2009年

記事タイトル一覧 曲名(管理者が感想を書いたものだけ)
09年12月25日  能楽☆現在形第11回公演(宝生能楽堂)    (感想) 舞囃子『絵馬』、『当麻・二段返』
公演情報等
09年12月23日  第二十四回 二人会(宝生能楽堂)    (感想) 舞囃子『猩々・乱』、狂言『福の神』、『道成寺』
09年12月17日  梅若研能会(観世能楽堂)    (感想) 仕舞『小督・キリ』、仕舞『富士太鼓』『松虫・キリ』、『藤』、狂言『八句連歌』、『芦刈』
09年12月6日  観世会定期能(観世能楽堂)    (感想) 『頼政』、狂言『福の神』、『葛城・大和舞』、仕舞『和布』『芭蕉・キリ』『蝉丸』『小鍛冶・キリ』、『大瓶猩々』
09年11月22日  自主公演能(喜多六平太記念能楽堂)    (感想) 仕舞『大江山』『邯鄲』、『通小町』、狂言『酢薑』、『遊行柳』、仕舞『谷行』、『雷電・替装束』
09年11月20日  観世家のアーカイブ(東大駒場博物館) (感想)
09年11月21日  東京金剛会(国立能楽堂)    (感想) 連吟『雨月』、仕舞『経正・クセ』『半蔀・クセ』『天鼓』、『三井寺』、狂言『文山立』、仕舞『砧』、『土蜘蛛』
09年11月8日  月並能(宝生能楽堂)    (感想) 『三笑』、狂言『蝸牛』、『六浦』、『阿漕』
09年11月4日  定例公演(国立能楽堂)    (感想) 狂言『泣尼』、『遊行柳・朽木留』
09年11月1日  友枝会(国立能楽堂)   (感想) 『江口』、狂言『茶壷』、『黒塚・白頭』
09年10月31日  特別公演(国立能楽堂)   (感想) 『松尾』、狂言『魚説経』、『定家』
09年10月25日  自主公演能(喜多六平太記念能楽堂)   (感想) 『清経』、狂言『呂連』、『三井寺』、仕舞『殺生石』、『融』
09年10月19日  『縁の姿(演劇)』(川崎能楽堂)  (感想)
09年10月15日 阿佐ヶ谷明神宮能舞台?落奉納公演(阿佐ヶ谷明神宮能舞台) (感想) 『羽衣・バンシキ』、狂言『宝の槌』、『小鍛冶』
09年10月11日  第86回粟谷能の会(国立能楽堂)    (感想) 『通小町』、『葛城・岩戸之舞』、狂言『子盗人』、半能『石橋・連獅子』
09年10月3日  第十八回浅見真州の会(国立能楽堂)    (感想) 一調『笠之段』、仕舞『通小町』『砧』『花月』、狂言『宗論』、『姨捨』
09年9月20日  第18回 櫻間金記の會(国立能楽堂)   (感想) 『蝉丸』、仕舞『笹之段』、一調『遊行柳』、狂言『秀句傘』、『藤永』
09年9月12日  普及公演(国立能楽堂)    (感想) 狂言『昆布売』、『蝉丸』
09年9月6日  観世会定期能(観世能楽堂)    (感想) 『経正・替之型』、狂言『井杭』、『松風・見留』、仕舞『右近』『松虫』『柏崎』『女郎花』、『阿漕』
日本伝統音楽研究センターの講座
09年9月5日  川崎市定期能第一部(川崎能楽堂)    (感想) 狂言『鬼瓦』、『阿漕』
09年9月2日  定例公演(国立能楽堂)    (感想) 狂言『謀生種』、『砧』
09年8月27日  企画公演(国立能楽堂)    (感想) 舞囃子『養老・水波之伝』、小舞『海人』、狂言語『枕物狂』、小舞『通円』、素謡『檜垣』
09年8月23日  梅若研能会(観世能楽堂)    (感想) 『花月』、『通小町』、狂言『樋の酒』、『現在七面』
丹後物狂
09年8月15日 第15回能楽座自主公演(国立能楽堂)    (感想) 一調一管『小原木』、舞囃子『三輪・神楽留』、独吟『鳴子』、小舞『七つに成子』、一調『船弁慶』、舞囃子『邯鄲・バンシキ』、狂言小舞『法師ヶ母』、狂言『柑子』、『大原御幸』
09年7月25日 セルリアンタワー定期能ー喜多流 第二部(セルリアンタワー能楽堂) (感想) 狂言『清水』、蝋燭能『通小町』
09年7月25日 セルリアンタワー定期能ー喜多流 第一部(セルリアンタワー能楽堂) (感想) 狂言『萩大名』、『班女』
相国寺承天閣美術館「山口安次郎作 能装束展−心と技の饗宴−」
09年7月18日  第7回 興福寺勧進能 二部(国立能楽堂)    (感想) 狂言『成上り』、『砧』
訃報
09年7月15日  定例公演(国立能楽堂)    (感想) 狂言『二人袴』、『盛久』
09年6月19日  定例公演(国立能楽堂)    (感想) 狂言『磁石』、『放下僧』
今月2日の高崎での演能
09年6月14日 呼吸器学会学術講演会(セルリアンタワー能楽堂)  (感想) 新作能『オンディーヌ』
09年6月11日  日経能楽鑑賞会・2日目(国立能楽堂)    (感想) 狂言『萩大名』、『邯鄲』
09年6月9日  日経能楽鑑賞会・1日目(国立能楽堂)    (感想) 狂言『萩大名』、『邯鄲・傘之出』
09年6月2日  近藤乾之助試演会(宝生能楽堂)    (感想) 仕舞『八島』、狂言『富士松』、袴能『松風・脇留』
09年4月4日 映画『面打/men-uthi』(UPLINK)  (感想)
高崎でのお話
09年5月30日  第二十三回二人の会(宝生能楽堂)    感想 舞囃子『猩々乱』、狂言『夷毘沙門』、『道成寺』
09年5月23日  第十五回友枝昭世の会(国立能楽堂)    (感想) 狂言『樋の酒』、『実盛』
09年5月14日  梅若研能会(観世能楽堂)    (感想) 『橋弁慶』、『梅枝』、狂言『文山賊』、『殺生石・白頭』
09年4月8・11・14日能楽☆現在形第8〜10回公演(宝生能楽堂) (感想) 一調『願書』、小舞『住吉』一調一管『花重蘭曲』(1日目)、一調『起請文』、狂言『法師ケ母』(2日目)、一調『勧進帳』、小舞『景清・後』、一調一管『鷺・乱』(3日目)、各日の『望月』
【情報】第36回川崎大師薪能
【情報】北関東での演能2つ
09年4月2日  夜桜能 第2夜(靖国神社)    (感想) 舞囃子『放下僧』、狂言『茶壷』、『松風』
09年3月29日  塩津哲生の會特別公演(宝生能楽堂)    (感想) 舞囃子『杜若・素囃子』、復曲能『墨染櫻』
09年3月22日  春の別会・第1日(宝生能楽堂)    (感想) 『嵐山』、狂言『文相撲』、仕舞『八島』『東北キリ』『大江山』、『大原御幸』、仕舞『弓八幡』『安宅』『井筒』、『道成寺』
09年3月15日  梅若研能会(観世能楽堂)    (感想) 仕舞『唐船』『雲雀山』『小鍛冶』、『竹生島』、狂言『横座』、『弱法師・盲目の舞』
09年3月4日  定例公演(国立能楽堂)    (感想) 狂言『雪打』、『国栖』
09年2月21日  地域伝統芸能まつり・第1日(NHKホール)  (感想) 『葵上』(1日目)、狂言『菌』、新作能『河勝』(2日目)
09年2月15日 式能 第一部・第二部(国立能楽堂)  (感想) 『翁』、『西王母』、狂言『佐渡狐』、『花月』、狂言『樋の酒』(第一部)、『羽衣・舞込』、狂言『お茶の水』、『弱法師』、狂言『苞山伏』、『張良』(第二部)
能楽を御覧の皆様へ
先月28日の「昭門会」
09年2月11日  幸円次郎追善能(国立能楽堂)  (感想) 一調『咸陽宮』、無謡一調『花重』、『朝長・懺法・語』、一調一管『江口』、一調『蝉丸』、素囃子『獅子』、『三輪・白式神神楽』、一調『願書』『勧進帳』、『道成寺』
本日(2月28日)の「昭門會」
09年1月31日  特別公演(国立能楽堂)    (感想) 『源太夫・楽拍子』、狂言『梟』、『当麻』
08年1月27日  琉球舞踊と能の至芸(法政大学市ヶ谷キャンパス) (感想) 『井筒』
09年1月18日  金春会定期能(国立能楽堂)    (感想) 『翁』、『高砂』、狂言『末広がり』、『景清』
公演情報



09年12月25日  能楽☆現在形第11回公演(宝生能楽堂)    (感想)
2010-01-18 04:09
舞囃子『絵馬』梅若玄祥・梅若万三郎・観世銕之丞・一噌幸弘・成田達志・亀井忠雄・金春國和

正直ずるいなぁ…と思う配役…立ってるだけで役柄にぴったりだから。。
玄祥さんはさらりと『達拝』して初めはたおやかで次第に迫力の有る舞に。。
「面白や」と扇を広げて岩戸を開く仕草をして、出てくる姿は威厳たっぷり。
万三郎さんの天細女は、たおやかな若い女のイメージでゆったりの『神楽』が優雅。
銕之丞さんの手力雄は颯爽とした舞。
最後に3人で同じ動きになっても、それぞれの雰囲気が保たれていい感じ。


『当麻・二段返』片山清司・谷本健吾・宝生欣哉・大日方寛・則久英志・野村萬斎・一噌幸弘・成田達志・亀井広忠・金春惣右衛門

シテ『サシ』は静かで、舞台に入り、『次第』からもしっとりと綺麗だが、ちょっと若い雰囲気。
「何ごとにて候か」と答える様子は老女らしい。
『問答』→『掛け合』での、シテ・ツレは上品で高貴な印象。
「懸けて乾されし」と優しく儚げな感じも良く、「たえまに晴れ曇る」と見渡す姿や、「秋の風」と『胸杖』するのも自然。
シテは“床几”にかけ、しっかりの地謡『クリ』、静かな『サシ』、どっしりとした『クセ』と謡いは良いのだが、座っている姿が、清司さんに戻っちゃってる。。
「今宵しも」としっとりで、「今この寺に来たりたり」と威厳がある。
「光さして」ととても綺麗な地謡で、「恥ずかしや」とワキの方を向いて「暇申して」と『シオリ』、手を下ろしつつ立つと、一度ワキの方を向いてから、常座に行くまでは良いが、「上り上る」と足使いすると、ステップを踏んでいるような。。不自然な感じ。
アイは静かに落ち着いた語り。

後シテは『一ノ松』で「ただいま夢中に」とはっきりで、力強過ぎ。。これ『当麻』だよなぁ??と思うくらい。。
舞台に進んでからも少し男っぽさがのぞく感じ。
「待たざるを」とワキに寄り、「即ちここで」と膝をついて“経”を渡して下がり、ワキが“経”を広げて戴くとシテは『合掌(多分。。見えなかった)』。
ワキ「為一切世間」としっかりたっぷりと読み、シテ「げにもこの法」とはっきりと綺麗。
シテは立って、ゆっくりと常座に戻り、「慈悲加祐」とたっぷりと綺麗だけれど、もう少し威厳が有っても良いかも。。
『達拝』すると、ゆっくりと舞台を廻り、どっしりとした『足拍子』で、ゆったりとした舞を舞う…最後はさらりと美しい。
「後夜の鐘」とたっぷりで、「いろいろの」と舞台を廻ったり、「ただ西方に」と左袖を返して『雲の扇』をしたり、「御法の舟の」と常座で『橋掛リ』を見渡してから、扇を高く上げて2回、回るなどは輝くような明るい雰囲気でとても綺麗。

前半やっぱりこの曲は難しいな…と思っていましたが、舞から後半がとても良かった。

09年はこれで見納め。



09年12月23日  第二十四回 二人会(宝生能楽堂)    (感想)
2010-01-12 02:59
舞囃子『猩々・乱』塩津哲生・松田弘之・大倉源次郎・柿原祟志・観世元伯

ゆっくりと立つとさらりと舞はじめる。
「芦の葉の」で扇を笛に見立てると、力強く楽しげなのが良い。腰を落とした重めな足使いが猩々に相応しく、綺麗。


狂言『福の神』山本則俊・山本則秀・若松隆

アドの2人は真面目な感じで、少し硬いかな〜と思う部分も有るが、優しい人柄がうかがえる。
福の神:則俊さんは、颯爽と登場だが、威厳が有る雰囲気。親しみ易いという感じは弱いけれど、これはこれで御めでたさが有って、いい感じ。


『道成寺』香川靖嗣・宝生閑・宝生欣哉・御厨誠吾・山本東次郎・山本則重・一噌幸弘・飯田清一・柿原祟志・観世元伯

アイが“鐘”を釣る様子が旨く、重量感が感じられた。
シテ『次第』は重く暗い感じで、「月は程なく」と『中正』の方を向く姿が寂しげ。
「急ぎ候ほどに」は、やっとたどり着いた感じがした。
『物着』して、『一ノ松』からさっと『常座』へ…勢い余ってちょっと前傾ぎみだったが、「花の外には」と静まり侘しげで美しい。
安定した『乱拍子』、たっぷりの『乱拍子謡』が続き、怒りを表す様な『急ノ舞』。
「春の夕べを」と迫力が有って、『正先』に出ると、「さるほどに」と力が入っているのに寂しさを含んで美しい。
「よき隙ぞと」と“鐘”を見上げ、スラリと回りつつ“烏帽子”を落とすと、右手を前にして“鐘”に下に入り、拍子を踏むと“鐘”が落ちた…迫力を保ちつつ、さらりと綺麗。

東次郎さんの困ったなぁ…という様子がリアルで、ワキ「さればこそ」と怒る閑さん、怖!「あら助かりや」と逃げる様に去っていく能力の心境も納得…とても面白い間狂言でした。

ワキはおもむろに立ち、自然な流れ、はっきりとわかりやすい語りで、迫力も有って、ここも1つのドラマとして楽しめた。

地謡「すはすは動くぞ」でゆっくりと“鐘”は左右に揺れ、左手をかける様にして“鐘”が上がると、手を下ろして、“打杖”を下に突く姿も力強い。
『橋掛リ』に行くと、巻いていた衣を少し上げて、バサリと思い切る様に素早く落とすのが、人の心を捨てる様で印象的。
『柱巻』は一瞬の苦悩のようでもあり、その後は凛とした迫力有る展開!
『二ノ松』で「かっぱと転ぶが」と膝をついて、そのまま正面へ『ツメ』、“面”を『キル』様に“鐘”を見上げ、立って「ごう火となって」とくるりと回り、「日高の川波」と幕へ駆け込んだ。
テンポの良いラストでとても纏まりの有って良かった。


同年5月30日の二人の会に続いて、同じ演目を配役を入れ替えての上演と言う、面白い企画でした。大方の予想通り(?)今回の塩津さん『猩々』、香川さん『道成寺』の方がはまり役だった感じです。
でも、予想がつく役柄よりも、意外な方が面白い事もあるし、またこんな挑戦をして欲しいですね。



09年12月17日  梅若研能会(観世能楽堂)    (感想)
2010-01-11 04:36
今頃こんな前の話題です。。

仕舞『小督・キリ』古室知也

初めは少し力が入ってる感じがしたが、「からころも」のあたりで、両手を重ねて座り、いとまを請う様子はたおやかで、纏まりが有った。


仕舞『富士太鼓』長谷川晴彦

シテの謡はとても綺麗だったが、動きはやや単調な感じ。地謡ももう少しだったかな。。


仕舞『松虫・キリ』梅若泰志

足元や景色を見る様子はよく伝わって、風景が見えるけれど、ガッチリしすぎて、風情があんまりない感じ。。


『藤』梅若万三郎・森常好・遠藤博義・松田弘之・幸清次郎・國川純・助川治

シテの『呼掛ケ』は優美で、ゆっくりと謡いつつ進み、「あら心なの」と『一ノ松』に止まる。
ワキはしっとりと、シテはやや儚げで「見ぬ人のためと読みたりし」と『ツメ』る様子が優しい。
常座に進み、『ロンギ』の地謡はしっかり、シテは高貴な雰囲気で、ゆっくりと静かに中入。

伸びやかな、ワキ『待謡』の後、静かに現れたシテは上品で、少し幼い雰囲気。
「歌舞をなさんと参りたり」と、ワキの方を向く様子が何気なくて良い感じ。
シテ「紫も」と静かにたっぷりで、謡に合わせた型も綺麗。
シテ『サシ』「紫藤の」と優しげな立ち姿で、地謡は静か。
地謡『クセ』はさらに抑えてどっしりと美しい。
シテ「かやうに移ろふ」のあたりから威厳が有って、『序ノ舞』は初め静かに、次第に明るく晴れやかで、最後はさらりと爽やか。
「松に寄りて」と“立木”に近づいたり、「紫生野も」とゆっくり舞台を廻ったり、その後の『招き扇』をしつつ、前に出る様子なども明るく、神々しい感じで、綺麗だったけれど、少し威厳が有りすぎる…藤というより日光みたいな印象でした。。


狂言『八句連歌』山本則直・山本則孝

出演者変更の張り紙は見なかったが、山本則直さん→山本泰太郎さんに変更になっていた模様。。
借り手:泰太郎さんはコミカルな仕草ではあったが、なれていないぎこちなさが感じられて、惜しい。
貸し手:則孝さんは真面目過ぎる感じで、偏見かもしれないが、連歌好きという雰囲気が薄かった。


『芦刈』梅若紀長・青木健一・殿田謙吉・山本泰太郎・寺井宏明・亀井俊一・亀井広忠

ワキ・ワキツレの『次第』→『道行』はしっかりで、さらりとアイに問うと、アイはしっかりとした対応。
シテはすらりと『一の松』に出、「足引きの〜」としっかり目。景色を見る様子も『カケリ』も力強いがさらりと綺麗。
「げに受けがたき」と暗めで、静かな地謡『下歌』に続く流れが自然。「こなたの事にて」とワキの方を向くにはしっかりで、次の「このあたりにては」と再びワキの方を向くのは優しげなのも良い。
「難波の芦を刈り持ちて」と『正先』に座り、閉じた扇で打つようにして、芦を刈る型…観世流の型ってこうだったっけ…?鎌を使うように引くのではなかったか…??
『笠ノ段』はやや力が入り気味。。
「難波わたりの春の景色」と右を見てからゆっくりと左に見渡すと風情が有って、とても綺麗だが、『ロンギ』のあたりの型はやっぱり力み気味。
ツレ「いかに誰かある」と上品で、シテが“芦”を置いて去り、ツレ「今は何をか」としっかりでも女らしく、「いや、暫く」と隠していても、女心が見えるようで、良かった。
シテ「これはただ夢に」としっかり目で、静かに展開していき、地謡『クリ』はしっかりと勢いがあり、シテ『サシ』は静かだが、力が有る。
『クセ』はさらりと綺麗。
しかしこの後、『男舞』はメリハリが有って良かったが、他は、タイミングを計って、型を演じているような…ちょっと気が抜けてしまった様な印象で、綺麗ではあっただけに惜しい。



09年12月6日  観世会定期能(観世能楽堂)    (感想)
2009-12-25 03:42
『頼政』坂井音重・工藤和哉・大藏基誠・寺井久八郎・幸清次郎・亀井忠雄

ワキの『道行』はゆったりとして、「げにや遠国にて」としみじみとして良い感じ。
シテはどっしり、しっかりと『呼掛ケ』。「所のには〜」としっかりと言いつつ進み、『二ノ松』の手前で『正先』の方を向く姿は、老体でありながら、武士らしい威厳を保った感じが良い。
ワキ「槙の島候か」とワキ・シテで『中正』の方を見たり、シテ「なうなう旅人」とゆっくりと二人で向きを変えて、景色を見る様子も侘しげに美しい。。でも「月こそ出づれ」と静かな地謡はもう少し。。
シテ「いかに申し候」とややはっきりと上品で、案内する様子が分かりやすい。
「さん候」と静かで、『正中』に座り、どっしりと語り出す。
「扇のなりに」と悲しげで、「げによく御弔ひ候ものかな」と静かだが、しみじみと感謝している感じがリアル。

後シテはスラリと『一ノ松』へ出、さらりと少し悲しげな『一セイ』。
常座に行って、ワキの方を向いて「御経読み給へ」と優しく、その後も威厳を持って、どっしりと落ち着いた感じ。
地謡「雲居のよそに」と左袖を返してから、床几のかけ、「憂き時しもに」としっかり目で、地謡『クセ』もしっかり。「宇治の河橋」の足使いや、「大和路さして」と前をしっかりと見つめたり、「寺と宇治との間にて」と、ちょっと困惑した様子など、臨場感たっぷり。
「忠綱兵を」と、どっしりと引き締まる感じで、右の方に“面”を『キリ』、「弱き馬を」と右から左に体の向きを変えて、「弓弭を取らせ」と立って前に出、刀を抜いて切り込んでいく様子から、「頼政が頼みつる」とむなしげに静まる流れも綺麗。
シテ「是までと思ひて」で、刀を落とし、「扇を打ちしき」と『角』に出、扇を逆手に持って座り、「刀を抜きながら」と扇を刀に見立てて横にして持つ姿がとても美しい。
「跡弔ひ給へ」と腰を上げてワキの方を向き、かりそめながら」と立って、「他生の種の」とゆったり左に回りつつ扇を広げ、「草の蔭に」と『角』を向いて膝をついて扇を投げ、立って常座に行く姿は、既に残像の様に静かで淡い感じがした。


狂言『福の神』大藏吉次郎・宮本昇・榎本元

吉次郎さんは身軽な感じで、親しみやすい福の神という印象。
「嫌というほど〜」と首を振りつつ酒を飲む姿は、ちょっと色っぽいような…喜んでいる様な感じが良かった。
最後の笑いが純粋な子供みたいで、年末に相応しい。
今年最後の公演で見たかったなぁ。。


『葛城・大和舞』観世銕之丞・殿田謙吉・大藏千太郎・藤田六郎兵衛・曽和正博・國川純・助川治

ワキ・ワキツレ『次第』は颯爽として、しっかりと『名ノル』とすらりとした『道行』。
シテは静か目に『呼掛ケ』るが、自然な感じ。
シテ「これはこの葛城山に」と女らしい登場で、正面を向いて、「雪の吹雪に」と静かにしっかりとして、「見苦しく候へども」とゆっくりワキの方を向く様子に気品がある。
ワキ「嬉しく仰せ〜」とすっかり安心した感じが良く、シテは雪を踏みしめる様にゆっくりと進み、静かに案内する様子も上品。
「あまりに夜寒に」とワキの方を向くのは優しげで、『正中』に座り、「うたてやな」と、ややはっきりで、“枝”を置いて、「申すにや及ぶ」と強く言う感じも、「おりから雪も」と感慨深げな様子も良い。
ワキの前に“枝”を運んで扇ぎ、すこしワキを見つめている姿が、物言いたげな感じがした。
シテ「捨て人の」と寂しげな謡で、動きは優しい感じ。
「御体を休め」で『正中』に座り、「御勤めとは」と暗い気配に変わり、抑えた静かな謡だが、「今に苦絶ぬ」でワキの方を向く様子に切実に救いを求める感じが有った。

ワキは静かにさらりとした『待謡』。
後シテは「われ葛城の」とゆったりと威厳が有って、「法味に引かれて」で『引廻シ』が下ろされる(『引廻シ』はワキのセリフまで引かずに下にためていた…白い布が雪の様で綺麗でした)。
シテ「これ見たまへや」と静かだが迫力が有って、苦しげ。
地謡「葛城山の」とさらり、「恥ずかしや」でシテは少し俯いて、立って“塚”を出、「はじめて大和舞」と袖を被いたり、足拍子も静かで女らしい。
「ふる雪の」とどっしりの謡で、厳かに変化。
“幣付きの枝”を両手で持って座り、捧げる様に少し上に上げてから、ゆっくりと戻し、左右に振り、再び捧げてから立つと、常座へ行き、前に出て下がるの(小書のため舞は短い神楽になる)は厳かで美しいが、「高天の原の」とさらりとした地謡で、再び前に出て、“幣”を振るのはちょっと乱暴な感じ。。
「月白く」と『中正』の方を見たり、「おもはゆや」で扇で顔を隠したりするのも奥ゆかしく、さらりと帰って行く姿がとても美しかった。

今日の銕之丞さんは上品。私はそんなに銕之丞さんを見ていないけど、いつもと違ってとても女らしくて柔らかな印象で、とても好みでした。
天冠の蔦の飾りが渋い色で、そんな大人しい雰囲気も相乗効果を生んでいたのかも。。


仕舞『和布』刈岡久広

勢いはあるが、変に強調し過ぎる様に見える部分があって気になった。


仕舞『芭蕉・キリ』武田志房

初めはゆったりと綺麗だが、中盤はまったり。最後はしっとりとおさまって良かった。


仕舞『蝉丸』関根祥六

「名残惜しの都や」と『橋掛リ』の方を向くと、そちらに行きたそうな感じ。
「影見れば」と下を見て下がるのは、静かだけれど改めて驚くような感じが有って、女らしく美しい。


仕舞『小鍛冶・キリ』浅見重好

しっかりと重量感があるのに、身軽なところも有って、メリハリが利いて分かりやすかった。


『大瓶猩々』関根祥人・小早川修・大松洋一・下平克宏・松木千俊・則久英志・大藏教義・一噌隆之・亀井俊一・安福光雄・徳田宗久

シテ「わたづみの〜」とゆったりとした登場。
『正中』に座り、地謡『上歌』はどっしり目だがテンポ良く、「恥ずかしや」と静まってシテはワキの方を向く。
シテ「今は何をか」としっかりと答えるのも良い感じ。。

『一畳台』と『壷』が置かれると、ツレは『橋掛リ』に現れ、しっかりの地謡「待ちけるに」で座わるのは良いが、ツレ「不思議やこの友の」と大人しく元気なさ過ぎ。。
立って『招き扇』すると、幕が上がってシテの登場。
3人で『橋掛リ』に並ぶ姿は良かったが、酒を汲む様子はイマイチ。
ゆったり目の舞は大人数でもひどい人はいないけれど、すごく良くもなく、ず〜っと同じペースという感じで微妙。
「菊の露」とさらりとしながら、威厳も有って良かったが、ラストまで、まったりとした感じが続き、前半の方が雰囲気が有って良かったかも。。



09年11月22日  自主公演能(喜多六平太記念能楽堂)    (感想)
2009-12-08 02:57
仕舞『大江山』塩津圭介

静かで緊張感のある気配が好きだが、どの型も同じ様な雰囲気がして、もう少し。


仕舞『邯鄲』井上真也

力が入りすぎで、かっちりと型通り。。シテの謡は良かった。


『通小町』粟谷幸雄・粟谷充雄・村瀬純・藤田朝太郎・観世新九郎・柿原祟志

ツレはどっしりの『次第』でなんだか男前(苦笑)。「拾う木の実は」からしっとり目だが、やはりしっかり過ぎる。
「跡とひ給へ」とワキの方に『ツメ』るのは女らしいけれど、訴える感じがあまりしない。。

