が自然。
「げにや祈りつつ」と重く悲しげで、地謡『下歌』『上歌』はしっとり綺麗。
「風の誘えば」のあたりは、もう少しさらりとしても良いかなぁ…と思うが、見渡してからワキツレの方を向いて、「悲しや」と深い嘆きが伝わる。
地謡『下歌』『クリ』としっとりと美しく、『サシ』はさらりとして『クセ』「翠帳紅閨に」と静かだがしっかりとして綺麗。
「徒し言葉の」で『一ノ松』に行き、ゆっくりと扇を胸元に寄せて、「欄干に立ちつくして」と両手で扇を抱く姿がやさしく印象的。

さらりと舞うと、「取る袖も」と扇を両手で持って見つめ、扇を左手で持って左に回り、『橋掛リ』を向いて、「月日も」と1度、ワキの方を向いて1度『招き扇』の様にする。
シテ「形見の扇」と静かで、地謡「形見の」とどっしり目、「逢はでぞ」としっとりと美しく『シオリ』は儚げ。
「忘るる隙も」とはっきり言って、「思へども」と急に弱々しく(良い意味)変化したり、「見する事あらじ」と、大切そうに扇を懐中すると、扇に籠められた思いの深さが表れる。
「身に添え持ちし」で信じがたい様子で腰を上げて扇を受け取り、広げ、「夕顔の」と見つめつつ座る。…驚きと安堵で力が抜けるみたい。
扇を見せ合う様子はうれしさと、逢えたからこそ寂しさを抑えられない様な複雑な心情見えた。



08年9月13日  開場25周年記念公演・二日目(国立能楽堂)  (感想)
2008-09-17 04:16
『大原御幸』近藤乾之助・小倉伸二郎・金井雄資・田崎隆三・宝生閑・森常好・井松男・大日方寛・野村小三郎・一噌仙幸・住駒幸英・安福建雄

臣下:森さんはしっかりだが重すぎず良い出だし。
『中入』まではシテも地謡も静かで寂しげだが、その中に、その身の位の高さを感じさせる品格が有る。

『一セイ』はさらりと始まって「かくて大原に御幸なって」とたっぷりと綺麗な謡。
「山」と『角』を見上げ「時鳥の」と続くのは強調し過ぎる気もしないでは無いが、このあたりは閑さんの独壇場。
「これなるこそ女院の」との言葉に庵室を見た驚きと労りが伝わる。

シテ「昨日も過ぎ〜」と悲しく重い。「や、庵室の辺りに」と自然に気付いた様子で、「なかなかになほ妄執の」と複雑な心情。
地謡「青葉隠れの遅桜」とややバラつきが有ってもう少し。
シテ「思わずも深山の」としっとりと美しい。
『クリ』『サシ』『クセ』と辛い身の上を悲しげに語り、「その時の有様申すにつけて」と悲しみと憤りがこもっていて、それでもしっかり目に話すのは平常心を保とうとしている様で、かえって儚い。
「千尋の底に」とゆっくりと俯くと「源氏の」でビクリと少し右を向いたのは、助けを拒む様で印象的。
最後の「おん庵室に入り給ふ」でツレ2人は『シオリ』、シテは『クモル』のは良い演出。…実はここ、ツレが丁度シテに重なって見えなくって、後でそうしていたことが判明…見たかった。。


狂言『蜘盗人』井上菊次郎・佐藤友彦

シテ:井上さんは垣を見て「鋸を用意した」と事も無げに言って、切る音に耳をふさぐ様子も、それほど驚いている様には見えない。
しかし、家に入り、「灯が見える」と慌てて逃げたり、ゆっくり立ち上がって、一人合点がいく様子は上手い。
主人も肩脱いで迫力たっぷりに盗人を追うが、歌を詠むうちに楽しくなってしまう変化が上手い。
酒宴になって恐縮する盗人と楽しげな主人の様子や、帰りにまた蜘蛛の巣にかかりかかる仕草や言い方が自然で良かった。

『連歌盗人』に似た話だが、『連歌盗人』の方が上演頻度が高い…こっちの方が狂言らしくて面白いと思うけれど。。


『泰山府君』金剛永謹・豊嶋晃嗣・高安勝久・松田義・一噌庸二・幸清次郎・柿原祟志・三島元太郎

ワキのどっしりとした『名ノリ』、地謡「花の命を」とたっぶりと綺麗。
シテは『常座』に堂々と現れ、女性的ではないが、唯の女でない雰囲気十分。
「花におりたつ」とどっしりとした声だが、明るい雰囲気。
「妙なる花の」と花を見つめ、ゆっくり近づくが、ワキの気配に怯む様に花を折るのをやめる。
ワキ「春宵一刻」としっかりとして、互いに牽制し合う様な綺麗な謡。
「梢は花に曇らねど」と『打合せ』つつ花に寄る様子が嬉しそう。

『出端』で登場したシテは「そもそもこれは」と堂々と貫禄が有って、「天下天の天人が」と袖を返すと、見つけたぞ!という気配。
ツレは前と雰囲気が違うが、別人が演じるのだから仕方ないか…。
ツレの明るく綺麗な舞。
床机にかけて見ていたシテは、「天上にてこそ」とどっしりと謡い、立って『大小前』にいるツレの後ろに手を回して、前に引き出し、花を戻させる。(…ここは前に見たときも、首根っこ掴まれてるみたいだなぁと思ったが、やっぱりそう見える…こわいなぁ。)
「力を種の」とさっと立って『常座』に行ってくるりと回り、袖を返して『足拍子』…迫力の有る『舞働』へと続く。
「通力自在の」としっかりとして、花に寄って左右の袖を花の上に掛けたり、『留拍子』もはっきりと力強く、金剛流らしくて良かった。



この日の終演後、すごい方と飲み会。演出などについて興味深い話を聞く事が出来ました。ご紹介下さったTさま有難う御座います。また皆様とお会い出来る日が楽しみです。



08年9月3日  開場25周年記念公演・初日(国立能楽堂)    (感想)
2008-09-12 06:02
『翁』観世清和・野村万蔵・観世芳伸・小笠原匡・一噌隆之・大倉源次郎・古賀裕己・田邊恭資・佃良勝

千歳の芳伸さんは勢いが荒っぽく見えてしまう部分が有った…普段の芳伸さんのイメージからすると、らしくない様な急な動きにも思うが、颯爽とした感じを演じたのだろうなぁ…。
清和さんがどっしりと謡い出すと、空気が引き締まる。さすがに安定していて、慣れている、でも決して気が抜けてはいない…素晴らしい。
三番叟は鈴の段で鈴が壊れるというトラブルが有ったものの、リズミカルで有りながら、大地を踏みしめる、どっしりとした雰囲気で良い出来。

ちなみに、鈴はすぐに後見が替えを持ち出して、三番叟が後ろを向いた時に交換していた。壊れたと言っても、上のほうの幾つかが外れただけなので、そのままでも鳴っていたし、交換しなくても大丈夫だった様な気も…。。


『絵馬』観世銕之丞・柴田稔・浅見慈一・馬野正基・福王茂十郎・福王知登・喜多雅人・野村扇丞・山下浩一郎・吉住講・荒井亮吉・一噌隆之・大倉源次郎・佃良勝・観世元伯

ワキはテンポの良い『次第』、さらりとした『名ノリ』、道行はしっかりと変化して美しい。
シテ・ツレの『一セイ』は静か。「それ馬と崋山の」とどっしりとして、静かな中に趣深い。
「不思議やな」からワキはさり気なく、シテ・ツレはしっかりと答えて、品が有る。
「何をかつつむべき」と、シテとツレがワキの方を向く姿は柔らかくふんわりとして綺麗。

「所は斎宮の」と伸びやかで『ツメル』仕草が晴々しい。
舞は明るく綺麗だが、少し雑に思う部分も…。
ツレ:慈一さんの『神楽』は穏やかにしようとしたのか…覇気が無く見え、いまいちだが、後半は少し回復(苦笑)。
馬野さんの『神舞』は派手では有るけれど、綺麗とは言い切れず…しかし、素早く『作り物』に寄って、引き出すなど写実的な部分は良い。
最後はシテは力強く、地謡は雄大な謡でまずまず。


狂言『末広かり』野村萬・野村万禄・野村祐丞

太郎冠者の万禄さんは全体にオーバーな表現で、若々しくすっきり。
すっぱ:祐丞さんは騙すのが楽しそうで味の有る、良い演技。
太郎冠者が、自信たっぷりに末広の説明をする感じと、主人の訝る様子も良いし、太郎の囃し物に引かれて動き出してしまう主人の様子も面白く、かなり良い出来。


『湯谷・三段之舞』香川靖嗣・佐々木多門・殿田謙吉・大日方寛・松田弘之・曽和正博・河村総一郎

ワキの堂々とした『名ノリ』…意地悪そう。。(苦笑)。
ツレの『次第』はしっとりとして、綺麗な『名ノリ』。「この程の」と憂いと色気を含んで美しい。(ツレがこんなに美人でいいのか!と思うくらい。)
シテ「草木は〜」と抑えて静か。
「朝顔と申すか」とゆっくりとツレの方を向く姿は、夢ではないかと疑う様に淡い繊細さで印象的。
シテは舞台に向かい、控え目な様子で文を差し出す。
「甘泉殿の〜」と暗く、地謡「そもこの歌と〜」と重く悲しみの深さを表す。
「はやおん出でと」と立ちかかるが、ちょっと止まってから立ち上がる姿が、行きかねる様で哀れ。
車中でも心は沈んでいるが、「雲かと見えて」で少し出て、左手を車にかけて少し見上げると、ほんのりと光が差すよう。
「たらりねを守り給へや」の言葉に心がこもり、車から降りて手を合わせる姿も切実さが漂う。
呼ばれて立つと、「あら面白と咲いたる花どもや候」と、不思議そうに見渡すと、美しい桜が見える。
『クリ』『サシ』『クセ』と、静かだがとても綺麗な謡で美しい。

「何と舞を舞へと候ふや」と躊躇う様に立つが、舞い始めると自然に湯谷の持つ凛とした美しさが現れる様で麗しい。
ふと立ち止まって、悲しみがよぎった様に『シオル』とゆっくりと舞台を廻る。
一瞬、『ワキ座』で『常座』を向いて、止まってから進むのは桜を見ているのか…。「降るは涙か」と扇を差し出して『正先』に出ると、その扇に落ちた花を見る様にして、、そのまま下がりつつ『シオリ』…儚く綺麗。

歌を書く仕草はたおやか。
「なにおん暇と」と思いがけない様子。
「ただこのままにお暇と」と、手を付きながらも、心は母の元に向かっていて、「やがて休らふ」と『一ノ松』で振り返り、『二ノ松』で明るく扇を上げると、「花を見捨つる」と『月の扇』して空を見ると、『三ノ松』で『留拍子』。
前半かなり暗い雰囲気で、こんなに抑えるんだ…と思ったが、誠実に老母を思う湯谷像が徹底していて、最後の明るさとの対比もとても良かった。


余談:三段之舞について…湯谷は早く帰りたいから心せくように舞う、この『小書』がつくと更にその気持ちがはっきりとする、とパンフレットに有りました。もちろん意味は有っています。
しかし、実はこの舞は通常より長いのです!?
古くは舞は五段が普通で、カカリと呼ばれる出だしがついて、六段構成でした。それを省略して三段にしたのがこの『三段之舞』です。
しかし現在の喜多流の湯谷の舞は三段が通常です。他の曲や他流でも元々五段の舞いを三段(カカリを入れて四段)にするのは、現代では普通に行われています。
で、この『小書:三段之舞』では、初段と二段目が長くなるので、現在の通常の舞より長くなるという矛盾が生じるのです!
実際は長くなっても、『小書』が付いている=省略しているのだという“意味”を理解しなければならない…実は不思議というか難しい『小書』です。
ここまではあまり解説されませんね…ややこし過ぎてしまうからでしょうけれど、私はその事実を知るまで???って感じでした。舞の段の数え方はカカリを入れるか入れないかで変わってしまい、流儀によって数え方が違うのも複雑ですね…とか言ってる今も正確には判らないのですが…。。。



【情報】 第26回「小田原城薪能」
2008-09-08 22:21
 こんばんは。今年の小田原城薪能の番組詳細を入手しましたので、抜粋致します(本日の時点で、座席にはまだ多少の余裕がある様です)。

  --------------------------------------------------------
   (あいさつ・火入れ式・僉議)

   仕 舞 ・ 舞囃子

   狂 言  隠 狸  シテ 三宅右矩
               アド 河路雅義

    能   葵 上 梓之出
           ツレ    清水義也
         シテ 観世恭秀
           ワキ    森 常好
           ワキツレ 森常太郎
           間     三宅右矩
           後見   下平克宏
                 武田尚浩
           大鼓   柿原弘和    太鼓 桜井 均
           小鼓   幸 信吾     笛  小野寺竜一
           地謡   新江和人   高梨良一
                 金子聡哉   関根知孝
                 小檜山浩二  高橋 弘
                 勝海 登    小川博久
   附祝言
  --------------------------------------------------------

http://www.odawara-kankou.com/page700.htm
http://www.odawara-kankou.com/page710.htm

                                以 上

Re^1: 【情報】 第26回「小田原城薪能」

2008-09-09 04:46
いつも情報有難う御座います。
小田原城を背景に薪能…カッコイイ!

そろそろ、また演能の多いシーズンがやって来ますね…ちょっとサボっていたら、色々情報が出てきて焦って更新しました(苦笑)。まだ洩れていそう…。



08年8月17日  能楽座自主公演(国立能楽堂)    (感想)
2008-08-22 04:09
舞囃子『百万』大槻文蔵・松田弘之・観世豊純・亀井広忠・観世元伯

シテは憂いを含んだ綺麗な謡出し。陶然と流れに身を任せる様に舞う。
地謡の経は、どっしりとして「げにや世々ごとの」から、さらりと変化し美しい。手を合わせる様子は儚げだが、その内に強い思いが見えた。


『清経・恋之音取』梅若六郎・角当直隆・宝生欣哉・藤田六郎兵衛・観世新九郎・山本孝

ワキの静かな『次第』、『地トリ』もとても美しいが、『道行』はしっとりとしているものの、情景が広がらない。
笛に引かれて現れたシテは、登場からしっかりと、この世を見つめる強さが有って、『一ノ松』での『シオリ』がなんとなく似合わない。
しかし、「うたた寝に」と抑えた声には悲しみが有る。
ツレとの会話はやさしく、生前と少しも変わらないのではないかと思う。
「さては仏神三宝も」としっとりとして、「哀れなりし〜」の『シオリ』は悲しく美しい。
「音もすみやかに吹き鳴らし」の、後の笛が情感たっぷり。
「船よりかっぱと」と『足拍子』して、力なく下がり、座って『シオル』姿も哀れ上手い。

笛方、藤田・一噌・森田流とそれぞれで、この曲を見たことが有るが、それぞれ印象が違って面白い。六郎さんには今回の藤田流がよく合っていた。


小舞『鐘の音』茂山忠三郎

「いずれも鐘の音聞き済まし」と正先で耳を澄ます仕草がかわいい。


小舞『通円』野村万作

動きも謡いもメリハリが有って、本当に上手い。


舞囃子『誓願寺』観世銕之丞・一噌幸弘・曽和博朗・安福光雄・三島元太郎

謡は静に重く、ゆったりろ立つと「昔在霊山の」と寂獏とした情感は良い。しかし舞は綺麗だが、単調な感じ。
「皆一同に」と手を合わせる姿はやさしく、女性的な美しさ。


狂言『栗隈神明』山本泰太郎・山本則俊・山本則孝・山本則重・山本則秀・遠藤博義・若松隆・一噌隆之・曽和尚靖・山本哲也・三島卓

演者変更で東次郎さんが抜けてしまい、全体に散漫な印象。あまり上演されない曲なので、変更はきついのだろうけれど…。


仕舞『江口・キリ』高橋章

静かな始まり、「思えば仮の宿」と正面を向くと、儚く美しい。
しかし最後まで静で、抑えすぎな印象。


仕舞『実盛・キリ』友枝昭世

「その執心の」と前に出ると、一気に場の空気が引き締まる。
「むずと組んで」と回るところは、力強く迫力が有り、風に縮める」と下がると、老いの辛さが見えたりと、変化のバランスが良い。
「影も形も」とすっと立って回ると消えてしまったみたい。


仕舞『羅生門』宝生閑

辺りの景色を見る姿がかっこ良く、酒を注ぐ様子にも周りの人々が見える様で、さすが。しかし最後の「近くに寄りて」での仕草は荒い様に思う。
…ワキ方の仕舞の定番かもしれないが、他の曲が見たかった。


袴半能『融・クツロギ』近藤乾之助・福王茂十郎・一噌隆之・大倉源次郎・安福建雄・金春惣右衛門

ワキはどっしりと『名ノル』としっとりと綺麗な『道行』。
シテは『一ノ松』でしっかりしつつも、静かな謡出し…囃子が強くて聞き取れない…(泣)。
「我塩釜に心をよせ」と右を向くと、いとおしむ様な感じ。
「あら面白の曲水の盃」と『正先』に出る姿は、明るく、年齢を隠せない『ハコビ』の割りに力強い印象。
流石に紋付姿では、貴公子には見えないなぁ…と思ったのだが…。
舞はゆったりぎみで、伸びやかだが、鋭さを内包してとても綺麗。いつの間にか、若い融の大臣に見えていた。

それにしても、この会、追善公演ばっかりな気が…来年はおめでたい会になると良いけれど。。

Re^1: 08年8月17日  能楽座自主公演(国立能楽堂)    (感想)

2008-08-25 13:18
『清経・恋之音取』梅若六郎さんが、やっぱりかっこいいのにびっくり。
あんな体型なのに・・(失礼)それを感じさせない美しさがありましたね。
そしてこの小書きが好きです。
音に合わせて動くってのは、見ていてわかりやすく小気味いいです。

Re^2: 08年8月17日  能楽座自主公演(国立能楽堂)    (感想)

2008-08-25 20:42
六郎さんで『清経・恋之音取』を見たのは2回目なんだけれど、前回はすごく抑えたしっとりした感じだったので、今回もそうかな〜と思っていたら全然違った。
前回は笛が一噌流だったと思う(記憶が怪しい。)ので、そのイメージも有るけれど。。



08年8月15日  相模薪能(寒川神社)    (感想)
2008-08-19 04:53
『大仏供養』中森貫太・佐久間二郎・小島英明・中森健之介・中森慈元・中川優奈・殿田謙吉・竹山悠樹・一噌隆之・鵜澤洋太郎・國川純

シテは静かだが、思いがこもる良い『次第』。しかし『名ノリ』は気が抜けた様。
ツレ:母は「我が子の声と〜」と自然な驚きだが、その後の会話部分は深みに欠け、もう少し。
地謡「寝もせで夜半を」とさらりとしているが、雰囲気はぐっと締まり、『中入』まで美しい謡。

後シテは『一ノ松』でどっしりと『一セイ』、「悪七兵衛景清と」と、少々力み過ぎ。箒を使いつつ、舞台に進むが、掃き方が荒すぎる様に思う。
ワキはシテを止める部分に迫力が有り、警護を申しつける場面も威厳が有って上手い。
立ち回りは流れるようで、少し迫力は弱いが、綺麗。

今回、なぜこの選曲なのだろうと思ったが、写真の倒れる場面でどよめきが起こる…なるほど、初めて見ると驚くよなぁ。。

血を吸われてクラクラ(笑)

2008-08-19 04:56
狂言『蚊相撲』野村萬斎・高野和憲・深田博治

萬斎さんの登場で拍手がおきる…やっぱりファンが大勢。
さてその萬斎さんは、薪能という事を意識してか、かなり分かり易い演技。
蚊を扇ぐ時に1回目は強く、2回目からは柔らかで、余裕が有って、弄んでいる感じ…蚊もむきになって投げ飛ばしたくもなるなぁ…。
アド・蚊の深田さんは動きの緩急の変化が上手かった。

養老・後シテ

2008-08-19 05:04
『養老・水波之伝・祝言之式』観世喜正・鈴木啓吾・殿田謙吉・則久英志・一噌隆之・鵜澤洋太郎・國川純・小寺佐七

ワキ・ワキツレのさらりとした『次第』。『道行』テンポ良いが、少し浮き足立っている印象も…。

『小書:祝言之式』によって、前シテ・ツレの出番が省略され、『水波之伝』によってアイが省略されて、一気に後場へ。(『水波之伝』が付くことで、通常登場しない天女が登場、シテの装束も変わる。)

ツレ・天女はスラリとゆったりとした舞を舞うが、もう少し、たおやかさが欲しいところ。
シテは登場は迫力が有って、姿も綺麗だったが、動きが激しくなるにつれ、バタバタと型を続けている感じがしてしまい、もう少し余裕が欲しい。

最後列からの眺め

2008-08-19 05:07
基本的には写真撮影杖禁止なのですが、最後列のみOKなので、カメラがずら〜りでした。私もそこに紛れたのですが、三脚を持っていかなかったので、手ぶれしまくりで、ダメでした(苦笑)。

風で木々がさわさわと、涼しげな音をさせて、とても良い雰囲気でしたが、能の開演が17時半からと早く、暗くなったのは最後の曲だけでした。
19時半には終わっていたので、『養老』は省略ナシでも良かったのでは…?