ワキの静かな『待謡』で、後ろに控えていたツレは常座に立ち、「戒授け給へ」とちょっと急いでいるみたい…シテの気配を感じているみたいで面白いなぁと思ったのだが、シテ「いや叶ふまじ」と幕の中からの声は静か目で、あんまり迫力がない。
地謡「なほもその身は」とはっきりと暗く、ツレ「人の心は」と静かにしっかりと謡って「薄を」とワキの方に進むと、幕が上がり、「包めど我も」とシテは暗く静かに現れる。
常の様に『招き扇』して『一ノ松』へ進み、見渡したり『打合せ』たりするのは少々弱く、「袂を取って」とツレの肘を掴んでしっかり止めるのは迫力が有るが、直後の『足拍子』も弱め。
ワキのセリフ中ずっとツレを見つめていたのは未練がましくて印象的。
「徒歩はだし」とどっしりな地謡で後見から“笠”を受け取り、シテ「笠に蓑」と責める様な強さが良いが、その後は弱めで、悲しい雰囲気。
『イロエ』も暗く、指折り数える姿も、理解してもらえない辛さがにじむが、どこか淡々と過去を回想する様なイメージ。
これはこれで良いのだけれど、もうちょっとストーカー的不気味さが有るほうが好きだなぁ。。「多くの罪を」での扇使いと、その後の合掌するする姿は静かだが綺麗。


『酢薑』野村萬斎・高野和憲

萬斎さんの酢売りは、最初はじかみ売りをバカにした感じなのに、“秀句”と言われると途端に楽しそうになる変化が良い。
今日は仲良くなって、明日の約束をする終わり方だったので、自然な流れで面白かった。。それにしても、この狂言バリエーション多いですね。。


『遊行柳』塩津哲生・森常好・舘田善博・森常太郎・石田幸雄・一噌幸弘・曽和正博・國川純・小寺佐七

ワキ・ワキツレはゆったりとした『次第』、『名ノリ』もゆったりで、ちょっと眠そう。。『道行』はどっしり。
幕が上がりシテは幕の中から静かに、しかし引き止めたいという気持ちの伝わる『呼掛ケ』。
ゆっくりと『一ノ松』に出て正面を向くと、「あれに見えたる」と見つめ、「成仏の縁ある」とゆったりと舞台の方を向いて、抑えた地謡で『常座』に向かう姿に静かな威厳が有る。
ゆったりの『上歌』でゆっくりと前に出て、戻るが、なんかすごい揺れちゃってる!(以前にもあったけど、最近大丈夫だったのに…体調でしょうか…。)
「風のみ渡る」と寂しげに見渡す姿は綺麗。
「またこれなる」と“柳の塚”を示し、「昔の人の」とどっしり目。
「この国に」と正面を向くと懐かしげで、「一首を詠じ」とちょっと自慢げ。地謡「道のべに」と静かで、シテは『正中』にワキの方を向いて座り、「御十念を」と合掌してから立ち、「寄るかと見えて」と“柳の塚”の中へ。

ワキ・ワキツレの『待謡』はしっとり。
後シテはどっしりと静かな謡。
「髪も乱るる」と『引廻シ』を横だけ外してちょっと待ってから下ろしたのが、勿体つける様で良かった。
シテ「何をか不審し」と静かに優しく高貴な気配。
「身に受けて」とワキの方を向いて丁寧な感じで、地謡「西方」で立って“柳の塚”を出、「ここにむかひ」とワキに手を合わせる。シテ「釈迦すでに」と抑えて静かで、地謡『クリ』で立ち、“塚”の前に戻り、『サシ』「すなわち」と静かで、続く地謡は「彼の黄帝の」としっかり目。
『クセ』はどっしりと綺麗。「手飼いの虎の」と綱を引く姿も優雅な感じで、謡に合わせた他の型も、老人らしさも有るけれどそれより精霊らしさが強い。
ゆっくりと『達拝』すると、初めはゆったり、どっしりとした『序ノ舞』で、最後はさらりと明る目。
シテ「青柳に」と伸びやかで、地謡「返す返すも」とワキの方を向いて座り、「報謝の舞も」と小さく『ヒラク』様にして、「名残の」と『シオル』姿も上品で、「いとま申さん」と立って「柳条を」としみじみ。
「今年ばかりの」で“柳の塚”の近くに立ち、「ただよふ」と前に出てゆっくりと下がり、「倒れ」と『角』を向きつつ腰を落として、正面を向いて座り、「床の」と袖を被いで顔を隠し、袖を戻して、「上人の」で立って「西吹く」と左の方を見、扇を左手に持って、払う仕草なども、ふんわりと柔かで、『遊行柳』にしては明る目なラスト。


仕舞『谷行』友枝雄人

「倒木磐石押し倒し取り払って」と、どかす仕草が軽々なのはいいけど、かなり小さい物を動かしたみたいに見えた。。
他はダイナミックでは有るけれど、硬い感じ。


『雷電・替装束』佐藤章雄・高井松男・梅村昌功・野口能弘・竹山悠樹・内潟慶三・幸信吾・亀井実・梶谷英樹

ワキは『正中』で「比叡山延暦寺の」とどっしり。
「月は隈なき」で幕が上がり、シテは扇を笏の様に持って、ゆっくりだが、スッスッと『一ノ松』へ。
正面を向いて「ありがたや」と静か目で、「望みを叶え」と少し強く言ったり、「満山」とワキの方に『ツメ』、「中門の」と『シテ柱』を扇で叩くなど、は心情と景色がよく分かる。
「世に嬉しげに見え給ふ」で、シテは床几にかけ、ワキ「御身は」と静かで、シテ「さん候」と丁寧なのは良いが、その後はなんだか普通の人って感じ。
「その時承相」とビクリと身体を起こし、扇を広げて立つと、前に出、「置きたるを」と取り上げて『角』に投げるようにして下がり、左に3回回りつつ地謡の前に行き、『角』を指し(手は掴んでる様な形)たりと、さらりと綺麗な感じで、もう少し迫力が欲しいかも。。

“一畳台”が二つ並ぶと、ワキは『ワキ座』の“一畳台”に上がり、しっかりの謡。
地謡「不思議や」とどっしり、たっぷりで、「ひらめき渡って」で幕が上がり、シテは衣を被いてズッ、ズッ、っと『一ノ松』へ重量感が有る感じがとても良い。
「鳴神の」で少し体を起こして衣を後ろに落とすが、凄みがない。
シテ「あら愚かや」も大人し目で、「引きつれて」と招く仕草をして舞台に向かう部分は良いが、その後のワキとのやりとりは、シテもワキも地謡も迫力にかける感じがして惜しい。

今日は『替装束』なので、指貫、狩衣、黒頭…通小町とかぶりぎみの装束になっちゃてましたね。。



09年11月20日  観世家のアーカイブ(東大駒場博物館) (感想)
2009-12-02 04:30
話しが前後してしまいましたが、20日に『観世家のアーカイブ』を見て来ました。
13時から10月9日の薪能のビデオが見られると聞いていたので、そのころ着く様に行きましたが、ガラガラ(苦笑)。
外では学祭(?)の準備で賑やかだったので余計に寂しい感じ。

さて、勝手にもう少し大きなモニターをイメージしていたのですが、家庭用のTVの前にイスが並んでいるだけで、しかも隣に空調設備が有って、たまにうるさい。。
それでも、『萩大名』と『紅葉狩』、1時間40分を全部見てしまいました。。
当日は風が強かったみたいで、扇が吹き飛ばされそうな勢いで、大変そうでした。
綺麗でしたが、…そういえば『紅葉狩』はしばらく見ていないなぁ…やっぱりビデオじゃ、しかもこの画面サイズでは集中しきれず、まぁこんなものか…って感じでした。そして寒かった。

肝心の展示の方は、よくまぁこれだけ残っていたなぁと感心するものばかり。
本で見たことがある物も有って、これが実物かぁと思ったり、「装束古裂帳」なんか、出版されたら買うのになぁ…とか、ネットで見られるようになった事を忘れて、一瞬思ったりしたのでした(笑)。

それにしても、よくこれだけの点数をデジタル化しようと思って下さいました。しかもネットで公開なんて。。
国会図書館の一部の資料もネット見られるようになってきたし、この調子で色々見られるようになったら便利ですね〜。

観世アーカイブはこちら→http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp:8080/kanzegazo/index.html
時間が有れば、片っ端から見たいけど。。無理だ〜。



09年11月21日  東京金剛会(国立能楽堂)    (感想)
2009-11-30 03:03
連吟『雨月』斎藤忠・吉田信司・佐藤定祐・金子晃・川合重穂・猪野宏實

初めは少し無骨な感じだが、「雨にては」から少し明るく、最後はしっとりと静かで綺麗。


仕舞『経正・クセ』高橋雪絵

立ち姿がかっこいいのだが、動きはさらさらと物足りない。ゆったりの部分はわりと迫力が有った。


仕舞『半蔀・クセ』高木貞次

上品で雰囲気があって綺麗。


仕舞『天鼓』猪野宏實

型は大きくはっきりだが、舞台を廻ったり、移動すると流れが途切れてしまう感じ。。


『三井寺』山田純夫・町田遼・殿田謙吉・宝生欣哉・野口能弘・山本則俊・山本則重・松田弘之・曽和正博・柿原弘和

シテはゆっくりと『正中』に座り、「南無や〜」とどっしりと静か。
「ましてや」と悲しげな様子。「あら不思議や」と“面”を上げると明るく、強く信じている感じが良い。
床几にかけ、アイに話す様子も、座って合掌するのも上品で綺麗。

後シテはさらりと『一ノ松』へ出、静かな『サシ』、「かやうに心を」と右を向くとしみじみとした風情。
さらりとした『カケリ』でゆっくりと“笹”を肩にかける姿が美しい。
「都の秋を」と静かで、続く地謡も静か。「花も紅葉も」としっかりで、『正中』に出、「わが子の」と『シオル』のは、急に子供の事を思い出した様で、悲しげ。
「風すさまじき」と向きを変えると、風に翻弄されるみたい。
「折りしも今宵は」としっとりで、舞台を廻ったり、「月の誘は」と“笹”を櫂に見立てた姿も綺麗。
『一ノ松』に行き、アイが“鐘”を撞くと、シテはゆっくり目に戻って来て、アイの肩(腕)を“笹”で打ち、アイが「は、蜂がさいた」と驚いて避けると、「わらわも鐘を」と真剣。(ココのアイとの絡み方が流儀によって微妙に違いますね。。)
「あら面白の」と上品だが、ワキの制止にはしっかりと反論。
「法の声」で“鐘”を見つめると、高貴な迫力が有って、神憑り的な『鐘ノ段』。
「眺めおりて」でゆっくりと座ると、地謡『クリ』はさらり、『クセ』からは重めにしっとりと綺麗。
シテは立ち、「月落ち鳥鳴いて」と静かで、続く静かな地謡でゆっくりと舞台を廻り、「月すむ」と“鐘”を見つめ、ゆっくりと座る姿は寂しげで、「あらわが子」と『シオル』姿が可憐。
子方「いかに申すべき〜」とはっきり。(実は頻繁に立てる足を変えていたし、だんだん暑くなっちゃたみたいだったので、心配でした。。)
子方に寄ろうとしたシテはワキツレに止められて、下がって『両シオリ』…初め止められてびっくりした様子から悲しいげでな感じで、この後もしっとりと切ない気配。
シテ「嬉しながらも」とやや俯きぎみのままで、「何ゆえぞ」で立って、「この鐘の」と“鐘”を見、扇を広げつつ『常座』の方に回り、『招き扇』しつつ、子方に寄って、「鐘ゆえに逢ふ」と2人で“鐘”を見てから向き合って、『シオル』姿は、まだ目が合わせられないんだけど、心は通じ合っている様な、安心感が有って良かった。


狂言『文山立』山本則直・山本則俊

2人とも、つかみ合う様子は力が入ってる感じが有って良いが、端に寄って、“危ない!”という場面では焦っている感じがあまりしなかったの惜しい。
最後は微笑ましい感じだ出ていたが、もっとはっきり変化しても良かったかも。。


仕舞『砧』金剛永謹

しっとりと綺麗な地謡。、全体にゆったりと綺麗で、寂寥感もあるが、あんまり女らしくない…と思ってしまった。
「月の色」での『月の扇』はとても色っぽかったんだけどなぁ。


『土蜘蛛』遠藤勝實・熊谷伸一・高木貞次・斎藤忠・安田登・高橋正光・野見山光政・山本則秀・寺井宏明・野中正和・高野彰・徳田宗久

熊谷さん:頼光「ここに消えかし」と静かにどっしりと力ない感じが良く、高木さん:胡蝶は丁寧で自然。
シテはゆっくりと『一ノ松』に出、「月清き」とどっしり。
正面に『ツメ』て、頼光の方を向いて、「いかに頼光」と脅すようなすごい迫力!
『正中』に行って「かくるや」で頼光に向かって、左、右、と“糸”を投げるが、見事に良く飛んで綺麗な長い“糸”が広がる。さすが本家金剛流!
地謡「化生と見るより」で立った頼光と、シテは切組んで“一畳台”に上がり、『角』を廻って膝をつき、すぐに立って幕に駆け込むまで、迫力が有って綺麗。
頼光は「形は消えて」で突然の事に呆然とした感じで“一畳台”に戻るが、刀を突き立てる様に持って、まだ気を抜かないぞ〜という態度が勇ましい。
ワキは駆け込んできて、「御声の」としっかりだが、あんまり慌ててない様な。。
頼光「さても今夜」と自然に物語するのが良いが、ワキは「あとを見申すに」と『脇正』の方を見渡すのがちょっとくさい。
アイはさっと現れて、勢いを失わない感じで、テキパキとした語。
“塚”が置かれると、ワキ・ワキツレが『橋掛リ』に並び、勇ましく『一セイ』…でも少し力み気味。。
「崩せや崩せ」としっかりと静かな地謡で、ワキ・ワキツレは舞台に入り、“塚”を囲むと緊張感が有る。
「塚の内より」と“塚”が揺れ、『引廻シ』が下りると、“塚”のくもの巣が正面に2つ付いていて綺麗。
シテはどっしりと謡い出し、「糸を繰りためて」のあたりで、“打杖”を振り上げて、右側のくもの巣を切り、「投げかけ」と“塚”の中から上の方に向かって2つ“糸”を投げ、(これも綺麗に広がった)“塚”の右側から出て、右・左と投げるがこれは既に広がった“糸”に絡んでしまった感じだったが、ワキを追って『橋掛リ』へ行く。
打ち付ける様な型を交えながら、ワキと3回入れ替わるように『橋掛リ』を走り、最後は舞台まで行くと振り返ってから、“塚”の中へ。
ワキ・ワツレが“塚”を囲み、ワキ「しかりとは」としっかりと謡うと、シテは前のくも巣を破って前に出、ワキに詰め寄り、「恐るる気色を」で下がって右に2回、回って膝をつき、“糸”を投げるとサッと幕に駆け込んだ。
最後はよどみなく、負けた感じがあんまりしないとも言えるくらい(苦笑)勢いが有って、面白かった。



09年11月8日  月並能(宝生能楽堂)    (感想)
2009-11-23 02:17
『三笑』近藤乾之助・山内晶生・高橋亘・小倉健太郎・高部恭史・松田弘之・観世新九郎・亀井実・金春國和

シテ『サシ』はさらりと始まり、「六字を礼して」と抑え、「かくて流れを」とどっしりと綺麗。しかし地謡は静かにしっかり目だけれど、締りがなく、せっかくの雰囲気が壊れた。。
『引廻シ』が下り、子方・ツレが『橋掛リ』に並び、ツレはさらりと『一セイ』。
「頃もはや」と静かな地謡で、子方・ツレは舞台に並び、淵明「いかにこの〜」とはっきりと声をかけると、シテは立って、招く様な仕草をするが、とても威厳が有ってかっこいい!
地謡「廬山に」で『作り物』を出、“床几”にかけると、「何事にて候ぞ」と穏やかな対応で、問いには静かに威厳を持って答える。
地謡「この滝を」で、『中正』の方を示すのは貫禄が有るけれど、景色はあまり見えてこず。。
「心静かに」と“床几”を下りて座り、地謡『クセ』はどっしり目だがさらりと進む。…この間、シテの姿勢が少し前傾ぎみに見えたが気のせいかなぁ??
シテ「菊の白露」と静かで、子方は扇を広げて酌をし、綺麗とは言えないけれど、ちょこまかと可愛らしいく舞う。
「花を肴に」とシテが立つと一気に厳粛な雰囲気に。。
気迫のこもった『達拝』の後、ゆっくりと舞台を廻り、静かにさらりと、興にのった舞。
「よろめき給へば」と下がると、ツレ2人が左右から支え、シテは2人と顔を見合わせる、気さくな雰囲気がとても良いが、そのまま前に出、「淵明」とシテは『常座』ツレは地謡の前に並んで向き合って『打合せ』は自然な流れが急に途切れて静かな“型”になってしまった感じがして惜しい。。(まぁそういう型なんだけど。。)


狂言『蝸牛』野村万蔵・山下浩一郎・野村扇丞

山伏:万蔵さんは一生懸命な感じがして、からかう様子も楽しそうという感じはあまりしない。しかし最後に囃してもらうとノリノリで楽しそうだった。


『六浦』中村孝太郎・宝生欣哉・小笠原匡・寺井宏明・幸信吾・上條芳暉・観世元太郎

ワキ・ワキツレの『次第』は静かで綺麗だが、『道行』はもう少し。。
シテ『呼掛ケ』はちょっと暗くて聞きづらい。
「これはいにしへ」とどっしり目に謡いつつの登場は上品で良いが、「いかにして」と『二ノ松』で正面を向くと寂しげに見える。。
「この木心に」と控え目で、「今に紅葉を」もちょっと弱すぎる印象で、「今は何をか」のあたりははっきりだが、『中入』まで弱い感じ。

ワキ・ワキツレ『待謡』はどっしりと美しい。
後シテ「あらありがたの」としっかりで、「それ四季おりおり」と静かで、その後も上品だけど動きに張りがなく微妙。
ゆったりの『序ノ舞』は悪くはないけれど、きっちり過ぎる感じ。
「秋の夜の」と静かで、どっしりと綺麗な地謡が良く、ゆったりとしたシテはやっぱり弱めな印象だが、地謡に助けられたかな。。


『阿漕』東川光夫・野口敦弘・吉住講・小野寺竜一・住駒匡彦・大倉正之助・徳田宗久

シテはゆっくりと『常座』へ出、静かにしっかりと謡い出すのは良いが、「こなたの事にて」とワキの方を向くのは、少々勿体つけ過ぎ。
「あらやさしの旅人や」と再びワキの方を向くのは穏やかで、『掛合』はワキはさらり、シテは次第にどっしりとして「月見んとての」と少し見上げたりも綺麗。
しかし、「語って聞かせ〜」とこれもため過ぎな気がする。
『正中』に座り、しっかりとした『語』は良いけれど、ちょっと“若い”感じもする。。
「さなきだに」と悲しげで、ワキの方を向いて合掌するのは弱々とした気配で良い感じ。
シテは立って、「すはや手繰りの」と“綱”を持ち、絡める仕草はパッパッっとやり過ぎな気がしたが、「にはかに」と下がって『角』の方に“面”を『キル』のは驚いた感じが有って良く、『常座』に行って「あとかたも」と正面を向くとスーっと消えた様で良かった。

ワキ・ワキツレは「いざ弔わん」としっとり目。
後シテはゆっくりと『一ノ松』に出、「海士の刈る」としっとり。
「引かれぬよのう」と少し『正先』の方に乗り出すのは、やる気とうしろめたさが混じる様で良いが、「道をかへ」と戻ったりは型通り。。
「なほ執心の網置かん」の後、『角』出て座り、“網”を置いて立つと、陶然と『一ノ松』に行き、『正先』の方へ『ツメ』、左手で前髪を掴んで見つめる姿が憂う様で綺麗。
『常座』へ戻り、“網”を見つめてから、右、左と魚を追うのは分かりにくいが、"網”の棒の部分を足で押さえて“紐”をもって急いで立つと「伊勢の海」とはっきりで、地謡「わが罪を」と、どっしりの謡で“紐”を引き上げて“網”を手にして後ろに投げるのは驚く感じが有って良い。
扇を手にして「丑三つ過ぐる」と静かに前に出てからは寂しげな感じで、「紅蓮大紅蓮の」の後に急に激しい型が続いてメリハリがはっきり。
でもそれは地獄の責めを現すよりも、自身の辛いという思いの表現という感じがした。


今日のワキ方の装束は素袍姿。つまり今日のワキ方は僧侶ではなく、通りすがりの旅人たち、という解釈なのですね。



09年11月4日  定例公演(国立能楽堂)    (感想)
2009-11-17 02:05
今日の公演は出演者変更が多発!
茂山忠三郎さん→山本東次郎さん佐野萌さん→近藤乾之助さん、後見も寺井良雄さん→副後見が主後見になって副後見が武田孝史さんに。


狂言『泣尼』山本東次郎・安東伸元・善竹十郎

僧:東次郎さんは初めから冷静で、不安がる必要なさそうなのだが、尼が来ることになると、自信たっぷりに変化したので納得。
尼が寝てしまい、まずいなぁ…と困惑する様子から怒りに変わるまでが自然。
十郎さんの尼は退屈そうに数珠を振ったり、寝ていたのに、最後だけ殊勝にする、とぼけた感じがなんとも面白い。
最後に「お・ふ・せ」と女っぽくねだるのがとってもチャーミング。


『遊行柳・朽木留』近藤乾之助・宝生閑・宝生欣哉・大日方寛・古川道郎・杉市和・幸清次郎・柿原祟志・前川光長

シテの『呼掛ケ』は遙か彼方から聞こえた様に遠く、ゆーっくりと、少しずつ歩みを進め、「はるばるこれまで」と幕の前にやっと現れる…本当に遠い!
「昔はこの道なく」と正面を向くと景色が広がり、再び舞台の方を向いて、(たどり着くかな…と思うくらい)ゆっくり進む。
「露分衣」と右を見たり、「影踏む道は」と『橋掛リ』の方を見たり、「風のみ」と『脇正』の方を向いて『胸杖』すると、空気感が伝わり、しみじみと美しい。
『正中』に座り、ワキの方を向いて「昔の人の」と、ちょっと聞いてくれて嬉しそうな気配。
「六時不断の」としっかりで、「御覧じけるか」と抑えてたっぷりと綺麗。
静かに地謡が受けて、「柳陰」で立ち、少し前に出て止まり、「残る老木は」と右下を見ると、自身が柳であると暗示している感じがした。
「かくて」とワキの方を向いて座り、「御前を」と杖を両手で持ってすがる様に立ち(…立つのがリアルにつらそう)、ゆっくりと“柳の塚”の中へ。

ワキ・ワキツレのしっとりと綺麗な『待謡』の後、シテは「げん水羅紋〜」とかすかな謡。
地謡「衆生称念」としっかり目で、「有様なり」で『引廻シ』が下りると、シテはやや右向きで床几にかけていた。正面を向いて「何をか不審」と気高さが有って、「御法の教え」とゆったりと豊かな謡が良いが、地謡がもう少し。。
シテは立つと前に出、ワキの方を向いて「上品上生に」と座り、ワキを見ている姿に感謝がにじむ様で良い。
シテ「釈迦すでに」と憂いを含み上品で、地謡『クリ』で立って床几にかけ、「すなわち」とちょっと弱い感じなのだが、それが草木の精らしく、控えめに思えた。
地謡「宮前の」とたっぷり目で、押さえた『クセ』で立って『角』に出ると、高貴な気配に変わり、綺麗な型が続くが、「沓の音」のあたりで足元を見た…蹴鞠の型?はちょっと分かり難い。
「柳桜を」と静かに明るく、地謡も綺麗。
舞は足が全然出なくて、途中で方向を失って『脇正』の方に進んでしまい、ギリギリで後見に直してもらったけれど、それなのにとても綺麗で、落ちる危険がなければ、方向なんて関係なく舞い続けたら、どんなに美しかっただろうか…と思う。
「青柳に」と爽やかで、ワキに向かって座り、「名残の」と『シオル』姿も美しく、「春の柳の」と深々と頭を下げてから立ち、謡いに合わせた型が続き、「露も木も」とゆっくり右に回って『橋掛リ』に向かって、ゆっくりと幕に入る。。
ワキは見送って、囃子が終わる(残留)、余韻のあるラスト。


朽木留のなのに、囃子は『残留』だったけど、幕に行っちゃった…と思っていたら、宝生流の『朽木留』は幕に入るのですね…後でパンフレットを読んで知りました。
てっきり観世流と同じで、“塚”の中に座るのだと思っていました。
またまた不勉強が露呈。
それはそうと、この日の乾之助さんは足が痛くて歩くのも大変な状態であったと、終演後に聞きました。
確かに、足が出ない感じも有ったし、後半は立つのに両手をしっかりついていたしで、座る場面を省略できないのかなぁ?とか、最後に『橋掛リ』を帰って行くのを見ていたら、手前に幕を下ろしてあげたい!とか思ったのですが、そういう場面が有っても、それが全然、弱いイメージになる事はなくて、良い舞台でした。



09年11月1日  友枝会(国立能楽堂)   (感想)
2009-11-12 03:28
『江口』友枝昭世・井上真也・佐々木多門・宝生欣哉・則久英志・梅村功・野村万蔵・一噌仙幸・曽和正博・柿原祟志

シテは静かに『呼掛ケ』て現れると、『二ノ松』で止まって『正先』を見、「その理をも」と舞台の方に、スーっと流れるように進み、「いやさればこそ」と静かだがしっかりと謡いつつ、『常座』へ。
「人とし聞けば」とやや強く、賢そうなイメージ。
シテ「黄昏に」としっとりで、「ほのぼのと」と少し前に出ると色っぽい。
ゆっくり陽炎が消える様な中入も綺麗。

ワキ「いざや御跡を」とはっきりな謡の途中で少し幕が上がり(『半幕』)、「不思議さよ」で下がって、すぐにまた上がって“作り物”の“舟”が『一ノ松』に出される。…“舟”を出す動作でちょっと中断されるので『半幕』の効果は微妙。
いっそ“舟”を出さないって無理かなぁ。。

シテ・ツレは“舟”に入り、「川舟を」とはっきり謡い出し、続く地謡は静かに綺麗。
シテ「何この舟を」と上品な様子で、ツレと向き合う姿も優しく自然。
シテ・ツレ「秋の水」からしっとりで、「うたへやうたへ」と扇でツレ2人を促す仕草や、小さく舞う様に“舟”の中での型も優美。
“床几”にかけてから『サシ』は悲しげで、地謡も静かに美しく「思ひやるこそ」とゆっくり『シオル』姿は悲しげだが、どこか達観した大人な気配。
地謡『クセ』はとても抑えて美しく、「夕べの」でシテは立つと、さらりとした型が続き、「心なき草木」とゆったりと舞台を廻ると寂しげで、「ある時は」とはっきりでも儚さが有って綺麗。
静かに『達拝』して舞い始めると、初めはゆったりと清浄なイメージながら『足拍子』に鋭さが有って、後半はさらりとメリハリが有る。
「実相無漏の」と静かに高貴な気配。
「普賢菩薩と」と小さく『ヒラキ』、「舟は」と右に回って『橋掛リ』の手前までサッと進み、ゆったりと『橋掛リ』を進むと、「西の空に」と少しかがんで、白象に乗った事を表し、ゆっくりと幕に消えた。

前半からとても綺麗で、菩薩の気配を前面に押し出して、優雅で長さを感じさせない舞台だったが、前に同曲を見た時の方がインパクトが有った気がする…前回は友枝さんでは初見だったのと、小書付だったので、一概に比較できないけれど。。


狂言『茶壷』野村萬・野村扇丞・野村万蔵

シテ:萬さんは旨いけれど、こちらも以前見た同役の時の方がパワーが有った気がする。
判者:万蔵さんは最後にさっと持って行っちゃう、しれっとした雰囲気が良かった。


『黒塚・白頭』友枝雄人・大日方寛・野口能弘・小笠原匡・一噌隆之・鵜澤洋太郎・柿原弘和・観世元伯

“引廻し”が下りるとシテは「げに侘び人の」と寂しく、はっきりの謡でも儚さが有る。
ワキは宿を借りる立場の割りに、ちょっと偉そうな気も。。
シテは常の様に“萩柴屋”を出て、その前に座り、“枠?輪”が『正先』に出せれると、「これは」といかにも当たり前の物という感じで話し、ゆっくりと立ってその前に座る様子に恥じらいが有るのも自然。
「閨の内に」で左手で“糸”を持つと、ゆっくりと繰り、手を休めて最初の『シオリ』は綺麗だが、「「徒なることを」での『シオリ』はちょっと男っぽいかも。。
地謡「さてそも」からしっとり目でテンポ良く、シテは侘しげ。
「長き命の」と苦しげに謡いつつ再び糸を繰りはじめ、「泣き明かす」と『シオル』のは、子供が突然泣き出すように、急にワッと泣き出した感じがして、それまでの大人し目はイメージとは違う気もするが、感情があらわになって、本性を現す前段階としては良かった。(とは言え、このあたりは柱で良く見えなかったのだが。。)
シテ「あまりに夜寒に」と一瞬、不気味さが覗き、「上の山に」と上品に戻って、「通いなれたる」と静だが、有無を言わせない気配も良い。
ゆっくりと“萩柴屋”の横まで行って止まり(この“間”がいい!)、2歩くらいサッと出て振り返り、しっかりと釘を刺すと、ワキを睨みつつゆっくりと右に回って『橋掛リ』に進み、『一ノ松』で止まって、着物を持って裾を上げる様にして、滑る様に中入。…止まる姿は力がこもってとても綺麗だが、動くとちょっとやり過ぎな感じ。。

後シテは『一ノ松』までさっと出、「いかにあれなる」とはっきり、は良いが、見渡したり、“面”を『キル』のも硬さが有って、でも迫力はちょっと弱い。
「あたりを払って」と“打杖”を振り上げる姿は綺麗だけれど、迫力は無く、その後も、睨み上げる…ためる時は力が有るのに、杖を振ると弱い感じ。
「さて懲りよ」で“打杖”を捨て、扇に持ち替えると、舞っている様な感じがしてしまい、もう少し。前半は割と良かったのになぁ。。



09年10月31日  特別公演(国立能楽堂)   (感想)
2009-11-07 02:26
『松尾』田崎隆三・東川光夫・高井松男・則久英志・梅村昌功・山本則孝・藤田次郎・幸正昭・亀井広忠・小寺佐七

ゆったり目の囃子『一声』で、シテ・ツレは『橋掛リ』へ。
とてもゆったりとした『一セイ』は出だしは良いが、謡がちょっと安定してない感じ。
シテ「老人とは」とワキの方を向く様子は丁寧で、謂れを話す様子はやや厳かなのは良い。
しかし、『クリ』『サシ』『クセ』とパッとせず。
シテ「梅津の桂の」と静かに伸びやかで、続く地謡はさらり。
「慈尊の三会」で立って、ゆっくりと『常座』へ。
シテ・ツレ「時しも今日の」と老人らしくどっしりと上品。

『出端』で現れた後シテは『一ノ松』で「それ千秋の」と伸びやかだが、迫力はいまいち。
神舞はゆったり目で、余裕が有る気がして綺麗だと思ったが、だんだんまったりとして、爽やかさが欲しい。
シテ「庭燎の影も」と静かに上品で、とても綺麗。
「白妙の雪を」と左、右と袖を返し、そのまま『角』に出て、内側を向いて少し静止する姿に迫力が有って、最後は良かった。


狂言『魚説経』山本則直・山本泰太郎

家に着くまでの2人はやや単調。
「何、説法をせいと…」と、とても驚いた様子や、最後にいつまでも魚の名を言うのをやめないのが、楽しくなっちゃった感じで、良かったが、全体に2人ともかため。


『定家』関根祥六・福王茂十郎・福王知登・永留浩史・山本東次郎・一噌仙幸・曽和正博・安福建雄

ワキ・ワキツレはゆったりと登場。静かな『次第』、落ち着いた『名ノリ』、どっしりゆったりと綺麗な『道行』で「面白や」と独り言の様な自然さながら、風情が有る。
シテはゆったりと『呼掛ケ』。
「それは時雨の」としっかり目で高貴な印象。謡つつ進み、「ここにて歌を」と『一ノ松』でちょっと止まって再び進み、「古跡と言ひ」と寂しげだが、その後も悲しみを容易く表に出さない様な高貴な気配。
「人は徒なる」とむなしげで、ワキは優しく「折からに」と言うとシテはワキに寄って…心理的にも距離が縮まった感じ。
地謡「今降るも」と静かにたっぷりと美しく、「底も」と『脇正』の方をしばらく見る姿も、「夕べなりけり」と下がる姿も美しい。
「これは式子内親王の」とはっきり目なのは良いが、「またこの〜」のあたりはよく聞き取れなかったのが惜しい。。
「式子内親王が」と静かに語り出し、「葛となりて」と少し強くて思いがこもる。
謡『クリ』は、はっきりだが憂いを含み、静かな『サシ』は悲しく美しい。
ぐっと抑えた『クセ』が続いて、「げに嘆くとも」と重く悲しげ。
「今はうらまじ」とはっきりだが、孤独な感じで、「これまで見え来たれども」と立って、「真の姿は」と下がって“塚”に軽く当たって止まり、「真の姿は」とワキに向かって訴えかける様な感じで、とてもゆっくりと“塚”に消える。

後シテはどっしりと暗い謡い出し。
『夕べの雨と」搾り出す様な声で、「外はつれなき」でゆっくりと“引回シ”を下ろすと、ちょこんと小さくなってしまった印象で、静かに“床几”にかけている。(“引回シ”を下ろしたら、そのまま下にためておいて、シテのセリフが終わるまで待ってから、下げていた。ちょっとした事だけど良かった。)
シテ「ご覧ぜよ」と苦しげで、「ただ今」とやや明るく、ゆっくりとワキの方に“面”を向ける様子がやわらか。
「一味の」とゆったりの地謡で、「ほろほろ」で、ピクリ、ピクリと手を動かして呪縛が解けた様に立ち上がるのも良い。
ゆったりと美しい『序ノ舞』はどこか寂しげで、昔を思い出している様な気がした。。
「面なの舞の」と静かでやや明かるいが、明るいのはここだけで、すぐに再び沈んでいく。。
扇を少しだけ細めにして左手に持ち、「定家葛」と“塚”の横から入り、前に出て、「はかなくも」と反対側から中に入り、『角』を向いて一歩下がり、「埋もりて」と扇で顔を隠しつつ座る…扇が全開ではないから(低めだから?)目元が覗いていて、色気が有って良い感じ。。

基本的に暗めの展開で、結局もとに戻ってしまう事を分かっているような、悲しい展開に思えたが、最後のちょっと勝ち誇る様なその視線が、ここまで愛されている自分って、いい女よねぇ…と自己陶酔の様にも思えた。。



09年10月25日  自主公演能(喜多六平太記念能楽堂)   (感想)
2009-11-04 03:44
『清経』高林呻二・井上真也・宝生欣哉・小野寺竜一・森貴史・大倉栄太郎

ツレ「淡津の三郎と申すか」とちょっと急かす様な口ぶりで、気が強そうな気配。
「なに身をなげ空しく」と、とても強く、怒りをあらわにするが、次第に少し悲しげになるものの、『シオル』手に力が入っていて、やっぱり怒っている感じ。…形見をつき返すのだからこのくらいの方が自然かも。。
形見を手にして「見るたびに」からしっとり。

シテはゆったりと静かに『常座』に出、「聖人に」と憂いを含んでさらり。
「行くも帰るも」で『橋掛リ』の方を向くのは大げさな感じがしたけれど綺麗。
「いかに古人」とさらりとツレに向かって言うと、ツレは「不思議やな」とはっきりと強く、シテはしっとり目で、「形見ぞかし」とツレの方を向いたり、「怨ざれば」とツレの方に寄るのは訴える感じが有って良いが、『シオリ』は形式的。
シテは"床几”にかけ、しっかりと語り出し、「虫の音も」と下を見、「秋の暮れかな」と『打合』はちょっと芝居臭いけれど効果的。
「心細くして」で立ち、『正先』に出て下がって座り、手をついて「哀れなりし」と『シオル』姿には無念さが漂う。
立ち上がり、『クセ』は静かで、謡に合わせた型は迫力が有りながら美しい。
「腰より横笛」と扇を抜き、笛のように持ったり、「夜の空」と『雲の扇』や『正先』に出て、「船よかっぱと」と左袖を返し『中正』の方を向いて「底の水屑と」と左に回りつつゆっくりと座って『シオル』姿もとても綺麗。
シテ「言ふならく」と悲しげに過去を振り返る感じは良いが、力が抜けちゃったみたいで、この後はなんとかこなした感じで、惜しい。


狂言『呂連』三宅右近・澤祐介・前田晃一

突然の申し出に、めんどくさそうな僧:右近さんと、自分で言い出しておいて、妻が怒ったら乗り気でなかったのに…ととぼける亭主:高澤と亭主を愛しているなぁ…という妻:前田さんのバランスもテンポも良く、とても纏まって面白かった。


『三井寺』香川靖嗣・金子龍晟・宝生閑・梅村昌功・御厨誠吾・三宅右矩・三宅近成・松田弘之・森澤勇司・柿原祟志

シテはゆっくりと虚ろな歩みで『正中』に座り、「南無や〜」とはっきりでも悲しげ。
『下歌』はさらに悲しく、沈んでいくが、儚さとは違う…母の強さみたいなものがある。
「あら不思議や」と自然に気がついた感じで、"床几”にかけて、夢現な様子で語る様子も美しい。
ワキ・ワキツレの『次第』は閑さんの声だけがよく聞こえる。。貫禄の有る『名ノリ』も『上歌』のしっとりと風雅な感じも良い。

『一ノ松』での後シテ『一セイ』は伸びやかに悲しく美しい。
「あら、ありがたの」と手を合わせるのは爽やかで、信心の深さが現れた感じ。
「親子の哀れは」と『サス』と少し力が入って思いがこもる様で、スルっと舞台へ進み、さらりとした『カケリ』は子供に会えると信じている強さと、聡明さが見えて、“狂女のふり”なのだな…という印象。
「都の秋ぞ」としっかりだが、悲しげで、地謡「わが子の」で前に出て見つめる姿が綺麗。
ワキのしっかりとした謡、シテも静かに寂しげで、抑えた地謡が続いて「風ぞ時雨に」と右を向いてゆっくり進んで前に出るのはさまよう様。
ゆっくり『橋掛リ』に進むと、アイが“鐘”を撞き、気がついた様に振り返ると、やや早い足取りで戻り、アイの背中を“笹”で叩いて、「我も鐘を」と積極的。
シテ「夜公が楼に」と静かだが強く、「ましてやつたなき」とワキに寄って手を合わせる様子も説得力が有る。
「諸行無常」と、どっしりだが、重すぎず綺麗で、「はやつきたりや」と“鐘”の紐を持った手を挙げ、「我も」と扇に紐をかける様にして右に回りつつ、紐を落とし、「眺め居りて」と“鐘”を見るのも美しい。
ゆっくりと『正中』に出て座り、しっとりとした『クリ』、静かな『サシ』、地謡『クセ』は抑えて暗く、「また待つ宵に」と少し“面”をテラし、地謡もたっぷりとして、「寝覚め程経る」とゆっくりと『シオル』。
シテ「月落ち」と儚く、「波風も静かにて」と『中正』の方を見渡す姿には儚さと色気が有って、とても綺麗。

「これは駿河の国の」とゆっくりワキの方を向くと、「あら不思議や」と真剣で、「これは正しき」と、はやる様な様子がリアル。
最後は嬉しそうで、「この鐘」と“鐘”を見てから子方に手をかけて立ち、「鐘ゆへに」と『シオル』のも嬉しさと感謝にあふれていた。

はっきりと分かりやすいけれど、程よいバランスで見やすい『三井寺』でした。


仕舞『殺生石』狩野了一

はじめのうちはちょっと硬い感じがしたが、弓をひく姿とか、後半は力強く綺麗で、「この後」とやわらかく丁寧に変化して纏まっていた。

『融』佐々木宗生・大日方寛・澤祐介・槻宅聡・亀井俊一・安福光雄

シテ『一セイ』はどっしり目は良いが、“桶”の紐を放すのはおっかなびっくり。。
『サシ』『下歌』『上歌』と寂しげな風情。
「しばらく休まばやと〜」と疲れた感じはリアル過ぎ。。
ワキは『名ノリ』から重めだったが、やっぱり『問答』も重い。
シテはさらりとして「さん候あれこそ」と右の方を見るのは懐かしげだが、「月こそ」と『脇正』の方を見るのはいまひとつ。
地謡『上歌』は静かでも綺麗だが、シテは普通の人になっちゃてる。。
『語』は威厳が有り、「あの難波の」と少し腰を上げて右を眺めたり、次第に沈むようにむなしげな様子も、「あら昔恋しや」と“面”を『クモラ』せるのも美しい。
地謡「恋しや〜」でシテ・ワキとも同時に立ち、「音をのみなく」と下がるのは悲しげだが、『両シオリ』は美しいと言うより、かわいい感じ。
「さん候あれこそ」と右を見るのは遠くを見てる感じが有るが、続いていく『問答』に風情がない。
「深草山よ」とワキに寄って手をかけて『ワキ座』の壁の方を見るがワキと視線が合っていなくて微妙。
「いざや潮を」と“担桶”を担ぎ、「汲めば」と“桶”を舞台の前に出すが、階段に引っかかりそうになってしまい残念。

後シテは『一ノ松』に出て謡出すが、ちょっとパワーが無く、『ヒラキ』も慎重になってしまっている。
地謡「さすや桂の」で舞台の方に進み、「あら面白や」と『角』に出て『ヒラキ』、右に回るのも弱い印象だが、「受けたり」と『正先』に出て、扇を盃に見立てて捧げる姿は綺麗。
舞は初め、腰が安定していない部分が有ったのが気になったが、さらりと、次第に明るく、颯爽と…とはいかないがまあまあ。(『融』というより『翁』みたいかも。。)
地謡「あら面白の」とさらり「影を舟にも」と下を見たり、「弓の影」と左に持った扇を出して、『中正』の方を向いたりする姿は綺麗。
「波にふす」と『正先』に出て、膝をついて袖で顔を隠すあたりはせわしなく、余裕が無い感じがしてしまい、惜しかった。



09年10月19日  『縁の姿(演劇)』(川崎能楽堂)  (感想)
2009-10-30 04:12
能ではないのですが、禅竹、世阿弥が登場する舞台だったので、ちょっと紹介。

あらすじは…
頃は十五夜の夜。年をとった禅竹は、世阿弥の佐渡からの手紙を手に、自分のこれまでを振り返って、良かったのかと思い悩む。
すると世阿弥の亡霊が現れ、佐渡の光景を思い出して舞う。
そしてその世阿弥もまた、亡き父を思い、悩み「亡父よ、老いてなお残る花は、教えてくだされ」と橋掛リから去る。
禅竹もふたたび迷いつつ、後を追う。
切戸から禅竹の妻が登場。月見をしようと用意して、何気なく禅竹に話しかけ、すでに禅竹は亡くなったのだと実感して、思い出話をして去る。

時は経って、舞の会が行われるとある家。
主は獅子頭を持って現れ、それを置いて月を見、良い会になるだろうと一人ごちて退場。
月に誘われ、禅竹の妻の亡霊が現れ、この家の主は禅竹の生まれ変わりだと気付き、声を掛けようと退場。
主は声がした気がすると戻って来るが、やはり誰もいない…そうするうちに、客人が来たと、切戸に向かって主人は挨拶して、退場し、客の登場。
客人は獅子の番舞を舞う…獅子に親を殺された少年が敵を討つという舞…。獅子の亡霊が現れ、このいたいけな少年が自分を討った者なのか…と座り込み、自分がわが子を千尋の谷に落とした事の報いなのかと、開眼したように「うれしや」と言って去る。
客人は舞い納めの挨拶をすると、実は世阿弥の生まれ変わりである事をほのめかし、主人=禅竹に自分も名手ではなかった、と言い、「この世は仮の姿、されど舞は無限や」と言って去る。
主は、あの時は訳のわからないまま果てたが、今こうして語る事で、少し近づいたのかもしれない…と舞納めて、客人を見送る。
という感じ。。

退場が多いと思うでしょう…実はこれ、一人芝居なのです。
退場して登場までの間が当然出来てしまうし、後半の内容が分かり難く、もう少し人物を整理したら良いのになぁ…と思います。
正直に言ってしまうと、始まった当初、時間を無駄にした〜!という印象だったのです。。
なぜって、謡をまねたセリフは、習いたての素人が、早過ぎる発表会に出ちゃった感じで、仕草も見よう見真似な感じ。。
能の型そのものでは無いし、セリフもそうですが、似せるなら少し習って来い!と思ったのです。ごめんなさい。
でもストーリーは悪くないし、一人ではなく、他の出演者を使ったり、セリフも謡的な部分と、普通に話す部分にわけて、ミュージカルじゃないけど、突然、謡になるってのも手じゃないかなぁ…なんて思いました。いや、勝手な意見ですが…。
そんな妄想も交えつつ、結局楽しんできました。



09年10月15日 阿佐ヶ谷明神宮能舞台柿落奉納公演(阿佐ヶ谷明神宮能舞台) (感想)
2009-10-30 03:54
『羽衣・バンシキ』金剛永謹・安田登・槻宅聡・住駒匡彦・柿原光博・徳田宗久

欄干に衣が掛けられ、『作り物』はナシ。
ワキは"竿”を『後見座』で置くと、『一ノ松』に行って、「我三保の〜」と衣を見つけ、「寄りて見れば」と手に取り、『ワキ座』に向かう途中で呼び止められる。
シテの『呼掛ケ』は少しゆったり目で余裕有りすぎかも。
『一ノ松』で「悲しや」と右を向くが、ワキを責める様な迫っていく様な気配…「返したび給え」でワキの方を向くと悲しげで…なんか反対。。
「今はさながら」から、やや強めな口調で、「涙の」と自然な感じで『シオリ』、舞台へ。
シテ「嬉しやさては」と高貴な気配は良いが、嬉しそうな感じはあまりしない。
「衣なくては」と静かだが力が有り、「いや疑いは」と当たり前の事を言う様に何気ない。

『物着』して「少女は衣を」と静かにしっかりで良いが、地謡「東遊の〜」はまったりとして、悪くはないけれどちょっとパワー不足。
地謡『クセ』は抑えて綺麗。(しかし途中で、舞台上の照明がつく…キリの良いところでつけようとは思わないのか??)シテの動きはややまったり。
シテ「君が代は」とどっしり、「花ふりて」と舞台を廻るのは明るくとても綺麗。
ゆっくり『達拝』して、「南無帰命〜」と静かに厳か。
初段はゆったりで『オロシ』の後、やや軽快になって、さらりと優美な舞。
しかし地謡「東遊のかずかずに」とそっけなく、「三五夜中の」での『雲の扇』は男っぽい。
「七宝充満の」で『招き扇』して『正先』に出、「ほどこし給ふ」と左手の扇を出す姿が、光がこぼれる様で綺麗。
「時移って」と『橋掛リ』の方に進み、『三ノ松』から「たなびき」で『一ノ松』に戻り、「浮島か」とくるくる回って『正先』の方を向き、左袖被いで、『ツメ』、「愛鷹山や」と『二ノ松』に進んで、「かすかになりて」と右にくるくると回りながら幕へ。
『橋掛リ』が短いのに型が多く、狭苦しい感じがしてしまい、ちょっと省略すれば良かったのに…という印象。


長絹の模様が大きな鳳凰で、分かりやすさを狙ったのも有るのだろうが、永謹さんにはごっつい。。
実際、「鳥になった…」と言っていたお客さんは最後には良く分からなかったと言って帰っていったし、ビジュアルで分からせようとするより、解説をアナウンスした方が親切かも。。(番組表にあらすじが有ったが、そもそも番組表を積極的に配っていなかったので、招待者以外はほとんど持っていなかったみたい。。)


ここで『火入れ』
しかし、薪は舞台から遠い客席の後ろにある??狭いのと舞台の天井に照明が有るから、飾りみたいなもの、だろうか。。


狂言『宝の槌』大藏吉次郎・榎本元・宮本昇

吉次郎さんの太郎冠者は、都に出てきたのが本当に楽しそうで、"槌”を手にすると、恭しく持ったりと、いかにも騙されそうな人の良い雰囲気が良かった。


『小鍛冶』工藤寛・安田登・野見山光政・大藏教義・槻宅聡・住駒匡彦・柿原光博・徳田宗久

ワキ・ワキツレのしっかりした会話の後、シテはゆったりとた『呼掛ケ』で、「これは」と老たけた物腰が、その正体に相応しい。
地謡『クリ』はテンポ良く、はっきりだが、もう少し。
シテ『サシ』はゆったり目でさらりとした地謡が続き、『クセ』は静かに抑え目でマズマズ。
シテ「ここやかしこの」と伸びやかだが、虚しさを含み、続く地謡はどっしり。
「頃は神無月」と静かになり、少し右を向いて「薄雪を」と腰を上げて見上げるのは良いが、「かこみつつ」と小さく『キル』様に左右を見るのは、落ち着かない感じでいまいち。
この後の型も弱い感じで、威厳が感じられず、型は綺麗なところも有るが、微妙。

"一畳台”が『正先』に出され、ワキはその上に乗って、「宗近勅に」とはっきりと良いが…完全に逆光!(やっぱり薪は近くに置くか、無理ならスポットライトが欲しかった。)
シテは『三ノ松』まで出て下がり、再び『一ノ松』まで出て、欄干に足を掛けて『ヒラキ』…迫力が有って綺麗。
しかしその後『舞働』はもう少し。。
台に上がり、「童男童女の」とはっきりで、地謡はさらりと受けて、刀を打つ仕草には力が有る。
「神體時の」が弱くて惜しいが、最後はすらりとマズマズ。


台に上がると完全に逆光になってしまい、照明的に微妙。。これが『葵上』とかなら不気味さ倍増で良かったのにね。。

銅葺きの屋根がピカピカで真新しい。。だんだん緑になっていくのだろうから、この銅色は今だけ!だろうなぁ。。



09年10月11日  第86回粟谷能の会(国立能楽堂)    (感想)
2009-10-22 04:31
『通小町』粟谷明生・長島茂・宝生閑・槻宅聡・大倉源次郎・亀井広忠

ワキはゆったりと登場。謡もゆったりと自然体。
ツレは「またこそ参りて候へ」とワキに向かって座り、籠を置くと「拾うこの実は」としっとりで、「いにしへ〜」と悲しげに美しい。
「恥かしや」と暗いけれどしっかりと言って「跡とひ給え」とゆっくりと立つと、高貴な怪しさが漂って良い感じ。

後ツレはするりと『常座』へ出、しっかりと『一セイ』。
幕の中から、シテ「いや叶ふまじ」とやや低めだが、割と普通な感じで迫力なし。。
地謡「なほもその身は」とさらり、ツレ「人の心は」と苦しげで、「心の月と」とワキの方に向いて「薄おし分け」と左手で薄を分けると、シテ「包めど」とどっしりと謡い、幕が上がって、ゆっくりと現れる。
すぐに扇を開いて、『二ノ松』で止まり、「尾花招かん」と『招き扇』して、『一ノ松』へ進むまでは良いが、「さらば煩悩の」と右下を『サシ』、戻って「打たるると」と、『打合せ』て『ツメ』るのは芝居臭い。
シテ「袖を取って」と常の様にツレを止め、「引きとむる」と、少し後ろへ引く感じが切実。
ツレ「もとより我は」と『ワキ座』に座る(ワキは少し地謡の方にずれる)と、ワキに匿ってもらうみたいで、ちょっと可愛い。
シテは『常座』へ行って、どっしりと力が入った語りで、笠を持って前に出、「雨の夜は」と手で雨を払い、「目に見えぬ」と下がって「恐ろしや」とツレの方に『ツメ』ると迫力が有る。
「涙の雨か」と笠を頭上に上げ、ゆっくりと舞台を廻って『大小前』で小さく回りつつ笠を落として座り、両手で笠を探して取るのも、闇の深さと焦りが感じられて良かった。
シテ「夕ぐれは」と立ち、「月をば」とゆっくり『正先』に出、笠を前に出す姿は綺麗だが、「暁月は」と左を見て、舞台を廻ったり、「夜も明けよ」での『月の扇』や、「ただ」と膝をついてからくるりと回り、「一人寝ならば」と下を『サシ』たりと、はっきり過ぎる型が少し煩い。
「かやうに心を」と『シオル』と急に悲しげに変わったのは良く、指を1本つづ丁寧に倒して「今は」と小指をはっきりと折るのも印象的。
しかし立ってからは、型を1つ1つ謡に合わせる感じで、やり過ぎ。


『葛城・岩戸之舞』粟谷能夫・森常好・舘田善博・森常太郎・野村扇丞・一噌仙幸・曽和正博・國川純・金春國和

シテのどっしりとした『呼掛ケ』にワキは構える事なく、普通に対応。
「これはこの」とシテは雪を踏みしめる様に進み、「わらわが庵にて」とはっきりと言って、『一ノ松』で「このそまづたいの」と右へ見渡すと、厳しい寒さが伝わる。
笠を取ったシテは静かに"標”の話を始めると、次第にはっきりとして、説得力がある。
地謡『クセ』は抑えて綺麗で、シテ「捨て人の」と静かにはっきりと言って舞台を廻ったり、「山伏の名に」と『ツメ』て、「枕して」と『招き扇』したりと、上品な気配。
ワキが勤めをする旨、何気なく言うと、「御勤とはありがたや」と少し遠慮する様にワキの方を向いて、静かに、しかし威厳を失わず、語りだす。
「なほ三熱の」とワキの方を向く姿は辛そうで、「はずかしながら」と力なくて、切実な雰囲気。
抑えた地謡でゆっくりと中入。

後シテは上品な謡い出し。
「年経る雪や」とたっぷりとして、「葛城山の岩橋の」とはっきり目の地謡で、少し出て、「さもいちじるき」と左袖を返してワキの方を向くと高貴な感じ。
「みぐるしき」と『正中』に進み、「神姿は」と袖で顔を隠す様子も上品。
小書の為、舞は『イロエ』になって、袖を被いて扇で顔を隠すなどの、『翁』の型が舞われる。
ゆったりと厳粛。
地謡「高天の原の」で前に出て、「天の香具山も」と少し伸び上がる様にして、遠くを見たり、「恥ずかしや」と扇で顔を隠すのも綺麗。
『脇正』の方を向いて「あさまにも」と見つめ、「あけぬ先にと」と『橋掛リ』を向くとスラリと幕入。
小書のせいも有って、最後はさらりとあっけなかった。


狂言『子盗人』野村萬・吉住講・野村扇丞

吉住さんの乳母は、子供の扱いや、衣をかける仕草が丁寧で、女らしい感じが良かった。
博打打:萬さんは、すごい勢いで驚くと、実際に息が上がってしまうけれど、良い感じ。
子供をあやすのも楽しそう。しかし、主人はさらりとし過ぎで、もう少し。