さて社殿の前に作られた舞台で、面白かったのは、揚幕が真正面を向いているので、幕を挙げたとたんに姿が見える事。
シテが『一セイ』で登場する時、少し右を向いてから、正面へ向き(常の舞台では客席の方を向いて、舞台の方を向く)幕を出てくるのが良く見えたり…細かっ!

余談

2008-08-19 05:10
能の話ではないのですが、寒川神社に行くのに、相模線に乗ったら、ドアの開閉がボタン式でした(写真)…初めての経験で、びっくり。

席取りに並ぶ気が無かったので、開演まであまり時間が無く、境内もあまり散策しませんでした…その分早く行けば良かった…おみくじも引くの忘れたし(おみくじコレクターです、出かけないから微々たるものですが)。そんなところは心残りですが、良い雰囲気でした。



08年7月13日  代々木果迢会プレ・レクチャー    (感想)
2008-07-25 03:46
『代々木果迢会プレ・レクチャー』今回は装束の解説、ということで、行って来ました。
今年の代々木果迢会の演目から、4着の装束着でした。

『百萬』シテ:摺箔・紅無縫箔(腰巻)長絹・長鬘(今回は普通の鬘)・前折烏帽子

着付は浅見慈一さん。モデルは能楽協会の職員さんです。『百萬』は写真を撮ってはいけないと思っていたので、撮っていません。
写真は“深井”の面。『百万』のほか、次の『三井寺』の前シテにも使われます。

『三井寺』前シテ

摺箔・紅無唐織・鬘・鬘帯

足袋・肌襦袢・胴着・補正をつける。頭に帽子の様な物を被る(黒髪の時は黒)。襟をつけ、摺箔を着る。
胴着と襟を合わせて巻き込み、摺箔の襟も巻き込む。
襟をしっかりと重ね付け、胴帯を締める。摺箔を裾捌きが良いように、胴帯に挟む。
鬘をつけ、後ろを元結で結ぶ。
唐織を着る。襟を熨斗状にして、唐織紐で留める。
鬘帯をする。

という流れ。
写真は唐織を羽織り、下前を織り込んで、着付けているところ。
実際の舞台を見ていると、熨斗状と言っても、人によって、襟を高くしたり、低めにしたり、好みで変化が有りますね。
まぁその辺は、普通の着物と同じで、個性が出るところなのでしょう。

『遊行柳』前シテ

無地熨斗目(今回は小格子)・しけ水衣・腰帯・尉髪

写真は、尉髪をつけているところ。
すだれ状の髪を、下からつけて、結い上げる。
着物を着るところは見る機会も有るけれど、尉髪をつけるのは初めて見ました。なるほど、こうなっていたのか…。。
ちなみに、髪の下の方が膨らんでいるのは良くない着け方だそうです。

『鵜飼』後シテ

厚板・法被・半切・袷狩衣・腰帯・赤頭・唐冠

さすがに、派手な着物は、広げただけで、歓声が上がる。(でも個人的には紅無の地味な狩衣が好き。)

写真は半切をつけるところ。左の写真の赤で書いた、Y字状の板を腰につけて、そこに半切を乗せる。
普通の袴にも、小さい板がついていますが、その大きいのってところでしょうか。

当たり前ですが、普通の着物と共通する部分も多く、なんとなく、花嫁の着付けを思い出しました。(昔、習った。懐かしい。)

着物はなんとなく、知っていますが、鬘をつけるのを見るのは、あまりないので、とても楽しめました。

写真掲載許可を頂いたので、宣伝。
次回プレ・レクチャーは9月21日:『三井寺』
本公演9月26日・シテ小早川修さん
その次のプレ・レクチャーは10月19日:『鵜飼』
本公演10月24日・シテ浅見慈一さん

↑こちらは解説レクチャーで、正直言うと、一昨年位までは、ちょっと微妙なレクチャーでしたが、だいぶ面白くなってきました。1000円はお得です。本公演も厚さ、寒さが難点ですが、安いし。。でも最近チケットが完売してしまう事も有るので、早めに取りましょう…自分も。。



08年7月26日  セルリアンタワー能楽堂定期能 第2部    (感想)
2008-07-28 04:54
狂言『栗焼』野村万作・野村万之介

始めは2人とも静か目で、何となく地味な印象。
太郎冠者の万作さんは炭火を見つけ、「これは幸い」と嬉しそうに焼き始めると、万作ワールドに引き込まれて、もう何度も見ている話なのに面白い。
「お飛びゃる事はなりますまい」と余裕の様子から、焦がしそうになって慌てる変化が絶妙に上手い。
釜の神のくだりで謡い舞う姿がカッコイイが、息切れする様な部分もあり、年を取ったなぁと思う。


蝋燭能『鵺』友枝昭世・森常好・槻宅聡・曽和正博・亀井広忠・大川典良

今回は蝋燭能なので、不気味さ倍増…『一ノ松』で、友枝さんとは思えない低い声での『サシ』。
『常座』に進む姿は闇が蠢く様。
「類ひを何と疑い給ふ」とワキに向いて一足ツメると、静かな威圧感が有る。
『クリ』「これは昔近衛の院の〜」と昔を思い出す様で、少しやわらかな雰囲気。
『正中』に座って、どっしりと語り出す。
「頼政きっと」と左手で前髪を掴み、腰を上げ、中空を見つめ、「南無八幡」と一瞬下を向いて念じ、再び空を睨んで、矢を放つ姿は自信有りげで、決まっている。
正先に出て、捕らえた鵺を刀で刺す仕草をするが、その時の、刀を抜く緩やかな動きと、刺す時の鋭さの対比が残忍に見え、これらは、鵺自身の目を通した頼政や猪の早太の姿なのだと思う…。
「恐ろしなんども」とゆっくりワキの前に座ると、静まり、棹を持ってするりと立つと、闇の様な朧な姿に見え、『常座』に行って、棹を引き寄せて、留まろうとするが、「恐ろしや」で、棹を落として流される様に静かに『中入』。

ワキのしっとりと綺麗な謡。
シテはワキの経に引かれる様に、『常座』に現れて手を合わせる。
前に出て、「真如の月の」と右に回って「常座』の戻ると、その姿をはっきりと現した感じで、「仏法王法の障と」とサッと『橋掛リ』に行き、『一ノ松』を『サス』と迫力が有り、、舞台に戻って、「御殿の上に」と登る仕草はどっしりとした、妖力を見せる。
「思いも寄らざりし」と『正中』でくるりと回って矢に射られて下がり、膝をつく姿は、何が起きたのか分からなくて、驚いた感じで、「君の天罰を」と扇で下を打つようにして、得心した様子。
「頼政右の」と打杖を下に向けて、膝を付き、左袖を見て、「月を少し」と右を見て、立ち、剣を賜る姿は颯爽と美しい。
「我が名を流す」で打杖を頭の後にまわして、両手で持ち、流されて行く様に、地謡の方に行ってから、『常座』に進み、「芦の屋の」とそのままよろける感じで、「浮洲に流れ」と『橋掛リ』の方に下がり、『一ノ松』で膝をつくと、杖を捨て、扇を持って『正中』に進み、『橋掛リ』を向いて、「遥かに照らせ」と『雲の扇』すると暗い世界を遥かに見通す様。
『三ノ松』に行き、足拍子して、扇を左手に待ち替え、顔を隠して座り、立ち上がって『トメ』。


小書無しだったのに『白頭』だった…喜多には『白頭』の小書は無いんじゃなかったっけ…だから書かないで、変えたのか…。
この日の面は“猿飛出”でユーモラスな表情に見えて、異形な者という感じは深まるが、美しくはないかも…。。
能の中での“鵺”は頭は猿・尾は蛇・手足は虎・鳴く声はトラツグミって事になっているけれど、『平家物語』によれば、胴体は狸ってのが加わって、ちょっと可愛くなってしまう…今回はそんな感じでした。


解説の中で、大阪湾の紋章に鵺がデザインされていると紹介が有ったので、その写真を載せました。ここでも胴体はシシに変えられていて、やっぱり狸ではカッコ良くないのね。。



08年7月6日  観世会定期能(観世能楽堂)    (感想)
2008-07-15 04:53
『自然居士・忍辱之舞』観世清和・観世三郎太・森常好・(ワキツレ1人)・山本則秀・松田弘之・観世新九郎・柿原弘和

シテ「雲居寺造営の」としっかり。「夕心の空の」から飄々として、ゆったりと手を合わせる姿が美しい。
この後、しっかりとした語で、『自然居士』のイメージより大人びた落ち着きぶり。
ワキはさらりと『名ノル』と「や」としっかり言って舞台に入りざま「さればこそ」と勢いよく子供を見つけ、その後のアイとのやり取りも緊張感が有る。
シテはアイの報告を受けて、哀れむ様子で、アイが「追っつきとめ申さう」と立ち上がるのをゆったりと留め、落ち着いているが、既に心を定めた様子。
ワキとの『問答』は、ワキは力強く、シテはどっしりと威厳を持って進み、「元の小袖は」と衣を投げるシテの姿は強く、「裳裾を」とワキに寄り、どっかりと座る。
この後もシテもワキもしっかりと強い調子で緊迫感の有る展開が続く。

烏帽子を着け、舞になって、扇を左手に渡すと、囃子が急になり、ここから、さらさらと舞って、居士は早く終わらせたい様子で、ワキの「余りに舞が短い」とのセリフはもっとも。。
『クリ』『サシ』『クセ』としっかり抑え目で、「底上の池の」と右下に池を見る姿が美しく印象的。
鞨鼓を打てとの所望に、「こののちは」と少し怒った様子で、鞨鼓を首に下げると、打ち始める。
始めは力強く、苛立つ様に打ち、ゆったりとなって、再び力強くなる。
シテは『一ノ松』に座り、太鼓を打つ様に鞨鼓を打ち、舞台に戻って、烏帽子を取ると、子方に走り寄って、子方を立たせ、『一ノ松』まで肩を押して進み、子方を先に行かせると、自分もゆったりと幕に入る。
ドラマチックでヒーローっぽい。上手いけど綺麗過ぎるかな…地謡も纏まりにかける部分が有り、惜しい。


今回の『自然居士』は世阿弥『五音 下』によっての復元上演。
シテ『名ノリ』の後、床几のかけ、「〜般若心経」までは同じで、その後に『サシ』『上歌』が入り、『上歌』の途中で子方が出て、『角』に座り、「や、これは諷誦を御上げ候か」と通常通りになる。

観阿弥の『自然居士』のこの場面を見た義満が、感動して、傍にいた世阿弥に話しかけたと『申楽談儀』にある。

内容は大雑把に言うと…居士自身、深く仏法を崇敬し、戒を守り、隠遁していたが、市に交わっても、清いものは清く有ることが出来ると考え、山を下りて人前で説法をする身となった事が語られる。

敢えてこの文を入れた割りに、装束も水色の大口に、薄い黄色の水衣、金の入った掛絡、と豪華過ぎる印象。
義満は観阿弥の姿が12、3歳に見えたと言っているが、難しいセリフが加わって、更に年上な感じに思えてしまう。。
最後のところで、烏帽子を捨てて、帰って行くのは良いと思ったが、そんなリアルさを出すなら、装束も普通の地味な感じの方が合っている様に思う。


狂言『伯母ヶ酒』山本則俊・遠藤博義

則俊さんの甥は、伯母と話している様子は真面目で、陰口を言うのも大人しい印象。鬼の面をかけて、伯母を脅かす動作はコミカルで、怖いと言うより可愛い感じも…。
酒の蓋をはずしたとたんに、匂いを嗅ぐ様子がいかにも酒好きという感じで、横になったらたちまち酔いが回って、眠そうな感じが上手い。
伯母の遠藤さんは鬼の正体に気付いて、悔しげに甥を起こして追い込む、急展開のテンポが良かった。


『半蔀』坂井音重・福王茂十郎・山本泰太郎・寺井久八郎・亀井俊一・安福光雄

ワキはどっしりと、とてもよい声で『名ノリ』。「敬って申す」とゆったりと貫禄が有る。

シテはゆっくりと優しい雰囲気で現れる。
『常座』ついて、「花にて候」とワキの方を向く時は気品が有り、正面向きに戻って、「名はありながら」と再びワキの方を向く姿は、先程と同じ動きでも、恥じらいを含んで趣きを変える。
ゆったりとした地謡でさり気なく静かに中入。

後シテは『作り物』の中に入ると、どっしりと謡い出す。
『下歌』の地謡もたっぷりと綺麗で、シテ「山の端の」から静か目で、次第に抑えて、憂いを含む様に謡う。
地謡「草の半蔀」とゆっくり戸を上げて前に出ると、上品で美しい。
「白き扇の」と扇を広げて両手で持ち、『正中』の出ると、差し出す様に前に出し、「源氏つくづく」と、たっぷりと悲しげに謡う。
地謡もゆったりと儚く、優美。
舞はゆっくりだが、さらりとして、哀れで美しく夕顔の姿に相応しい。「折りてこそ」と朗々と謡うと、「花の夕顔」と出て、『ヒラク』と爽やか。
「半蔀の内に」と『作り物』に戻り、ゆっくりと戸が下りると、夕顔の花が閉じる様な、静かな無常感に支配された。


仕舞『道明寺』関根祥六

どっしりとした声だが、さらりと謡出して落ち着いた風格。
「膝を屈して」とゆっくりと座って手を付く姿の力の入り具合が良い。
地謡も変化が有って綺麗。


仕舞『知章』武田宗和

緩急の有る綺麗な型。
緊張感も有って良いが、「跡といて」と、突然静まるのが急すぎて、不自然な気も…。


仕舞『花筐・クセ』木月孚行

やや弱い印象だが、上品で儚く美しい。


仕舞『車僧』津田和忠

威厳が感じられるところも有るが、力強くても重みが弱いところが目に付いた。


『鉄輪・早鼓之伝』梅若万三郎・高井松男・(ワキツレ1人)・山本則重・一噌隆之・大倉源次郎・守家由訓・三島元太郎

小書付だが衣を被かず、常の様に笠を着けて登場。
茫然自失の様子で、どっしりとした『次第』。重々しい『地取』は暗雲が立ち込める様。
『サシ』「げにや〜」から、ややはっきりして、「中に報いを」と静かに言うが、内に篭る力が凄まじい。
『上歌』では思いに囚われた俗な女という感じで、笠に手をかけ、月を見る姿が綺麗でも、万三郎さんの上品さは隠れている。
しかし、舞台に入り、「貴船の宮に」と『大小前』で笠を取って、振り返ったその姿の美しいこと。。

アイに対する反応は静かで、地謡「言うより早く」と静かだが、「立つや」でスッと立ち上がり、「風となるかみも」と左を見て、前に出て「恨みの鬼と」と下がって右下を見ると、次第に思いが増さる様。
「思い知らせん」と笠をまわして腰に当て、左手を前に出した姿で静止。その姿のまま『中入』。…手のひらをけっこう立てていたので、歌舞伎の『見得』の様にも見えてしまう…。
この部分で大小の激しい感じの囃子が入る。(小書:早鼓之伝)だから余計にそう思ってしまったのかも。。

ワキツレに対するワキの会話はしっかりとして、自信有りげ。
(この後、常の通り祈祷台と一畳台を出す。)
厳かな『ノット』の後「大小の神祇」と重めの地謡も良く、「鳴動して」と右を見る姿は目に見えぬ気配を感じ取る様。

『出端』でシテはどっしりと『一ノ松』に現れる。
「それ春の花は」と静か目だが、「われに憂かりし」と祈祷台の方を見つめ、「見すべきなり」で上体を少し前に倒して迫る様に見えた…気迫でそう見えただけかも…。
「恋の身の」から静かだが、「われは貴船の」と『サシ』『ヒラキ』するところも、ずっと台から目を離さず、標的を定めた様子。
舞台へ進み、「臥したる男の」と台に寄り、形代を見つめる姿は悲しげだが、決して弱々しくは無くて、寧ろ憎しみが増さる様で恐ろしい。
「捨てられて」と『シオル』と今度は女らしく哀れで、立ち上がって「涙に沈み」と台から降りて、とぼとぼと『常座』に進み、「または恨めしく」と力なく座る姿は儚い。
しかしすぐに立って、杖を逆手に持ち、膝を付く様に進むと迫力満点。『一畳台』に上り、形代の髪を左手に絡め持つ動きはゆっくりだが、かえって不気味で、髪を打つ姿には、女の嫉妬の醜さをさらけ出す怖さと、哀れさを併せ持つ。
「臥したる」と杖を振り上げるが、「恐ろしや」と下がり、再び近づこうとしても手も足も出ない様子で、「腹立ちや」と数拍子を踏む。
「神道」と両手を挙げて杖を頭の後ろにして、くるりと回りつつ下がり、「足弱車」と『常座』に座る。…急速に力を失う感じが良く表れている。「まずこのたび」で立って台に寄って、足を掛け、すぐに下がって『橋掛リ』へ。
『三ノ松』で拍子を踏むと、「目に見えぬ」でするりと幕に消えた。
女の恨みは消えずに、またいつか現れそうな怖さを残す、『鉄輪』らしい最後。

後シテの装束も、茶系(光の加減で色が変化してよく分からないが)の紗綾形摸様摺箔に浅葱の丸紋の縫箔を腰巻にした、渋いチョイスでとても良かった…源次郎さんはとても良かったけれど、万三郎さんにはこの小書、無い方が似合ったかも…。



08年6月26日  日経能楽鑑賞会(国立能楽堂)    (感想)
2008-07-01 06:12
狂言『隠狸』野村萬・野村万蔵

万蔵さんの主人は「早まった事を〜」と何やら思案顔。
萬さんの太郎は狸を隠そうとする仕草が、大げさでわざとらしい。
兎の舞の「あれあれ」と指すところは、控え目だが、主人は大げさに見るのは、知っていて、わざとのっている様子。
酒を飲む所や、舞は和やかな雰囲気で、最後に狸を出されて、びっくりする表情が良い。
面白さは弱いものの、朗らかで、昨日とは違って暢気な雰囲気。