半能『石橋・連獅子』粟谷明生・粟谷浩之・殿田謙吉・一噌幸弘・鵜澤洋太郎・柿原光博・観世元伯

シテは『面』を『キッ』たり、足使いなど、とても綺麗で、あたりを威嚇するような、警戒する様な獣の雰囲気が良いけれど、もう少し、どっしりでも良いかも。。
赤獅子の方は軽快で可愛かった。



09年10月3日  第十八回浅見真州の会(国立能楽堂)    (感想)
2009-10-18 03:04
一調『笠之段』浅見真州・幸清次郎

清次郎さんは華やか。真州さんははっきり軽快なのに、全体に渋い、いい雰囲気。とっても好みでした。


仕舞『通小町』野村四郎

わびしげで若いイメージは出ないが、四郎さんらしい、しみじみとした風情が良い。「ともに」と手を合わせると、キリリと気配が変わり、さすが。


仕舞『砧』観世清和

静かで美しいのに、なんとなく広がりが弱く、景色が見えて来ず。。残念。


仕舞『花月』観世銕之丞

謡だしは華やかだが、動きは銕之丞さんにしては柔らか過ぎて…物足りない感じ。。


狂言『宗論』野村萬・野村扇丞・小笠原匡

扇丞さんは何かにつけ、躍起になって、“オレにかまうな!”って雰囲気を出して、オーバーアクションなのが面白い。
萬さんは飄々と…でも、嫌味っぽい言い方とか、“数珠”の件でさらりとやり返す、何枚も上手な感じがとても良かった。


『姨捨』浅見真州・宝生欣哉・大日方寛・梅村昌功・・野村万蔵・一噌仙幸・林光寿・亀井広忠・金春國和

ワキは笠をつけた姿でゆっくりと登場。静かな『次第』抑え目の『名ノリ』、『上歌』からはしっとりと綺麗だが、情緒たっぷり…とまではいかないなぁ。。
シテはどっしりと『呼掛ケ』ると、杖にすがる様にゆっくりと現れて(今日は前場から老女の姿)、『二ノ松』で止まり、再び進んで『一ノ松』で寂しげに見渡すと、静かな地謡でゆったりと『常座』へ。
『問答』はシテは静かに上品で、ワキは静かでもしっかり。「恥ずかしや」と正面を向くと、恥じらいが有るが、「執心の闇を」とワキの方に『ツメ』て杖を落とすのは、気が強くて強引な感じがして、幽霊というより、リアルな老女という感じ。
「かき消すやうに」と『橋掛リ』に向かい、舞台と橋の境目で謡が終わるまで立ち止まるのは、そこで突然消えたようなイメージで良かった。

アイの『語』の中に「田ごとの月」という表現が有って、蝋燭の明かりが“田ごとの月”に見える…脇正にいたので、正面席の暗闇が山の上から見る下界の闇のようにも思えてきて、人里を遙かに見下ろす隔絶された世界に自分もいるような錯覚にとらわれる。。

後シテはゆっくりだが、前場より、ややしっかりした足取りで『常座』へ。
「あら面白の」と色気が有って、まろやかな気配。
しっとり静か目の『掛合い』で、「月に見ゆるも」と左手で顔を隠すと、ちょっと若い女のようだが、「月に染みて」と身を抱くように両手を重ねる姿が、美しく痛ましい。
『サシ』「しかるに月の」とどっしりの地謡で、シテはただ立っているだけだが、寂しげで、『クセ』は更に暗く、謡いに合わせた型も静かに儚い。
「昔恋しき」と静かに謡いつつ『常座』に行き、ゆっくりと舞い始める。
“序”の部分はもやの様に動かない雰囲気で…でも『シズミ』はゆっくりと深くい。初段はやや明るい。扇を左手で持ち、『正先』に出て、扇に月光をあてるかの様に前に上げる姿がとても綺麗で、下がって座り、扇を少し上げて見つめ、正面を見、再び扇を見つめる姿も、月明かりがかえって孤独を照らし出すようで、寂しさが増す。
「わが心」と、しっとりとして「照る月を見て」と、孤独感が増してしく様で、「露の間に」とどっしりと謡い、「胡蝶の」と『角』を向いて進みつつ左袖を被いて、「返せや」と左に回りつつ袖を戻して『正中』へ…「妄執の」と面を伏せて、「今宵の」と右へ見渡すのも、「偲はしき」と耐える姿も、ただただ、悲しげ。「友よ」と下がって「居れば」と再び面を伏せるてしばし静止。動きも音も止まった時間がとても長く感じられて、夜が過ぎていく感じ。。
「白々と」と左の方を見上げ、ワキ・ワキツレが帰って行くのを見送ると、ゆっくり『正中』に戻り、『シオリ』つつ正面を向いて、「ひとり捨てられて」と右の方に俯きつつ座り、「老女が」と顔を上げ、体を正面に直して「姨捨山とぞ」と面を伏せて…そのまま静止…と思ったら立って一足『ツメ』た。

立った事で存在感が増して、絶対に消える事はなく、そこに居続ける感じがしたし、ずっ〜と寂しそうで、まったく昇華していない、とても悲しい『姨捨』でした。



09年9月20日  第18回 櫻間金記の會(国立能楽堂)   (感想)
2009-10-07 04:06
『蝉丸』櫻間金記・鈴木圭介・森常好・舘田善博・森常太郎・野村萬・一噌仙幸・幸清次郎・亀井忠雄

『作り物』は『ワキ座』に置かれる。
ワキ・ワキツレは静かな『次第』、『下歌』『上歌』としっとり寂しげで、「帰らん事も」とやや力が入って険しい心持が伝わる。
ツレ「いかに清貫」とはっきりと高貴な感じで、ワキは気まずさと、帝の命に納得しかねる様な微妙な様子。
『物着』後、ツレは“笠”と“杖”をしっかりと確認する様に受け取り、「振り捨て難き」とゆっくり『シオル』のが寂しげ。
ワキが立つと、ツレも立ち、見送って、「皇子は」と『角』を向いて“杖”を両手で持って「臥し転び」と下がって、2回膝をつくが、ちょっとわざとらしい…直後に『橋掛リ』を向いて座り、『シオル』姿は綺麗。

シテはすらりと『一ノ松』へ出て、やや寂しげでもしっかりと名のり、右を向いて「いかにあれなる」と自然で、「面白し」とさらりと言うと、実感がこもって、つぶやくような…声に出さないで思っている様な印象。
舞台に入り、『角』を『サス』と高貴な感じで、しっかりと拍子を踏むと迫力の有る『カケリ』は良かった。
「風にも解かれず」と静かな地謡で、シテは髪を掴むと恥らう様で女らしい。
「逢坂の」としっかりだが、寂しい雰囲気で謡い、『正先』へ出て、「水も走井の」と下を見、下がりつつ両手で髪を指し、『角』に行って回り「げに逆髪の」と再び下を見たりと、はっきりで、やや形式的。
シテは『一ノ松』に行き、ツレ「第一第二の」とどっしりと謡うと、シテは正面を向いて音を聞く様子で、「客も藁屋も」と舞台の方へ進み、「不思議やな」と静かな謡は核心に変わるようにはっきりと変化する。
ツレ「逆髪とは」と言いつつ慌てる様に戸を開けると、シテは近寄って座り、肩に手をかける様に、手を出し合うのも自然。
地謡『クリ』「それ栴檀は」でシテは『常座』ツレは“藁屋”の戸の前に座り直し、シテも地謡もさらりと少し物足りない。。
「さるにても」からしっかり目で、ツレ「袖を湿ほす村雨の」と扇を広げて琵琶を弾くが、分かりづらく、最初雨を受けたのかと思った。。(苦笑)。
シテ「これまで」と寂しげだがはっきりと言って立ち、「一樹の」で『橋掛リ』を向いて「思ひやり給へ」で振り向き、「実にいたはしや」と静かにしっかりで、ツレ「鳴くや」でシテはゆっくりと『橋掛リ』へ向かい、ツレも立ってゆっくりと『常座』へ進み、「たたずみて」でシテは『三ノ松』で振り返って少し戻り、「聞き送りかへり」と2人とも『シオリ』つつ、シテは幕を向いて帰り、ツレは『中正』を向いてそのままで終了。

後半が控えめで印象が弱くなってしまい惜しい。


仕舞『笹之段』仙田理芳

地謡はバランスが良く、纏まっていて、シテも綺麗だったが、少しまったり。「肩にかけ〜」の型が男っぽく見えた。


一調『遊行柳』関根祥六・金春惣右衛門

惣右衛門さんは静か目で、情緒ある感じ。祥六さんは初めしっとりと綺麗だが、中盤少し弱く感じた。最後はどっしりと静かで、年経た精霊の雰囲気が有った。


狂言『秀句傘』山本東次郎・山本泰太郎・山本則重

大名・東次郎さんは、太郎冠者が帰ると「さてさて」と待ちきれない様子が良い。
新参者に「言うまい」と言われて、刀に手をかける迫力と、“秀句”だと言われた後のギャップが面白い。
「雨の降る夜は」と傘を広げて、しっとりの謡はかっこ良くて、さっと下がって「秀句と言うものは寒いものでござる」としみじみ言う落差も良い。


『藤永』櫻間金記・本田光洋・鈴木一策・庄司友芳・柴田健一・酒井夏来・宝生閑・野村萬・野村扇丞・松田弘之・曽和正博・大倉正之助・小寺佐七

ワキはスラリと登場、さらりと名のると、しっかりと案内を請う。
ワキツレは「誰にて渡り候ふ」と不躾な感じだが、ワキは更に低姿勢で、大物の風格。
『正中』に通ると、「御こころざし〜」と丁寧に礼を述べ、「これは誰が御子息にて候か」と気づかう感じや、「真っ直ぐに申し候へ」と言うのも上品で、信頼される流れが自然。
“重書”を読んで、子息を世に立てる約束をすると、ワキ・子方・ワキツレは囃子方の後ろに下がる。

シテはゆったり『正中』へ出、「浦遊びをし心を〜」とさらり。
「笛太鼓の」と『橋掛リ』の方を向いて、音を聞く感じがさりげなく、「待たうずるにて候」で、『ワキ座』に移動。

『下端』にのって、鳴尾・立衆・能力が『橋掛リ』に並ぶ…賑やか。。
地謡「川岸の」と明るめだがどっしりで、シテ「あらはれて」とシテが鳴尾の方を向くと、鳴尾は舞台に入り、立衆は『切戸』へ下がる。
「枕さだめぬ」でシテは前を通り『大小前』、鳴尾は地謡の方に座る。
シテ「これまでの御出」は棒読みぎみ。
鳴尾は能力を呼び、一曲所望すると、能力はしっかりと受け、テキパキと綺麗に舞って…かっこ良かった…、扇をシテに渡し、笛の前に座る。

シテは「吉野龍田の」と立って舞うが、力強くて良いところと、貧弱に思えるところが有って、微妙。
シテ『サシ』は静か目で、地謡『クセ』は暗めで、地味。(鳴尾はここで『切戸』から下がる)
シテ「然れば」とさらりと謡うと、続く地謡はどっしり。
シテ「この御代よりおこれり」で、『一ノ松』へ行き、ワキは『ワキ座』に扇で顔を隠して立つと、問いかけに、慇懃な態度で答えるのが良い。

『物着』後、「あまりの彼の者の」とワキを睨んで、「わざと鞨鼓の撥を」と撥を見るのもたくらみが有る感じが出ていた。
やや大げさで、でも軽快に“鞨鼓”を打ち、「いざ打たう」とワキの扇を打つ。
ワキは扇を閉じ、笠を捨てて、はっきりと正体を明かすと、シテは驚いた感じで下がり、立ち止まって、また下がって『常座』に手をつく、驚嘆する様子が良い。
ワキは子方を呼び、領地の話はやや優しく、藤永を許すのは余裕が有る話し振りで、閑さんかっこよすぎです。。完全に主役逆転してました。。そういう話なんだから仕方ないけれど…。

シテは子方を見送ると、ワキは座り、シテは「やがて」と『ヒライ』て拍子を踏み、『常座』へ行って、『留拍子』。
ほっとした様な、でもワキの睨みがきいていて、微妙な立場の藤永らしく??微妙な雰囲気で終わりました。


追加は『海士』…だったと思います。。とても聞き取りにくかった。。



09年9月12日  普及公演(国立能楽堂)    (感想)
2009-09-27 05:07
狂言『昆布売』石田幸雄・高野和憲

高野さんの某は、勿体つけた感じが、大名らしいと言えるが、わざとらし過ぎるかも。。ちょっとヤケクソで、昆布を売る様子は面白い。
石田さんは刀を渡されて、嫌そうな感じはとても良かったが、後半はもっと意地悪でもいいかも。。


『蝉丸』山本順之・浅見真州・福王茂十郎・永留浩史・喜多雅人・野村万之介・杉市和・住駒幸英・亀井忠雄

“藁屋”の『作り物』が『大小前』におかれる。
ワキ・ワキツレは静かな『次第』。
いたわる様なワキのセリフに、ツレ:蝉丸は初めから運命を受け入れているように、落ち着いた大人の対応。
『物着』で薄緑の狩衣(指貫は白)といういかにも風雅な姿から、黒水衣に金襴(?)の角帽子と、これまた目を引く姿に変わる。綺麗だけど。。綺麗過ぎてシテみたい。。

“笠”や“杖”を渡すワキは心底心配そうだが、ツレは淡々と受け取って平静だが、「はや帰るさに」で杖を探って、やっと取って…と慣れない感じが哀れで印象的。

アイは丁寧だが、親しみが有り過ぎるかも。。
シテは『一ノ松』で右に振り返って、「いかにあれなる」とはっきりと気が強く、お転婆なイメージ。(ちなみに、髪型は黒垂に元結をつけたもの、ザンバラにリボンみたいで余計そう見えたのかも。。)
「これらは皆〜」のところが聞き取れず…ちょっと誤魔化したな。。
「面白や」と拍子を踏むと、慣れた芸能者という気配で、『カケリ』もさらりと分かりやすく、“芸”としての“狂”という感じがして、「手にも」と髪を掴んで見る姿も「浅ましや」と『シオル』のも、どこか冷静。
「名残惜しの」と『橋掛リ』の方を見たり、『一ノ松』に行き、「水も」と下を見て、「我ながら」と顔を上げる様子は雰囲気が出ていて綺麗。
ツレ「第一第二の」で『シオリ』の手を下げたシテは、静かに『一ノ松』で立ち止まると、それが弟でかもしれない…そんなはずはないと、耳を澄まして注意深く、琵琶を聴いている様に見えた。
シテは舞台に戻り、「近づき声を」と動揺を隠せない感じが良く、『角』に出て、“藁屋”に向かって声をかける。
ツレは“藁屋”を出ると、2人は寄って、手をかける様な感じで、「共に御名を」とゆっくりと座って『シオル』姿が上品で美しい。
地謡『クリ』は華やかで、シテは前、ツレは後方に座りなおし、「引かれてここに」としみじみとした気配。
「峰に木伝う」のあたりでツレは扇を広げて左手に持ち、琵琶の体で、見つめ、「時々月は」と顔を上げて見えない月を見る姿が綺麗。
シテ「これまでなりや」と気遣っているがはっきりと言って立ち、『橋掛リ』に向かい、「実に痛はしや」もはっきりで、「留まるを」と『一ノ松』で振り向き、「立ちやすらひて」と『シオリ』、そのまま右に回る。
ツレ「鳴くや」と寂しげに謡いつつ杖を取って立ち、『常座』で見送る。
シテは『三ノ松』で振り返って『ツメ』、「見おきて」と下がりつつ『シオリ』、「泣く泣く」とフィっと急に幕の方を向いて、ゆっくりと幕に入った。

最後はゆっくり帰るのだが、泣き顔を見せたくないからと、駆け込んで行った様に思え、ツレが冷静だった事もあって、どちらかと言えば妹の様な…蝉丸に会いたいから狂女のふりをして!?、会いに行く、行動的な妹のようだった。



09年9月6日  観世会定期能(観世能楽堂)    (感想)
2009-09-22 02:51
『経正・替之型』観世恭秀・野口能弘・中谷明・森澤勇司・亀井実

どっしりとした地謡で「仏事をなしそえて」でシテは『三ノ松』で正面を向いて戻り、『一ノ松』へ…ここは良い感じ。
しかし「風枯木を」と静かに謡い出すが、いまいち締まらない。
「幻の常なき身とて」としっかりした地謡で、舞台へ進み、「筧の水は」と下を見る姿は綺麗。
「青山の御琵琶」で正面を向くけれど、弱すぎる印象で、この後の地謡も微妙。
シテも綺麗なところと、弱いところが繰り返して、力強めの『カケリ』は良かったが、最後が情けない感じに見えてしまい、残念。


狂言『井杭』三宅右近・三宅右矩・倉田周星

伯父:右矩さんと井杭:周星くんのタイミングが合わないのか、探して見渡している、その目前に見えない井杭がいる…と見えなければならない場面で、井杭が見えていて、追いかけている様に見えてしまう。
右近さんは登場からさりげなく、全体に自然で良い雰囲気。
“算木”がパラパラと現れてから、掴み合いになるまでのリズムが良かった。

まったくの余談ですが、井杭役の周星くんは、『ミツバチの童話と絵本のコンクール』の第10回童話部門(子どもの部)で佳作を受賞したようです(^-^)//""ぱちぱち。
http://beekeeper.3838.com/profile/04torikumi/dohwasakuhin/con_10/index2.aspx



『松風・見留』片山九郎右衛門・片山清司・宝生欣哉・三宅近成・一噌仙幸・曽和正博・柿原弘和

松に短冊が付いた『作り物』が置かれる…これは戯之舞!?。。

ワキは少し重めで、アイもしっかりなので、もう少し軽くても…と思う。
シテはかなりゆっくりと登場。シテ・ツレ『一セイ』は静かで、ツレ「波ここもとや」と艶やか。「月さへぬらす」としっとりと謡い、舞台へ。
シテ「いざいざ汐を」とさらりとして、「芦辺の」と右を向いて見渡す姿が寂しげで綺麗…と思っていたら、正面を向くタイミングを逃したのかそのまま…後見が直しに来ました。。
汐を汲む姿は2人とも綺麗だけれど、ツレは「見れば月こそ」と座ったまま、後ろを向くのが素っ気なくて、この2人そんなに仲良くない感じ。。
シテは“汐汲車”の紐を受け取ると、「月は」と『角』の方を見、「影は」と正面下ろ見つめ、「満つ汐の」で、左に少し進んで、紐を少し引き、「憂しとも」と笛方の方に2歩くらい進むが、引いている、という感じがあまりしない。
止まったその場で前を向いて、床几にかけ…とこのあたりの動きが最小限な気がしたが、これって片山家では普通の型なのでしょうか…?
床几にかけてからは、やさしいい姉と、はっきりとした妹という感じだが、さすがに実際の年齢差を感じてしまう…しっとりと悲しげな様子は綺麗だったけれど。
地謡「恋草の」とさらりと寂しく「三年がここに」で“衣”を持つと、「これを見る度に」とゆっくり“衣”を上げて見つめ、下げて再び見つめるのもゆっくりで、「よみしも理やな」と扇で打つのも弱いけれど、それが儚く美しい。
立って、「忘形見もよしなしと」と“衣”を見つめてゆっくり下ろし、「面影に」とハラリと広げて掻き寄せる様に“衣”を抱いて、右に回り、『角』向きに止まるが、顔はもう少し外を向いていて、顔を背ける様に見えたのが、かえっていとおしくて仕方が無い様に見えた。
「伏し沈む事ぞ」と儚げに座り、その場で『物着』。

「松風を召され」でシテは“松”に寄ると、ツレは「あさましや」としっかりだが、労りを持って止める。
シテ「あの松こそ」」としっかりだが、本当は分かっている様に苦しげな気配。
「立ち別れ」で常の通り『橋掛リ』へ行って戻り、初段の『オロシ』で“松”を『サシ』て止まるまで、ゆったりで、ここからさらりと舞って、「いなばの山の」と優しい謡で「いざ立ち寄りて」と“松”を抱く様子も優しい。
「なつかしや」と下がるって『シオル』が、下がる時に既に泣いてい様。
“松”の前を通り、『橋掛リ』へ行き、『一ノ松』でツメて“松”を見つめ戻るが、“松”を確認して、慎重に前を通り…という感じだし、囃子とのタイミングも合わず。。
「我があと弔ひて」とさっとワキに寄って、合掌し、「須磨の浦かけて」と常座の方へゆっくり戻って、「吹くやと」扇使いで風を表し、緩やかな風の様に静かに、幕へ。(ワキ留)

これって、どう見ても戯之舞だよなぁ…違う??
上手いけれど、やはり颯爽とはいかず、小書ナシの方がよかったんじゃないかと思う。


仕舞『右近』津田和忠

伸びやかな謡だしで、ゆったり雄大な動きだが、大げさな気もして、少し気になる。。


仕舞『松虫』高橋弘

「汲めども」と扇で汲む型は綺麗だが、その後、扇を前に出して見つめても、棒立ちしているみたいに味気ない。。丁寧だけど情感が伴なっていない。


仕舞『柏崎』武田宗和

ゆったりで、やさしい母のイメージは有るが、景色を見る部分などで、距離感が出ず。。


仕舞『女郎花』関根知孝

初めはしっとりと、良い感じだが、「邪淫の」と『足拍子』した後の、地謡がもう少しだし、シテもパパッと決まっている様だが、少し雑に思う部分も。。


『阿漕』木月孚行・高井松男・澤祐介・寺井宏明・幸正昭・亀井広忠・梶谷英樹

シテはゆったりと『常座』に現れ、悲しげな『一セイ』、むなしげな『サシ』。
ワキ『伊勢の海〜」と力み気味だが、シテは「あらやさしの」と嬉しそうにワキの方を向いたのが良い。
しっとり目の『掛合い』はちょっと弱すぎる気がした。『
語』は静かにしっかり目で、「暫しは人も」でやや力が入り、「この浦の沖に」と少し左を向く様子が助けを求める様で哀れ。
地謡『クセ』『ロンギ』とさらり目。
「ひもふゆぐれの」で“竿”を持って立ち、見渡したり、“綱”を“竿”に絡めるなどは、ダイナミックとは言えないけれど、綺麗だった。

後シテはゆっくりと重い空気を背負って登場!
『二ノ松』で止まり、ナナメ前に『ツメ』て「海士の刈る」と暗く悲しげに謡い、「道を変えて」と再び進んで、すぐ止まって振り返ると、注意深く伺う様に見渡す感じが出ていた。
『角』に行って「網置かん」で、そおっと“網”を置くと、スッと立って、右へ面を『キリ』、ゆっくりと正面を向いて、ビクッと足を寄せて、下がりつつ下を見つめる姿に、リアルな緊張感があり、水の音が聞こえるくらい、はっきりと景色が見えた気がした。
常の魚を追う型が有って、“網”の前に座り、“紐”を手にして「伊勢の海」と静かだが、少し力み気味。
「ただ罪をのみ」と“紐”を手繰って「波はかえって」で“網”を後方へ投げて、立つと、激しくはっきりとした型が続き…しかし最後にはいつの間にか静けさが訪れていて、言いたい事は言ったから消える…でもまた明日も明後日も同じ様に現れるんじゃないかと…そんな余韻が残る、印象的なラスト。


今日のワキは着流し姿だが、ワキツレを2人連れていた。先日は一人で大口僧だった。普段ならワキツレがいるかどうか、さほど気にしないけれど、続けて見るとちょっと気になる。。
謡本でもワキツレは書かれていないし(観世しか確認してないけど)、見ていてもいない方がすっきりだと思うのだが、実際の舞台では出ている事が多いような…。



日本伝統音楽研究センターの講座
2009-09-19 22:30
こんばんは〜。いつもお世話になっております!

ところで京都の市立芸術大学に日本伝統音楽研究センターというところが
ありましていつも魅力的な講座をやってらっしゃるのですが
今回能の音楽演出面のポイントを学べる講座があるそうです。
先着順で30名ということなのでもう締め切ってるかな?と思いましたら
まだ受け付けてるようです。
10回で5000円とリーズナブルな受講料です。
申し込み締切りは9月23日。
詳しい内容はこちら。
http://w3.kcua.ac.jp/jtm/events/c_course/2009/c.html
行ける日程だったら申し込むのにな・・・。まあ私に理解できるかは
かなり疑問ですが。(苦笑)

Re^1: 日本伝統音楽研究センターの講座

2009-09-21 04:16
こちらこそ、お世話様です。

いいなぁ〜。こっちでもやってくれないかなぁ…。そしたら、絶対行くのに…音楽面は一番の難所だから(苦笑)。



09年9月5日  川崎市定期能第一部(川崎能楽堂)    (感想)
2009-09-10 04:01
狂言『鬼瓦』野村万蔵・野村扇丞

扇丞さんは淡々とした感じで、あまり変化しない。
万蔵さんは小さな仕草は自然なのに、はっきりしたところは、演じているという感じが見え見えで、いまいち。


『阿漕』友枝昭世・殿田謙吉・吉住講・槻宅聡・森澤勇司・小寺真佐人・柿原弘和

ワキのしっとりとした『上歌』は時間の流れを感じさせ、綺麗。
シテ『一セイ』『サシ』と抑え目だが、静か過ぎず、程よい感じ。
「たび重なれば現れやせん」と一瞬悲しみを覗かせるが、静かに続いて、『正中』に座ると、どっしりとした『語』。「
たび重なれば現れて」と力が入り、「沈めけり」と沈痛な心持。
「すはや手繰の」と急に『橋掛リ』の方を向いて、竿の紐を手にして振り返り、「浮きぬ」と前に出て、「にわかに」と竿を右に振る様に(左手は紐を持ったまま前)にして、見渡す姿がかっこ良く、手馴れた漁の様子から一転、「燈消え失せて」と『角』に出て、竿を落とすと、ここからはゆっくりと、呆然とした感じで、既に幻のように淡い気配で、静かに中入。

ワキは弔ってやるぞ!と気概のある謡。
シテは『常座』に立って、「海士の刈る」と静かにどっしりで、「沖にも磯にも」と見渡す姿に孤独感が漂う。
地謡「なほ執心の」で『正先』に"網”を置いて、『一ノ松』で髪を掴んで見つめる姿も、静かで悲壮。
さっと『正先』へ出ると、"網”の棒の部分を足で押さえ、(ほんの少し手間取る)"網の紐”を持って立ち、「耳には」と左下を見、「心には」と"網”を見つめ、「もちあみの」で、"紐”を手繰って"網”を取り、『常座』の方へ投げ捨てると、ここから力が入り、苦悩する様に、謡に合わせた型が続き、「身を傷め」と扇を胸に当てる姿が苦しげで労しい。
「焦熱」とゆっくり右へ回り、正面を向くと「雲霧」と『雲の扇』して、「たちいに」と3回膝をつきつつ、くるりと回るあたりは綺麗過ぎる気も。。
「助け給えや(2回目)」でワキの方に一足『ツメ』たのが、切実に救いを求める様だった。

後半が、迫力とか凄みみたいなものより、孤独感とか悲しさが目立ち、漁師の可愛そうな物語というイメージ。これはこれで面白いけれど。。



09年9月2日  定例公演(国立能楽堂)    (感想)
2009-09-07 01:44
狂言『謀生種』野村万禄・野村萬

万禄さんは一生懸命な感じがして、自然体の萬さんと温度差が有る。。それが、1枚も2枚も上手な伯父と、ぬけた感じの甥という関係にハマっていると言えば、ハマっていると言えなくも無いけれど…。


『砧』香川靖嗣・狩野了一・宝生閑・大日方寛・野村万蔵・一噌仙幸・横山晴明・柿原祟志・助川治

ツレ『次第』は静かでもしっかりで、上品に名乗る。
シテはしっとりと悲しげに謡出し「夕霧と申すか」と、詰め寄りそうな気配。
再び悲しげになって、「思ひやれ」と遠くを見つめる様に『正面』を向く姿が綺麗。
『正中』に座り、「唐土の」とさらり目で、次第に重く、「心をも慰まばやと思ひ候」とため息をついているみたい。
「砧を拵へて」の後、“砧”を『正先』に出すと、シテは地謡の方を向いても『物着』。
シテ『怨みの砧」とどっしりと重いが、その後は儚く悲しげで、怨みはなく、ただ寂しいという感じだった。
「面白の」としっかり目で、これもまだ切迫した様子ではなく、ツレ「宮漏高く」と伸びやか過ぎてちょっと気になる。。
「ほろほろ」と静かに"砧”を打って『シオル』姿は儚く、上品。
ツレ「いかに申し候」と静か目で言いにくそうな雰囲気が良い。
シテは「うらめしや」とどっしりと言いつつゆっくりと手を下げ、「真に変わり果て」と再び『シオル』と急に悲しみに沈んでしまう様で、「声も枯れ野の」と立って下がり、とてもゆっくりと右に回って中入。
…今まで見た『砧』は思いつめて、バタッと倒れて亡くなってしまう様な激し目なイメージたったが、今日の『砧』はここで寝付いてしまって、時間経過が有って、息を引きとった様に思えた。。

ワキはゆっくりと"砧”の前に座ると、沈痛な表情…をしている様にに見え、「終の別れと」と顔を上げると、妻の姿を思い出しているみたい。。

後シテは静かな囃子で、ゆっくりと『一ノ松』へ。
「三瀬川」と静かな謡。「さりながら」と次第に悲しく苦しげで、「胸の煙」と左手を出して、ビクッと手を体に寄せて静止、「出ばこそ」とゆっくり左を向いて「音もなく」とビクッと右下を向く様子や、「恐ろしや」と座って頭を抱える姿が弱々しく、怯えていて、可愛そう。
「羊の歩み」で立って、ゆっくりと続く型は重々しい足取りで「恥ずかしや」と扇で顔を隠し、「二世の」とワキを見つめ、「浅からざりし」と『胸ザシ』してワキに寄り、座って扇で床を打つのも、向かって行く様な激しさでは無く、ただ懐かしく、愛しさだけが重ねられていく様に思えた。
「道明らかに」と立つと既に成仏してしまった様にふんわりと幻想的なラスト。



09年8月27日  企画公演(国立能楽堂)    (感想)
2009-09-01 04:04
舞囃子『養老・水波之伝』梅若玄祥・松田弘之・大倉源次郎・山本孝・助川治

バランスの取れた綺麗な囃子。
しっかりした謡で、動き出すと力強く、初段『オロシ』(小書:水波之伝なので『オロシ』が初段になる)で『沈む』様な型をしてから、じっくりと粘りのある動きから、さらりと変化。
『イロエ』はゆったりと神々しく、最後はさらりと事も無げな様子なのに、隙がない。


小舞『海人』野村万作

「取り得ん事は不定なり」と『足拍子』すると、スッと気配が変わって、場面転換された感じが見事。
「あたりに近づく悪龍なし」と細かく動いてあたりを伺う、など、狂言らしさも、面白く、"仕舞”とは違った楽しさと、美しさが良い感じ。


狂言語『枕物狂』茂山千作

「いろいろ揺めかいて〜」と思わず首を振ってしまうのが、かわいい。(いっそ身振り手振りしちゃってもいいのになぁ←動いているが見たいという願望。)
間の取り方と、抑揚がに味があって、文句なし。


小舞『通円』野村萬斎

パパッとはっきり、勢いが良く若々しい感じ。分かりやすいけれど、やり過ぎかも。。


素謡『檜垣』近藤乾之助・宝生閑

素謡だが、今日はワキの閑さんが並んで着座。
閑さんはやさしく、やや控え目で、程よいワキ謡。
乾之助さんは、抑えて、寂しげに上品な謡で、とても良い雰囲気。
しかし地謡「そもみつは〜」と、何とも言いがたいボサっとした感じで、微妙。

ワキの待謡はさらりと自然。
シテ『あら有難の」と静かだけれど、心の底から響く様な切実さ。
「朝に紅顔あって」と綺麗な謡だが、続く地謡が…ダメ。。謡だけだから余計に気になる。。
ワキとの『問答』は自然で、地謡『クリ』『サシ』は綺麗だが、地謡は、その後も少々乱れ気味で残念。
シテは静かに泣いている様な、淡く儚い美しさだった。



09年8月23日  梅若研能会(観世能楽堂)    (感想)
2009-08-26 05:21
『花月』加藤眞悟・梅村昌功・吉住講・寺井宏明・幸信吾・大倉栄太郎

ワキ『次第』『名ノリ』と悪くはないけれど、少々硬い。
しっかりとアイを呼び、アイは「いかに花月に」とどっしりと呼び出す。
シテ「そもそもこれは」としっかりで、「さん候いままで」と『角』の方を向いたのが、アイに対してうるさいなぁ…という感じがして可愛い。(本当はそういう意味じゃないけど。。)
アイが鶯を見つける様子は自然で、シテ「げにげに鶯が」と叙情的で綺麗な謡だが、その後の型が形式的に見え、弓を扱うのも、さらりとし過ぎ。
『サシ』以降の型も丁寧で綺麗だけれど、変化が乏しく、つまらない。
「申すなり」で立ったワキは早めの口調で、早く父だと名乗りたい感じに思え、シテ「何事にて候ぞ」と不思議そうなのも自然で良い。
『鞨鼓』は初めさらりとして、力強く変化、慣れた感じで、最後の「つれまいらせて」と『常座』に行って『留拍子』はゆったりと明るく綺麗だった。
全体に綺麗だけれど、真面目すぎて硬さが残る印象。


『通小町』長谷川晴彦・梅村泰志・安田登・成田寛人・坂田正博・野彰

ワキ『名ノリ』は力が入り過ぎ。
ツレ『次第』はどっしりと暗めで、「尊き人の」と右を向くと、思い立ったという感じが有る。
ツレはワキに向かって、「いかに申し候」と丁寧だが、上からものを見る様な強さが有って、生来の気の強さという様な感じが面白い。
「拾ふ木の実は」としっとりと上品で、「かき消すやうに」と小さく回ると、明るくフッと消えるイメージで、綺麗。

ワキ『上歌』はゆったりと美しく、「南無幽霊」と、どっしりでも優しさが有る。
ゆっくりと幕が上がり、衣を被いてシテはゆっくりと『一ノ松』へ。
ツレが『常座』でワキに向いて「嬉しのお僧の」としっかりと言うと、「いや 叶ふまじ」とシテはどっしりと、暗く静かに呼び止める。
ツレ「人の心は」と冷ややかで、小町はすっかり男を見下しているみたい。
シテは「袂を取って」で常の様に両手で引きとめ、手を離して「ともに涙の」と『数拍子』をしつつ右を向くのが、拗ねている様。
笠を持ってからも、強い思いを内にこめる様に暗く、「ただ独り寝ならば」とさまよう様に下がって座り、「かやうに心を」と、とても、悲しそう。
「榻の数々」と指折り数える姿は女々しくて、それが綺麗なだけに、何だか可愛そう。。
「月も盃なりとても」と扇を前に出して膝をつき、扇を右上に、視線を左下にして、禁酒を守ろうとする、その一瞬だけが、爽やかに明るくて、それだけが救いであったという感じが出ていた。
共に成仏を果たすはずだが、最後もシテは暗い雰囲気で、気の強い小町と、全然相手にされていない少将という感じで、深草の少将という役柄にしては弱い男過ぎるが、見ていて応援したくなってしまう様な今回の舞台も、いつもと違う見え方で面白かった。


狂言『樋の酒』野村万蔵・小笠原匡・吉住講

万蔵さんの太郎冠者は、次郎が酒を飲んでいるのを見て、「はや飲むか」と寂しそうで、"樋”を使って酒を飲むのも良い感じ。
しかし、「せわしい」と言って結局酒蔵に行くのは、思いついた、という感じが無くて、"段取り通り”になってしまっている。
"芦の葉”の舞は、わざとらしさが、可愛くて良かった。


『現在七面』八田達弥・野口能弘・(ワキツレ2人)・小笠原匡・小野寺竜一・幸正昭・原岡一之・徳田宗久

ワキ『サシ』はしっかりと、「われ法華の」とすらりと何気ない感じが良い。
シテはゆったりと『一ノ松』で静かな『次第』、伸びやかな『サシ』も美しい。
「春を迎へて」と右を向いて戻る様子は心の動きの様。
「これはこの辺りに」とどっしりと威厳が有って、後の姿を予感させるが、「さては殊更ありがたや」とワキの方を向くのはちょっと男っぽい。
『クリ』「そもそも」でゆっくりとワキの方へナナメに出て座るのが、自然で良いが、地謡『クセ』が少々大人し目なのが惜しい。
『合掌』する姿や「ありがたの御事や」あたりは女らしく艶やかで、「今を何をか」と神々しい感じも良いが、「恥かしながら」は少し強く感じたし、「報恩に」と左を向いてから戻り、立つ姿がかっこよすぎでちょっと男っぽい。

「失せにけり」と走り込む中入。
シテが通り抜けると同時に里人のアイは転がって「くわばら/\」と絶妙なタイミング。語りも程よく分かりやすい。

ワキ・ワキツレ「かかる不思議に」と平常心な様子に貫禄が有る。

ゆったりの『早笛』でどっしりと登場の後シテは威厳が有って、それでも、上人に敬意を払う感じも出ていてとても綺麗。(「高座へ」の部分で面をキッたので、重ねていても大丈夫なんだぁ…と変なところで感心。)
しかし、ワキの「その時(2回目)」で立って、前に出て右に回って『後見座』に行くのは雑。(時間がないから??)
物着は『イロエ』無しで、地謡が続いて…すごい手際で変身してる…と思ったら、「身となれば」のあたりでもう出来ていて(早!)、立って、「虚空に」とゆっくりと前を向いて余裕な感じ。
「松の風」と『橋掛リ』の松を見たり、幣を持って「謹上」とゆったり振るのも美しい。
『神楽』は丁寧だが、"沈み”に硬さが有るような、ぎこちない感じがして、後半は爽やかだけれど遠慮している様な…伺いながら…という感じがしてしまう。
「嬉しや」とはっきりと綺麗な謡で、神々しく、その後の動きもしっかりで、神威を表したいのだなぁ…というのは分かったが、荒っぽく見えてしまう部分も有り、惜しい。…ただの天女ではないというのは難しい役なのだが。。



丹後物狂
2009-06-21 23:59
こんばんは。
まだ詳細が決まってないようなのですが
10月に天橋立で能・丹後物狂が上演されるそうです。

◎天橋立 能 丹後物狂
平成21年10月24日(土) 智恩寺(雨天・宮津会館)
★能 丹後物狂 シテ 観世清和
■お問い合わせ 
天橋立「能・丹後物狂」実行委員会事務局 0772−22−8030
http://www.amanohashidate.jp/nou/index.html

公演にあわせて丹後郷土資料館で9月19日から記念企画展があります。
詳しくはこちらを。
http://www.kyoto-be.ne.jp/tango-m/

Re^1: 丹後物狂

2009-06-23 02:53
こっこさま

情報ありがとう御座います。
雰囲気良さそうですね〜。

丹後物狂の料金とシンポジウム

2009-08-25 20:20
こんばんは。
大分前に書いた記事をあげてしまって申し訳ないですが
こちらの公演の料金がわかりました。
前売でS指定席7000円と自由席5000円
当日はS指定席8000円と自由席6000円です。
あ、こちらに詳しい番組載ってました。
http://kanze.net/index.php?id=95

この公演に関連したシンポジウムが無料で京都の相国寺で行なわれるそうです。
ちょうど山口安次郎さんの装束展も行なわれてますしよろしければ。

復曲能「丹後物狂」シンポジウム
9月24日(木)14時 相国寺承天閣美術館2階講堂
テーマ 天橋立と室町文化 義満と世阿弥の旅

第一部 
講演 天橋立・智恩寺新発見 伊藤太氏(京都府立山城郷土資料館主任)
   義満の丹後の旅と世阿弥 松岡心平氏(東京大学教授)

第二部
鼎談 丹後物狂とその背景
 進行 松岡心平
 パネラー 有馬頼底氏(相国寺管長) 観世清和氏 島尾新氏(多摩美術大教授)

お問い合わせ 天橋立「能・丹後物狂」実行委員会 0772−22−8030

Re^3: 丹後物狂

2009-08-26 03:58
こっこ様

いつも情報ありがとう御座います。23日に観世能楽堂に行ったら、相国寺の公演と山口安次郎さんの装束展のチラシが有って、改めて、いいなぁ〜見たいなぁ〜と思っていたのでした。。



09年8月15日 第15回能楽座自主公演(国立能楽堂)    (感想)
2009-08-24 20:37
一調一管『小原木』茂山千之丞・松田弘之・大倉源次郎

自然体で、分かりやすいけれど、やり過ぎということも無く、味のある良い謡。囃子もそれぞれの個性をだしつつ、纏まっていた。


舞囃子『三輪・神楽留』梅若玄祥・一噌隆之・観世新九郎・安福光雄・三島元太郎

さらりとした謡だしだが、動き出すと厳かな気配。華やかさと強さの有る安定した、玄祥さんらしい舞が美しい。「少し開き給へば」と、岩戸を開く型をすると、厳粛さが見えて、さすが。


独吟『鳴子』野村萬

声が割れてしまうものの、安定した謡。「春の小田には」から軽快でも、しっかりとして、庶民的な純朴さの様に感じた。


小舞『七つに成子』茂山忠三郎

全体的にさっぱりとして、舞台を廻ったり、前に出る様子は日常生活の様に、気負わない素朴さ。しかし舟を漕いだり、扇からひょっこり顔をのぞかせたりと、大きな型は本当に子供をあやしているみたいに、はっきりと大らか。


一調『船弁慶』近藤乾之助・金春惣右衛門

「波に沈めんと」と静かに力が入るのが、怖い様な凄み。
「その時義経〜」から太鼓に声が消されぎみになるが、それでも景色はちゃんと続いて、一体の音として継続している感じ。。
祈り→ラストは1人の謡であることを活かす様な自由さが有った。


舞囃子『邯鄲・バンシキ』観世銕之丞・藤田六郎兵衛・曽和尚靖・安福建雄・観世元伯

出だしの、数珠を打ち捨てる力強さに注目させられたが、続く型もはっきりで、少々芝居くさい。。
1つ1つの動きはとても綺麗だけれど、一辺倒に力が入っている様で惜しい。


狂言小舞『法師ヶ母』山本東次郎・一噌隆之・観世新九郎・山本哲也

笹を振る様子にメリハリが有り過ぎて、かっこ良すぎるのは微妙。
探して歩く様子は、目をこらして探す感じが良く出ていて、変化も有ってさすが。
悲しげな場面も自然で、1つ1つが大げさで、やり過ぎにも思えるが、全体のバランスが良いからか、違和感無く見られた。


狂言『柑子』野村万作・野村万之介

万作さんの太郎冠者は「こうじ門を出でず」と真面目ぶって言っておいて、「止まれ、止まれ」と可愛い口ぶりに思わず和む。
俊寛の話をして、自分で言ってて泣いてしまうのも自然だし、しれっとして、一見相手にしていない風な主人も急に泣き出して、ハタと冷静に戻る流れも良く、面白かった。


『大原御幸』片山九郎右衛門・近藤乾之助・大槻文蔵・片山清司・宝生閑・宝生欣哉・高井松男・大日方寛・藤田六郎兵衛・曽和博朗・山本孝

大臣の出だしはさらりとして威厳が弱く、少々物足りないスタート。
“引廻し”が下りて、シテ「山里は」と押さえてさらりと儚く、次第にしっとりとして、「湿ふ袖の涙かな」とゆっくりと『シオル』様子が寂しげ。
「いかに大納言の局」としっかり目で、気品が有り、答える局の丁寧な雰囲気も良い。
静かに綺麗な地謡で“作り物”の外に出て、受け取った“花筐”を見つめる様に、少し静止する姿が印象的。

ワキ・法皇はゆったりと登場。「大原の御幸急がん」で法皇は『一ノ松』に行くが、ただ立っているだけの法皇がかっこいい!
ワキ「寂光院の有様を」としみじみとして、景色が広がり、いつもの様にここは閑さんの独壇場かと思いきや、「山、ほととぎすの」も、いつもよりさらりとして、寧ろ後ろの法皇に存在感が有る。…閑さんがちょっと遠慮したのかと思ったが、単にお疲れだったのかも…いずれにしても、このバランスも良いなぁ…と思う。
「いかにこの庵室の内に」としっかりでも気遣う様なワキの問いに、内侍は女らしく可愛い雰囲気。

シテ・局は寂しげに登場。唱える経が日々唱えている様に馴れた感じがしていたわしい。
局の「只今こそ」で法皇は立ち上がり、「さて、いづれが女院」と待ちきれない様子。
内侍の報告を受けたシテは「忘れもやらで」とちょっと苛立つ様な言い方で、複雑な心情が垣間見えて良かった。

シテが『正中』に座ると、法皇「先つ頃ある人の」と急に控え目。
静かな『サシ』、どっしりと暗い『クセ』と続いて、シテの方を向く法皇の視線が気遣う感じがして、「まことに有りがたき」と、とても優しい感じなのも、乾之助さんらしく、これはこれで良い感じ。

シテの『語』はしっかり目で、冷静に語り始めるが、次第に思いが入る。
「これを最後の」と『シオリ』、「みづからも」とゆっくりと手を下ろしつつ、少し右を向いて立ち、「沈みしを」とゆっくりと座り、「源氏の」でゆっくりと正面の方に呆然と顔を上げる…過去の様子から、「かひなき命」と法皇と視線を合わせると現在に自然に戻って、「不覚の涙」と右手で袖を押さえながらの『シオリ』が奥ゆかしく綺麗。

「女院は」と呆然としかし名残惜しげに見送り、「暫しが」で『一足ツメ』て「御庵室に(1回目)」で『中正』の方を向いて、体の前で両手を軽く重ね、そのまま下がって遠くを見つめる…法皇の姿が見えなくなっても、ず〜っと見ていた様な、時間経過を感じる静かな美しい終わり方でした。



09年7月25日 セルリアンタワー定期能ー喜多流 第二部(セルリアンタワー能楽堂) (感想)
2009-08-14 04:38
狂言『清水』野村万作・野村万之介・深田博治

万之介さんの主人は、優しそうで、鬼を見た時の怖がる様子が弱く、初めからそれが太郎冠者だと、薄々感ずいているんじゃないかととも思える。
万作さんは鬼のふりをして、自分の希望を言うあたりが、生き生きとして、とても楽しそうで良いが、声が同じ、と言われてびっくりする様子はちょっとやり過ぎ。


蝋燭能『通小町』友枝昭世・大島輝久・宝生閑・槻宅聡・曽和正博・亀井広忠

ワキはどっしりとゆったり目な『名ノリ』と『次第』。
ツレも重めな謡だしだが、丁寧でワキに対する敬意を感じる。「拾う木の実は」からしっとりと綺麗で、「恥ずかしや」と静か。
「失せにけり」でゆったりと『橋掛リ』を向いて、中入。

今日の前ツレは"曲見”"に紅無”(「市原野辺に住む姥ぞ」をふまえて)だったので、常とは違って中入して、後半は若い姿で登場。

ワキは心持ゆったりと語り、経を上げると、後ツレはゆったりだが明るい気配で現れる。
『常座』で「嬉しのお僧の」と心をこめて言うと、幕の中から「いや、叶ふまじ」とどっしりと抑えた声が不気味に響き、その声を聞いて、ツレはゆっくりと幕の方を振り返る様子が、いかにも忌まわしく、付き纏われて嫌な感じ。
「出でてお僧に」とツレがワキの方へ身を乗り出す様にすると、幕が上がり、シテは「包めど我も」と謡いつつゆっくりと登場して、扇を広げて「尾花招かば」と『招き扇』すると妖気が漂う様で、「袂を取って」とツレの肩に手をかけて引き止める様子が切実。

押さえ目に暗く"百夜通い”の話を始め、「さて雨の夜は」と笠を頭上に上げて、雨を表し、舞台を廻って、『正中』でくるりと回りつつ笠を落とし、力が抜ける様に座り込んで手探りで笠を探す様子が儚く美しく凄まじい。
「夕暮は」ですっと立ち、「月をば待つらんと」と迫力の有る『足拍子』。
再び座って「つらからじ」と『シオリ』、「かやうに心を」と苦しげ。
「榻の数々読みて」と指折り数える様子はさらりとして、考えてみたら…という感じだった。
「待つ日に」と嬉しげに立ち、「笠も見苦し」と笠を捨て、くるりと回りつつ、扇を出して持つ瞬間に“貴公子”の気配が垣間見え美しく、再び哀れな様子だが、「多くの罪を」とゆっくりと『ハネ扇』すると、ゆっくりと晴れやかに変化していく様で、静かに手を合わせると、穏やかにすべてが消え行く様な静けさだった。



09年7月25日 セルリアンタワー定期能ー喜多流 第一部(セルリアンタワー能楽堂) (感想)
2009-08-06 04:21
狂言『萩大名』野村万之介・竹山悠樹・深田博治

亭主の深田さんはかっちり目で、面白みにかけるが、「どちへもやらんぞ」と大名を投げる様に引き止める型がとても綺麗で、そこだけ記憶に残っている。
大名の万之介さんは少しキツ目の物言いに感じて、面白さは微妙…と思ったが、最後の「太郎冠者が向う脛」と言うセリフのトーンが、急に可愛らしくて印象的。


『班女』友枝昭世・宝生閑・殿田謙吉・大日方寛・野村万作・槻宅聡・曽和正博・亀井広忠

腹を立てた様子がとても上手い、万作さんのアイに呼ばれて、シテはお構いなしの重い足取り。
落とされた扇をゆっくりと拾って見るめると、心を閉ざして重い体を引きずる様な、切ない姿が美しい。
「げにやもとよりも」と抑えた謡で、綺麗で儚い地謡が続いて、静かに中入。

ワキ・ワキツレの『次第』はしっかりでも重すぎず、さらりと『名ノル』と伸びやかな『道行』。
「もし花子帰りきたる事あらば」とさらりと申し付けるのは、本心は気になって仕方ないのを、カッコつけて隠している様に思えたのは考えすぎか…?

後シテは『一ノ松』でしっかり目の『一セイ』。
ゆったりと手を合わせてから舞台に入り、「恋すてふ」と寂しげに気品の有る謡で地謡も綺麗。
ワキツレとの会話は冷静で、「班女が閨のうちは」と哀れな風情で美しい。
シテが『正中』に座ると、地謡のたっぷりとした『クリ』。
「又独寝に」と『シオル』と「さりともと」で立ち、「夕の数は」と『シテ柱』に寄って、『正先』の方を向き、「頼めて来ぬ夜は」とそのまま後ろに下がって、『シテ柱』に背をつけて「欄干に立ち尽くして」と、立ち尽くす…か弱さと色気が交じり合ってゾクリとする美しさ。(でも次の詞を考えると、『一ノ松』で前に『ツメ』る方が自然な気がするのですが…この型、他流儀でも両方有るようですが、どっちがスタンダードなのでしょう?)
ゆったりとした 舞は静かから、少し明るく、しっかりと変化。今日は『中ノ舞』ではなく『序ノ舞』でした。(喜多流では『班女』は『序ノ舞』が多いようです。)
舞の最後の方で『ツマミ扇』をしていたと思います(記憶が曖昧、メモも字が汚くて判読出来ず)。
ワキに向かって「これは人の」としっかり目に答えるが、迷いが有る感じが出ていて、自然。
扇を交換して見せ合うと、とたんにうれしそうで、さっきまでの大人っぽい雰囲気が消し飛んで、若々しい明るい雰囲気で終わった。



相国寺承天閣美術館「山口安次郎作 能装束展−心と技の饗宴−」
2009-08-05 20:07
9月14日から相国寺で山口安次郎さんの能装束展があります!
会期中安次郎さんが作られた能装束を着用されたお能も上演されます。
詳しくはこちら。
http://www.yasujiro.jp/
13日は能の券を持ってらっしゃる方は能装束展もご覧になれるようです。
(S席・A席のチケットの方のみでした。B席の方は別に購入しなければ
ならないようです。)



09年7月18日  第7回 興福寺勧進能 二部(国立能楽堂)    (感想)
2009-08-04 04:42
狂言『成上り』野村万蔵・小笠原匡・吉住講

万蔵さんの太郎冠者はきっちり演じているけれど、全体に弱めで印象が薄く、いまいち。
はじめのうちは、しっかりとした主人で自然だったが、すっぱを主人が抑える場面では、形式化してしまった感じがして、こちらも微妙。


『砧』浅見真州・鵜澤光・宝生欣哉・野村扇丞・一噌仙幸・幸正昭・亀井広忠・観世元伯

ワキはさりげなく“夕霧”を使わす事を述べ、ツレの『道行』は艶やかで、「明かし暮して」としみじみと綺麗。
シテは「それ鴛鴦の〜」と寂しげだが、気の強い女という気配で、“床几”にかけて「いかに夕霧」としっかりと問い、「何、都住まいを」とゆっくりとツレの方を向く様子は、静かだけれど、聞きとがめる様な、迫力が有る。
「げにや我が身の」と遠くを見るような感じで、意図的に現実逃避しようとしている様な賢しさの様に感じられた。
ツレ「いや砧などは」と丁寧な対応が良い。
『右肩ヌギ』してゆっくり『正先』へ出て、ゆっくりと“砧”の前に座る仕草は物憂げ。
『常座』に行って、「音信」と空しげで、次第に思いがこもる様子で「面白の」と“砧”を見つめ、「露の玉簾かかる身の」とつぶやくと、綺麗な地謡が続く。…怒って、寂しくなって、もういいって諦めようとしたけど悲しくて、絶望していく…そんな気配。
「乱るる草の花心」と『橋掛リ』の方にゆったりと向かうが、その姿は既に魂が抜けた様に空虚で、『橋掛リ』を進む姿は幽霊そのもの!