『松風』浅見真州・浅見慈一・宝生閑・野村扇丞・一噌仙幸・幸清次郎・柿原祟志

『正先』に出された『松』には短冊が掛かっていた。
ワキは静々と重めの歩み。どっしりとした『次第』。…少し重いかも。
訥々と『名ノル』と「さてこの松は」とさらり。
アイはワキに釣られたか、重めの話しぶり。

「明けなば」と、里までの距離感と、朝までの時間までもが思われて、さすが。

シテ・ツレ『一セイ』はゆったりしつつも“芯”が有って、ただの女では無い気配。
「月さへぬらす」としっとりとして、静かに美しい謡が続く。
地謡「かくばかり」と、どっしりとして、静かでも、昨日とは違う、男っぽい地謡が寂寥感を生む。

シテ「おもしろや」とさらりとして、「いざいざ汐を」は、はっきりとして、芝居なら腕まくりでもしそうな気配(もちろんそれはイメージで、能として自然な言い方)。
「寄せては帰す」とシテは『角』を向いて正面の方まで見渡すと、景色が広がり、「更けゆく月こそ」と寂しく、美しい地謡。
汐を汲む様子は全体にゆったりとして、慎重に汲む感じ。
「賎が塩木の」と淡々として、「さしくる汐を」でツレは前に出て、持っていた桶を“汐汲車”に乗せる。
シテは「これにも月の」と、桶を見下ろし、ツレは紐を取って立ち、シテに紐を渡す。
「月は一つ」と、シテは正面を向いたままで、「影は二つ」と、ちらりと桶を見る…これは、月=行平、2つの影=松風・村雨、を象徴しているとの、解釈だな、と思う。

車を引いた後、後ろ向きのまま、止まっていて、紐をハラリと落とし、後見が車を下げてから、ゆっくりと前を向く…この間は少々長く感じた。

シテが床几にかけると、ツレはシテの右後ろに座る。
ワキとの会話は今日も良い出来。
ワキ「わくらはに〜」と、とても綺麗。
「弔いてこそ」で、シテとツレは同時に右手で『シオリ』、「実にや」でゆっくり手を下ろすと「色外に」で『返し』「わくらはに」で下ろす。
2人の動きがシンクロして、2つの同じ月影の様。
この後もワキの方を向いたり『シオリ』も同じように動いて、不思議な雰囲気。

「松風村雨の召されしより」で「松風」「村雨」と一人ずつ言うが、ツレは少し強すぎる。
シテ「塩焼衣」と抑えて辛い思いがこもり、「あら恋しや」と懐かしそう。

常の通り、後見が衣と烏帽子を渡すと、動きは控え目ながらも、忌々しさと愛おしさの複雑な心境を見せ、「形見こそ」と右の方を見てから衣を見て、「よみしも」と、扇で膝を打つ…前後の静かな動きの中で、異質な感じ。やり過ぎな印象。
立って「捨てても」と、力が抜けたようにすっと衣を下げると、哀れで「取れば」と上げて、右手で抱えるようにして回り、『正中』で脇正の方を向く、「せんかた」でゆっくりと正面を向くと下がって、座り、衣を見つめる姿は、悲しみにくれ、陶然としている。

『物着』の後、『シオリ』つつ「三瀬河〜」と悲しげで「あらうれしや」とはっきり言って正先の『松』を見る。
「いで参らう」と立ってゆっくりと引き寄せられる様に前に出ると、『正中』あたりで、ツレに止められる。
冷静なツレに対して、シテはたたみかける様に激しくなって、「立ちわかれ」と、2人が『シオリ』つつ交差する様子が、そっくりだった2人の決別の様でドラマチック。
シテは『二ノ松』まで行って、戻り、『中ノ舞』。
「いなばの山」としみじみとして、「それはいなばの」と、『角』から『橋掛リ』の方へと見渡し、「これは」と『松』を見て、「君ここに」と『松』に寄って、「須磨の」と、『角』に出て『ヒラキ』、『大小前』に行くと、「いざ立ち寄りて」と前に出て、左袖を返し、両手で『松』を包み込む様にして抱き、「なつかしや」と袖を戻しつつ、下がって『シオリ』。
『ワキ座』の方に出て、『松』の前を通り、くるりと回って、『角』に出て、左に回りこむように『橋掛リ』に向かいつつ、扇を左手に渡す。
『一ノ松』で止まり、『松』を見る。
「松に吹きくる」と『ハネ扇』3回で『正中』に戻ると、『角』→正面へと波を見る。
ワキの前に行って、座って手を合わせると、「暇」と頭を下げてから立って、「吹くや後ろの」と扇を高く上げて後ろを向き、下ろしつつ、『常座』へ。
『橋掛リ』に進み、幕の前で正面を向いて、「今朝」と袖を返して「残る」と戻して、「松風」と幕の方を向いて『留拍子』。

黒の風折烏帽子と黒地の長絹だったこともあり、舞の部分や、キリで男っぽさが垣間見えた気がして惜しい。でも黒の長絹かっこよかった!
昨日より10分程度長かったのは、ワキが重めだったのと、中盤ゆったり目だったから…だろうか…。
シテの面は大人びた印象なのに、型はツレと双子の様で、このパターンも面白い。

同じ曲で、1つ1つは僅かな違いで、それでもガラリと印象を変えた2公演は、とても面白かった。昨年も思ったが、ワキの流儀も変えてもいいのでは…?

比較しようと思って、型を書いたらものすごく長くなってしまった。ここまで、読んでくださった方、有難う御座います。(苦笑)
それにしても、『松』の前を通るの、流行ってるの…?

Re^1: 08年6月26日  日経能楽鑑賞会(国立能楽堂)    (感想)

2008-12-29 14:35
はじめておじゃましました。

ずいぶん以前の舞台についてレスつけてすみません。
最後に松の前を通るのは『見留』という小書によるものと聞きました。
曰く、「松の前をシテが通る時笛がヒシギを吹くのと、橋掛まで行って正先の松を見て留めるから『見留』」とのことでした。
自分は宝生さんと観世の『松風』しか観たことがなく、小書なしの『松風』も観たことがないので小書がない常の型でされる時どうなるか残念ながら判りません。

それにしても、見て留めるから『見留』って。。。。。小書は案外こんな安直、いやいや、素直なネーミングなのねと目から鱗でございました。

Re^2: 08年6月26日  日経能楽鑑賞会(国立能楽堂)    (感想)

2008-12-30 04:07
書き込みありがとう御座います。いつの記事でも大歓迎です。

さて、『松風』は小書の多い曲で、しかも、演者さんによるアレンジも多いようです。

通常の『松風』のトメは、幕の前まで行って、留拍子、だったと思います。

松の前を通るのが正式なのは『戯之舞』という小書で、舞が1つになります。

『見留』は破の舞の最後に橋掛リから松を見る、というもので、最後にシテは幕に入ってしまい、脇留になります。

これが多分スタンダード。
しかし、『戯之舞』でも脇留にしたり、逆に『見留』なのにシテが幕前でトメたり、その時も、袖を被いで拍子を踏まなかったり、松をサスようにしてから拍子を踏むなど、バリエーションが豊富で、どれが本当の型なのか、私もよくわかりません。(苦笑)。流儀による違いも有りますが、同じ流儀でも違うのを見たので、流儀による違いだけではないようです。


小書のネーミングは本当に単純なものが多いですね。『卒都婆小町』の、2回の次第を1回にするから、『一度之次第』なんて、知ってしまえば、なぁ〜んだって感じです。
変なものとしては、『海士』の『此筆之出』なんて小書の名称は存在しても、「この筆の跡を御覧じて」の謡出しの間を“半声”という間で謡うのですが、これは通常、そのように謡われるので、小書としてわざわざ書かれる事は無かったりするのです!
『安宅』の『勧進帳』も観世の時は意味ないし。
『熊野(湯谷)』の『三段之舞』も省略と言いつつ、実は長くなってるし。。
昔と現代では演出が変わったのが原因なのでしょう。

小書がつくと省略されるタイプは、実は1日の演能の番数が多くなった時代に、1曲の所要時間を短くしようとして作られたものが多く有ったりもします。
…そんな事を考えると、昔は、以外と能って自由だったのではないか?なんて思ったりもしますが、宗家の力が強く、鶴の一声で変えられたのかもしれません。そのへんの事情は知りませんが…。

何だか余計なおしゃべりをしてしまいました。ごめんなさい。また書き込みをして下さいませ。



08年6月25日  日経能楽鑑賞会(国立能楽堂)    (感想)
2008-06-30 05:53
狂言『隠狸』野村万作・野村萬斎

萬斎さんはしっかりとして、主人の風格。
しかし、「早まった事を…」と言いつつも、別に気にしていない雰囲気。狸を求めて来い、という件や、酒を勧める言い方がはっきりとして、イジワルな印象。
万作さんは対照的に庶民的で、その姿が小さく見える。市で主人と会って、後ずさる様子や、「あれあれ!」と大げさに指して、なんとか気付かれない様にしようとする様子が、かわいい。
狸の取り方を力説してしまう様子は面白いが、後半は変化が弱く、形式的な感じがしてしまって惜しい。


『松風』友枝昭世・大島輝久・森常好・石田幸雄・松田弘之・成田達志・亀井忠雄

通常通り『正先』に『松』を置く。
ワキはスッと登場して、のんびり目の『次第』『名ノリ』。
「さてこの松は〜」としっとり。「あの山本の里まで」「行かばやと」と区切る言い方に、遠い里を思う距離感が有って良い。

シテ・ツレ『一セイ』は静か。「月さえぬらす」と寂しげで、儚い。
シテ「実にや浮世の」と、しっかり目で、しっとり変化してゆく…。
地謡「かくばかり」からしっとりと冷たい風情が美しい。「朽ち増さりゆく袂かな」とシテ・ツレ2人で『シオリ』。
シテ「月の夜の」と静かで、日々繰り返す作業に従事する2人を青白い月光が照らし出しているみたい。
「更け行く月こそ」と遠くを見る姿が美しく、地謡もゆったりと美しい。
『角』へ行って座り、扇を広げて汐を汲むと、汲み上げる時に、重さが有る。「影を汲むこそ」と扇を閉じて 『汐汲車』の紐を持って立ち、『正中』へ。
地謡「運ぶは遠き」としっかり目で、シテもややしっかりの謡。
「見れば月こそ」と右下を見て、「これにも」と感慨深かげ。
「月は一つ」と左上に月を見、「影は二つ」と右下に水面を見る。(…喜多流は桶を1つしか出さず、桶と水面で2つの月影を見る…広がりが有って、好きな型。)

シテは床几にかけ、ツレは『中正』に座ると、ワキは立って「塩屋の主の」とさりげない。
シテの対応は上品で、姉らしい雰囲気。「暫く」と、止める様子は“僧”で有るなら、留まって欲しいという思いがこもる。
この後の会話は静かで、品良く、 『シオリ』の部分では、シテは左手で2回、ツレは右手で1回と、差が有り、鏡の様な動きながらも、2人の違いが表れる。

シテ「塩焼衣」とたっぷりとして、懐旧の感がこもる。
地謡「恋草の」とさらりと、しかし深く、「憂き身なり」とシテのみ『シオル』と地謡はぐっと抑えて綺麗。

後見が長絹(セリフでは狩衣だが)と烏帽子をシテの左手に持たせ、「残し置き」とシテは長絹を上げて見る様子は悔しそうで、「弥益の」と『シオリ』、再び上げ下げして、「あぢきなや」と上げ、「形見こそ」と後方に払う様に下げて、ゆっくり上げて、再び見て『シオリ』…見れば見るほど辛いに、見つめてしまう、切ない雰囲気。
立って「忘形見よ」と長絹を上げつつ前に出ると、「捨てても」とバサッと手を下ろして、長絹を手放したいけれど、出来ない様子で、再び上げて長絹を両手で持って回り、『正先』の『松』に寄って「せんかた」と下がって『正中』で座り、長絹で顔を隠す…泣いているみたい。

『物着』して左手を上げると、その袖を見つめ、「三瀬河〜」と哀れ。顔を上げ、「あらうれしや」とはっきりと思いをこめて言うと、立って『松』に寄り、ツレはそれを止める常の型。
シテは「愚かの人の言う事や」とツレに対して、どうして分からないのか、という苛立っている様で、冷静なツレに対して、自分勝手な嫉妬心を燃やしている様に思える。
「立ち分かれ」とシテは『シオリ』つつ『二ノ松』へ行ってから『常座』へ。
舞は上品だが、心の内は激しく、どうする事も出来ない思いに突き動かされている様。
「いなばの山の」とたっぷりとして、「それはいなば」と、しっとりとして、『橋掛リ』の方を指し、しっとりとした地謡で「君ここに」と『松』を見ると、近づきたくて仕方ない感じがする。
「磯馴松の」と『松』に寄るが、ちょっと下向き過ぎて、覗き込んでいるみたいで惜しい。「なつかしや」とゆっくり顔を上げて、下がり『シオル』、哀れで綺麗。
ワキに向かって頭を下げると、『松』の前を通り抜け(!)、『一ノ松』へと走り、振り向いて、『松』を見つめて、左袖を返す。『ハネ扇』の様に2回扇いで舞台に戻り、「我が跡」と『正中』に座り、ワキに礼をして立ち、「夢も跡なく」と『橋掛リ』に進み、「今朝見れば」の前に幕に入り、『ワキ留』。


見た目は双子の様にあまり変わらない、2人だが、シテの立ち居振る舞いは、姉の品格が有って、大人びている。それでいて、行平の事となると、抑えきれない女っぽさが、金風折と合っていた。

今年は小書もなしの真っ向勝負か!(笑)と思っていたのに、見留・戯ノ舞風という演出でした。こうなると明日も気が抜けない…と思いつつ、大満足な舞台でした。(2日目の感想は明日書きます。)



【情報】
2008-06-29 15:17
 第6回「港能」の案内を入手しましたので、詳細をお知せ致します。

  平成20年7月19日(土)午後2時〜午後4時 横浜能楽堂

  番組 狂言 狐塚       山本東次郎  山本則重
           小唄入              山本則直

  ― 休憩 ―

            王  観世喜顕
            男  岡庭祥大
            女  新江和人
            男  清水義也
            女  金子聡哉
            貫之 岡本房雄
             シテ 田邉哲久
     能  草子洗小町   ワキ 殿田謙吉  大鼓 柿原弘和
                               小鼓 観世新九郎  笛 松田弘之
                   間   山本則重
                        後見 寺井栄
                            観世恭秀   地謡  小檜山浩二 梨良一
                                          川原恵三  関根知孝
                                          下平克宏  高橋弘
                                          勝海登   小川博久
            附祝言


 また、以下は拾った情報です。
  第21回「としま能の会」
  http://www.toshima-mirai.jp/business/art/0808.html


 以上でございます。



08年6月19日  梅若研能会(観世能楽堂)    (感想)
2008-06-22 04:17
仕舞『弓八幡』加藤眞悟

型は丁寧で綺麗。少し震える様な声だが、迫力が有る。以前に拝見した時の記憶が曖昧だが、前より良い声に感じた。


仕舞『夕顔』青木一郎

静かな曲なので、仕方ない部分も有るが、動きが全体に同じテンポでつまらない。地謡が良いので良く見えるけど…。


『歌占』八田達弥・中村政裕・八田和弥・小野寺竜一・鵜澤洋太郎・高野彰

ツレ『次第』は少々力み気味。
シテ『一セイ』「神心〜」と朗々として『サシ』はどっしりと厳か。
『下歌』「占とはせ」と抑えた感じで『上歌』はさらりと変化して綺麗。ツレとの問答はしっかりとして、自らの事を淡々と語るのは、己の定めを受諾する様な不思議な雰囲気。
「易き間の事」はしっかりし過ぎて、怖い。。
ツレが短冊を読み上げて、「須弥山を〜」と自然でゆったりとした雰囲気が良いが、判じる所は微妙な変化が有るものの、力が入り過ぎている。
子方とのやりとりは、さらり目で、「おもしろし」と少し明るい感じになって、「鶯の子は」と右を向いて『打ち合せ』…あれ?と微かに思う感じの何気ない『打ち合せ』で、そこから振り向いて子方の方を向くまでに、もしや…という思いが湧いて、問いかけた様に見える。
しっかりとした子方と、次第に確信に変わっていくシテの変化も良い流れ。
「親と子の」と立って子供に寄る姿は、優しそうで、2人での『シオリ』も綺麗。
「易き御事にて」と、どっしりで良いが、「よしよし」の変化ははっきりし過ぎな気がする。

地謡の『次第』の間に、子方がワキ座に行くのを送り、常座に行って『下居』して肩上げをはずし、立って正面を向いて謡出す…(普通は立ったまま取るか、あるいは取らずにそのままだが)時間的にはギリギリでも、バタつかず、出来るものなのだなぁ、と感心。

床几にかけて、『クリ』『サシ』は静かで、『クセ』はしっかりと凄みが有る。
立って「三界無安〜」からの動きは力強く、迫力が有るが、「焔に咽び」で扇を顔に寄せたり、「鉄杖頭を」と扇を頭上に上げて、倒す部分は力が入りすぎたか、形式的な印象。
『立廻リ』は陶然と『橋掛リ』に行って、『一ノ松』で「あら悲しや」と『シオリ』つつ下がるのが、突き動かされた自分の姿に、自分で驚いた様。
この後細かい型が次々と有って、少しバタつく部分も有るものの、扇使いはとても綺麗だし、子方を立たせ、見送る感じも良かった。
全体に地謡が割りとさらり目だったので、シテの勢いとギャップを感じた…前半もう少しさらりといけば良かったのでは…と思う。


狂言『二九十八』三宅右矩・三宅右近

初めのうちは淡白な雰囲気で、「霊夢を被った」と嬉しそうでは有るが、控え目だと思っていた。
しかし、女に会うと笑が止まらない感じで、早く顔が見たいという感じが伝わる。
女の顔を見て、驚き、恐る恐るもう一度見る…期待した分、心底驚いたような、落差が面白かった。


『項羽』長谷川晴彦・梅若泰志・高井松男・(ワキツレ1人)・三宅近成・寺井義明・観世新九郎・柿原光博・大川典良

シテは『常座』に立つと、どっしりと謡い出す。
「おう召され候へ」と高貴な雰囲気が良い。
ワキは「さらば上の瀬を」とさらっと淡白で、この老人でなくても引きとめたくなる。
「乗り給へと」と船を寄せる姿が綺麗で、遠くを見るように前を見ている姿が良い。
ワキは再び船賃を要求されて、ちょっと苛立つ感じだが、花を請われて、不思議そう。

シテ「これは項羽の」と静かだがしっかりとして、『正中』に座ると花を置き、扇を持ってどっしりと語り出す。
「いかに呂馬童」と迫力が有って、「我が首〜」と扇を頭上に上げて、後ろに倒す型は綺麗だが、「剣を抜いて」と刀を抜く仕草は、ぎこちなくて分かり辛い。
静まる感じで立ち上がると、「弔いて」とワキに向かって『ヒラク』が、少し弱々し過ぎる印象。

しっかりとしたアイの語の後、“一畳台”を『正先』に出す。

ツレは『常座』、シテは『一ノ松』で鉾を払うと、「昔は〜」としっかり。
シテは右を向いてから小さく『キル』姿が重厚。
「紫の雲間〜」とツレと向き合うと、2人で視線を交わす様で、ドラマチック。
ツレはゆったりと舞台を廻り、大小前で袖を返す姿は美しいが、「各々」と『左右』する動きは硬い。
前に出て、台に上がり、「涙の」で『シオリ』。
前傾して…身を投げる感じの緊迫感は良いのだが、「空しく」と台の前に落ちる様に座ると、そこで気が抜けてしまったのか、普通にそこに座っている感じがして、惜しい。