静かに現れた後シテは「月を見する」と少し強く謡いつつ、正面を向いたり、「報の砧」と『正先』へ『ツメ』て“砧”を見つめる小さな型が怨めしさをよく表している。
「火焔となって」と『胸杖』して静止するとぐっと小さく縮こまるっている様に思え、印象的。
「契りの深き志」とワキに『ツメ』てその前に座り、扇を打ち付ける様にして、「怨めしや」と『シオル』と激しい思いが有るが、ワキが数珠をだして祈り、「幽霊まさに」とゆっくり『正先』へ出て「道明かに」と左に回ると力が抜けた様に静まり、分かりやすいラスト。

今日の『砧』の女は、気が強く、周りの話を聞かない…聞いても自分なりに解釈して、会話をしていても、その何倍も頭の中ではいろんな事を考えて、自分の事しか見えない、そんな女の様に見えた。最後の成仏も、言いたい事だけ言ったから、満足して去っていった様に思えて、何でも自分で決める女というイメージだった。



訃報
2009-07-30 22:19
 シテ方観世流職分の藤波重満師がお亡くなりになりました。私は、師が著された『よくわかる謡い方』(1〜4巻、檜書店)をよく参考にさせて頂いており、大変残念であります。改めて感謝申し上げるとともに、衷心よりご冥福をお祈り致します。

http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/obit/20090728-567-OYT1T00953.html

残念です。

2009-07-31 03:49
その本なら私も知ってます!
もっとも、私は眺めるだけですけれど。。

ご冥福をお祈りいたします。



09年7月15日  定例公演(国立能楽堂)    (感想)
2009-07-27 04:52
狂言『二人袴』三宅右矩・河路雅義・三宅近成・三宅右近

舅も太郎冠者も、朗らかで、2人を家に入れたい、という雰囲気が自然で良い。
シテ:右矩さんも、くるりと回って着物を見せたり、袴の紐を胸高に結んで直されたりする子供っぽさが可愛く、そのくせ、案内を請うたり、太郎冠者に話す口ぶりはどっしりとして、そのギャップが良い感じ。
袴を2つに裂いてからの、親:右近さんとはさすがに、息がピッタリで、面白かった。


『盛久』梅若万三郎・宝生欣哉・大日方寛・則久英志・舘田善博・澤祐介・一噌庸二・幸正昭・柿原祟志

シテ以下、長い道のりを進む様にゆったりと舞台に向かう。
最後の参詣という思いがこめて、ゆったりと手を合わせると、再び『橋掛リ』へ戻り、『一ノ松』で「また八橋や」と、正面を向き、「旅衣〜」と淡々と景色を見つめる姿には寂しさと共に潔さがにじむ。
『床几』にかけ、「夢中に道あって」と静かだが、既に覚悟が出来ている様に揺るぎがなく、芯の強さが有る。
ワキは「あら痛はしや」とさらりと言って、しっかりと声を掛け、丁寧な態度で用件を述べる。
シテはどっしりと冷静だが、「さて最後は」と体を捻るようにして、身構える様子に力がこもる。
再び静まって“経”を出し、「有難や大慈大悲は」と貫禄が有り、「虚妄にあらずや」と“経”を広げると、しっとりと美しく読み上げる。
ワキも共に“経”を読むが、年齢差を感じてしまい…見た目じゃなくて、さすがに万三郎さんとじゃ貫禄が違いすぎ。。(盛久と土屋、年齢設定はないけれど、なんとなく対等な感じ相応しく思うのだが…)けして悪くはないのだけれど。

ワキ「既に八声の」と厳しく急かして、シテは“輿”に入ると地謡「夢路を出づる」と抑え目で、しっかりと力の有る謡が良い。
シテが『角』に座り、ワキツレは後ろに立って、刀を落とすのは良い所に落ちたが、ワキツレは少々力みぎみで、ぎこちなかった気もする。。
シテ「盛久も思いの外なれば」と不思議そうな様子から、「釼段々に」と“経”を左によけて、マジマジと見つめて実感する感じも分かりやすかった。

『物着』後、シテはさっと控えると、『クリ』『サシ』と神妙だが晴れやかで、地謡『クセ』も綺麗。
しかし舞は、武士らしい強さと、爽やかさが有るのだが、ちょっとカクカクしすぎかなぁとか、もたつく様な部分とか…すごく細かい部分がなのだが、気になってしまう。。もちろんこれは、上手いと思って見ているからハードルが上がってるだけで、普通に考えたらかなり上手いのだが。


『クセ』で夢の中に現れた老僧の姿が謡われているが、香染の袈裟を着て、水晶の数珠と鳩の杖を持っている…らしい。
香染とは“丁子”で染める染物で、今では簡単に手に入る“丁子”だが、昔は超高級品。僧侶の姿でも実は清水の観音なのだから、当然と言えば当然の姿か。。
で、“丁子”で染めてみた(写真)。
繰り返し染めればもっと濃い色になるのだろうけれど、やっぱり派手な色ではないのね…派手な袈裟ってのも嫌だけど。ついでに上に載ってるのが“丁子”。

丁子唐草

2009-07-28 20:40
丁子といえば以前能のお装束で丁子唐草って教えていだだいたものが
丁子というより太くて大根みたいな柄だったのですが
意匠化するとそうなるのでしょうか?別物かな?

こちらでは本当に丁子の形ですものね。
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=71892

国立の公演と関係ないことですみません。

丁子文様

2009-07-30 04:07
こっこ様

先日はお世話さまでした。

そうなんですよね。普通丁子文様っていうと
←みたいなのとか、もっと丸みのある、まさに大根みたいなのが多いですよね。
私は←を“いか”みたいだと思ってます。。
でも、どれも同じ“丁子”を意匠化した物のようです。
装束でいうと、丁子立涌なんてのも有って、もはや原型をとどめていませんね。。

でもこうして、宝の一つとして描かれるくらい、貴重なものだったのですよね…正倉院御物だもんなぁ。。



09年6月19日  定例公演(国立能楽堂)    (感想)
2009-07-07 03:36
狂言『磁石』野村萬斎・澤祐介・深田博治

萬斎さんのすっぱは、始めの、馴れ馴れしげに声をかける様子が上手かった。
高澤さんは磁石の精だと名乗り、刀を隠されて、「あ〜」と力が抜ける演技が切なげで、とても上手く、面白い。
萬斎さんは最後で、刀を手向け、しんみりとしていると、起きあった田舎者に後ろからどつかれて、その勢いで前転…これは軽々で、さすがだけれど、最後がちょっとさらりとし過ぎな気がした。


『放下僧』橋章・朝倉俊樹・福王茂十郎・野村万作・森田保美・観世新九郎・國川純

ツレはさらりと大人しい話し方で、よく兄さんを説得できたなぁ…という気がしてしまう。
しかし、その兄の方も、どっしりとしていて、この兄弟、落ち着いているのかなぁ…と思ううちに中入。。
シテが『橋掛リ』を帰って行く姿には気合が感じられて、後半に期待。

アイはワキに伺いをたてているが、自分が放下僧を呼びたくて、ウズウズしているの良く伝わって良い雰囲気。

後シテはどっしりと、冷静で、ツレは少し厳しく、思いを隠す風だったが、もう少し緊張感が欲しい…現実には緊張してたらバレバレなのだが。。
「切って三段となす」で、ツレは弓を捨て、刀に手をかけるが、シテはさらりと間に入り、地謡「何をただ〜」で『大小前』に行って、クルリと回る様子が軽やかで「何でもないですよ〜」とでも言う様に、上手いこと誤魔化した感じが良い。
『サシ』からシテも地謡も綺麗で、「うらの湊の」と伸びやかでも、しみじみとした風情が有って、「谷の声」で、下の方を見る姿が美しい。
『物着』後、「月のためには」と重めに謡い、ゆったりと舞台を廻ってから、ゆったりと『鞨鼓』を打ち始める。
易々となれた調子で打つが、膝をつく部分は、ちょっとしんどそう。。
するりと綺麗に舞おさめると、「面白の」と上品に伸びやかで、とても良かったが、続く地謡は風情なし。
「いつまでかくて」とシテはツレに目配せしたのは、緊迫感が有って良かったが、“ワキの笠”を挟んでからの、討ち取る部分は迫力がなく、形式的に思えた。



今月2日の高崎での演能
2009-06-28 04:03
こんばんは。

 電話回線の工事やら何やらで10日間ほどインターネットが使えなかった為に延び延びになり、記憶も怪しくなっておりますが、ごく簡単な感想(というよりも概略)の書込みをさせて頂きます。

「梟山伏」
  梟に取り憑かれた弟を助けようと山伏に祈?を依頼した兄と、「イロハニホヘト・・・」などと妙な呪文を唱えるその山伏が、終いには二人とも取り憑かれ、三人が次々に「ホォーー、ホーー」と梟の鳴き声を発しながら退いて行く光景は、滑稽さと不気味さが綯い交ぜになった様な感じでした。また、小柄な月崎晴夫氏(アド・兄)と長身の岡聡史師(アド・弟)が揃って奇声を発し、その間で必死に祈?する野村萬斎師(山伏)という配役は、よく考えられたものだなあと思いました(たまたまかも知れませんが)。

「海士」
  シテ方の下平克宏師は、地謡としては何度も拝見する機会が有って美声と素晴らしい声量については分かっていたのですが、シテを務められる舞台を鑑賞するのは初めてであり楽しみにしておりました。今回の演能の会の主題とされる、母の子に対する情愛とか子の母に対する追善を、前場の玉之段・後場の早舞を中心にメリハリの利いた演技で充分に表現されていたと感じました。
  地謡は若手が多かったそうでやや硬さがあるやに思えましたが、地頭が確りと統率していたので違和感といった程のものではありませんでした。


 前回、感想(概略)を書かせて頂いた時と同様、今回も些か気になった点を少々…。私のいた席の近くで、肝心要の能の前、狂言までで帰ってしまった観客が何人かいました。目当ての能楽師の出番が終わったからもういいや、という事だとしたら残念な鑑賞態度だと考えます。それと、首本党が駄目だとは申しませんが、あまりに謡本や参考資料の方に目が行ってしまうと、紙の音等で却って趣を逸してしまうのではないかと。
 失礼致しました。

Re^1: 今月2日の高崎での演能

2009-07-01 03:44
関東者様

舞台の内容は良かった様で、何よりです。
『梟山伏』かぁ…個人的に結構好きな狂言です。。配役によってイメージが変わりますよね〜萬斎さんの山伏だと、最初の余裕たっぷりな雰囲気が似合いそうだから、だんだん必死になって…っていうのはぴったりかも。。

さて、狂言までで帰ってしまった方々の多くは萬斎さんの追っかけでしょうね。。萬斎さんが1日2公演だと、出番が終わったら、移動してるのを良く見かけます。私なんて貧乏性で、つい全部見ちゃいますが(苦笑)、余裕があると言うか、本当に好きなんだなぁ〜って感心してしまいます。
勿体ないし、演者の方には失礼だけど、見たいものだけを見るってのも、選択肢の1つかと考えます。
実際、同じ日に見たいものが重なる事も多く、間に合うなら両方行きたいと思うし、都合が付かなくて、遅刻したり、早く帰ったりしますし。
いずれにしても、そ〜と静かに退席して欲しいとは思いますが。。

最近の首本党は、謡を習っている人より、分からないから見ている人が多い様に思うので、配るパンフレットにも問題が有ると思います。なるべく見開きにおさめるとか、和紙の様な音のしにくい素材にするとか。。
国立の字幕表示は、初め、無駄な物をつけた思っていましたが、おかげで静かになりましたね。
会によっては、音がするので、上演中は見ないで、と断って、詞章を配っているところも有りますが、理解しようとしているのを阻害するようで、そこまでしなくても…と思います。
こちらも、休憩と同じで、主催者も観客も、気を使うべき部分ですね。
…すみません。また勝手な意見を述べてしまいました。



09年6月14日 呼吸器学会学術講演会(セルリアンタワー能楽堂)  (感想)
2009-06-25 03:59
新作能『オンディーヌ』梅若猶彦・梅若善久・三宅近成・藤田次郎・幸正昭・大村滋二・上田悟

原案はフランスの戯曲『オンディーヌ』。その内容は、水の精オンディーヌと騎士が恋に落ち結ばれるが、水界の定めにより、愛を裏切った騎士は眠ると呼吸が止まって死んでしまい、水の精は記憶を失ってしまう。というもの。
今回の能はその後日談で、年をとったオンデーヌが泉のほとりで男を思うところから始まる。
「睡眠時無呼吸症候群」のことを、騎士の症状に似ているので、『オンディーヌの呪い』とも呼ぶそうで、そんなところからの着想で、テーマは「呼吸」。


まず、“小屋”の『作り物』が『笛座』の前に出される。
森の景色を謡う地謡でスタート。森の中に泉が有って、一人の老女がいる…ということが謡われると、『引廻し』が下ろされて、中には老女になった“オンディーヌ”(善久さん)が座っている。
老女(…と言うが、見た目そんなに老けた印象じゃなかったが)、は人の世界で静かに生きている身の上を語り、「この手の皺を人々笑いたもうなよ」と左手の甲を見る…手の皺を見るという描写が新鮮だし、確かに女の人ってけっこう気にしてるなぁ…と着眼点に関心。

前シテ(猶彦さん)はゆったりと『一の松』あたりに出て、どっしりと「水界の王」だと名乗る。
王は風を感じ、松風を聞いて、水界の者は風を知らないが、それは水流のようなもので、水界には水界の、人間(地上)には人間の風、つまり人の息(生活)があるというような事を言う。(息、風や嵐などで水界と人界の息と心(?)の描写を謡っていて、良く出来ていると思ったが、上手く説明出来ません。)
そして、昔、一人の妖精(オンディーヌ)が水の息(生活とか世界とかの意味)を捨て、人の息を望み、水界を離れたが、今となっては哀れなので救いに来たと言って、オンディーヌと再会する。
オンディーヌは水界に帰ろうと誘われるが、それよりも王の妖力で、愛しい男に会うことを望み、水界には帰らないと言う。
王は男を蘇らせてやるが、男が再びそなたを欺くならば、命はない、と言って妖力を使う。
王は「さらばよとて、再び会う事なからんと」と名残惜しむ様に言うと、オンディーヌは“小屋”を出て、座わって『シオリ』、王はそのオンディーヌを抱くように少し寄って、手を広げ、「言葉を交わさずして」と離れるとあたりは嵐になって、王は水界に帰っていく。
(シテの中入。オンデーヌも退場)

アイが鎌で草を分けながら舞台へ入ってくる。
『正先』で谷に落ちるところだった!と驚き、それが谷ではなく、泉が枯れたものだと気づく。
アイはそこに座り、そう言えば昔ここに泉が…と回想する様にオンディーヌの物語を独り言として語り退場。

後シテは若き日のオンディーヌ。
月の光に誘われて現れると、水界を捨て、人の息を得た嬉しさを謡い、舞い始める。
はじめは優しく、さらりと美しく、少しテンポが早くなって、欺かれたいう事か(?)、少し荒々しく舞う。
舞終わると、「愛し君。ただ一途なる息なれば、とことわに我が息と共に消えぬ心となるものを。哀れ息を消えさりぬ。我が心に跡もなく、消えはてぬ」と次第に沈むように暗く謡い、さまよう様に(ここで、「なかりせば、息もなく美しきもの、いづくのものか」と繰り返し謡われたが、ちょっと意味不明…聞き違いだろうか?)、ゆったりと幕に消える。
『橋掛リ』を帰るシテを笛が送るという印象的な演出。


終盤で、「我が心に跡もなく、消えはてぬ」と言ってたのに、老オンディーヌが男の事を覚えているのはなぜ??
それと、アイの退場に理由がなく、いかにも説明に来ましたって感じなのが惜しい気がしましたが、テーマを上手く取り込んだ詞章は変に捻り過ぎず、好印象。

地謡も4人しかいなかったけれど(しかも中入で2人消えた…着付に行ったのだろう)、十分な声量でした。
所要時間80分。

さて、能の前に解説と称して原作者のお話が…著書が売れなかった話しとか、新作能をつくるきっかけなど、気軽に聞ける話で面白かったし、5分程度ですがオーボエの演奏も有って、とてもお得な会でした。
チラシしかなかったので、出来れば、パンフレットを作って欲しかったなぁ。。



09年6月11日  日経能楽鑑賞会・2日目(国立能楽堂)    (感想)
2009-06-23 03:10
狂言『萩大名』野村万作・石田幸雄・野村万之介

万作さんの大名はお調子者で、考えないで行動するタイプ…という印象。
万之介さんの亭主はとても楽しそうに歌を待っていて、だからこそ、「る〜」と伸ばせば…の件で「なぶると見えた!」と怒り出すのが上手く、シテより印象的だった。


『邯鄲』浅見真州・小早川康充・宝生欣哉・森常好・高井松男・工藤和哉・大日方寛・御厨誠吾・野村萬斎・杉市和・大倉源次郎・亀井忠雄・前川光長

『ワキ座』に“一畳台”を二つ並べて置く…“宮”はナシ。

シテはゆっくり静かに『常座』へ。暗く思い悩む様な『次第』、控えめに名のると、「尋ねばやと思ひ」と力が入って切実な気配。
「住なれし」からも、静かだが、しっかりとした意思が感じられる。
床几にかけ、少し慎重に、しっかりとした『問答』。
台に上がり、「天の与ふる」と天を仰ぐように腰を浮かせる姿が恭しく、袖を重ねて腕組みっぽい姿で横になる。

今日のワキは枕を叩くのが弱め。。
ワキの「はやはや輿に召さるべし」の後、シテは打ち捨てる様に数珠を捨て、不思議そうに輿を見つめ、「天にも上がる」で台の端まで座ったまま移動して(台が広いからすぐに足が出せない)立つ姿はいそいそと、期待感がある。

『来序』でシテは台上に座り、ワキツレは囃子方の前に座る。
しっかりな『上歌』、どっしりとした『下歌』と続き、シテはゆったりとあたりを見て、不思議な景色に戸惑いつつも、喜んでいる感じ。
『問答』はワキツレはしっかり、シテは静かだが、王位を受け入れた様に落ち着いている。
「我が宿の」と子方は伸びやかに謡って丁寧に舞うが、少し大人しい。(舞い終わると地謡前に座る。シテはこの間に肩ヌギ)

『楽』はさらり→どっしりと変化し、台が広い事を活かして型のバリエーションも豊かで、しっかりとした『足拍子』も楽しそう。
そんな楽しげな足拍子をしつつ、台の端まで行って、舞台に足をつき、慌てて飛び上がる様に戻り、両手で団扇を抱え、落ちた場所を見つめるのが心底驚いた感じ。
外側向きに台に座って少し休憩…調子に乗りすぎたと反省かと思いきや、台を降りてからも再び颯爽と舞う。
団扇を上げて「いつまでぞ」と晴れやかで、「月まださやけし」での『雲の扇』は力強い。
「雪も降りて」と舞台を廻ってから『橋掛リ』へ向かい、『一ノ松』で見渡してから、幕の前まで進む。
「面白や」と団扇を跳ね上げて下がり、後ろの欄干に腰掛ける…ゆったりと満足げで、これも印象的。
「かくて時すぎ」で立ち、さっと舞台へ戻り「ありつる邯鄲の」で台に向かってさっと進み、大きく足を上げて上がり、横になる。
アイはしかりと枕元を叩いて起こすと、シテは少し体を起こしてちょっと止まってからちゃんと起きる…何気なくしてるけど、すごく大変そう。。
シテは何が起きたのか理解できずにいる様子から、次第に悲しげになって、「栄華の」で少し俯いて、「不思議なりや」と団扇の柄の先を床(台の上の)につく様に逆に持って、どっかりと座っている姿が、まるで“の”の字を書いて、いじけている様に見えて、とても可愛い。
「一炊の夢」で、夢を払う様に団扇で空を力強く払うのは、ふっ切れてないけれど、ふっ切ろうと半分やけ気味に振り払った様に思えた。

今日の盧生はもとてもリアルで人間くさく、今ここで展開した現実の様だった。


今年も2日間、同じ曲なのまったく違う印象を受けた舞台で、甲乙つけがたく、期待を裏切らない良い公演でした。



09年6月9日  日経能楽鑑賞会・1日目(国立能楽堂)    (感想)
2009-06-23 03:00
狂言『萩大名』野村萬・野村扇丞・野村万蔵

萬さんの大名は、思いついたら口にしてしまうけど、やさしくて素朴な人、という印象で、最後に「面目もおりない」と小さくなると、本当に縮んでしまうみたい。
よく見る曲だけに、こうしてのほほんと見られるくらいがちょうど良いのかも。。


『邯鄲・傘之出』友枝昭世・内田貴成・宝生閑・殿田謙吉・大日方寛・宝生欣哉・則久英志・御厨誠吾・小笠原匡・一噌幸弘・成田達志・柿原祟志・観世元伯

シテはゆったりと白い傘を差して『一ノ松』へ。(小書:傘之出)
どっしりとした『次第』、静かに名のると、「住なれし」と侘しげだが、伸びやかに謡い、「野暮れ〜」と静かに謡いつつ、『常座』へ向かう。
「また村雨の降りきたりて候ほどに」と自然体で呟くと丁寧に宿を請う。
アイは「こなたへ渡り候へ」と言うと、「さて、御傘をお預かり申し候べし」と“傘”を預かって下げ、床几を持ち出す。
アイの対応はしっかりとして、この後の『問答』も、ちょっと上から目線。。
シテは静かに、途切れないけれど、訥々と語る雰囲気。
そのまま話し方は変化しないのだが、枕の話には興味津々なのがわかる!

ワキは勢いよく枕元を叩いて、「いかに盧生」とさらり。
「はや輿に召さるべし」とせかす様で、訳もわからず輿に乗る流れが自然。
シテは台上に座り、子方・ワキツレは常の様に『脇正』に座る。
地謡「ありがたの」としっかりとした『上歌』、さらりとした『下歌』が続き、その間にシテはすっかり高貴な気配で、その気になっていて、ワキツレとの『問答』もしっかり。
子方は頑張っていたけれど、ぎこちなく…この間にシテは“掛絡”を取り、肩ヌギ。
シテの『楽』は狭い空間を気にすることなく、ゆったりと舞い、中盤からさらりとして、素早く奥の柱を掴むとスルリと足を出して、ふんわりと戻るった。
(以前見た友枝さんの『ソラオリ』は、リアルに落ちて、びくっと戻る感じだったが、今回は余裕が有って、ふざけている様に思えた。個人的好みは今回のパターン。)

台を降りて、台に向かって軽快に足拍子、団扇を逆手に持つと。どっしりとした舞で、貴人の風情。
団扇を上げつつ、「いつまでぞ」と伸びやかな謡で、「ありあけの月」と左袖を巻いて『雲の扇』…続く型も綺麗にきまり理想郷が展開される。
「目の前にて」で幕の前までするすると進み、「面白や」と『正先』の方にナナメに出て、左袖を返し、団扇を上げて、膝をつき、「かくて時過ぎ」と欄干に手を重ねて、そのまま静止したのが美しかった。

目覚める様子は静かに体を起こし、呆然として静かに悲しみ、しみじみと現実を実感して悟る様子が、淡々と表現されていたが、その心境の変化は、はっきりと伝わった。
台に上がって枕を見つめ、両手で戴いて、台を降りると、アイは「はや、おん立ち候か」と傘を開いて渡し、シテが静かに帰りかかると、『橋掛リ』に向かって「また重ねておん参り候へや」と語りかけるが(これが不気味)、シテは立ち止まって(振り返らず)それを聞き、静かに帰って行った。

友枝さんが幻想的な演技でアイがしっかりだったので、宿の主の仕掛けた術中にまんまと嵌められた盧生(でもちゃんと悟れた)という感じがして、怪談話とか昔話の様な遠い世界の話として面白かった。



09年6月2日  近藤乾之助試演会(宝生能楽堂)    (感想)
2009-06-08 10:48
仕舞『八島』宝生和英

飛び出す様なスタートで、若干、勢い込み過ぎかと思う部分も有るが、静かな部分はどっしりとして、メリハリが有って綺麗。


狂言『富士松』野村万之介・石田幸雄

始めのうちは地味目な印象で、どうかなぁ…と思ったが、段々テンポ良くなると、それぞれのキャラクターがいきいきとして、面白かった。


袴能『松風・脇留』近藤乾之助・大坪喜美雄・宝生欣哉・深田博治・藤田六郎兵衛・住駒幸英・亀井忠雄

静かな『一セイ』、寂しげに美しい『サシ』、暗い地謡『下歌』と続き、「汲もうよ」と言いつつも気が進まない気配がはっきり。
シテ「おもしろや」と気が変わるのも良いが、「いざいざ汐を」は少し大人し過ぎる気も…。
扇を広げ、『角』に座って汐を汲む姿は、汲む水の重さが感じられて、哀れに美しい。
ツレも『正先(角より)』に座り、持っている桶に汐を汲むと、シテの方に行き、「見れば月こそ」とシテもその桶をのぞく様子が、楽しそうで、2人の仲が良いのが強く印象付けられる。
「月は一つ」と『脇正』を見て、「影は」と“汐汲み車”を見る姿も綺麗で、宝生の段差に桶を置ける“車”も綺麗だなぁ…と久しぶりに見て思う。

シテが床几にかけると、ワキは静かでも風格が有り、シテはしっかりと上品な対応。
ワキの「逆縁ながら」で、シテ・ツレが『シオル』あたりから、2人はシンクロする様に殆ど同じ型で本体と影の様な一体感。

形見を見つめる様子は静かだが、悲しみは深く、「捨ててもおかれず」と投げやりに衣を下げて、その勢いのまま、掻い込む様に衣を抱く姿が切実。
「みつせ川」とどっしりと深く、沈痛な様子から、「あれに」と立つと、急にハイテンションで、なんだかキラキラとときめいているみたいで可愛い。
ツレは控え目な静止で、シテはそれをはね退ける様に自分の世界に入ってしまう様で、「たち別れ」と離れるのも、ここからは松風の心の世界の様に思えた。
『中の舞』はゆったりと静かで、しかし最後に鋭さも。。
「立ち帰りこば」と『大小前』に行ってから、「いざ」と松に向かってさっと寄って、でも少し躊躇う様に松を抱き、力なく下がって『シオル』姿は儚いが、『破ノ舞』は力強く、激しい思い…強風やうねる波の感じで、舞終わって『大小前』で松に向かって『招き扇』して風が吹き下ろす様に松に寄り、「須磨の」と右下に寄せる波を見て、ワキに手を合わせる様子は丁寧。
扇を広げて松に風をかける様にし、「夢も跡なく」とゆっくりと静かに、松の前を通り抜けて、幕に消えた。(ワキが立って松に向いて終了。小書:脇留)

松風の思いが、風と波と一体となって、松風の姿を超えて自然の姿を見たような最後だった。



09年4月4日 映画『面打/men-uthi』(UPLINK)  (感想)
2009-04-08 04:30
映画を見て来ました。
そのタイトル通り、"面”を打つ過程を追ったドキュメンタリー作品。
下絵から、完成して舞台で使われるまでを、ナレーションやインタビューなどの説明を一切つけず、映像のみで表現している。
中でも、もっとも長く映されていたのは彫り…というのか、木を削っていく過程。
木が削られる音だけが静かに響いていた。
その姿はいとも容易く、自在に彫り進めているようだが、その集中力が並々ならぬのは、見ている者が静寂の映像に引き付けられてしまう事が証拠の様に思う。
この"面”が使用された舞台は、秋川のキララホール 『鞍馬天狗・白頭』(2005年中所宜夫・田中義和・大倉源次郎・亀井広忠・助川治)。
終盤で静止画(バストアップ)を連続して見せる手法は、今回の主役がシテではなく"面”だと強く印象づけられた…巧みな表現。

終映後、監督:三宅流、面打:新井達矢、能楽師:中所宜夫によるトークイベントが有り、3人の接点などについて話される。
新井さんは現在25・6歳(?)だが、6歳から彫り始めて…すでにキャリア20年!新井さんの他の作品、"増”と"泥牙飛出”も間近に見ることが出来たが、"飛出”はなんと13歳の時の作品。びっくり。
ここで作品の写真が見られます→http://www.hamura-tokyo.jp/simin/event/2006/nou/sakuhinshu.htm

どの面もかなり薄く作られていて、軽いそうです。
せっかくの機会なので裏側の処理(彫あと)について、質問してみましたが、声のこもり方などの実用的配慮の他に、女面はやさしく、強いものは荒く仕上げるが、あとは趣味が出ますとの事。
中所さんも、それについては、"面”は裏が重要で、裏が良い物でなければだめだ…と教わったのだとか。。
その他に興味深いお話を聞く事が出来て良かったなぁ…と思いましたが、よく考えたら監督がいたのに映画的な話してないかも…それは他のゲストが来た時って事かな。。
17日まで。詳細は→http://www.uplink.co.jp/x/log/002981.php

この面を使用する『鞍馬天狗』は岐阜県可児市文化創造センターで4月18日に再演が有るそうです。→http://www.kpac.or.jp/event/detail_123.html

Re^1: 09年4月4日 映画『面打/men-uthi』(UPLINK)  (感想)

2009-06-04 20:17
遅ればせながら拝見しました。
ホントに何の説明もないのですね。(苦笑)
でも映画としては確かにその方が良かった気がします。
兎谷さんがご覧になった時のように映画のあとに少しお話が聞ければ
なおのことよかったのでしょうけども。
(裏が大事なんですね、何となく納得。展示とかでも親切なところは
鏡とかで裏が見えるようにしてあるか写真をつけてありますものね。)

彫り終えた面を鍋でぐつぐつ煮てる映像はちょっと衝撃的!
その前に液体につけておられましたからそれをしみこませるためか
なにかでしょうね。
鍋がちっちゃいので半分ずつしか浸かってない面がなんだか可愛くみえました。
また新井さんのつくられた面を舞台で拝見したいものです。

Re^2:映画『面打/men-uthi』

2009-06-05 04:23
こっこ様
書き込みありがとう御座います。
解説の無い映画は、それはそれで良いのですが、解説付きパンフレットとかが有っても良かったのかも知れないですね。(DVDは副音声で解説が入るとか。。)

探したらこんなサイトが→http://seiun.sakura.ne.jp/carving/index.html
これによると"ヤニ”抜きの様です。
能面自体は目にする機会が多くても、制作工程は見ることが出来ないので、中々面白い内容でしたよね。

Re^3: 09年4月4日 映画『面打/men-uthi』(UPLINK)  (感想)

2009-06-05 22:04
ヤニ抜きでしたか。あの液体はエタノールなのですね。ご紹介ありがとうございます。
この他にもつまようじを使って髭をうえつけたりその髭をヘアーアイロンを使って
クセをつけたりと意外に身近な道具を使ってつくられてたのも面白かったです。
以前テレビで西陣織の山口ご兄弟の特集があって能装束の制作過程の映像は
見たことがありましたけど(これもとても面白かった。やはり軽くつくるために
裏の方は出来るだけ糸を通さずにつくられるとか。その分余計に手間がかかるようですが。)
面はこれほど細かい映像は初めてだったのでとても興味深く拝見しました。
この監督さんの次回作も面白そうなので機会があれば行ってみたいと思います。



高崎でのお話
2009-06-04 00:00
こんばんは

 高崎へ能楽鑑賞に行って参りました。公演に入る前に、安藤綾信氏(元和・明暦・元禄年間、高崎城に在城した安藤家の第16代ご当主)より、興味深いお話がありました。
 高崎の清水寺(京都の清水寺と同趣旨にて建立された寺)に「絵馬 演能図」(元禄5年−1692年−、狩野常信筆)というものが蔵されております(http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/art_museum/t/exhibit.htm)。これは以前より「熊野」もしくは「江口」ではないかと言われていましたが、だとすると不自然な点があるので仔細に調査した結果、これは第3代当主・重博公がお母上(津藩祖・藤堂高虎公の孫娘)の追善供養の為に創作した、当時の新作能と判明したとの事です。当該絵馬は高崎市重要文化財に指定されており、今月14日(日)まで高崎市タワー美術館に展示されます。私も観覧しましたが、幅1m程の大きなものでした。
 その新作能の詳細は今となっては知る由も無いので、主題が似通っている「海士」を、今回の下平克宏師による演能の演目にしたそうです。簡単な感想等はまた後日に書き込みをさせて頂きたく存じます。

 話は変わりますが、以下の薪能の情報を見つけましたので、ご紹介致します。
  第28回「国宝松本城薪能」
  http://www.city.matsumoto.nagano.jp/kanko/siro/event/8gatsu/index.html

Re^1: 高崎でのお話

2009-06-05 03:41
関東者様
こんばんは。
高崎公演は、演能前にお話しが有ったのですね。当時の新作能とは興味深い…。
最近はやり(?)の復曲にはならないのでしょうかねぇ。。
安藤家は茶や香の世界でも有名で、興味が有ったのですが、2日は近場で見たい公演が有ったので、そちらに行ってしまいした(感想は近々)。
公演の方はいかがでしたか?