シテは、この後の『働』をして、「項羽は」とどっしり。
台に上がって、「剣も鉾も」と鉾を長刀の様に回すのは綺麗だが、その後は少し形式的な感じで、状況が伝わりにくい。
「みづから」と台を飛び降りて、『招き扇』する威勢の良さは良いけれど、「運尽きぬれば」からの変化は弱い様に思った。

この後シテの『面』がとても好みで、見とれてしまった。もっとじっくり見たいなぁ…。



08年6月14日  普及公演(国立能楽堂)    (感想)
2008-06-18 03:08
狂言『素袍落』茂山七五三・茂山逸平・網谷正美

七五三さんは、しっかり目の太郎冠者で、参宮が出来ると、とても楽しそう。
網谷さんの伯父はおおらかで、察しがよくて気前も良くてと、良い雰囲気。
太郎の酒に酔った話し振りは上手くて、面白いが、立つと体は軽そうなのがもう少し。最後の素袍を落としての主人との問答は主人に余裕が有って、楽しんでいる感じなので、ほがらかでほのぼのとした雰囲気で良かった。


『善知鳥・組落シ』松野恭憲・工藤寛・山根あおい・茂山茂十郎・一噌庸二・幸清次郎・白坂保行

ワキのゆったりとした『名ノリ』。「さても我この」からどっしりとして、寂しげな『サシ』が美しい。
シテは幕の中から静かに、どっしりと『呼掛ケ』あの世からの声の様。
幕から出るとさらりとワキに頼み事をして「や、思い出でたり」と何気なく自然な言い方が良い。
「これをしるしに」と重めの美しい地謡で、袖を渡して別れ、「雲や煙の」とワキを見送り、「亡者は泣く泣く」と『シオリ』つつ幕の方を向いて「なりにけり」と舞台の方を向いてから中入。

ワキ「これは諸国一見の」とさらりとしているが、高僧の風格が有る。
ツレ「これは夢かや」と少し、しっかりし過ぎかとも思ったが、「あら懐かしの」と衣を両手で上げる姿が、抱きしめている様で悲しそう。
シテの『一セイ』『サシ』は寂しげで、次第に思いが篭もり「鳥獣を殺しし」と重苦しい気配。
地謡「所は陸奥や」と静かで「奥に海ある」や「籬が島の」と見渡している感じが出ていて、「住居かな」と『常座』で『中正』の方を向いて『胸杖』する姿がしみじみと哀愁が有る。

「我が子の」と子供に近付いて頭を撫でる仕草をはっきりとすると、子方は後ずさり、見失うというよりも、彼岸と此岸が隔てられた様な、空間の距離を感じた。
「雲の隔てか」と『面をキル』とたちまちそこに雲が迫ってくる様な迫力が有る。
「悲しやな」と『シオリ』、「今まで見えし」と右を向くのが、既に方位も分からなくなってしまった感じで、「蓑笠ぞ隔て」と笠を見ての『足拍子』が焦れる様で良いが、地謡はもう少し抑えても良いのでは…?と思う。
『クリ』『サシ』はとても綺麗。
シテは「うとう」と言うと、『角』の上方を見て出て、『常座』へ行って『カケリ』になる。

『角』と『橋掛リ』で打ちかかって逃げられる動きをすると、舞台へ戻り、『常座』で左手で前髪を掴み、地面をよく見る様にして、『正中』へ。『正先』の笠の所に見つけた様子で、くるくると回って出て、笠を打つと、囃子が止まって、静かな中で、『足拍子』(小書:組落シ)。
打ちかかって行く時の、囃子とのタイミングが合っていて、とても良い。

フィっと上を見ると「親は空にて」と下がり、杖を落として、笠を取り、笠を翳したり、投げたりと綺麗に決まる。
「鵲か」でゆっくり手を合わせる様にしたのは鳥の羽ばたきだろうか…?「煙の咽んで」と扇で口元を隠す姿は苦しげ。
「立ち得ぬは」と膝をついて、立って下がり、「羽抜け鳥の」とガックリと座って下に手をつく…型が多くて大変そうだが、メリハリが有ってとても綺麗。
立って、「吹雪に」と扇をバサっと体に寄せるのが、強風に煽られた様で哀れ。
「助けて(1回目)」とワキに寄って『足拍子』をし(…助けてと切実な思いが感じられて印象的。)、『常座』に戻ってワキを見て、「言うかと」と橋の方を向いて『留拍子』。



組落シの小書どころか、金剛の『善知鳥』は初見。はっきりとした型が多く、とても面白かった。
小書の部分の足拍子はもっとどっしり踏むのかと思っていたが、そうでもなくて、罪のその場面を静かにコマ送りで見る…あるいは、今更どうする事も出来ない過去の情景から、地獄へと時間が戻る(進む)様な淡々とした時の流れの様だった。

上掛リでは、前シテの老人は「去年の秋」に身まかったと言うが、その後は「春」と言う、脚本上の矛盾が有るのだが、今回、すべて「春」と言っていた。金春流も確か「春」というので、下掛リは「春」で統一されているらしい。どちらが正しいという事ではないが、取り合えず、舞台としては統一されている方が、落ち着くなぁと思う。そう伝わってしまったのだから仕方ないのか…。。



橘香会を見た方いらっしゃいませんか?
2008-06-10 03:36
6月7日「橘香会」に行く予定だったのに、すっかり忘れていて、行かない、というバカをした。
一生の不覚(ρ_;)・・・・
折角の万三郎さんの『道成寺』を見逃すなんて有り得ない!と思うのにやってしまった…。
しかも友人を強引に誘ったのに、行かないなんて最悪ですね…。m(_ _)m

それにしても、内容が気になる。。御覧になった方がいらしたら、一言でも良いから教えて下さい〜 o(_ _)oペコッ 



08年5月31日  二人の会(喜多六平太記念能楽堂)    (感想)
2008-06-10 03:08
舞囃子『野守』香川靖嗣・一噌仙幸・横山晴明・柿原祟志・小寺佐七

全体的に綺麗で、力強さを持ちつつ、サラリとした動き。
「金剛童子」と扇を『テラシ』たり、「天と写せば〜」と扇を上げる姿が決まっていて、とても良い。


仕舞『知章・床几』佐々木宗生

『床几』の『小書』により、床几にかけて謡出し。
地謡「げにや修羅道の」と、どっしりとして重めだが綺麗。
シテは座ったまま『サシ・ヒラキ』の様な型や左右に向いたりと、立って動いてしまいたそう…。
「駈け寄せて」で立つと、「むずと組んで」と抱え込む様に回る様子が上手く、地謡も纏まって、最後は柔らかに変化して良かった。


仕舞『熊坂・長袴』友枝昭世

「熊坂秘術を」とくるっと飛ぶのが大変そうで、こういう曲は友枝さんに似合わないなぁと思ってしまう。
しかし長刀さばきは迫力が有りつつ、美しく優雅で、前言撤回。
長袴でも型は変わらないので、「しさって〜」と後ろに下がるなど、やはり裾さばきが大変そうだったが、綺麗。…でも長袴の必要性は無い気が…。


仕舞『谷行・素袍』内田安信

こちらは更に動き辛いのにやっぱり常の型。見慣れない装束に目を取られて、粗探しの様に手元・足元を見てしまう(苦笑)。
見渡す所などは綺麗だが、やはり装束のせいか激しい動きのところは煩雑になり、威厳が弱い印象に。裾を踏みかけた気がして、一瞬ドキっとしたが、上手く持ちこたえて綺麗に舞おさめた。



『知章・床几』は能の中の『語』の様で面白いと思うが、『熊坂・長袴』と『谷行・素袍』は珍しいというだけで良いとは思わない。
小書の成立理由が分からないので、なんとも言えないが、わざと難しくして技を見せるのなら素袍はやりすぎだと思うし(←多分違うだろう)、そうした格好の時(江戸時代の大名家主催の“翁付”の会で、『翁』終了後も素袍で過ごしたと記録が有るし…これには仕舞は無かったが)に、行った名残だとしても、微妙。…伝わっている以上、伝えていかなければならないけれど。


独吟『母衣』高林白牛口二

曲舞(他流でいうところの蘭曲=謡のみの専用曲)という珍しい曲。
『母衣那須』という能の一部で、那須与一が頼朝から貰った母衣の由緒(張良が母の縫った母衣で身を守り、軍功を挙げた故事)を語る部分だと解説に有った。
実際に語る内容はその故事の部分なので、これだけでは那須与一だとは解らない。
晴々しい格の有る曲で、それに相応しいしっかりとした謡がかっこよかった。地味と言えなくも無いが、記念の公演(今回は追善公演だが)などでもっと謡われてもよさそう。


狂言『八尾』山本則俊・山本則秀・一噌仙幸・横山晴明・柿原祟志・小寺佐七

則俊さんの閻魔は、『次第』はどっしりとして力強く、杖を突くと威厳が有るが、胸杖をしたり、人臭いと匂いを嗅ぐ仕草がかわいくて、その部分だけ見る分には好きだけれど、後半で亡者と立場が逆転してしまうという面白さが弱くなってしまいもう少し。


『芭蕉・二重趾・モロクモ拍子・薬草喩品』塩津哲生・宝生閑・山本東太郎・一噌仙幸・横山清明・柿原祟志

静かに『次第』『サシ』を謡うと『下歌』はやさしい気配。
「これはこのあたりに」と静かだが気高く、上品に答える。
地謡「惜しまじな〜」としっとりと美しく、シテ「さらば内へ参り」と『正中』に座りワキに向かって頭を下げる。「有難や」としっかりと言う姿は、僧(経)に対する畏敬の念が感じられる。
「実によく」と話しかけるワキはやさしく、“経”を広げて静かにしっかりと読み上げる雰囲気が良い。
地謡「灯を背けて」とやや明るく、『ロンギ』はしっかりとして、「道さやかに」で、シテは立つと、少し前に出て、「照る月の」と『角』を向いて、「影はさながら」と正面を向く…庭を見る様な姿が美しく、消える様に静かな中入。

アイは小書:薬草喩品の為、@王維が描いた雪中の芭蕉の絵(有り得ない物)が仏法では現実を越えた悟道の境地を現す蕉雪の故事。A猟師が倒れた鹿を見つけ、芭蕉の葉で隠した夢を見て、正夢だと思い、探すが見つからず、生きた鹿にも逢えず、殺生の罪を悟る、蕉鹿の夢の故事。B法華経の薬草喩品の功徳。の3つを語る。
Bは僧侶であるワキに里人が話すのは現実的ではないが(ワキが語るバージョンも有るらしい)、東次郎さんが上手いので納得させられてしまう。

ワキ『待謡』はどっしりと美しい。

後シテは『一の松』で正面(やや舞台より)の方を向いて止まり、下がる(この間の囃子は緩めたりしない)。再び舞台の方に進み、大鼓の『頭』を2つ聞いて、小鼓が受けた所で、常座に止まり(小書:二重趾)静かな謡出し。

この後はしっかりと明る目で、シテも地謡も綺麗な謡。
『クリ』はのびやかでたっぷりとして、シテ『サシ』は静か。
「色香に染める」と趣き深く、地謡も深みが有って「水に近き」と下の方を見て、ゆっくりと体を起こす姿が綺麗。

「芭蕉の葉のもろくも」で下がって、『足拍子』を1つ踏み(小書:モロクモ拍子)、「落つる」でふと下を見るのが、目前に露が落ちて、それを追う様で印象的。

『序舞』は始め上品に明るく、ゆったりと優美。扇を逆手に持ち、袖を返すと、囃子が静まって『足拍子』。舞台を廻ると『角』を向いて右袖を返し『角』をさして進む姿に一瞬の鋭さが有り、無常の風が吹きつけた感。

「霜の経」から動きも謡も静かで、地謡の「風茫々と」の「風」をはっきりと言う謡も良く、この後、風を表現する様な型が続き、「ちりぢりに」とくるりと回ると「芭蕉は」とふんわりと静かに『ヒラク』と『橋掛リ』を向いて留拍子。

「芭蕉は破れて残りけり」の言葉通り、そこにはただ芭蕉の木が有っただけで、すべては幻の様な不思議な気分にさせてくれた最後だった。

予定されていた『干之掛』の小書は無しになった。この曲の風情に合わないと判断したと有った、確かにそんな気がする。



08年5月24日  友枝昭世の会(国立能楽堂)    (感想)
2008-06-03 01:18
狂言『伊文字』山本東次郎・山本則孝・山本則俊

則俊さんの太郎は、女に声を掛けられないで、困っている感じが、かわいくて、面白い。東次郎さんは関で止められて、「飛び越えて〜」と伸び上がったり、下を潜ろうとしたりするのと、綱を上下させるタイミングが若干合わず惜しい。その他は良い感じだったが、昨年の坂井同門会(9月11日)でも東次郎さんの『伊文字』は見ていて、とても良かったので、その時に比べるとキレが甘く感じる。


『求塚』友枝昭世・内田成信・大島輝久・宝生閑・高井松男・則久英志・山本東次郎・一噌仙幸・鵜澤洋太郎・柿原祟志

ワキはのんびりと上品な『次第』→『道行』で良いのだが、ワキツレは合わせるのに必死で謡いづらそう。

シテ・ツレ『一セイ』は静かで、シテとツレのバランスも良く優しげだが、『下歌』『上歌』とゆったりとして、少し暗い印象。
「実にや生田の」からしっとりと美しく、ツレ「なうなう旅人」としっかり。「されば古き歌にも」と伸びやかで綺麗。
『ロンギ』「まだ初春の」と明る目で、「まだ古年の」と『角』を向いてツメ、下がると近くを見、前に出て、「春の野辺に」と少し遠くを見ている風情で、謡もしっとりと美しい。
シテ「こなたへ御入り候へ」とゆっくり塚の方を向くと、気配が重く一変し、「のうのうこれこそ求塚にて候へ」と静かにしっかりと教える。
『正中』に座ると、どっしりとした語。
「彼の女思ふやう」と正体を明かす様に実感が篭もっていて、「あの生田川の」と『角』を向く視線の先には川が見える。
「一つの翅にあたりしかば」としっかり目に言うと、“間”をとって「その時わらは」と、どっしりと暗く悲しげで、辛そうに話しを続ける。
しっとりとした地謡、「これを最後の」で、立ち上がると、「いつまで生田川」と『角』を向いて、川の流れを追うように正面を向くと、地謡の「差し」を強調した強い謡いに反し、陶然とした常の型が白昼夢を見せられた感。

『待謡』も出だしは揃わないが、途中からしっとりと美しく、「南無幽霊」としっかり。
静かだがしっかりとした笛が冷たい風の様で、茫々たる景色をつくる。
シテはどっしりと静かに謡い出して良い感じだが、続く地謡は淡々として深みに欠ける。
「いつまで草の蔭」としっとりとして、『引廻し』を下ろすと、地謡は寂しげに静まって綺麗。
「ありがたや」と静かに感謝すると、「恐ろしや」と急に緊張した様に変化し、「左右の手を取って」と両手を上げたり、「飛魂飛び去る〜」と見渡す感じも、見えないものが見えている様で、恐ろしげ。
「あら恨めしや」と『シオリ』、手を下ろしつつ、ワキの方を向くと、弱々と手を合わせる姿が、少し前のめりで、助けを求める感じが出ている。
「柱は即ち火焔と成って」の柱を掴んで放し、座りつつ手を頭上に上げる処は、分かりやすすぎてわざとらしい気もするが、喜多流らしいといえばそうなのかも…。(他流の型もほぼ同じだが、喜多流はよりはっきりしている様な…喜多流って大げさなアテ振りが多い気がする。好みの問題だけど。)
「而して起き上げれば」で立ち上がり、ゆっくり前に出ると「足上足下と」と扇を上げてから下を差しつつ、膝をつき、そのまま腰を上げてくるりと回って座り、「隙かと思えば」と体を起こす姿が、一瞬の安堵に思える。
塚に戻ると、『角』の方を向いて座りつつ、扇を左手に渡し、正面を向き、その扇で顔を隠してトメ。
そっと物陰に隠れる雰囲気で、地謡も静まって綺麗だった。



08年5月16日  定例公演(国立能楽堂)    (感想)
2008-05-26 04:34
狂言『子盗人』茂山忠三郎・古川道郎・茂山良暢

良暢さんは、子供を抱いて子供の顔を見ながら歩く姿がやさしそうで、女性的。盗人が入って亭主を呼んで、遠巻きに様子を伺う感じが、不安で、でも中の様子を見たいという心情を上手に表現。
亭主:古川さんは勇ましく登場したが、刀を持つと逆に力が弱くなってしまった感じ。
盗人:忠三郎さんは、鋸を使う仕草が、軽めで大げさにならず良いと思う。大きな音に自分の耳を塞いで、キョロキョロしつつ手を離す姿が、面白く、いかにも気が弱そう。
部屋の中を物色する時は淡々として、のんきに眺めていて、子供を見つけて、あやしてしまうのも、のんきでふんわりとした面白さだが、見つかって子供を盾にしても変化が少なく、亭主も迫力が無かったので、緊迫もせず、かと言って、可笑しい雰囲気にもならず、微妙。


『碇潜・船出之習』岡久広・森常好・寺井久八郎・林光壽・亀井忠雄・小寺佐七

静かなワキの『次第』。『地トリ』が趣深く、とても綺麗。安定した『道行』。(シテの登場前にハードル上がったなぁと思う。)

シテはさらりと『一セイ』、良い雰囲気だと思ったが、「中々の事召され候へ」とワキの方を向く姿に“若さ”が出てしまう。
ゆっくり座って経を聞く姿は神妙で、「こは渡りに船を〜」と、僧に対する物言いが敬いを含んだ様に変化していて良い。
船中での姿はやはり少し若い様な印象を受けるが(でもかっこいい!)、船を着ける仕草はゆったりと美しく、船を降りた僧を見つめる様子が物言いたげで、唯の老人では無い気配十分。

床几にかけての語りには、緊張感が有って、次第に前傾姿勢になるのは、話の中にのめり込む様で、臨場感が有る。
「判官これを見て」と体を起こし、ふと、力が抜けた様に見つめる姿に、諦めの様子が見えて、この変化は絶妙。
「太刀も刀も」と扇を腰に着け、掴んで引き寄せる仕草をするが、形式的。地謡は「沈みけり」から暗くなって、美しく、静かな『中入』。

アイの『語』の後、御座船の『作り物』を『大小前』に出す。(『切戸』から床几を出して中へ)

ワキの美しい『待謡』。
ツレ:二位尼「いかに大納言〜」としっとりとして、地謡も静かで伸びやか。
「松風の」で『引廻し』の後ろのみを外して、船全体を隠す様に左右に広げ、「苫取りて」で下ろすと、シテ・二位尼・大納言の3人が座っている。
しっかり目の地謡の『クリ』。
『サシ』「さるほどに」とツレ:尼は静かだが、張りが無さすぎてもう1歩。
地謡「新中納言〜」としっとりと悲しげで、美しい。
この後もシテ・大納言は動かず、尼が2箇所で『シオル』のと「さすが恐ろしと思しけるか」と言うのみで、地謡だけで十分に二位尼の覚悟を表現し、「二位殿歩み寄り」と少し力が入り過ぎな気もしたが、「波の底に」と戻って静まっていく変化が綺麗。
「にはかに」とツレ2人は立って『切戸』へ消え、シテは「虚空に」でさっと立って舟を出、常座で長刀を持つ。
さらりと華麗な長刀さばきを見せると、「波の上に」と急に緊迫した様子で、敵を見ている感じが良く出ている。
この後も力強く、碇を引き上げる重さも伝わり、「碇を戴き」とくるりと回り、中正で安座。綺麗に決まった。



『碇潜』はなんとなくタイミングが合わず、今回が初見。歌舞伎の『義経千本桜』は2、3回位見ているのに…。ずっと気になっていたので、今回は非常に楽しみだったし、とても面白かった。

パンフには後場で船の『作り物』とツレが出ることが主な相違点であると書かれてた。
又、現行観世流の演出は江戸後期以降のもので、改作が行われている様で、古い台本による、ツレ2人以外に子方(安徳帝)を出す方法でも上演されている。
金剛流では元々ツレが出るので、今回はその形に近いのかも…?
ツレのセリフが有るので、後半は詞章も違うのかと思ったのだが、誰が言うかが変わるだけで、殆ど変わっていませんでした。
明治29年発行の(増補版)謡曲通解を見ると、『舞働』の後のシテのセリフが違っていて(この本は基本的に観世流の謡本を元にしている)、明治以降の改定でも、変化しているのかも知れません。
以前に“碇”の『作り物』を持った姿の写真を見た様な気もするし、色々なバージョンが存在するのかも…取り合えず、小書なしと金剛流を見なければ。。



08年4月11日  銕仙会定期公演(宝生能楽堂)    (感想)

2008-05-06 05:48
『熊野・村雨留』浅見真州・谷本健吾・森常好・舘田善博・竹市学・成田達志・柿原弘和

ツレ『次第』は静かだが少々硬い。『道行』はのびやかで、「夢も数そふ」としっかりと良いが、「それそれ御申し候へ」と力が入りすぎ。
シテ「草木は」と静かで美しく「あら珍しや」と気が変わって自然な流れ。
「誰か渡り候」と気品が有って、家での顔から、外での顔に変わっている。
『文之段』は柔らかに美しい感じから次第に悲しげに変わり、「老いぬれば」と静かだがどっしりと重い。
地謡「そも此歌と」しっとりと美しく、シテはしっかり目に暇乞いをする。

ゆっくりと気が進まぬ様子で車に乗ると囃子がどっしりとして、「東路とても」と悲しげでたっぷりとした謡で一足出て、「なつかしや」で下がって『シオル』。
地謡『サシ』はさらりとして、シテ「山青くして」と静か。
『上歌』『下歌』は伸びやかで景色が広がる。
「老若男女」と『橋掛リ」の方まで見渡す姿は、人の流れを追う様でリアル。
地謡「げにや守の末すぐに」からしっかり目で、シテも静かだがしっかり目で、現実を見据える女のしたたかさと、孤独感を感じる。
その後次第にしっとりとして、「仏の御前に」で座り、手を合わせる姿は優美で、どっしりとした地謡は思いの深さを表す様。
『クセ』「清水寺の」とどっしりとと綺麗な謡。「仏ももとは」と少し軽くなって、「半は雲に」と再びどっしりとした謡で、ゆっくり立つと、「南を遥かに」と『角』からワキの方を見渡す。
「山の名の」と朗々として伸びやかな謡。座って「わらわ御酌に」とさらりとして、「深き情けを」としっかりした地謡で立つと、『シオリ』そのまま『橋掛リ』へ進み、手を下ろしつつ舞台に戻って舞に…。

柔らかな印象の舞は、静かな囃子で、散る桜と一体になったみたい。

「のうのう俄かに」と急に現実に引き戻された感じで、「降るは涙か〜」と綺麗な地謡の後、静かに座る。

短冊を出し、さらさらと書いてしばし見つめると、扇に短冊を載せ、囃子が急調になってサッと立ってワキに渡す。…見つめている“間”と囃子のタイミングが良い。

「あら嬉しや」と明るく、「これ観音の」としっかりとして、手を合わせると、「これまでなりや」とさらり。
「此のまま」で立って、「御いとま」と『橋掛リ』へ行って戻り、「明けゆく」で『雲の扇』をして晴れやかで一刻も早く帰りたいという思いに溢れた最後。

2連続の『熊野』だったが、大雑把に言うと、近藤乾之助さんは薄幸の佳人、どこか幼さが残る様な儚さだったが、浅見真州さんは色気の有る美人で、自分の立場を弁えている哀れな女という印象。どちらも素敵でした。


狂言『呼声』山本則直・山本則俊・山本泰太郎

主人:則俊さんは、初めは気難しげな主人という雰囲気だが、作り声で呼ぼうと、とても高い声を出したり、「今度は私が…」と実は唄いたくて仕方が無い様子が良い感じ。
太郎:則直さんは「まんまと平家節で留守を使った」とにんまり。
こちらも唄いたくて仕方が無い様子は、この人だからこの方法で呼び出したのだろう、と納得。


『野守・黒頭』清水寛二・村瀬提・山本則孝・松田弘之・森澤勇司・亀井実・観世元伯

ワキは力み気味の『次第』。『名ノリ』『道行』も慣れない感じ。
どっしり目のシテの『一セイ』。さらりと『下歌』『上歌』と続き、「何事を御尋ね候ぞ」と静か中に威厳が有って、ワキは完全に押されている。

地謡『上歌』「立ち寄れば」とさらりとして、「あるよと見えて〜」からとても美しい。
シテも「思ひ思はず」とゆっくり前に出て、舞台を廻ると座って『シオリ』…静かで少ない動きだが、美しく、不思議な老人の世界観を表現。

「思い寄らずの御事や」と言いつつも、考えを巡らす様子で、ワキの考えを見透かして、鏡を見せる事になるのを承知している様なさらりとした返答。
「鬼の持ちたる」とたっぷりとした地謡で塚に消える。

後シテはしっかりと綺麗な謡い出し、地謡もしっかりと纏まる。
「東方降三世〜」とどっしりとして、「天を映せば」と鏡を上に向けて座り、「非想非々想天」と鏡を見る姿は良いが、「さて」と立って下を映す様に鏡を下に向け、力強い足拍子をする時、上体の力が抜けて見える。
「浄玻璃の」と『ヒラク』姿は綺麗だが、「罪人の呵責」と足を上げる動きが、少しバタバタと忙しない気も…。
「さてこそ」とワキの方に力強く寄ると、威厳があるが、「すわや」と急になると一所懸命な雰囲気で、もう少し余裕が欲しい。

「奈落の」と両手を下に付く様にバサッと座ってトメたのは良かった。

黒頭で面も『黒?見』で黒く、普段とは雰囲気が違うが、面の表情が人間臭い気がして、不気味さあまり感じなかった。


公演を見てから1ヶ月近くたってしまい、正直記憶がかなり怪しくなってきた…やっぱり怠けてはいかん、と反省。



【情報】第35回「川崎大師薪能」
2008-05-06 02:58
 こんばんは。
 毎度、拾って来た情報についての書き込みで恐縮でございます。

  http://www.city.kawasaki.jp/event/info777/index.html

 失礼致しました。


※平成20年5月10日 追記
 【情報】@ 第22回「日光山 輪王寺 薪能」
        http://www.rinnoji.or.jp/gyouji/takigi/taki.html

     A 「柏ふれあい薪能」
        http://kashiwa.info/event/event_view.cgi?mode=detail&num=6307

     B 第83回 川崎市定期能 「ろうそく能 〜観世流梅若会〜」
        http://homepage2.nifty.com/k-bunkazaidan/teikinoh/index.htm



08年4月9日  近藤乾之助試演会(宝生能楽堂)    (感想)
2008-04-28 02:18
仕舞『鞍馬天狗』近藤颯一郎

出だしはしっかりとした地謡だったが、後半はもう少し。
「西海に」と扇を下ろしつつ、ふわっと飛んで座る姿が綺麗。「すがり給へば」で、下を見る姿は、強さの中にやさしい雰囲気が有って良い。


舞囃子『羽衣・バンシキ』今井泰男

「しかるに月宮殿の」と静かな始まり。
地謡も抑えて優雅。「三五夜中の」と『雲の扇』をすると、空と繋がる感じがして、「浦風に」と『はね扇』も美しい。
しかし全体に少し抑えすぎな印象。


仕舞『歌占・クセ』塩津哲生

「我ゆく」で『ヒラク』と気配が一変。
「萬生たり」とちょっと出るだけだが、とても強く感じる。
全体にゆったりだが、内に篭もる力がすごい。


仕舞『船弁慶・キリ』関根祥六

「そもそもこれは」と朗々として、どっしりと良い声。
「夕浪に」と長刀をゆったりと返すが、力強くて綺麗。
「又引く汐に」でくるりと回ると波に揺られるみたい。
地謡がやたらとドラマチックな雰囲気…少しやり過ぎかも…?


狂言『鱸包丁』山本東次郎・山本則重

甥の則重さんは、鯉を食べられてしまったという嘘を一生懸命に語る。
対する伯父の東次郎さんは、有りもしない鱸をどう料理するかを詳細に語り、身振り手振りを交えて見事に表現。茶や酒を出すくだりなど、楽しそう。
大げさに酔った真似をして、急に「飲うだ食うだと思って、とっととお行きゃれ」と突き放す。
この甥にして、この伯父有り…という事なのだけれど、東次郎さんのご馳走話があまりにも上手すぎて、甥がかわいそうな気も…。


『熊野・膝行・三段之舞』近藤乾之助・水上輝和・宝生閑・大日方寛・一噌庸二・大倉源次郎・亀井広忠

袴能だった。袴能は気になっていたが、縁がなくてちゃんと見たのは今回が初。シテが装束を着けていない姿より、ワキが装束を着けていない事の方が違和感が有る。…シテは仕舞などで紋付姿を見慣れているからだろう…。

ツレ『次第』は静で、『サシ』から優しげ。『道行』はしっとり目で控え目な雰囲気。
シテが『三ノ松』に現れると、気品か漂い気配が全然違う!
ツレ「これに御文の」と文をシテの所まで持って行く姿が女性的で綺麗。
シテ「あら笑止や」と文を見、下ろす動きががショックを受けたように力が抜けた様に見える。
『文の段』は悲しげで静か。地謡も抑えて重く、美しい。「今はかやうに」と弱々しく消えてしまいそうな声に対し、ワキはしっかりと供を命じていて、聞く耳持たぬ感じが哀れを誘う。

『作り物』の車が出ると、いつもと同じ物なのに、華やかに見える。
静かに車に乗ると、「東地とても」で少し前に出て『シオリ』。
地謡『サシ』は静かでゆったり。『下歌』は静かだが朗々として『上歌』はさらり。「雲かと見えて」と『角』を向いてゆっくり戻る姿が寂しげで「観音も同座あり」とかなり抑えているが、品が有って、地謡のさらりとした謡いとの差が儚さを増す感じ。
「さらば参らうずる」と言うものの、ゆっくり立つ姿は気の進まない気配。
「あら面白の」と『角』を向くのは少し明るく、花に救われた気分。
座ると、『サシ』「花前に」と陶然と静かで、心ここに有らずな感じ。「鷲の」で立つと、「立ち出でて」と『脇正』の方まで見渡し、「南を遥かに」と扇を広げて、『橋掛リ』の方を向いて扇を上げ、ゆったり下ろす姿が綺麗。
「わらわ御酌に」としっかり目。
立って扇を閉じ、『常座』へ。

さて、舞に入るのだが、ゆったりとした所作の後、『脇正』で『シオリ』、そのまま崩れる様に座り込む!
この姿のなんと儚く可憐なことか!!(装束も着けていないのに)。
立つとワキの方へ少し強い感じで出て、『正先』を向いて重い『足拍子』…苛立つ様な、抵抗出来ないやるせなさ。
この後の、舞は憂いを含む美しさ。
『イロエ』の中での短冊に歌を書く場面では、上の句を書くと、短冊を見つめ、再び筆に見たてた扇に墨を付ける仕草をして、下の句を書く…とても優雅。
扇を広げて短冊を乗せ、ワキに向かって膝行して渡す。(小書:膝行)

「あら嬉しや」から明るく、「これ観音の」と手を合わせる姿もさっぱりとして、「またも御意の」とワキに礼をして立つと、すぐに『橋掛リ』に向かい、見渡す姿も晴れやかで、品を失うことなく、内から溢れる喜びを垣間見せて、静かな留拍子。

装束を着けずとも、美しい熊野でした。


この2日後、銕仙会定期公演で『熊野』を見ている。これまた雰囲気が違って面白かった。感想はなるべく早く書こうと思っているが、最近忙しくて…。




08年4月6日  春の別会(観世能楽堂)    (感想)
2008-04-18 03:00
所用有って、遅刻。
一曲目の『賀茂』は見られず(残念)、狂言の途中から拝見する。
感想はきちんと見た部分から…。


『求塚』坂井音重・清水義也・大松洋一・工藤和哉・山本則孝・寺井久八郎・鵜澤洋太郎・國川純・助川治

シテ・ツレ『一セイ』はしっとりと始まり、「木の芽も」と少し明るくなって、『サシ』「深山に〜」から再びしっとりと美しい。
『下歌』「若菜摘む」と静に深く、『上歌』「道なしとても」とスラリと明るく「嵐吹く」でゆったりと舞台に入る。
「まづまづ生田の」と静で、「少き草の」とツレと良く合っていて綺麗な謡。
地謡『上歌』「旅人の」とさらりとして、「生田の」とたっぷり目。
「なうなうこれこそ」と、どっしりとして、「さらば語って」と静だが重く、只ならぬ気配。
塚の右前に座り、静かに語る。語りは暗く、悲しげで複雑な心中を良く表している。
「無残やな」から重く淡々として「名のみなりけり」と悲しみに深く沈む様。
地謡は「これを」と静に受け、「さし違へて」の“さし”をはっきりと強く謡い、シテはゆったりと下がって左手を胸に当てる姿が綺麗。
地謡のメリハリと、シテの陶然とした動きのバランスが最高。

静かで品の有る『待謡』の後、静かな『出端』。
「おう広野」と、どっしりとした『サシ』、静かな『一セイ』、しっかり目に始まり、「何時まで草の」とゆったりと深まる美しい『上歌』と続き、『引廻し』が下りてシテが姿を現す。
「有難や」と静だがしっかり。「恐ろしや」とはっきりとして「なに小竹田」と恐れる様。
「また恐ろしや」とはっきり謡うと、「頭をつつき」と頭を抱える様に手を上げ、「ずいを食ふ」と震える様な声でリアルな恐怖。
「あつや」と身を庇う様に座る姿や、作り物を出て、「足上頭下と」と扇を上げてから、膝を指す様にする姿も真に迫って美しい。
「隙かと思えば」で広げた扇の模様が、草と赤い三日月(地は青色)と不安な印象で、静かな不気味さが増す。
「時間と」からの、ゆったりとした動きは、彷徨う様で、塚に戻り「亡者の形は」と、『シオリ』つつ座ると闇に消える様で、抑えた地謡とも合って、とても良かった。


仕舞『実盛・キリ』観世恭秀

地謡が少々荒い感じがする。
シテは型が丁寧過ぎる感じがして、流れに乗れず、1つ1つの型の連続を見ている気分。力強くてよい部分も有るが、全体にもう一歩。


仕舞『羽衣・クセ』野村四郎

「春がすみ」とどっしりとして、地謡も静でしっとりと綺麗。
ゆっくり舞台を廻ると明るく柔らかな印象。「君が代」とたっぷりと謡うと地謡はゆったりと爽やか。


仕舞『隅田川』角寛次朗

「我もまた」とはっきりと綺麗だが、「有りや無しやと」で正先に出て遠くを見ても距離感が感じられない。
中正で「来居つつ鳴くは」と角の方を見る姿は良い感じ。
「思えば限りなく」と正面を向いた姿は感慨深く美しい。


仕舞『歌占』山階彌右衛門

はじめは少々力みぎみ。
大きく思い切った所は良いが、最後にふっと力が抜けてしまう様な気がした部分も有り、もう少し。


『恋重荷』観世清和・観世芳伸・宝生欣哉・山本則直・松田弘之・観世新九郎・亀井忠雄

ワキはしっかりと『名ノリ』、「いかに誰かある」と威厳を持って言うが、アイがどっしりとした受け答えで、アイの方が偉そう…。

シテは登場すると、ゆっくりと常座に座る、その姿が老人らしい。
「さようの事をば〜」とさらり。
「百度、千度」と強く思いが籠もる感じで、「さらばその荷を」と静かだが、やる気満々。
「誰踏み初めて」と朗々として、続く地謡も静かで、澄んだ笛の音が悲しみを予見させる。
「恋の」と荷を持つ部分も良く、左手を離すことなく、荷を見つめている姿が哀れ。
「我が手枕の」と荷に取り付き、再び持とうとするが、上がらず、力なく下がって座り込んで『両シオリ』…荷の重さと思いの深さが伝わる。
「よしや恋ひ死なん」としっとりとして、荷を見つめながら立ち上がると、「思い知らせ」と激しい地謡が決意を表す様子で、しっかりとした足取りで『中入』。

ワキはさらりと状況説明をすると、ツレは「恋よ恋」としっとり。

後シテは『一ノ松』まで出ると、杖を突き、「吉野川」としっかりしつつさらり。
「一念無量の」としっかりと謡い、常座へ。杖を突く姿に静かな迫力が有る。
初め静かな苦しみが次第に複雑な感情に変化する様な感じで、舞台を廻る。
「思いなり」と『シオル』と、ゆっくりと手を下ろし、「あさましの身や」と『胸杖』をして杖にすがる様に座り込み、『面をキル』様子が悲しくも不気味。
「影を守らんや」と杖を捨てるが、複雑な心中を隠している様で、恨みを捨てて、守る側になるという事自体が未練の様な印象を受けた。
『恋重荷』はあまり好きな曲では無かったが、今回は面白かった。



08年4月3日  靖国神社夜桜能第二夜    (感想)
2008-04-13 03:41
舞囃子『八島』梅若晋矢・松田弘之・大倉源次郎・大倉慶乃助

「智者は惑わず」から力強く、動きに勢いが有ってカッコイイ!
「又修羅道の」でかまえた姿が力強く、地謡もしっかり。
『翔』で舞台を廻る動きに緩急が有り、正面を差してすっと出る姿が綺麗。
「今日の」としっかりとして「壇の浦の」とどっしり、地謡は「その船軍」とさらりとして、シテの動きもサラサラと流れる様だが、力が抜けることなく、しっかりして良い感じ。
「浮き沈むと」で後ろを向いて膝を付き、前を向いて膝を付くが、流れに乗りすぎてダンスみたい…惜しい。


狂言『樋の酒』野村萬・野村扇丞・野村万蔵

扇丞さんは主人らしくしようと、ゆっくり目に話すが、いまいち主人らしさが出ない。
次郎:万蔵さんは「いこう寂しゅうなった」とつぶやく雰囲気が良い。
太郎:萬さんは、向こうから酒蔵(舞台)を、寂しそうに見ていて、次郎に樋を渡されて心底嬉しそう。
樋を使って酒を飲む様子も上手く、のんきな太郎を好演。



『巻絹』梅若六郎・川口晃平・宝生閑・小笠原匡・松田弘之・大倉源次郎・大倉慶乃助・金春國和

ワキは静に『名ノリ』。
ツレの『次第』はしっかりで、『サシ』「都の手ぶり」はもう少し軽くても良いかも…。
「いづくに候らん」と見回す感じが良いが、手を合わせる部分は少し大げさ。「神に祈りの」と静で綺麗な謡。
アイは、はっきりとした話し方で、力が入っているのか、怒っているみたい。「都より巻絹を」と『正中』は巻絹を捧げる様に持って座るのは恭しくて良い感じ。

シテは『二ノ松』に出て「のうのう」と静にどっしりと『呼掛ケ』。
…は良いのだが、装束が!