09年5月30日  第二十三回二人の会(宝生能楽堂)    (感想)
2009-06-02 03:56
舞囃子『猩々乱』香川靖嗣・松田弘之・大倉源次郎・柿原祟志・観世元伯

ゆったり、どっしりとしたスタート。「芦葉の笛」と笛を吹く姿が綺麗。
舞の足使いも、事も無げに、安定していて、水に戯れるというより、周りの水の方が動いている様なイメージ…上手く言えないのだが、動いているのに本人には静寂感が有る感じ…。
静かに首を振ったり、安座する様子には貫禄が有って、脇能の厳粛さが有る…しかし、それは硬さとも取れなくは無い…。


狂言『夷毘沙門』山本則重・山本則孝・山本則秀・松田弘之・大倉源次郎・柿原光博・林雄一郎

則孝さんはさらりと自然な雰囲気。
毘沙門天の則秀さんは、細かい事だけど、高札を見る時、上を向きすぎかなぁ…と思う。高札が高く見え、背が低く思えてしまった。
夷の則重さんは、ちょっと力が入りすぎ。。


『道成寺』塩津哲生・宝生閑・高井松男・大日方寛・山本東次郎・山本則秀・松田弘之・飯田清一・柿原祟志・観世元伯

シテ『次第』はゆっくりと暗く、重い『地トリ』が綺麗。
「鐘の供養に」と何気なく進行するが、「急ぐしるしか」で、『脇正』の方へ少し出ると鋭く、不気味さが垣間見えた。
舞いたいと請う様子が切実で、アイが思わず許してしまうのも納得。
「あれにまします」と力が入って…ちょっと入り過ぎだが、「花の外には」からしっとりと寂しげで、美しい。
柱が邪魔して乱拍子は良く見えず…(泣)。しかし、踏む足の内にこもる強さが有って貫禄の乱拍子。
遥かに遠く深い雰囲気で謡出した『乱拍子謡』は、しだいにしっかりとして、綺麗だが、動きは段々、力み気味に…。
烏帽子の紐を解くと、そのまま烏帽子も落ちてしまうが、そんな事は気にならなくて、鐘に向かうと、『笛柱』の方を向いたまま、飛び上がって、鐘入。
ここまで時間はかかっているはずなのに、感覚的には短かった…やっぱり安心して見ていられるからかなぁ。。

鐘が落ちた時のアイのやりとりが絶品。
面白くて、後半の緊張感が戻らないんじゃないかと思ったが、さすが、閑さん!一気に世界を元に戻して、さらりと語り出す。
「上、下へと」と芝居がかった表現をしても、最後の「恐ろしき物語にては候はぬか」とワキツレの方を向いてさらりと言うと、本当にこの2人にだけ話してしたんじゃないかと思う自然さ!

地謡「すはすは」とどっしり謡出すと、ゆっくりと鐘が揺れ、シテが叩く銅鑼の音は怒りを表すかの様にハッキリと強い。
ひねる様に下から睨み上げる仕草が妖艶で、『一ノ松』へ行くと、1度衣を上げぎみに広げ、バサリと落とすと、迫力十分。
ワキとの拮抗した睨み合いは、凄みが有るのに女らしさを失わずこの2人だからこそのバランス。『柱巻き』は意外とさらりとして、やり過ぎないところが良い。
「祈り祈られ」とワキに迫るとほんの僅かな差で、形勢が逆転した様に、膝をつき、「鐘に向かって」と手を上げて膝で鐘に寄る姿は執念が感じられて凄まじい。最後に幕に飛び込むところで、ちょっとコケた様に見えたのが惜しかった。

『作り物』の"鐘”がリアル!緑の布にちゃんと鐘の模様がついていた。
古いものを再現したらしいが、特に効果が有るとは思えなかった。



09年5月23日  第十五回友枝昭世の会(国立能楽堂)    (感想)
2009-05-27 04:37
狂言『樋の酒』野村萬・野村扇丞・野村万蔵

万蔵さんの次郎冠者は、酒を選ぶのも、迷っている様には見えない。
萬さんの太郎冠者との酒盛りも、洗練され過ぎていて、綺麗だけれど面白みは少ない。
萬さんが最後にもう一杯の飲もうとして怒られて、チョコチョコと後ろに小さく跳び下がる足取りがかわいい!…フットワーク軽いなぁ。。


『実盛』友枝昭世・宝生閑・大日方寛・則久英志・野村扇丞・一噌仙幸・林光壽・亀井忠雄・金春惣右衛門

シテは『一ノ松』でつぶやく様に「笙歌はるかに」と静かで、「あらとうとや」とゆっくりと合掌する様子も、舞台に入り、ワキに向いて座って「南無阿弥〜」と手を合わせるのも、恭しく、敬意を表す。
「昔、長井の」と懐かしそうに話すと、ワキの「さてはおことは」と、得心した様子に「実盛の幽霊に〜」と、もはや躊躇う必要が無い、という感じでしっかりと、正体を明かし、どっしりと、綺麗な地謡が続いて、静かに穏やかな中入。

ワキ・ワキツレのさらりとしつつも、貫禄の有る『待謡』。
「南無阿弥〜」と繰り返すワキには、しっかりでも、心を汲む様な優しさが感じられる。
後シテは『常座』に立ち、只ならぬ気配。
ゆったりと動きだが、その内に力強さ…思いの強さが有る。
"床几”にかけ、「時いたって」としっかりだが、しみじみと思う様子で、「さてもこの篠原の〜」と強く、ゆるぎのない語り。
「名のれ名のれ」と腰を上げて、せまる様な迫力の場面から一転、「ただ一目みて」から悲しげな様子で、人物の転換が分かり易く、鮮やか。
「実盛常々」と少し上を見て、思い出す様子もしみじみとして、気遣う様に丁寧に墨を洗うと、水の流れが見える!
「その執心の」と気迫のこもる謡で、ここから動きが力強く、鋭く変わる。
激しい戦の様子を見せ、フッと力を抜いて手を下ろし、「老武者の」とゆったりと立つ様子は侘しげで、「終に首を」と扇を上げて、「かき落とされて」と少しうつむく姿が、既に栄枯盛衰を悟る様に静かで綺麗。

全体に実盛の意思が随所に強調されていた様に思う。。又、前後で"面”が違った(と思う)ので、前シテの様子は穏やかだが、その内に強い思いを秘め、後はさっぱりとした気配が有って、実盛の男らしい人間像がこれによっても強調されていた様に思う。



09年5月14日  梅若研能会(観世能楽堂)    (感想)
2009-05-17 04:05
『橋弁慶』梅若紀長・中村政裕・梅若志長・高部恭史・内潟慶三・森澤勇司・柿原弘和

シテはどっしりと重厚な『名ノリ』で、良いが、『中入』までそのままなので、ちょっと重い。。
トモは丁寧だけど、セリフが棒読みぎみで残念。
「遅しとこそは」で正面に『サシ』、スッと足を引いて、『橋掛リ』を向くと鋭さが有って、カッコイイ!
子方の着付が赤(濃い桃色)で、被いでいた衣をとった時の華やかさが、牛若丸のイメージにピッタリだし、しっかりとはしていたが、動きは1つ1つ途切れる様で、もう少し(子供だからと分っていても)。。
後シテはどっしりと現れ、肩に長刀を担ぐと重量感が有るが、子方相手はやり難いのか…こちらも、もう少し。
『ロンギ』からは、堂々とした子方と、態度を一変させたシテのバランスが良かった。


『梅枝』青木一郎・森常太郎・(ワキツレ2人)・山下浩一郎・藤田次郎・古賀裕己・野彰

ワキ・ワキツレ『次第』はしっとりと美しく、ゆったりとした『道行』には風情が有る。「あら、笑止や」と雨を感じる姿に、静かな雨音が感じられてた。
シテは重く静かな対応。
『語』もしっかりとしているが、悲しみを含んで美しい。

「実にや碧玉の〜」と座って『シオル』姿に深みが有って、「さりながら」と正面を向くと思いなおす様な変化が有る。
「夫の形見を」で頭を指したり、袖を見る仕草は形式的だが、「ねもせず」と『角』に出る様子は凛として、綺麗。
『ロンギ』から静かに穏やかで、女性的だが、別人っぽくて、過去の投影?…という事かな…とも思ったが、「いかにせん」で『正先』に出て、"撥”を取り、打つ仕草から扇に持ち替えて舞う様子も大人し過ぎ。
「我が有様やな」の『シオリ』も「申せば」での『月の扇』も美しいけれど、前半の思いつめた様子から考えると、後半は静まり過ぎ。


狂言『文山賊』野村万蔵・野村扇丞

勢い良く飛び出して来て、喧嘩になるが、「うしろは崖じゃ」などと、気弱な物言いが面白い。
仲直りして、パッと明るくなるのは素直で、子供っぽ過ぎる気もするが、初めの勢いで引き込まれてしまったのも事実…さすが。その代わり、最後は尻つぼみな感も…。


『殺生石・白頭』八田達弥・舘田善博・吉住講・寺井宏明・森貴史・佃良太郎・三島卓

シテ「そこ立ち退き給へ」としっかりと説得力が有って、「昔、鳥羽の院の〜」とどっしり…端正な"面”と相まって只ならぬ雰囲気。
対するワキはさらりと自然体。
地謡「ものすさまじき」と静まって、とても綺麗だが、『クリ』はもう少し。
ワキに「御物語り候へ」と促されて座って語り、「雲の上人」で立って、「光を放ちて」と両手を広げるなどの、常には無い所作が入って、わかり易く、「消えし跡は」と静かに座って、「あら、恥ずかしや」と、少し俯く姿が綺麗。
「立ち帰り」で立つと、『橋掛リ』へ向かい、「現さんと」でワキに向き、「いふやみの」でゆっくり見渡して、「わが影なり」とワキに向いて左袖を出し、ゆっくり回って、さっと『三ノ松』へ、正面を向いてからゆっくりと『中入』…メリハリが効いていた。(小書:白頭のため、『作り物』がないので、中入する)

しっかりとテンポの良いアイの語り、恭しく"払子”をワキに渡す。

ワキは幕に向かって、しっかりと「木石心なし〜」と謡い「急急に去れ去れ」と"払子”を突いて、捨て、『常座』に行って膝をついて、数珠を揉む。
シテは幕の中から「石に精あり」と謡い出すと、よく響いて、どこからともなく聞こえる様な不気味さが有って効果抜群!
「二つに割るれば」で走り出して、舞台上で"床几”にかける。
ワキ「不思議や」とさらり。…ワキは全体にさらり目で、前半高僧の風格…とも思ったが、パワー不足だった気がする。
「やがて五体を」と左袖を返して、上の方をサシたりと、型が続いて、少し慌しいのと、左袖を返す(被く)型が続くのが気になったが、型だから仕方ないのだろうなぁ。。
「追ふつまくりつ」と、弓を引きつつ、追う感じが良く、幕際での『仏倒レ』で射られた側に瞬時に立場が変わるのも、そこから立って、舞台に戻るのも、自然に見え纏まりの有るラスト。


今回、白頭で、装束も白。これはとても好みだった。最近『女体』ばっかりだから新鮮な感覚で見られました。


ついでにちょっと調べていたら、ワキが"錫杖”を使っていた事が発覚。(私が知らなかっただけ?) 
『能弁惑大全・巻四(元文5年発行)』には「シユシヤウニ黒缶付テ狂言持出」とあって、"払子”が登場しない。これって錫杖?と思って更に探すと、『能の見方、謡いの聞き方(大正6年発行)』にはワキが"払子”を持ち出し、アイが"錫杖”を持ち出して、ワキはアイから(現在払子をもらうタイミングで)"錫杖”を受け取ると有った。

ワキが「急急に〜」で払子を突くけれど、ここは本来錫杖を突いていて、その型だけが残っていると考えると、突く仕草も、修験道っぽい「急急〜」という言葉も納得がいくように思う。
源翁和尚は曹洞宗の僧で、払子の方が相応しいが、初めに出家したのは越後国上寺で、現在は真言宗の寺だが、開山当初はは修験道だった歴史を考えると、錫杖もありな気がする…でも殺生石を割ったとされる年は曹洞宗に改宗後の事、なのですが。。



09年4月8・11・14日能楽☆現在形第8〜10回公演(宝生能楽堂) (感想)
2009-05-07 03:18
纏めて3日分。始めに『望月』以外の感想。

1日目〜〜〜〜〜〜
一調『願書』野村四郎・亀井広忠
どっしりと雄大な謡。大鼓は中盤から良かった。

狂言小舞『住吉』野村萬斎
全体的に綺麗で纏まっているけれど、やりすぎで嫌味な部分も。。

一調一管『花重蘭曲』一噌幸弘・観世元伯
幸弘さんはこういう時、本領発揮だなぁ、と思う(能の時も上手いけど)。元伯さんはいつもにも増して、しっかりと引き締めている感じで、2人のバランスが良い。

2日目〜〜〜〜〜〜
一調『起請文』辰巳満次郎・亀井広忠
2人ともしっかり、という印象。遅刻したので、最後しか聞けず。。

狂言『法師ケ母』野村萬斎
事の発端のテンポが良く、勢いで妻を追い出してしまう流れが自然。「法師が母に」と『シオリ』つつ、舞台を回る部分はあまり悲しそうには見えなかったが、杖を落として『シオル』部分の脱力する感じが印象的。

3日目〜〜〜〜〜〜
一調『勧進帳』塩津哲生・亀井広忠
覚悟を決めた様な、どっしりとした謡。安定感が有って綺麗。広忠さんも塩津さんに引っ張られたのか、いつもよりどっしりとして、良い感じ。

狂言小舞『景清・後』野村萬斎
前半、綺麗な型を見せている感じで、日舞を見ている様な、気分。後半は重みと強さが加わるが…。

一調一管『鷺・乱』香川靖嗣・一噌幸弘・金春國和
ゆったりと真面目な謡で、さらりと終わってしまった。。囃子も控えめ。曲柄も有るけれど、少し物足りない。

さて『望月』。配役と各流儀の違い

2009-05-07 03:28
1日目:片山清司・梅若晋矢小早川康充・殿田謙吉・野村萬斎・一噌幸弘・吉阪一郎・亀井広忠・観世元伯
2日目:金井雄資・朝倉俊樹・波吉敏信・宝生欣哉・野村万作・一噌幸弘・成田達志・亀井広忠・前川光範
3日目:友枝昭世・狩野了一・内田貴成・森常好・野村萬斎・一噌幸弘・大倉源次郎・亀井広忠・金春國和

初日は『小書』なしのはずだったが、"古式”だった。これで、すべての回でワキが残るスタイル。


☆シテの登場時、観世は素性をほとんど語らないが、宝生・喜多は主君を失った経緯を語る。

☆ツレ・子方の位置…
観世:ツレ・子方は部屋に通ると囃子方の後ろに控え、ワキ・アイがワキ座につくと、『橋掛リ』へ。『橋掛リ』では幕の方から、シテ・子方・ツレの順。
宝生:『地謡前』に奥からツレ・子方と座る。ワキが通り、アイ・ワキの順(奥から)にワキ座に座り、同じ空間にいながら、別室の扱い。『橋掛リ』ではツレ・子方・シテの順。
喜多:ツレ・子方は『地謡前』に座り、ワキは囃子方の後ろに通る(通常は宝生と同じ様に舞台に入る)。『橋掛リ』では子方・ツレ・シテの順で、「かの蝉丸(2回目)」で、ワキ・アイが 『ワキ座』に座る。

☆シテが酒を持って行く理由が、観世は「下向を祝して」だが、宝生・喜多は「夜寒に候ほどに」。

☆ツレの杖…
観世:ツレは『物着』で水衣を着て、杖を持ち、子方に手を引かれて、舞台へ。退場も子方に引かれて(子方は物着)、『橋掛リ』に出ると、立ち止まって杖を落とす。
宝生:ツレはシテから杖を受け取る。子方は手を引かない。退場も子方は先に『後見座』へ。ツレは一人で『橋掛リ』に向かい、後見の前を通るところで、杖を後見に渡す。
喜多:ツレはシテから杖を受け取る。子方は手を引く、というよりくっついていく感じで、腕を掴んでやや後方を歩く。退場は子方は先に『後見座』へ。ツレは一人で『一ノ松』まで進み、そこで杖を両手で抱える様に持って帰る。

☆宝生・喜多は『クリ』の部分がなく、『サシ』が子方・ツレの同吟になる。観世のツレ「いはけなや」が、宝生・喜多はツレ・子方で「いまいまし」。

☆鞨鼓…
宝生・喜多:「吉野竜田の花紅葉〜」と子方が謡ってから、鞨鼓になる。
最後は観世:地謡が「獅子とら〜」と謡い、子方は『常座』から幕の方を『サシ』、"バチ”を落として『角』に控える(鞨鼓はつけたまま)。
宝生:『大小前』で「獅子とら〜」と子方が謡い、舞台を廻って、『地謡前』に座り、鞨鼓を取って、控える。
喜多:地謡が「獅子とら〜」と謡い、子方は『常座』に行って、幕のほうを向いて、両手を段差に挙げて指し、手を下ろすと、『地謡前』にに座り、鞨鼓を取って、控える。

☆シテ装束…
観世:白い獅子頭に牡丹の花が載ったもの。後も長袴。(小書に為、常は赤い獅子頭(扇2枚)に大口)
宝生・喜多は共に赤い獅子頭だが、付いている扇が1枚と2枚。

☆ラスト…観世は最後まで子方が舞台いるが、宝生・喜多は「立ち帰り」で『一ノ松』へ。

☆ワキのセリフ…
3日間とも下掛宝生だが、討たれる直前の問答が違っていた。これはどうやらシテ方の流儀によって…シテ方の謡本のとおりだったようだ。普通、ワキはワキ方の流儀の謡で謡うが、問答形式だから合わせなければいけないのだろう。。

『望月』の感想

2009-05-07 03:36
観世:シテの出だしが少し重過ぎる気がしたが、しっとりとしたツレ、伸びやかな子方の『次第』は綺麗で、上品なツレに対して、シテは突然の事に驚きながらも、昔の主君の事を無念に思う忠臣、といった風情。

宝生:シテは静かだが、敵討ちの機会を待っている様な隠れた強さが有る。とても静かなツレの『次第』で、子方がとてもやり難そう。シテは2人を気遣う様子で、しみじみと感慨深い再会。

喜多:シテの出だしは静かで、どこか虚しげな様子。しっとりと寂しげなツレと、小さいけれどしっかりの子方で、しっとりと静かな再会。


"望月”の登場後…
観世:驚きと、今こそ好機!と思う様子がはっきりとして、興奮を抑えきれない迫力の有る様子で、作戦を話す。『一ノ松』で扇を広げ(酒の意)、舞台の方を見る姿に、決意が感じられて印象的。

宝生:シテはしっかりと押さえ気味で、「なに望月」と驚く子方を静めて、冷静に思案する感じ。

喜多:どっしりとこちらも冷静で、子方のフライング気味な「なに望月」や、ツレの「計らひて討って給わり候へ」と、やる気満々な2人に対して落ち着いた様子。


サシ・クセの地謡…
観世:静かに美しく→どっしり。
宝生さらり→しっとり。
喜多しっかりと武骨な感じ。
でそれぞれに子方の「いざうとう」で緊迫するが、はっきりととどめる観世、宝生に対して、喜多だけは緩やかに諭す様に止めたのが友枝さんらしかった。


シテの中入前…
観世:「皆々かう渡り候へ」でシテは子方の方に『キル』様にキッと視線を送っていく。

宝生:一歩行きかけてから、振り向いて見渡す。…語らずとも多くの意味が込められている様で印象的。

喜多:「その間に獅子を」とワキを睨み付ける様にしてゆっくりと立ち、静かに『橋掛リ』に出ると、袴の裾をバサリと裁いて大股で進む。

それぞれの様子は、子方に早まった事をするな!とか、いよいよ!とか色々含んでいる様に見え、又、シテの覚悟の様にも見えて、個性が面白い。


鞨鼓…
観世:力が入り過ぎて、やや単調な部分も有るが、しっかりと丁寧。
宝生:大らかでしっかりと力強い。
喜多:拍子をキッチリとっていて、カラクリ人形みたい…この3日の中で一番小さい子方…カワイイ。

獅子舞→ラスト…
観世:『一ノ松』の欄干に足をかけて、左・右と見てから下がり、舞台へ。どっしりと落ち着いた綺麗な獅子。
「八撥を」で子方に目配せして、ワキを挟んで押さえ、ワキの「何者ぞ」の問いに、しっかりと名のるのは良い。
ワキ「振れども切れども」で、左・右と振り払うけれど動けない感じで、手を重ねるが、伝わりにくい気がした。「放さばこそ」で、ワキは笠を置いて『切戸』へ下がるが、このあたりもシテが少しよけて出やすくしている様に見えて不自然。
常の様に笠に向かって討ち取る型は、力強くはっきりとして、最後はさっぱりと爽やか。

宝生:『一ノ松』にさっと出て、下がり舞台へ。力強く激しい足拍子。気合入りまくりの獅子。
観世と同じタイミングで子方に合図してワキを挟み、ワキ「引っ立てゆけば」と、立つと、シテはワキの足を押さえ、緊迫感が有る。
討ち取る様子も力強く、その後の足拍子もどっしりとして、力強いラスト。

喜多:『一ノ松』で顔を上げて、下がり、右に回って舞台へ。
慎重にワキが寝ているかを確認したり、力強いけれど冷静さを併せ持つ。はっきりとわかり易い。
「八撥を」で子方の方がシテに寄って、同じようにワキの後ろに回り込んで、しっかりとした対応。するどく討ち取り、ゆったりとしたラスト。


見るまでは、観世は違うけど後は殆ど一緒、どうせなら、流儀でもっと違う曲にすれば良いのに…と思っていた。
しかし、続けて見ると、微細な違いまではっきり。シテ3人の個性も発揮されていたし、面白い公演でした。
囃子も違うと思った部分も有り(表現出来ないので書きませんが)、詳しい方なら、もっと色々気づいたのでしょうね。



【情報】第36回川崎大師薪能
2009-05-01 03:45
 こんばんは。あまり間が有りませんが、標記の薪能についてです。

  http://www.city.kawasaki.jp/event/info777/index.html

 去年、小田原城薪能を観に出掛けましたがどうも落ち着いて鑑賞出来なかったので、これまた迷っております。


 来月2日の「演能の会 高崎公演」には行く事にしました。かねて舞台を観てみたいと思っていた能楽師が何人かおられるので、少々遠出をして参ります。また感想などを書込みさせて頂ければと思っております。



※平成21年5月3日追記
 【情報】@第36回川崎大師薪能の詳細(取り敢えず、パンフレットのみ手に入れました)

      薪能法楽

      仕 舞 「屋 島」 観世恭秀
           「玉之段」 観世芳伸
                  寺井栄、関根祥人、上田公威、清水義也(以上地謡)

      (火入れ)

      狂 言 「墨 塗」 三宅右近
                  三宅右矩、三宅近成

      舞囃子 「紅葉狩」 観世清和
                   藤田次郎(笛)、観世新九郎(小鼓)、亀井広忠(大鼓)、小寺真佐人(太鼓)
                   岡久廣、関根祥人、観世芳伸、上田公威、大松洋一(以上地謡)

       能   「葵 上」(梓之出)
                 山階彌右衛門(シテ)、武田宗典(ツレ)、野口能弘(ワキ)、三宅右矩(間)
                  (囃子方は舞囃子と同じ)
                  高橋弘、関根知孝、武田尚浩、田邉哲久、岡本房雄、勝海登、大松洋一、清水義也(以上地謡)
                  観世恭秀、寺井栄(以上後見)

      附祝言



     A「府中市民能」及び「相模薪能」
       http://www.nohbutai.com/contents/03/09_2.html

Re^1: 【情報】第36回川崎大師薪能

2009-05-02 03:50
関東者様

いつも情報ありがとう御座います。
高崎、行かれるのですね。また感想をお聞かせ下さい。

さて、私は昨日、発売開始の会の申込をしようとしたら、昼前に完売していて、ショック!かなり楽しみだったのに。。で、そこがだめなら行こうと思っていた会も完売。。こちらはとっくに発売していたので、仕方ないけど、色々予定が狂って、今、どこに行こうか悩み中。高崎もちょっと気になる…。



【情報】北関東での演能2つ
2009-04-10 23:00
 こんばんは。高崎と宇都宮での演能のお知らせを1つずつ見付けましたので、ご紹介致します。私は高崎の方を観に行こうかどうしようか、迷っております。

「下平克宏演能の会 高崎公演」
 http://www.ennou.jp/3.html

「宇都宮能」
 http://www3.city.utsunomiya.tochigi.jp/event/event_detail.php?evflg=1&id=C015965&start=0&end
=20&citycd=1&page=1

Re^1: 【情報】北関東での演能2つ

2009-04-11 02:52
関東者様

お久しぶりです。お元気でしたか?
情報ありがとう御座います。
高崎の方は『特別展 香る大名文化 ─ 旧高崎藩主・安藤家の至宝』の関連事業なのですね。この展示も見たいし、行きたいなぁ…あっでも、この展示に行くなら、香席に入りたい…。同じ日なら100%行くんだけれど。。

宇都宮も、坂井さん好きなので気になる〜!
見たい公演が多くて困るなぁ。。



09年4月2日  夜桜能 第2夜(靖国神社)    (感想)
2009-04-08 03:51
舞囃子『放下僧』梅若晋矢・松田弘之・大倉源次郎・大倉慶乃助

「雪消の水の」と正面を向くと静かな気配。含むものが有る様な、力の入った"鞨鼓”。「面白や」とどっしりと重いが、地謡はまったりとしてしまう。最後の方はやや硬いか…?