通常、緋大口、白の水衣、腰帯、木綿襷、幣を持っている巫女姿。
今回も巫女姿に変わりは無いが、緋長袴、単狩衣を衣紋に着ける(…だと思う。丸紋だったし、胸紐が無いから長絹では無いと思うが、長絹の方が普通…良く見るべきだった)、木綿襷の変わりに朱の紐を輪にして首に下げ、枝に短冊がついた物を持って登場。小書・替装束に近い格好だけど長袴の『巻絹』は初めて。

「その縄解けと」と、枝で差すと威厳が有って「解けや手櫛の」とたっぷりとして、地謡も綺麗。
「今は憚り申すに」とさらりで、「心も染みて」と豊で、「音無に」とどっしりとして「匂わざりせば」とさらりと優雅。
『クセ』「これによって」と静で、「自性の月」と右を向く姿が美しい。「されば天竺の」と気品が有って、ゆったりとした動きは、柔らかで女性的だが、「拝むなり」と手を合わせ、袖を返す部分は立派過ぎ。
枝を横にして持ち、『正先』に出て「謹上再拝」と厳か。
地謡「不思議や祝詞」と良いテンポだが、少々乱れぎみ。「恐ろしけれ」とぐっと静まる。『イロエ』はゆったりと明る目で、長袴の裾をさり気なく捌くのはさすが。
「證城殿」と伸びやかで、威厳が有り、「十悪を」とさらりとして「二世を助く」で『橋掛リ』へ。
「三世の覚母」と『二ノ松』で正面を向き、「満山護法」と『ヒラキ』、枝を回して「「数々の」と右を向いて枝で差す様にしつつ、左を向き、「つくも髪の」と『一ノ松』へ。
「翔り翔りて」と下向きかげんで足拍子。「これまでなりや」と枝を舞台へ投げ、左袖を被き、「言ひ捨つる」と座り、「声のうちより」と立って、幕の方に向かい、「覚めて」とくるりと回って正面向き。「又」と『ヒラキ』「なりたる」で左袖を返し、『右ウケ』て『留拍子』。
こう書くと、たくさん動いて大変そうだが、澱みなく綺麗なのはすごい。

しかし、装束のせいか普段より、位が重く感じられ、能楽堂で見たらかなり良さそうだけれど、外での上演にしては渋い感じがした。

桜が満開で最高の環境。風が吹くと一面の花吹雪。こんな光景見てしまうと、また来年も行こうと思ってしまう。(最近人気が有るのか、良い席が取れなくて、もう行くのやめようかと思っていたが…。)



08年3月28日  特別企画公演(国立能楽堂)    (感想)
2008-04-08 03:46
狂言『柿山伏』茂山あきら・丸石やすし

山伏、あきらさんは始めしっかりとし印象だが、「飛ぶ鳥も〜」と空を指して落ちる仕草がバタバタとしている。
「礫を打って」と下から木を見上げる様子は距離感が有って良く、払い落とそうとして「短こうて届こうない」とつぶやく感じがどこか抜けた様子で面白い。
柿を食べる姿は、あまり美味しそうでは無いが、色々な物まねをさせられて、嫌そうな表情は上手い。


『鵜飼・空之働』観世清和・森常好・舘田善博・茂山七五三・一噌仙幸・曽和正博・柿原祟志・金春國和

ワキはさらり目だが、しっかりと『名ノリ』。
「日をたけて超ゆる」とたっぷりとして貫禄が有り、里人との会話も「方々にかるまでもなく候」「法力をもって〜」と静で、とっくに里人の事など当てにしていない様子。

シテはゆったりと『一ノ松』に出ると、「鵜舟にともす〜」と、どっしりと声だが、テンポはさらり。
「げにや世の中の」とさらっと普通のつぶやきの様で、『上歌』『下歌』が無いので(小書が有るため)余計にさっぱりとして、少し物足りない。「仰せ尤もにて〜」とどっしりとして、憤りを含む様に複雑。
「止まつつべうもなく候」と悲しげ。
ワキツレはさらりと自然な感じで、思い出した事を語る。
「そもそもこの」としっかりとした語り出し、「それをば夢にも」と少し強くなり、「忍び上がって鵜を使う」とどっしり。
「一殺多生の」と激しく、「その時左右の」と少し静まってゆっくりと手を合わせる。悲しげで、淡々とした語りが続き、「ふしづけに」と重く、ゆっくり手を下ろす様子は空しく、寂しげ。
「その鵜使いの亡者にて候」と冷静で、現在に戻った感じ。
「すでにこの夜も」と、どっしりとして、「いざ業力の」と、罪を負う覚悟の様な重さだが、「驚く魚を」と『一ノ松』へ行って、掬う仕草をしたり、「後の世も」で回り、「忘れ果てて」と扇を上げて下ろす…鵜を使ううちに魚を取る事に夢中になっていく。
幕の方に進み、「月になりぬる」と、空を見ながら松明と扇を落とし、「悲しさよ」と『シオル』姿が美しい。
「鵜舟の篝火」と抑えた綺麗な地謡。
ゆっくりと『一ノ松』の方に進んでから「名残惜しさを(1回目)」で幕の方を向いて進み、『中入』。

(これは小書『真如之月』と同じパターンで、すうっと消えてしまう雰囲気に。『アイ』が省略され、ワキのセリフが少し増える。)

ワキ・ワキツレは『正先』寄りに出て座り「川瀬の」とどっしり。
扇を置いて、数珠を手にかけ、手を合わせる。「波間に沈め弔はば」とゆったりとして「浮かまざるべき」と言い終るとゆっくりとワキ座に下がる。

『早笛』が入りシテは一気に『一ノ松』まで出ると「それ地獄」と威厳たっぷり。
「されば鉄札」で扇を筆に見立てて、立てて持ったり、「実相の風」と左袖を返しつつ『正先』に出るなど、通常とほぼと同じ型。
「出でぬらん」で『ヒラキ』、静かな緊張感が高まる。
ゆっくりと舞台を廻り、『大小前』でくるくると回って、両袖を返し、『飛び安座』(空ノ働)。
地謡「ありがたや」としっかりと勢い良く、シテは「法華は」とどっしり。
「三つもなく」とたっぷりとして「この経の力」とワキをちょっと見て、「僧会を」とまたワキを見る。顔のみを動かすだけだが、動きが少ない分重みが増して、説得力が有る。
「仏果菩提に」で立つと「げに往来の」と『橋掛リ』に向かい、そのままゆっくりと幕入。
地謡は一音一音をしっかりとして格調高い。



この日は始めに高野山の“声明”が有り、『唄(ばい)』『散華(さんげ)』『対揚(たいよう)』という三曲だった。

『唄』を引く時(『唄』では唱える事を引くという)、扇子に幣を付けてある様な物を持っているが、一旦前に置き、懐中の経を出すと一句目を引き、その後、右側に縦に置いて置いて、再び引く時は手にもって膝前に突いている…地謡みたい!

『散華』は見た目にも華やかだし、唱え方も綺麗でいかにも“声明”。

『対揚』を聞いていて(字幕を見ていて)何と無く経の文句が飛んでいる気がして、急いでメモを取ったのに、実はパンフレットに省略した所も載っていた…。。
『唄』は省略の部分を()で表示していたのに『対揚』では表示していなかったのは、長いから…?(以下略)でもいいから書いてくれ〜。。
パンフレットを先に買わないのがいけないのか…。

ところで『鵜飼』に出てくるのは法華経。
ワキ僧も名乗らないけれど、日蓮を意識しているのは明白(石に経を書くのは、日蓮の行った川施餓鬼だろう。…鵜飼山遠妙寺に日蓮が書いたという石が伝わっている)。
なぜ真言声明を組み合わせたのか…謎だ。謡には近い感じがするし、個人的に真言声明は好きだから良いけれど。。



08年3月28日 無形文化遺産部所蔵SPレコード公開鑑賞会  (感想)
2008-04-07 04:26
東京文化財研究所でSPレコードの鑑賞会が行われた。

主催は高桑いづみさん、レコードについての解説に荒木亮さん。

レコードと言えば、ノイズだれけの音というイメージだったが、それはアンプに問題が有って、LPレコードとSPレコードでは補正すべき音の方向が反対なのだとか。その為、ノイズばかりが大きくなってしまうらしい。今回はアムトランス社のアンプを使って、正しい補正をかけ、かなりの良音で聞くことが出来た。…ざらついた音は有るが、それ以上に、謡の音はすぐ傍で聞いている様で、息使いまでわかる音質。

聞いた順に列挙すると、
*宝生九郎知栄『胡蝶』(囃子入)「春夏秋冬の花もつきて〜」
*観世清廉『松風(独吟)「運ぶは遠き陸奥の〜」
*梅若萬三郎『弱法師』(囃子入)「さて難波の浦の〜」
*宝生九郎知栄『松虫』『船弁慶』(囃子入)「おもしろや千草にすだく〜」・「一門の月卿雲霞のごとく〜」
*松本長『綾鼓』(独吟)「おどろけとてや東雲の〜」
*野口兼資『船弁慶』(囃子入)「一門の月卿雲霞のごとく〜」
*宝生新『羅生門』(独吟)「いかに面々〜」
*野村萬斎『七つ子』『暁』「七つになる子が〜」・「暁の明星は〜」
*山脇和泉元照『柿山伏』
*喜多六平太能心『鞍馬天狗』(独吟)「あらいたわしや〜」
*金子亀五郎『駒之段』(独吟)「嵯峨野の方は秋の空〜」
*粟谷益二郎『綱之段』(独吟)「あたら桜の〜」
*桜間金太郎(弓川)『鞍馬天狗』『加茂』『鉢木』(小謡)「花咲かば告げんと言いし〜」・「石川やせみの小川の〜」・「さて松はさしもげに〜」
*観世銕之丞華雪『忠霊』(囃子入)「大神に告げんと言いし〜」
*一噌又六郎・幸悟朗・川崎利吉・金春惣右衛門『獅子』(素囃子)

全体に朗々とした自由な雰囲気で、その人が聞かせたい部分を聞かせようとしている感じ。
知識が無いので断言出来ないが、音の延ばし方や、テンポで、現代の謡と違う部分が有り、当時の謡本を見ながら聞きたいと思った。(SPレコードは片面3分程度しか入らないので、時間の都合で早めに謡っている事も有るので、更に分からないが…。)
しかし謡本の変化だけでなく、それよりも個人差が大きく個性的に謡っていた様で、宝生九郎知栄の弟子、松本長、野口兼資と宝生の謡を続けて聞いたが、全然違う謡い方。
しかし、野口兼資『船弁慶』には助吟で松本長が謡っているのだが、個性的な2人なのに良い意味で対峙している感じで、妙に合っている。

宝生新さんは美声で有名だが、聞いたのは初めて。どちらかと言えばシテの様な声で、こんな美声で謡われたら、下手なシテは出られない。。

観世銕之丞華雪『忠霊』は戦時中の戦争賛美の謡。…珍しいけれど、他の曲が聞きたかった。

その他のものも、特徴的で非常に面白い企画だった。
謡いについてもう少し知識が有ればなぁとつくづく思う。。

終了後、国立能楽堂へ…こちらの感想は、項目を改めて明日にでも書込む予定。



08年3月23日  春の別会第1日(宝生能楽堂)   (感想)
2008-04-04 23:13
『鶴亀・曲入』近藤乾之助・近藤颯一郎・佐野幹・工藤和哉・梅村昌功・野口能弘・山本則重・中谷明・幸正昭・内田輝幸・金春惣右衛門

シテはゆったりと登場。「それ青陽は」とさらりだが、威厳が有る。
静かで優美な『上歌』の後、『クリ』『クセ(舞クセ)』が入る。(小書:曲入)
『クリ』「それ天は〜」としっとり目で、シテ「しかるに千年丹頂の」とどっしり。
「昔も今も」で『作り物』から出ると、「幾十返りの」とゆったりと『サシ』『ヒラキ』。
「かかる住家も」とたっぷり。「帰るさも」で『作り物』に戻って床几にかけ、「心かな」と威厳たっぷりで、ワキが控える姿が自然に見える。

(ここから普通に戻り、ワキ「いかに奏聞」と続く)

子方2人の舞は荒削りだがしっかりとした印象で、きっちり揃っていた。

シテはゆったりと『作り物』から出ると、「舞楽の秘曲は」と『ヒラク』と、気配はぐっと静まって厳か。
ゆっくりと舞台を廻り、正中で団扇で指すように角→中正を見渡す姿に皇帝の貫禄が有る。
「冬は冴えゆく」と角に出て、ゆったりと左袖を返し、舞台を廻る。
この後は最後まで柔らかで高貴な感じ。


狂言『二人袴』山本東次郎・山本則直・山本則重・山本則秀

則秀さんの聟は「恥ずかしゅうて嫌でござる」とさりげなく子供っぽい雰囲気で、しっかりと人物像を掴んでいる。
その親役の東次郎さんは、子供の我儘に呆れながらも、仕方ないなぁ…というやさしい感じ。
「ただ今、身拵えをしているとおしゃれ」と繰返す場面も、微妙に変化して上手い。
2枚になった袴を前に当てて、舅の家に入った場面で、東次郎さんは座ったり、左右に少し動いたりするたびに、さりげなく裾を整えていて、本気で隠そうという感じが良く表現されていた。


仕舞『八島』登坂武雄

「なに能登の」と出る姿は慌てている様に見える。
「兜の星の」で扇を前に出し見る姿はカッコイイが、歩くと肩が左右に大きく揺れてしまいいまいち。


仕舞『藤キリ』佐野由於

「かかれる松」としっとりとしたシテ。地謡も「あるいは花の」としっとり。正先でゆっくりと中正の方を見渡す姿が綺麗。
「うちちらし」の『まねき扇』はもう少しだが、その後ゆったりと優美。


仕舞『昭君』東川光夫

地謡は始めどっしりと良いが、後半は普通。
シテの動きはゆったりとした所は綺麗だが、「鬼とは見れども」で飛んだりするなどの早い部分はもう一歩。


『西行桜』今井泰男・宝生閑・森常好・森常太郎・平木豊男・大日方寛・山本則直・藤田朝太郎・曽和正博・佃良勝・助川治

しっかりとしたアイの『フレ』。
ワキツレは颯爽とした『次第』でさらりと『名ノリ』。『上歌』でゆったりとして長閑な春の景色。
ワキ『サシ』「それ春の花は」とゆったりと美しく、“ご機嫌”と言われるのに相応しい。
しっとりとした『上歌』、「あたら桜の陰暮れて」と押さえた感じで、『引廻し』が下ろされると、更に静まって幻の世界へ誘う。

シテは「埋木の」と、どっしりと静かに謡い、ワキとの掛け合いも確かな雰囲気だが、静かで清浄な感じ。
『クセ』の地謡はやや単調な印象で、シテも「四天王寺の栄華も」と舞台をゆっくり廻るのがトボトボと歩く様でいまいち。
「憂き世を」で扇を上げると格調高く、「ここはまた嵐山」と中正の方を向くと空間が広がる。
角に行って「滝つ波までも」で扇を上から下ろす姿が綺麗。
『序ノ舞』は静か過ぎて、立派な桜の古木のゴツゴツとした肌や、一部が朽ちても生きる様な強さを感じるが、花が見えない。
「花の陰より」と静かで、地謡「鐘を待たぬ」とさらり。
「待てしばし」でシテが、ワキの方を向いてした『招き扇』が美しい。「同じく惜しむ」と右へ回り、「少年の」と常座でくるりと回って「春の」と左袖を返すと、そのまま中正の方を向いて『雲の扇』。(ゆっくりと、しかし確実に昇る朝日の様)
「翁さびて(1回目)」と袖を戻し、少し下がって留拍子。


仕舞『玉之段』三川淳雄

「一つの利剣を」と扇を見ると、剣に見立てた扇に重さを感じる。
「真下を見れども」と下を見る型は急な感じで、不自然な気もしたが、「宮中を見れば」や「あの波の」と遠くを見る姿が良い。
「玉は知らず」としっとりとした地謡で、ゆっくり回ると浮かび上がる様な感じ。


仕舞『雲林院クセ』佐野萌

シテのゆったりと静かな出だし。
地謡も受けてゆったりと品が有って優雅。
「忍び出づるや」と正先に出たり、「落つるは涙かと」と『シオル』姿が美しい。


仕舞『籠太鼓』亀井保雄

地謡「鼓の声も」としっかり。
シテ「六つの鼓」で左右と出るが、型を追っている感じがして、後半の動きも少しさっぱりし過ぎな印象。


『道成寺』小林晋也・殿田謙吉・高井松男・平木豊男・山本則俊・山本則秀・一噌幸弘・住駒充彦・大倉源次郎・金春國和

ワキのどっしりとした『名ノリ』。
アイもどっしりと受け答えをして『フレ』を言う。
シテは重い『次第』で一音一音区切る様。『地取』はしっとりと綺麗。『上歌』「月は程なく」とたっぷりしようとしたのはだろうが、途中で声がかすれてしまい残念。
『物着アシライ』の大鼓が良い感じ。
「嬉しや」と勢いが良いが、少々力み過ぎで、「花のほかには」と静まるものの、息が上がっていて苦しそう。
このペースで大丈夫かと不安になるが、『乱拍子』は小鼓が良い事も有り、まずまず。
「道成の卿」といっぱいいっぱいな感じだが、「道成寺とは」としっかりとして、『急ノ舞』の中で、鐘を見上げたのが、印象深い。
地謡「入相の鐘に」と激しくどっしりとして「人々眠れば」で見回すのも良い感じ。
脇正に行って手を挙げ、くるくると回りつつ、ワキの方へ烏帽子を飛ばし、鐘の下へ。

ワキは「これにつき」とどっしりと問答すると「昔この所に」とゆったりと語り出す。メリハリを付けてしっかりと聞かせると、「なんぼう」と叫ぶ様に激しく言って、両手を打ち合わせる。
さらりと自信有りげな祈り。

地謡「すはすは動くぞ」で鐘を少し上げて戻し(普通、揺れる程度に僅かに上げるが、シテが微かに見える位に上げていた様な気がする)、「引き上げたり」と鐘が上がる。
シテは「あらわれたり」と安座してじっとしている。…やや下向きな姿がかえって怖い。
打杖を取り、立つとゆっくり衣を巻き、その衣を落として、幕の前まで進むのもやはり少し下を向いて、内に篭る感じが良い。
顔を上げ、ワキを打ち払いながら『シテ柱』に絡むが、弱い印象(ここがしっかりしていたら前との対比でかなり良いと思うのに)。
柱を離れてからは力強く、舞台を『サシ』て入り、鐘を見上げて祈り伏せられる。
「たちまちに」と顔を上げ、常座に座り、杖を振り上げて立ち、幕に駆け込んでいくラストも纏まっていた。



08年3月11日  坂井同門会(観世能楽堂)    (感想)
2008-03-23 03:25
連吟『弱法師』中家実

シテはゆったり目の謡出し。
地謡「月落ちかかる」としっとり綺麗だが、「眺めしは〜」は少し纏まりが無い。「さて難波の浦の」と静かで広がりが有り、美しく「盲目の悲しさは」と強くなって苛立つ様な行き場の無い悲しみを表し、「今よりは更に狂わじ」とどっしりと深い。
シテがゆっくり目だった為か、多分“ためた”のだろうと思う部分で、後ろから教えかかった所が数箇所。…そんなに不安だったの?


『東北』坂井音隆・森常好・(ワキツレ2人)・山本則孝・松田弘之・鵜澤洋太郎・國川純

やや硬い感じのワキ『次第』「山又山の」と綺麗で「これなる梅を」と正先の方を向くと、その視線の先に梅が有る様。
シテは幕内からゆったりと静かな『呼掛ケ』。
「いやさやうは」とさらりとして「かほどに妙なる」と少し重く変化して良いが、「なかなかの事」はしっかりしすぎ。
『上歌』は出だし、さっぱりとして「古き軒端の」(2回目)からしっとりと美しい。
「世に聞こえたる」と『ツメ』て下がり、「和泉式部の」とワキの方を向く姿が綺麗。
「露の世なれども」とたっぷりするが、力が入っている感じがする。
地謡「そもこの花に」と静か。

『待謡』はさらりと朗らかで、ゆったりと静まるものの、やや息が合っていない感じ。
シテ「あら有難の」と朗々と別人の様に綺麗な謡なのだが、「門の外」からしっかりしすぎる気がする。
ワキ「げにげにこの歌は」と静謐な謡。
「かかるが故に」と柔らかになるが、この後の動きは女性らしくない。
「見佛聞法の」とゆったりと優美な謡で、「大夏三伏の」と正先に出たり、「池水に映る」と下を見る姿がとても美しい。
ゆっくりと舞台を廻り、舞になるが、陶然とした感じで、綺麗では有るが、単調ぎみ。
舞の後の謡は初め明らかで、さらりとしてから、しっとりと変化して良いが、シテの動きは人形の様に意識が感じられず、美しくても面白みが薄い。


狂言『土筆』山本東次郎・山本則直

則直さんは実直そうで、真面目に聞いているのに、変な事を言われて大笑いする感じが自然。
東次郎さんはさらりと一人ごちて、誘いに行く様子や「野遊びをいたしましょう」とさり気なく楽しそう。
「遠山に」「夥しい土筆が〜」とそれぞれを見る感じも上手く、何気ない部分でもさすが!と思う。


仕舞『笹之段』坂井音重

「げにや世の中の」とたっぷりとした謡い出し。
「何処をさして」と手を重ねて引く姿が美しく、「引けや引けや」としっかりした謡。
「また眉根黒き」としっかり目だが、「うつし心か」と地謡はサラリとして「憂かれと人は」としっとりと綺麗な声。
「添ひもせで」で一足下がったり、「肩にかけ」と扇を肩に掛ける動きが優美。最後はぐっと静まって、悲しげ。


『葵上』坂井音晴・津村聡子・村瀬提・山本則重・寺井宏明・森澤勇司・柿原光博・助川治

ツレの津村さんが女性なので、本物の巫女の様。もちろんそれでも違和感ナシ。
シテは『一ノ松』に出ると「三つの車に」とさらり。「夕顔の」としっとりと良い謡だが、『シオル』型はもう一歩。
『サシ』「およそ〜」さらりと綺麗だが、『上歌』「月を眺め」(2回目)がはっきりしすぎる気がする。
「梓の弓の音は何処ぞ」と右を向いて戻る姿が寂しげで、「浮かれ初めつらん」と『シオル』姿が綺麗。
「これは六條の〜」から気品が有って儚げ。
地謡『下歌』「思ひ知らずや」とどっしりと入り、『上歌』「我人の為」とたっぷりとして、「何を嘆くぞ」と激しく変化して良い。
「恨みは更に」とゆっくりと『シオル』姿は綺麗で、「叶ひ候まじ」と腰を浮かし、「いや如何に言ふとも」と袖を握ってツレを差すと、次第に心が昂ぶる様子で「今の恨みは」は迫力が有る。
「光君とぞ」と角で少し正面の方を向いた姿が恨めし気で「うち乗せ隠れ」で唐織を被くまでのメリハリが良い。
ワキがしっかりとした感じで加持し、「払いし篠懸に」でシテはワキを見る様に少し顔を上げてから座り、祈られて再び少し顔を上げる姿が不気味。
打杖で祓う様に振る仕草は形式的だが、『橋掛リ』に向う姿や、ワキと睨み合う姿に迫力が有る。
「いかに行者」と杖を下向に突いて睨みを効かせる姿がカッコイイ!
この後しっかりとワキに対峙し「これまでぞ」と静まって『キリ』はさっぱりとして良かった。



第九回 いけだ薪能
2008-03-20 09:48
管理人様。
突然の書き込み失礼致します。
イベントの告知をさせて下さい。

第九回 いけだ薪能

【日時】5月17日(土)
    開場 午後5時30分
    開演 午後6時
【場所】池田城跡公園 特設ステージ
【料金】一般   3,000
    学生   1,000  ※当日500円増
    小中学生 500    ※全席自由席
 尚、ローソンでもお買い求め頂けます。(Lコード59705)

【番組】
 
 半能   吉野夫人
  −火入れ式ー
 狂言   佛師
 仕舞
 能楽   土蜘蛛



公演情報
2008-03-17 00:20
日本的身体操作を解読する。
   〜創作ダンス公演「天の岩戸」〜

神話の天の岩戸開きを題材に、 能楽師(アマテラス)、武術家(スサノオ)、ベリーダンサー(ウズメ)がステージ上でぶつかります。

音楽は、一線で活躍する地謡・囃子方に、
伝統芸能とのコラボレーション経験も豊富な
パーカッショニストとヴァイオリニストが絡んでくる興奮の生演奏。

日本人ならではの身体表現、
古くて最も新しい「天の岩戸」を体験してください。


日時:平成20年5月2日(金) 18時30分開演(18時開場)
場所:新宿・四谷区民ホール(新宿御苑前駅徒歩5分)
料金:前売4500円 当日4900円(全席指定)
      席に限りがありますので、お早めにご予約ください。

【出 演 者】
  アマテラス 能役者:観世流シテ方 梅若基徳 http://www.umewaka.info/
  スサノオ  武術家:心道主宰 河野智聖   http://shindow.info/
  ウズメ ベリーダンサー:海老原美代子    http://www.bellydance.jp/

  パーカッション 和田 啓   http://www.beravo.com/
          立岩潤三   http://members.jcom.home.ne.jp/tanc/
  ヴァイオリン  喜多直毅   http://www.naokikita.net/

  地謡、囃子方 ほか


 構成・演出:丸尾 拓(G-フォレスタ)  http://g-foresta.com/maruo.html


【チケットお申し込み】
  メール予約:iwato@shindow.info
  イープラス:http://eplus.jp/
  チケットぴあ:0570-02-9999(Pコード 384-767)

約650年の歴史の中で磨き上げられ、
つちかわれてきた美しい「能」の動き。

日本人の身体能力を極限まで追求した古武術を学び、
その潜在能力を引き出す力を持つ武術家。

両者がステージで見せる真剣勝負と
日本人のカラダについて語る示唆溢れる対談。

そして日本に始めて「ベリーダンス」を持ち込んだ
ベリーダンサー・海老原美代子がコラボする新感覚ステージ。

今までも、これからも二度とない、知的好奇心満載の公演です。

                      主催 天之岩戸上演実行委員会



08年3月1日  山形出羽の芸能(国立劇場小劇場)    (感想)
2008-03-11 03:43
黒川能『羅生門』

幕が上がると三方を前に座っている人が1人。
扇を広げて下(?)に置く。三方の上の神酒(?)を撒き、二礼二拍手一礼。扇をしまって退場する。
黒川には“王祇祭”という王祇=扇を祭る祭りが有り、扇は特別な物ということか…。

後見が床几(大・小鼓用)を先に出しておいて、地謡・囃子方が『橋掛り』から登場。鼓は前に突き出して持つ独自のスタイルで、全員床に着座して一礼してから床几にかける。笛方は『橋掛リ』の方を向いて座る。

詞章は現行五流(金春は無いので実質四流だが)とほとんど同じ。
違いは、五流の方が少し省略された感じに短くなっている。
羅生門を見に行く事になるくだりで、ワキのセリフが数箇所違う(意味は同じ)。
後場で「かくて鬼神は怒りをなして」とシテが言うが、五流は地謡の担当、といったところか…。

面白かったのは『アイ』で中入するワキと擦違うように勢い良く登場。「聞いたか、聞いたか」「知らずば語って聞かしょう」と歌舞伎のセリフみたい。茨木童子の話を1人が相手に話すのだが、聞いている方は次第に震えて気を失ってしまう。それを揺り動かして起こそうとするところなど、実際にグラグラ揺さぶっていて、狂言では有り得ない光景。
シテも作り物の上から身を乗り出して、ワキの兜を掴んで投げ捨てたり、歌舞伎っぽい。
こうした勢いの良い場面も有るが、全体にゆったりした感じで、謡も山形弁で、語尾を延ばす感じに謡われ、囃子も、曲自体は五流の物と似ているが、独特の雰囲気が有って、面白い。…詞章を見ないと何を言ってるか分からないけど…。

作り物を下げて、「なお行く末も久けれ」と祝言を謡ってから一礼、囃子方、地謡が退場。

座席が後方だったのに、双眼鏡を忘れるという不覚を取って細かい部分は良く見えなかったけれど、面白かった。


さて、その他は

花笠音頭:有名なので、なんとなくイメージは有ったが、踊りはイメージのまま。歌詞はもっと単純で繰り返しが多いのかと思っていたが、全然繰り返しが無く、地名を読み込んだもの。

日和田弥重郎花笠田植踊:「前口上」「春駒」「大田植」「若殿の田植」「昼もち」「上りはか」の6構成。豊作祈願の予祝芸能らしくめでたい内容。両手に扇を持ってくるくると回転させるのが難しそう。

梓山獅子:客席後方から列を作って入ってくる。これは「道行」という踊りの場に入るまでの演技で、正式には提灯、大纏、大鳥毛、小纏、三行司、枡方、太夫、笛、田楽纏、太鼓、唄方、雄獅子、雌獅子、友獅子、額纏の順に進む。
今回もほぼこの通りだったが、三行司・太夫・笛の辺りの順が違ったような…?
「口上」「待笛」「入庭」「四方固め」「六拍子」「長唄」「一匹舞」「梵天舞」「行灯上がり」「岡崎」「狂い」「引庭」の順で場を清め神を勧請し、国土安寧を願う。
ちなみに「岡崎」は奉納の金額と名前を読み上げ、礼を言う、という内容だった。なぜこのタイトルなのか不思議に思って調べたが、神楽の曲名に“オカザキ”というのが有って、各地の祭りで使われているのだが、囃子だけだったり、唄が入ったりと様々。読み上げている時の曲が“オカザキ”だったのかとも思うが、もう覚えていないし、愛知の吉田神社の“オカザキ”の音を見つけて聞いてみたが、違う気がする。気になるがこれ以上調べ出すと大変な事になりそうなので、手を引こう。。



08年2月28日  企画公演(国立能楽堂)    (感想)
2008-03-08 04:21
『巻絹・五段神楽』内田芳子・衣斐愛・村瀬純・野村小三郎・八反田智子・久田陽春子・柿原光博・西鶴淳子

さらりと始まったツレの『次第』「これとても」とどっしりと変わる。「や、冬梅の」のあたりは少し芝居くさい。
地謡「その身の咎は」と始め静かで、次第に急な感じになる変化が良い。
シテ「のうその下人〜」はゆったりと静かながらも、芯の強さが感じられ、「その縄解けとこそ」とどっしりとして、「さあらばかの者」としっかり。厳格なワキ、朗々としたツレのセリフに繋がり、「匂はざりせば」とハッキリして「疑はせ給はで」とワキの方に一足『ツメル』姿に威厳が有る。
『クリ』『サシ』『クセ』と地謡はやや乱れ気味で、聞き取りにくい。(字幕表示を消していたので、慌ててつけた。)
シテは「されば楽しむ」が少し重い気もするが、ゆったりとした動きは厳かで美しい。しかしこの後の動きは単調な印象。
正中に座り、「謹上再拝」と幣を振り、押戴いて「そもそも」とどっしりして、地謡も重厚。
「ありがたや」で立つと、『神楽』になる。(小書:五段神楽)
『神楽』は始めゆったりと綺麗だが、四段目あたりが力が入り過ぎている様に思う。
『神楽』が終わると、地謡が「不思議や祝詞の」とさっと入り、「恐ろしけれ」の後に『破の舞』になる。(五段神楽の時のきまり)
「證誠殿は」としっとりと重く、地謡も良いが、「薬師如来」と『角』に出る足取りが不自然な感じ。「神は」と『正先』に出て、「言ひ捨つる」で両手を挙げて幣を後ろに投げると、「声のうちより」とゆったりとした謡に変わり、さらりと終わる。

女性だけの地謡を聴きなれないので、聞き取り難く感じたが、慣れれば特に女性だからと意識する事はないだろう。


『夕顔・山端之出・法味之伝』山階敬子・殿田謙吉・大日方寛・梅村昌功・野口隆行・鹿取希世・観世新九郎・安福建雄

始めに大小前に小屋の『作り物』を出す。
ワキはどっしりとした『名ノリ』で、『サシ』『上歌』を謡うと脇座に向かう。すると小屋の中から「山の端の」としっとりと静かなシテ。(小書:山端之出)
ワキは小屋の方を向き「不思議やな」としっかりと語る。
『引廻し』を下ろし、「巫山の雲は」とゆったりだが明るい。
シテの『サシ』『上歌』は無く、『上歌』は地謡になって(小書のため)、「つれなくも」としっとり美しい。
「紫式部が筆の跡」の謡が出ずに後見がつけていたが、その割に、ゆったりと謡いなれた良い声だった。
「そもそも」で立ち、小屋を出て床几にかける。
「情けの道は」はもう少ししっとりでも良いのではないかと思うが、「ただ休らひの」とシテがしっとりすると「便りに」と閑まり良い感じ。
『クセ』はとても押さえていて静か。「消ゆると思ふ」で立つと「あたりを」で『角』を向いて、「閨の現を」と『橋掛リ』の方を見、「帰らぬ水の」と『シオル』様子は陶然として美しい。
しかし「ありつる女」で急にくるりと回るのが、気が抜けた感じ。

アイとワキの語りの後、『作り物』を下げる。

どっしりとたっぷりした待謡。控え目な囃子『一声』でシテは静々と登場。
「さなきだに」としっかり目だがさらりとして、「現す今の」からたっぷりと美しい。
シテは静かに、ワキはさらりとした掛け合いが続き、「引かれて掛かる身なれども」の次に『イロエ』が入る。(小書:法味之伝)
「優姿塞が」からシテはしっかりとした感じで、この後に『序ノ舞』が入らない分、既に迷いが消えていると解釈出来る。
「東雲の道より」と『橋掛リ』を進み、「雲の」で『二ノ松』でくるりと回り、左袖を被いて「失せにけり」とそのまま囃子が終わるまで待って、ゆっくりと袖を戻して終了。
後シテはやわらかな水色の長絹を着ていたが、その色に様にゆったりとした優美な雰囲気。


字幕を久しぶりに見たら、詩章以外にも、解説めいた事が表示されていた。のだが…。「幕の無い舞台を役を演じ続ける気持ちで退場する」とか「無の空間にとなって終了する」とかは余計な気がするし、「小書の為に常と違う」というのは、“常”が分かる人は見れば違うと分かるし、分からない人には、どう違うかが分からず、無駄な気がした。



08年2月24日  地域伝統芸能まつり(NHKホール)    (感想)
2008-03-03 01:45
『翁』観世清和・観世芳伸・野村萬斎・野村遼太・藤田六郎兵衛・大倉源次郎・古賀裕己・田邉恭資・亀井広忠

舞台での上演のため、全員が配置についた状態で照明がつく。(面箱も既に開いている)

千歳はところどころ力が入りすぎな気もするが、しっかりとしていてた。翁はゆったりと厳かだが、真面目にしっかりとした印象で、少々堅い。『翁』だから当然とも言えるが、このところとても素敵な舞台を見せてくれる清和さんにしては弱い気がする。
萬斎さんは余裕…なのかどうかは知らないが爽やかな笑みをたたえて控えていた。揉の段は程よく力強く、鈴の段も始まりは厳かで良かったが、最後の方はノリ過ぎてダンスみたい…。

三番叟が大小前に座ると、暗転して終了。
『橋掛リ』を歩く姿を見ないのは不思議な感じがする。

始まる前に梅原猛さんの解説が有り、その中で、翁が曲中で頭を下げるが、足利義満の時代も同じように義満に向かって頭を下げていた。皆さん義満の気分で…と言う様な事を言っていた。
確かに時の権力者に向かって礼をしていたのは事実だろうが、その真意は神木や北極星などの神に向かっているのだと思う。(…明確な答えも無いのも事実だが)
親しみやすい様にという事だとは思うが、 まったく知らない人が見ているなら猶の事、この説明はどうかと思う。



さて、能楽意外の演目は…

秋田『むかしこ』
囲炉裏を囲んでの昔話。少し遅れて行ったので詳しくは分からないが、「六地蔵」の話をしていた。
『猿倉人形芝居』
演目は「…のお松七変化」(…の部分は聞き取れず)一人の人が2体の人形を使い唄も唄っていた。アシストする人はいるが大変そう。素朴な作りの小屋の中で両手に人形をはめて操る。
ストーリーはお姫様が男性に助けを求める。しかしそのお姫様の正体は鬼で、男を殺し金品を奪っていく。という中々恐い内容。男を殺して首を川に流す場面で「鬼にもなれば蛇にもなる」と面相が七変化する。テンポが良くて面白かった。

沖縄『天人(あまんちゅ)』
120歳の老人が畑の見回りをしている。老人は孫に牛を引かせ畑に鍬をかける。そこに天人が現れ、畑を褒めると、赤米と白米の種を与え、撒きどきを教えて帰って行く。老人の息子が朝食を持って来たので、天人が現れた事を話す。そろそろ帰ろうと言う事になり、息子は馬をひいて来よう、と言うが、老人はそれを断り、豊作を祈る唄を唄いながら牛に乗って(舞台上では牛の後ろを歩く)帰って行く。
天人が巨人で表され、一人の肩の上にもう一人が立って演じられる。
笛と三線の演奏だが、天人の登場・退場のみ銅鑼の様な楽器が加わる。
神が現れる時に鈴や鐘などを鳴らすのはよく行われる技法だと思う。
馬を断り、牛に乗って帰るのは、騎馬民族への拒否?!と一瞬思う…勘繰り過ぎか。。
『津波古の棒術』
銅鑼・ほら貝・口笛で囃し、力強い棒さばき。1人〜5人での演舞。

島根『安来節と銭太鼓』
銭太鼓は竹筒の中に銭をつけてあって、振ると音がする楽器の様なもの。一人2本もって投げる様に回す。華やか。
囃子の人が小鼓を普通に持ち、大鼓を左膝に乗せて両方打っていた!どうやって固定していたのだろう?

滋賀『ケンケト祭』
女物の様な派手な着物を着て、飾りの付いた長刀を持って舞う。
その後ろには“イナブロ”という短冊状の布を長く繋いで、それを何本も垂らした、纏の様なものが立てられている。この“イナブロ”の布を持って帰ると御利益が有るのだそうで、人々が押し寄せて、それを竹の棒で追い払って祭りが終わる。
長刀を使うのは11〜21歳の長男に限られているらしい。

兵庫『大蔵谷の獅子舞』
始めはコミカルな内容だが、次第に肩車や肩に立ったりとかなりアクロバティック。
獅子自体は2匹だが、ステージ脇に行ったときに、素早く入れ替わって、結構大人数で演じられた。動きが激しく消耗するのと、上に乗る人は軽い人を配さなければならないからだろう。入れ替わりがとてもスムーズで面白い。

岩手『盛岡さんさ踊り』
花笠を被り、白地に赤の熨斗模様の着物。赤い帯に黄色のしごきを結んで、とにかく華やか。

14時半頃から始まり18時43分終了。『地域伝統芸能まつり』は数年前に1度見たが、前回より面白かった。

3月8日(土)13:30〜17:00 NHK BS2。3月15日(土)15時〜16時30分に教育テレビで放映予定。



08年2月23日  條風会(喜多六平太記念能楽堂)    (感想)
2008-02-28 04:02
仕舞『難波』友枝雄人

「時の調子に〜」ヒラキがぎこちなく、この後も平坦な印象。「波を響かせ〜」からやや力強く、「入日を」での扇使いは綺麗。「返りては打つ」の部分は強いと言うより雑に見えた。


仕舞『歌占キリ』内田成信

全体に舞台を大きく使い、はっきりとした動きで、その大胆さは良いが、優雅さにかける。


『采女』金子敬一郎・森常好・舘田善博・森常太郎・遠藤博義・一噌幸弘・曽和正博・亀井広忠

ワキ『サシ』『道行』とも静で控え目。
シテはどっしりと落ち着いた『次第』。『サシ』は少し弱く『下歌』からしっとり。
「そもそも当社」からしっかりで良いが、「されば慈悲萬行の」はもう少し明るくても良いのでは…?
地謡「かげ頼みおはしませ」としっとりと抑えた感じが良い。
『上歌』「あらかねの」からハッキリとした地謡だが、動きは単調がち。「昔天の帝の御時〜」は、しっかりしすぎだが、「采女が死骸を」から良く、ワキもさらりと美しい。
しっとりとした地謡で水に沈むように静かな中入は綺麗。

ゆったりとした囃子で静々と登場したが「あら有難の」と少しハッキリしずぎ。
「まして人間に」から謡いも動きも綺麗だが「頼もしや」と手を合わせる姿が形式的。
「おおきみの心〜」と重い足取りの雰囲気も良く、「采女の衣の色そえて」と寂しげなのも美しい。しかし後半は全体に単調ぎみで、優雅さ(女性らしさ)も弱く、地謡が良かっただけに惜しいと思うところが散見した。


狂言『伯母ヶ酒』山本泰太郎・山本則直

伯母の則重さんは鬼を見て慌てて逃げたり、「悲しや」と小さくなる姿が女らしい。
恐々見に行って、鬼の顔を見て慌ててひれ伏したり、鬼が話さないのを不思議に思って覗き込む仕草も上手い。

シテの泰太郎さんは、伯母が酒を出さないと一人ごちている感じは良かったが、伯母との会話は少し力が入りぎみで、笑う部分も豪快だがわざとらしい。
面をつけて、『橋掛リ』で伯母を脅す力強さと、「見るな」と何度も脅しながら酒蔵に向う姿に、気の弱さが見えて面白い。酒を飲んで酔っ払ってしまう雰囲気や、起こされても眠そうで、千鳥足で帰っていく姿に愛嬌がある。


仕舞『西行桜』塩津哲生

「見渡せば」とたっぷりとした謡出し。
「毘沙門堂の」とゆっくりと舞台を廻る。「思ひ知られて」と寂しげ。「地主の花」と角を向くと遠くを見渡す感じが出ている。
冷たい霞の様な景色の中に、明るく柔らかい花を見る様で美しい。


『国栖』狩野了一・金子天晟・内田成信・井上真也・宝生欣哉・梅村昌功・則久英志・山本則孝・山本泰太郎・槻宅聡・大倉源次郎・柿原弘和・観世元伯

ワキ・ワキツレ『一セイ』はさらりと静か。
「天つ日嗣を」と少ししっかりとして『下歌』「身を秋山」とどっしり。『上歌』も纏まって綺麗。
シテは見上げて、「ただならぬ気色」と言うが、その気配は感じられない。
『上歌』の地謡は静かで、「さては由ある」からシテもワキもしっかりとして、「いかに姥」とたっぷりとした『問答』。
「姥は餘りの忝さに」はしっかりしすぎ。
「あらありがたや」と心が籠っていて「御覧そうろへ」と姥に鮎を見せる様子も不思議そうな雰囲気が出ている。
「昔もさる例あり」からのテンポも良いのだが、鮎を放す姿は力強いが川が見えない。
子方を舟で隠すとすぐにアイの登場。タイミング抜群。
「なに、清み祓へ」とどっしりと落ち着いて「翁にもにっくき者ぞかし」と真剣。
アイが帰って行くのを見送る姿に緊張感が有る。
『サシ』「心は高き」と綺麗な地謡。

後ツレは軽やかに舞台を廻りゆったりと舞い始める。緩急を付けて舞うがいっぱいいっぱいな感じ。
シテは「即ち姿を現じて」と強めな地謡でさっと被いていた布を落とし、「天を指す」と天地をしめすのは良いが、その後の印象は弱い。



08年2月15日  定例公演(国立能楽堂)    (感想)
2008-02-21 04:59
狂言『痩松』山本東次郎・山本則重

東次郎さんの山賊は、前半は“女なんてちょろい”という感じで、脅す様子も余裕が有って、本気で、というより、かっこつけている様な雰囲気。奪った袋の中を調べる姿も楽しそう。
ところが長刀を女に取られて、形勢が逆転すると、言いなりにはなりたくないけれど、長刀は恐いという人間臭くて、滑稽な姿に一変する。
一人になって「さても恐ろしい事かな」と実感がこもっていて、「日の明るいうちに〜」と山賊なのに、すっかり弱気で可笑しい。最後はしみじみとして、東次郎さんらしい味わいのある終わり方。


『小塩』友枝昭世・宝生閑・則久英志・御厨誠吾・山本東次郎・一噌仙幸・大倉源次郎・亀井広忠・前川光長

さらりとしたワキの『次第』、のんびりとした明るめの『上歌』で春の良い雰囲気だが、ワキツレが少し主張しすぎ。
ゆったりと艶のある囃子で登場したシテは「栞して、花を〜」と明るい雰囲気で、「散りもせず」から僅かに強く謡って麗しい。
「をかしとこそは〜」地謡はしっとりと綺麗。
ワキ「げにげに妙なる」から朗々として景色を楽しむ雰囲気で、『問答』になっていくと、静かだが格調高く上品な盛り上がり。
ワキは「かかる面白き人に」と真実楽しそうで、「名残小塩の〜」地謡はどっしり目で、「上がりての」でシテは一足ツメ、下がると、しっとりとした気配に変わる。

アイの語はさらりとして程よいテンポ。しっかりとした口調で弔いを勧める。

「思いの露も」としっとり目で良い『上歌』。
花見車が出て、シテは中に入ると「月やあらぬ〜」といかにも都人らしい雅な雰囲気。
ワキとの会話もゆったりと優雅。
『クリ』『サシ』はしっかり目の謡で、その動きも気品が有って、『クセ』から地謡はどっしりと変化する。
「武蔵野は〜」とのびやかで、動きもゆっくりだがメリハリが有り綺麗。「昔かな」と厳かな雰囲気は“序”の部分まで続き、その後、桜の花の様にやんわりと明るく上品な舞。
終盤も全体のバランスが良く、やさしい明るさと、寂しさとが解け合った満開の桜の一瞬の美しさの様。


この曲、桜の立木を出す事も有るが、今回の様に無い方が想像力が働いて良い様に思う。後シテの藤色の狩衣と白の指貫もとても良い組み合わせで、若い感じの“十六”の面に合っていた。



08年1月14日  梅若研能会(観世能楽堂)   (感想)
2008-01-17 02:31
『翁』梅若万三郎・月崎晴夫・破石晋照・梅若泰志・一噌幸弘・幸清次郎・幸正昭・森澤勇司・亀井広忠

年頭観能をさぼっていたので、今年も万三郎さんの翁で始まった。登場しただけで場の空気が引き締まり、ゆったりと美しく文句のつけどころが無い。明る目の色味の狩衣ということも有って、厳しくも柔らかな初春の日差しの様。千歳の泰志さんは緊張しまくり、と思ったが、それでも大胆に動き…勢いで誤魔化された感も少し有るが、まずまず。例年のパターンでこのまま『三輪』に続くかと思ったら、10分休憩。


『三輪・素囃子』梅若万三郎・森常好・石田幸雄・一噌幸弘・幸清次郎・亀井広忠・助川治

素袍・烏帽子姿の地謡は着替えてしまって、すっかり普段の紋付姿。なんとなく残念。

冒頭のワキ〜シテ『次第』『サシ』と静でひっそりとした綺麗な謡。「鳥声とこしなえ〜」と2人で謡う部分もしっとりと寂しげで美しい。
衣を受け取って「暫く」で立ち止まって僧の話を聞いている姿が優しく、「なほも不審に」と気高い雰囲気になり、中入。

「この草庵を」とゆったりとしたしたワキの『上歌』「不思議や」から静にサラリ。
後シテは「千早振る」と静かな謡い出しで「恥ずかしながら」から少ししっとり。
『上歌』はしっかりと纏まっている。
「裳裾の上に」で作り物の後ろから出て前に回り、『引廻し』を下ろして「それ神代の」と地謡は朗々と綺麗。シテ『サシ』はサラリ。
「五濁の塵に」と静だがしっかりとして、『クセ』からはどっしり。
「まづは岩戸の」と悠然として「八百万の」とどっしりと変化して、シテはここで“幣”を持ち「神楽の始めなる」と厳か。
シテは『作り物』の方を向き「千早振る」と“幣”を左右に振ってからゆっくりと舞台を廻る。「常闇の世となりぬ」で後ろ向きで座り、「神楽を奏して」で立って舞いになる。
始めは厳かで、“幣”を逆手に持つと、明るく、肩に預けてサラリとして優美。右側から『作り物』に入り扇に持ち帰ると、正面向いて座る。
「天照太神」で両手を上げて岩戸を開ける仕草をし、「常闇の雲晴れて」でサッと出ると、爽やかな雰囲気。
「思えば」でゆっくりどっしりとして、「今更何を」で『橋掛リ』に行くと、左袖を返し振向き、袖を戻して、サラリと幕入。
脇能らしい荘厳で清涼感のある良い舞台。


狂言『宝の槌』野村萬齋・高野和憲・野村万之介

3人ともそれぞれの役柄に相応しい雰囲気なのはさすが。
萬斎さんは、前半大げさ過ぎる気がしたが、宝を出そうと棒を振ったり覗き込んだりと、同じ様な型が続くが、変化をもたせて良い感じ。


『野守・白頭・天地之声』梅若万佐晴・村瀬純・竹山悠樹・成田寛人・幸正昭・原岡一之・小寺真佐人

ワキ『次第』サラリとしすぎて地味な印象。『道行』は軽快。
シテ『一セイ』『サシ』は静かで、ワキとの会話は確り。
「影を映していとどなほ」と水鏡を覗く姿が綺麗。
「狩人ばっと」で正先に杖を上げて出て「寄り見れば」と手を下げて下を見つめてから「影なりけるぞや」の胸杖までの動きが美しい。
『ロンギ』からサラリと纏まりが有り、「鬼の持ちたる」とゆったりとして「恐れやし給わん」で『橋掛リ』へ。「かなうまじろの」と舞台の方を向いて「水鏡」と指して面をきってから幕の方を向き、「塚の内(1度目)」で杖を落として『中入』する。

アイとの会話の後、ワキは扇を懐中して『一ノ松』に座り祈る仕草。
『出端』の囃子が始まると、『ワキ座』に戻る。

後シテは幕の中から「ありがたや」とどっしりと重厚な感じが良く、登場後も最後まで迫力が有るが、「さて又、大地を」で、鏡を下に向けて、下を見ても深みが感じられず残念。
最後は幕の前まで行って「底にぞ」で両手を上げて、両手をつく様に座ってダイナミックに消えたという表現。

小書「天地之声」によって作り物がないので、「塚の内にぞ入りにける」と言いつつ帰って行くのが不思議な気もするが、時間が掛かるぶん、待っていろ!と強く念を押された気分。又幕を上げず声のみが聞こえるのは、地底からの声の様で効果的。


ところで、『三輪』ほど小書の多い曲は無いのではないか?
彩色・替装束・白式神神楽・誓納・三度之次第・刻詰之次第・下略之留・二段舞留・神楽留・二段神楽・諸神楽・七震之応答・三ッ頭が観世のみ(聞いたことも無いのが有るなぁ…本当に有るのか?)。素囃子は観世・金剛に有る。神道が金剛のみ。三光が金春。岩戸之舞・神遊が喜多。
ただの白式というのも有った気がするが…?宝生?
見たことが有るのは…彩色・白式神神楽・素囃子(観世)・三光・神遊くらいか…全然制覇出来ない。。

風邪でぼーっと見ていたので、普段ならメモっていそうな事が書いてなかったり、いらない事が書いてあったり…そしてそのメモを見ている今も、本調子ではない。時間ばかり掛かって纏まらないので(いつもの事とも言うが)取り合えずこんな感じでしたって事で。。小書の事はちゃんと調べろ!と頭は思っているが動くパワー無し。後日の課題に。



08年1月23日  NHK能楽鑑賞会(横浜能楽堂)    (感想)
2008-01-27 03:49
狂言『附子』山本東次郎・山本則直・山本則俊

鑑賞教室などでお馴染みの曲だが、以外にも久々に見た気がする。
内容は十分承知していても、笑ってしまうのは、やはり上手いからで、話そのものよりも仕草や言い方の妙と言える。

次郎冠者の則俊さんは始め、ちょっとぶっきら棒な感じだったが、それは実直な人柄で、太郎冠者に言われた通りに一所懸命に扇いだり、掛け軸を破ったりと、その真面目さが面白い。
東次郎さんは仕草1つ1つが、綺麗で面白い。「扇げ扇げ」と『橋掛リ』の方から附子に近づく時に、足を大きく上げて、そっと寄っていくのは、大げさなのに何度見ても笑いを誘う。
次郎冠者に腕を掴まれて、「なごりの袖を振り切って〜」と振り解く姿が美しいのに、だからこそ滑稽に見えるから不思議。
主人に言いつけると次郎冠者をからかって笑う姿は豪快で、本当に楽しそう。


『安宅・勧進帳・滝流』梅若六郎・小田切亮磨・山中?晶・松田隆之・角当直隆・鷲尾維教・鷲尾章弘・川口晃平・小田切康陽・梅若基徳・山崎正道・宝生閑・山本東次郎・山本則直・一噌仙幸・横山晴明・亀井忠雄

はっきりとした『次第』、アイも勢い良く、『サシ』も纏まって良い。「さておん供の人々には」と威厳たっぷり。
「時しも頃は〜恨めしき」は少々乱暴な感じで、それが返って厳しい現状を表す様。「波路遥かに行く舟の」とゆったりと静まり、「気比の海」とはっきりと変化して良い。
「松の木葉山」で正先に出て、見渡し、「港なる」で角の方をさすと寄せる波を表すように下がる姿が綺麗。
しっかりとした子方との『問答』は丁寧で「おん有様ぞ痛わしや」でシテ・ツレ共に1歩引いて、少し面を伏せる様にするが、僅かな動きでも息が合って、心情をよく表現している。

シテ・ワキの『問答』は両者の力が拮抗して緊張感たっぷり。
(若手の弁慶に閑さんの富樫だと、このまま討ち取られてしまうんじゃないかと思うが(苦笑)、六郎さんだと、富樫はやや押され気味で必死に止め様とする感じ。)
『ノット』の囃子でシテに続いてツレも流れる様な動きでさっと座る。
通過しようとするのを見咎められて「みな一同に」と刀に手を掛けたり、「かたがたは何ゆえに」で詰め寄ったりとツレの息がぴったり。

話は戻るが、シテは「いでいで最後の」から安定した貫禄で、ワキも“勧進帳”を読め、と威厳たっぷり。
「それつらつらと〜」とどっしりとして、囃子とのバランスも良い。
地謡「ご託宣かと」としっとりとして「しかるに義経」と上品に美しい謡。

シテは『一ノ松』で「げにげにこれも」としっかりと謡い、「面白や山水に」で常座で扇を広げ、角に出て、扇を落とし(小書:滝流)数珠を持って舞う。始めは軽め、ゆったり、どっしりとした雰囲気になって、数珠を左手に渡し舞うと、『橋掛リ』へ行き、幕の近くまで行って、舞台を見、さっと戻って角へ出て、扇を拾って頭上に上げる。「鳴るは滝の水」と朗々と美しい。

「笈をおっ取り」でアイが幕に入ると、『一ノ松』に行ってワキを睨む様に止まってから幕の前まで行き、正面を向いて、力強く、爽やかにトメた。

演じている方々は力強く、荒々しい感じで、地謡が品良く、絶妙なバランスだと思える良い公演だった。

もう1つの小書:勧進帳は勧進帳を読む場面での同吟がシテ1人の謡になる。というものだが、観世流では常にこの小書が付いてるので、あまり小書という気がしない。そもそも存在しない勧進帳を読む振りをしているのに、皆で読むのは無理が有るからだろうけど。


さて、余談。
25日の金曜プレステージで「天川伝説殺人事件」をやっていた。
ゴロゴロしながら見ていたが、能のシーンが上手いと思って、そこだけ真剣に見てしまった。
エンディングで能楽監修が六郎さんだと判明。
能楽師さんたちのシーンは『能』として楽しんで、役者さんたちのシーンは、ロビーを見て、セルリアンタワーだ〜と思ったり、“面”の真ん中は触っちゃだめ〜!とか、装束付けたまま、座って話し込むのは…と勝手にツッコミいれて、本編とは関係ない部分で楽しんでしまった。



3度目の書込みです
2008-01-26 16:32
管理人様

 少々遅いですが、明けましておめでとうございます。
 本年も見させて頂きます。宜しくお願い申し上げます。

 本日、川崎能楽堂から第82回川崎市定期能の告知葉書
が来ました。ホームページにはまだ載っていない様なので、
記載内容を抜粋しますと、

  平成20年3月1日(土)
  ●第1部 13:00 開演
   狂言「鈍太郎」三宅右近 ほか
   能「羽衣 和合之舞」田邉哲久 ほか
  ●第2部 15:00 開演
   狂言「墨塗」三宅近成 ほか
   能「鵺」観世恭秀 ほか
  発売日 2/1(金) 全席指定¥4000
   AM9:00より川崎能楽堂にて発売
   *発売初日のみ電話受付は正午より

となっております。

 また、こちらのサイトとしては地域的に範囲外やも分り
ませんが、下記のものを見付けました。

  http://www.gunmabunkazigyodan.or.jp/jigyo/sonota/19nou.html

 それでは。

Re^1: 3度目の書込みです

2008-01-27 03:16
あけましておめでとう御座います。

情報有難う御座います。
川崎市定期能!うちにもハガキが来ていたのに、もう失念していました…、教えて頂かねば、当分忘れていたでしょう(苦笑)。


群馬県民会館の方はまったく知りませんでした。…個人的に見たいかも…あぁでもその日は他にも見たい公演が…どうしよう。。
兎も角、お教え頂いて助かりました。ありがとう御座います。

本年もここで、戯言を述べつつ、サイトもジワジワ更新して行きますので、宜しくお願い致します。



国立能楽堂自主公演  (情報)
2008-01-18 04:23
国立能楽度08年度自主公演の情報をこちら↓に纏めました。
http://homepage2.nifty.com/seiadou/kokuritu2008.html

今年は25周年とあって、企画物が多い。20周年の時もチケットが取り難くて苦労したが、今年はさらに大変そう。能楽人気は良い事だけど、チケットが取れないのはつらい。