狂言『茶壷』野村萬・野村扇丞・野村万蔵

内容とは関係ないけれど、冒頭、居眠りする姿を見て、桜の下でゴロゴロ…羨ましい!なんて思いつつ、個人的にはこの狂言ってなっとくいかないんだよなぁ。。

そしてやっぱり、相舞になると上手く出来なくなってしまうすっぱの状況に納得が出来ない…さっきはあんなに上手く話せたのに、急にあやしくなるなんて…1回聞いただけで、上手く語れるなら、ここはむしろリードして、困らせるくらい出来そうだと思うのだが。。
分かり易く、大きなリアクションに会場はうけていたが、このメンバーとしては普通の出来栄えだと思う。


『松風』梅若玄祥・角当直隆・宝生閑・松田弘之・大倉源次郎・大倉慶乃助

松の"立木”には短冊がついていいた。…また戯之舞か…最近こればかりな気がする。。

ワキ『次第』『名ノリ』で「やうやう急ぎ候程に、須磨の明石に着きて候」とワキ座に控え、アイごと大幅カット…だったと思う…記憶が怪しいけど、あれっと思う間にシテの登場。
シテ・ツレ『一セイ』は静かでもしっかりとして目。「月さえぬらす」でシテは少し声が詰まる感じ。
塩汲みの様子は優美で、地謡も纏まって美しい。
宿を借りたいとの申し出に、ツレは上品に答え、シテも姉らしくしっかりとして良い。
ワキの「逆縁ながら」のあたりで、シテ・ツレは『シオル』と…ここも大幅カットで、2人は手を下ろしつつ、「この上は〜」としっとりと繋ぐ。
『クセ』はしっとりと綺麗で、シテは床几にかけているだけなのだが、良い雰囲気。
形見の衣を手にしてからは、思いつめる様に、繰り返し眺め、「詠みしも」とさっと衣を下ろして、右手で膝を打つ様にするが、打ち下ろす瞬間は激しく、すぐに脱力感と悲しみに変わる様にふんわりと治まり、見事。
しかし、「捨てても」と衣をハラリと下ろし、「おかれず」で掻き寄せる様子は女らしくない。

『常座』の少しうしろ寄りに『安座』して『物着』(金風折烏帽子と長絹をつける)。
そのままで、ワキの方に向きを変え、静かに謡いだして『シオル』が、不恰好。
「あら嬉しや」で膝を立て、「松風と」でさっと立って、松に寄ると、ツレはシテを止め、「あれは松にて」と切なそうに松を見る様子は本当は彼女の方が辛いのでは?と思える。
「立ちわかれ」で『二ノ松』に行って、戻り、舞うと、重い『足拍子』が恨みの様に響く。
扇を左に持ち替え、"オロシ”で佇むと、再び松の方を向いて近づき、短冊を手にとって「稲葉の山の」と朗々とした謡。
「いざ立ち寄り」でさっと松に寄って、左袖を返して抱きつく様にして、「なつかしや」と下がりつつの『シオリ』は儚い。
その後、松の前を通り抜け、『常座』で右袖を返し、左手で『ツマミ扇』して、扇を頭上に上げて静止。
「松に吹きくる」と『正中』に進んで、「見ゆるなり」と『橋掛リ』へ、 『一ノ松』で振り向いて「弔いて」と『合掌』。扇を広げ、「音も」と少し右を向いて、「須磨の浦かけて」と身を乗り出す様に、扇を上げる様子は遙かに見渡す様な広がりがある。(シテは「聞きしも」で幕入、ワキ留め。)

舞の初めで扇が変な揺れを見せる…風か?とも思うが、その時風は感じなかった(私は前から2列目にいた)。
他の部分も六郎さん…じゃなかった玄祥さんにしてはキレない感じで、体が思うように動いていない…こんな玄祥さん始めてだ!体調が悪かったのだろうか?今回だけの事で有って欲しい。。


それにしても、久々に寒かった。もちろん防寒対策は万全だか、近年こんなに寒くならなかったので、なんとなく懐かしい…桜はまだちょっと早い4〜5分咲き、舞台の前の桜が早く咲くので、写真では満開っぽいけれど。



09年3月29日  塩津哲生の會特別公演(宝生能楽堂)    (感想)
2009-04-06 02:30
舞囃子『杜若・素囃子』大槻文蔵・松田弘之・曽和正博・亀井忠雄・観世元伯

ゆったりと立つと高貴な気配。
「柳上に鶯〜」とどっしりとした地謡の後、『立廻り』。
隅々まで綺麗だが、上品過ぎる印象。


復曲能『墨染櫻』塩津哲生・宝生欣哉・遠藤博義・松田弘之・曽和正博・亀井忠雄

白い桜の花がついた『作り物』を『大小前』に出す。花はあんまり桜に見えないし、引廻しは、苔むした幹のイメージだと、パンフレットにあったが、模様がはっきりと見え、何となく煩い…。

ワキが「深草の野辺の〜」と一首詠むと、シテは「あら面白の」と『呼掛け』の様な形式だが、シテは既に幕の前に出ていて、いつの間にかそこにいる、という狙いが活きている。
シテは『正中』に座り、静かにしっとりと出家を願うと、ワキ「この上は辞退申すに」で後見が"盥”をシテの前に持ち出す。
ワキはシテの後ろに立ち、「「水の底なる」と軽く覗き込む感じで、「や。さながら」とはっきりと驚きを見せる。
この時、作り物、ワキ、シテ、盥と後ろから段々に並んでいるのも、狙いらしいが、あまり良いとは思わない(もっとも、私は脇正から見たので、正面からなら、良かったのかもしれないが…。)

物着で"花帽子”を着け(着けやすく工夫してあった。)、ワキの問いにしっかり目に答えると「深草の野辺の櫻し〜」とシテ・ワキの連吟になって、しっとりと美しい。
シテが"作り物”に消えると、アイとワキの『問答』+ワキの『語』。
短い『一声』の囃子で、シテは"作り物”の中からしっとりと謡い出す。
「墨染櫻と顕れたり」で"引廻し”が下り、静かに『サシ』を謡うと、"作り物”を出て、ゆったりとした『舞グセ』。
『ロンギ』の後、『脇正』に行くと、静かで短めの『乱拍子』。
扇を左手で握って袖を返し、『乱拍子謡』が入って、舞になる。
扇を左手に持つと、舞台を廻り、『ワキ座』から幕の前まで進み、振り返って、今度は右回りに2回回って、『正先』の方を向くと、右袖を被いで、しばしの静止。
そのまま『二ノ松』まで行って、左に3回回りつつ、舞台に戻る…花が風に舞う様で綺麗。
「深草の」と静かに謡い、『正先』に出て、「雨にも」で左袖を被いで、下がりつつ「露にもしほれて」と扇で顔を隠し、その流れのまま『橋掛リ』を向いて進み、『二ノ松』で振り向いて、「梢に残りて」と扇を頭上に上げて、「根に」と下がりつつ手を下ろし、さらりと幕入。(ワキは合掌)


現在、省略されてしまった、髪を下ろす場面での盥を出す演出と、後の乱拍子が大きな違い。
改定された詞章を読むと、盥を出す場面は劇的で面白そうだと思ったが、舞台で盥が出されたのと、ワキが目立ち過ぎるので、想像力を削がれて、水面が見えてこなかった。良い場面だと思うので、盥をだしたとしても、出さなかったとしても、地謡の謡で表現するなど、観客に想像させる演出の方が良いと思う。
乱拍子も興にのって白拍子めかして舞う、法楽の舞と言うが、その必然性が分からず、『序の舞』くらいで、さらりと進んだ方が良い様に思う。
後の装束は今回の為に製作された、薄墨色の竹屋町長絹は絶妙な色合いで綺麗だったが、その喪服を現す装束が余計に、乱拍子や中の舞などの"動”的な要素とのギャップを感じさせていた様な気もする。



09年3月22日  春の別会・第1日(宝生能楽堂)    (感想)
2009-04-05 04:44
『嵐山』近藤乾之助・東川光夫・小倉健太郎・小倉伸二郎・森常好舘田善博・森常太郎・大藏千太郎・一噌隆之・住駒匡彦・安福建雄・徳田宗久

ワキは颯爽と安定した『次第』→『道行』。
シテ・ツレの『一セイ』は静かにどっしりと綺麗だが、シテは箒を下げるとなぜか上下が逆…後見がすぐに直したが。。
その後のシテ・ツレの謡は静かでもしっかりと上品。「こなたの事にて」と威厳が有るが、ちょっと苦しそうな息づかい。
地謡『下歌』「花はよも」と静かに入るが、なんだかだらだらとした印象。
「春の風は」で箒を扇に持ち替えて舞台を廻り、「立ちくる雲に」と『サシ』つつ『中正』の方を向いて中入する姿が明るく綺麗。
スルスルと『一ノ松』に出た、後シテは『和光利物の」と拍子を踏みつつ右を向くが、足を上げるのが辛そう。。
「我本覚の」と静けさと力強さが有って、迫力が有る。
地謡「悪魔降伏の」のあたりで、ツレ2人は立って、『正先』の『一畳台』にの上を通って『橋掛リ』へ。
シテは前に出て、「嵐の山に」と台に上がり、左を向いて扇を使ってから降り、『常座』に行って『トメ拍子』。。このあたり、とても綺麗だが、地謡がいまいち。


狂言『文相撲』大藏彌太郎・善竹大二郎・善竹十郎

のんきな大名、テキパキとした太郎冠者、しっかりの新参者との対比が良く表現されていて、書を読む場面も間延びせず、面白かった。


仕舞『八島』武田孝史

ゆったりとしつつも、力強さが感じられて綺麗だが、少々単調な面も…。


仕舞『東北キリ』佐野登

しっとりとした綺麗な地謡。シテは静謐な気配で美しい。


仕舞『大江山』三川淳雄

少し重い気もするが、マズマズ。


『大原御幸』寺井良雄・佐野由於・大友順・山内祟生・工藤和哉・大藏基誠・寺井久八郎・亀井俊一・亀井実

シテ「山里はものの」とややはっきり目。「いかに大納言」と静かでも、威厳が有って哀れさは弱い。
ワキ・ワキツレは「九重の花の」と伸びやかだが、纏まりがもう少し。
ワキ「あら、ものすごの」としみじみとした感じは良い。
シテ「昨日もすぎ」と寂しげで、「庵室のあたりに」と気づくのは自然。
地謡『上歌』は抑えてどっしり。「住まいなるべき(1回目)」で『正中』に座る様子は、訪問を少し喜ぶ様な気配。
「我天上の楽しみも」と懐かしげで、静かな地謡は重く沈んで「憂き身の果てぞ」と『シオル』姿は儚げ。
「その時の有様…」とどっしりと語りだし、語りながら泣いているみたい。
地謡「又、十念の」と静かで、「源氏の武士」と救い上げる様にする型は、もうすべてを諦めたかの様に、力が抜けたように見えた。
地謡「いつまでも御名残は」とゆったりと名残を惜しむ感じで、法王・ワキは『橋掛リ』へ行くと、シテ・ツレ3人で見送り、『中正』の方に向きを変えて、3人で『シオリ』。


仕舞『弓八幡』金森秀祥

力強くはっきりとした様子から、ゆったりと変化。地謡がもう少しなのが惜しい。


仕舞『安宅』田崎隆三

地謡に緊張感が無い。シテも分かりやすいけれど、もう少し。


仕舞『井筒』今井泰男

ゆったりとしつつも、存在感が有って、「男なりけり」で『正先』の出て、「なつかしや」と上げていた手を下ろすと、スッと力が抜けて、存在が薄らぐ様で、儚く優美。


『道成寺』和久荘太郎・高井松男・殿田謙吉・則久英志・大藏吉次郎・大藏教義・寺井宏明・鵜澤洋太郎・亀井広忠・大川典良

ワキ『名ノリ』はちょっと重すぎ。
シテはどっしりと抑えた『次第』で、『上歌』も思いがこもり綺麗。
「あれにまします」とさらりと勢い良く言い、「花のほかには」とゆったりと静か。
『乱拍子』は『角』に位置から殆ど場所を動かず、左に回る様に踏んでいくが、途中、鐘を見上げる様子は形式的に思えたが、全体にそつなく綺麗。
舞で『角』に出、少し前傾すると烏帽子が落ちてしまったが、本来、烏帽子を飛ばすところで、常の通り扇を振り上げるけれど、回転しやすい様に手を上げた…という様な雰囲気で、違和感無く、さらりと通過。
「恨めしやとて」と、鐘の下に入り、『笛柱』の方を向いたまま、両手をかけて、高く飛んで鐘入り。(絶妙のタイミング!)

オモアイ:吉次郎さんが、とてもかわいい!
ワキの『語』は前半、力みぎみで重い。。
ゆったり目の祈りで、現れたシテは迫力が有るが、さらりとした感じも有って、粘質でない感じに若さを感じる。
全体的に"披き”とは思えないくらい余裕が有って、それが無難にこなしていると見える部分も有るけれど、かなり綺麗で、良い出来だったと思う。



09年3月15日  梅若研能会(観世能楽堂)    (感想)
2009-03-31 03:47
仕舞『唐船』青木一郎

綺麗だけれど、1つ1つが弱い感じがして、女性的な感じがしてしまう。


仕舞『雲雀山』中村裕

ゆったりと雄大。渋めだが、ちゃんと変化が有って自然。


仕舞『小鍛冶』長谷川晴彦

全体的にカチッカチッっとしすぎ。地謡も少々ずれ気味。。


『竹生島』古室知也・梅若泰志・野口能弘・竹山悠樹・寺井義明・坂田正博・野彰・徳田宗久

シテは始め静かで、しっかりとする部分も有るが、控えめ。
「舟が着きて候」で、どっしりとして、気配が変わる。
シテは『正中』に座り「それは知らぬ人の」と堂々と語る。
ツレは『角』に出て、『作り物』の方を向くと、「扉を押し開き」と扇で戸を開ける様にして、『作り物』の中へ…丁寧で綺麗。
シテはゆったりと穏やかな中入。
地謡「御殿しきりに」とはっきりだが、少し弱め。
ツレはさらりと明るい雰囲気で『達拝』して舞うが、男性っぽさ(力強さ)がチラつき、もう少し。
シテも丁寧でゆっくりとしたところは綺麗だが、1コ1コの型が途切れる様でもう少し。


狂言『横座』野村万作・野村万之介・月埼晴夫

万作さんは、自分の牛は呼べば答える、と自慢げに話すものの、いざ呼ぶとなったら、不安そうで、とてもよい雰囲気。
「心有れば鳴いてくれよ」と切実な感じや、鳴いたらとても嬉しそうな様子が自然だった。


『弱法師・盲目の舞』梅若万三郎・野口敦弘・深田博治・栗林祐輔・幸清次郎・安福光雄

シテの静かな『一セイ』、『サシ』は寂しげにしっとりとして綺麗な謡。
地謡「もとよりも」と、どっしりとした謡で、シテは舞台へ進み、杖に何かが触れた様子で下がる様子が上手い。
「袖を広げて」でワキが施行の仕草をすると、アイも「ざらざら」と続き、すぐに地謡「受くる施行の〜」と続く。橋の方を向いて手を合わせた後、「あら愚かや」と静かだけれど、しっかりと確信が有る気配。
地謡「入日の影も」で、『橋掛り』へ向かい、『一ノ松』で振り向いて、「あら面白や」としみじみ言うと、ゆっくりと舞台へ戻る。
「なすところぞや」の後に舞が入る(小書:盲目之舞、クリ・サシ・クセも省略)。
舞は『カカリ』と『初段』のみ…という表現で良いのか?(舞台を廻り、扇を広げて、前に出て、右に廻って『大小前』)

「盲目の」で『角』に向かい、足が引っかかった様な感じで、あっと思わず手を前に出す感じは、少し芝居くさい気もしたが、一瞬止まって、杖にすがって、スッと膝を付く様子は、ぶつかって転んだのではなく、改めて目が見えない事を痛感した事で、力が抜けて座り込む様な感じで、哀れで印象的。
「恥ずかしやとて」で『橋掛リ』へ行き、「父は」で振り返って、ワキの嬉しげな様子を見ているが、す〜と幕に消えて行く様子は、さして嬉しそうではない感じで、親よりも大人な弱法師という感じ。。



09年3月4日  定例公演(国立能楽堂)    (感想)
2009-03-25 03:11
狂言『雪打』井上菊次郎・井上靖浩・佐藤友彦・佐藤融

この狂言は初見でした。
降り積もった雪を隣の家の方にどかした事による、ご近所トラブルな話。(何だか今でも有りそう。。)雪掻きした若者と、百姓が揉めていると、僧が通りかかって、2人の言い分を聞くが、そこに若者の母が現れる。この僧と母は懇意な仲。結局、全員が若者の見方になってしまう…という理不尽なストーリーだが、狂言だとその理不尽さが面白さになってしまうのだなぁ。。
雪の冷たい感じや、それそれの関係を示す仕草がしっかりと表現されて、良い雰囲気。


『国栖』塩津哲生・大島輝久・佐々木多門・井上大風・森常好・舘田善博・森常太郎・野村小三郎・奥津健太郎・藤田六郎兵衛・鵜澤洋太郎・國川純・三島元太郎

シテは「姥や見給へ」と、ふと、声を掛ける感じで、さらりと自然だが、ツレの「何事にて〜」はちょっと構えぎみ。
シテ「あの森の梢に」と『ワキ座』の方を見る目線が、低めで、遠くを見る風情。
ワキ・シテ・ツレの会話はしっかり目でもさらりと進み、丁寧に"鮎”を受け取ると、「ご覧候へ」とツレに"鮎”を見せる様子は、力が入っていて、驚く感じが有って良いが、「水に放せば」と放してからは力み過ぎ。
追手に対しては初めのうちは、静かに落ち着いていて、「漁師の身にては」も静かな中に気迫が有る。
「孫もあり」と指折ってから立ち、「打ち留め候へ」と『打合せる』あたりでは、力が入りすぎて(?)左右に揺れていた。
中入後、ゆったりとツレが登場。舞台に進んで、廻るあたりまで、ベタ〜っとした印象だったが、扇を広げると、急に華やか。
しかし、綺麗な型も男っぽさが有って、もう少し。
地謡「天女子が」でシテは衣を被いで『一ノ松』へ。
「王をかくすや」と静かで、「即ち」としっかりと謡いつつ、体を起こして衣を落とし、舞台へ。最後はゆったりと雄大で、余裕が有って綺麗。
前半、力が入る場面でかなり揺れていた…いつもと違う…体調が悪いのではないと良いけれど。。



09年2月21日  地域伝統芸能まつり・第1日(NHKホール)  (感想)
2009-03-21 04:18
『葵上』塩津哲生・粟谷浩之・殿田謙吉

例年通り、地謡・囃子方はスタンバイ済みで、舞台が明るくなり、すぐにワキツレの登場。
ツレの綺麗な"梓”で、シテはゆ〜っくりと『一の松』へ出る。
『一セイ』はどっしりと、纏わりつく様な謡。
前半は迫力が有って、「枕に立てる」と扇を捨て、『大小前』でくるくると回りつつ、衣を抜いて被いて、前に出て、体を伏せ気味のまま、拍子を踏むのも、恨みを露に苛立つ様。
アイに呼び出されたワキは、威厳の有る登場だが、前に出て、病人の様子に驚く様子はちょっとやり過ぎ…でもホールだから丁度いいのか…?
ワキが祈り始めると、シテはその後ろに、そっと忍び寄る姿が不気味で、争う部分もゆっくりな部分に女の怖さが有る。「ありがたき(1回目)」で手を合わせるが、どこか悲しみを残すようで、美しかった。


今年は山折哲雄さんの解説。源氏物語について話しながら、『葵上』のあらすじも話したが、舞台上の"小袖”の意味を解説しておくべきだったかも。。小袖の意味が分からなかったのではないのかも知れないが、終演後、よくわからなかった…との声がちらほら。

1階右端の席だった為、残念な事に、私の席からはカメラマンとクレーンが邪魔でした。でもモニターに映った画像も楽しみましたが(苦笑)。
この日は1日中楽しませてもらいました。
いつもロビーで、各地の物産を販売しているのですが、今年は少なめだったような…。美濃和紙のコーナーに懐紙とか一筆箋が有ったので、購入したが、それも私が行った時にはちょっとしか無くて、もっと欲しかったなぁ。



09年2月15日 式能 第一部・第二部(国立能楽堂)  (感想)
2009-03-04 04:10
『翁』宝生和英・大藏吉次郎・東川光夫・大藏教義・藤田朝太郎・曽和正博・住駒充彦・森貴史・國川純

千歳はゆったり目で綺麗。
翁は若々しくて千歳みたいだと思う部分も有るけれど、しっかりと丁寧で好感が持てる。年齢逆転の翁と千歳は違和感無く…どころか、かなり良い出来。


『西王母』田崎隆三・佐野登・村瀬提・村瀬慧・善竹富太郎・藤田朝太郎・曽和正博・國川純・観世元伯

ワキも地謡も初めのうちは大人し目。
シテも静かだが、しっとりと綺麗な謡。しっかりとしたワキとの会話と、良い感じだが、「天にぞ」と『常座』に回る動きが、そそくさとして、もう少し。
後は初め、ゆったりと綺麗。
「色々のささげもの」とさらりとした地謡で、舞台に入り、ワキの方を向いて頭を下げるなど、敬意をはらう様子が美しい。
ゆったりとした地謡「花の盃」でさらりと『達拝』すると、ゆったりと舞う…綺麗だけれど、少しメリハリが欲しい。
「袖を」と左袖をふんわり返して、舞台を廻り、華やかな『雲の扇』とラストは綺麗に纏まる。


狂言『佐渡狐』大藏彌太郎・大藏千太郎・善竹十郎

千太郎さんの“越後の百姓”は一生懸命で、少しオーバーかも。
シテ・アドの二人はそれぞれの役が堂に入っていて、良い雰囲気。


『花月』廣田幸稔・福王茂十郎・井上菊次郎・松田弘之・大倉源次郎・山本孝

ワキは『次第』はさらりと始まり、ゆったりとすると、風情が有ってとても美しい。
シテの謡はしっかりで、鳥を見たり、弓を引きかけてやめたりと、分かりやすくはっきり。
静な『サシ』、さらりとした『クセ』で、滝の流れを見るなど、ゆったりで綺麗だけれど、少し緩慢。
ワキは立って「あら不思議や」と静かだが驚きが伝わる。
シテはワキの方を向いて、「久しく父に」で小さく『ヒラク』様子が嬉しそう。
“羯鼓”をつけて『正中』に出、「とられて」で『橋掛リ』の方まで見渡し、「思ひやるこそ」と『シオリ』つつ右に回る様子に、子供っぽさが垣間見えた様で良い。(地謡も綺麗。)
“羯鼓”を打つ様子は、初めは軽々と、変化をつけて、最後は力強く、その後ラストまで、しっかりと強い感じはいかにも金剛流っぽい。
「つれ参らせて」で、さっとワキに寄る様子も嬉しそうだった。


狂言『樋の酒』野村萬・野村祐丞・野村扇丞

萬さんの独壇場!
必死に酒を飲もうとする様子も、「よしの葉」を舞う様子もいきいきと、ご機嫌な気配。


続けて第二部も見ました。感想は近いうちに…。

 第二部  (感想)

2009-03-10 01:06
『羽衣・舞込』友枝昭世・飯冨雅介・椙元正樹・橋本宰・一噌庸二・幸正昭・柿原祟志・金春惣右衛門

シテは静かだが、威圧感の有る『呼掛ケ』。
はじめは気高い感じだが、「今はさながら」と寂しそうになって、「天の原〜」と儚げで、「空に吹くまで」と『シオル』姿が哀れ。
「いや、疑いは人間にあり」とさらりと、あまりに当たり前だという雰囲気なのが、かえって説得力になる。
『物着』後は、ゆったりと伸びやかで、「南無帰命〜」と静かに手を合わせる様子は爽やかに美しい。
ゆったりとした舞は止まってしまいそう…かと思えば、後半はさらり。
「さりほどに」と橋に向かい、『二ノ松』まで進んで、ふわりと振り返ると、さっと『一ノ松』に戻り、「三保の」と正面を見つめ、「浮島か」で、再び『二ノ松』に進んで振り返り、「雲の」で袖を反して、「富士の」とクルクルと5回(?)回りつつ、幕の方に下がり、「御空の」で左袖を被いて、後ろ向きに下がって幕の中へ。…ゆったりだけど、あっと言う間に終わってしまった気がした。


狂言『お茶の水』山本則直・山本東次郎・山本則俊

東次郎さんの住持は水汲みを断られて、さっと『常座』に行く様子が、何気ないのに、怒ってるなぁ〜って感じが良く出ていた。
則俊さんは恥じらいを見せる可愛い女だったのに、最後には“こうなったら!”と住持の足を取る、変貌ぶりが良い感じだし、新発意は、小歌がとにかく、幸せそうでした。


『弱法師』角寛次朗・宝生閑・山本泰太郎・寺井久八郎・鵜澤洋太郎・安福光雄(演者変更)

シテはしっとりとした『一セイ』。地謡『下歌』「もとよりも」としみじみとした味わい。
「や、花の香の」と気が付いた感じが有って、ワキが扇で花を掬う型もふんわりと春の明るさ。
シテは『正中』に座ると気品が有って、地謡『クリ』は変化が有り、『クセ』は静か、と謡い方は良いのだけれど、纏まりに欠ける。
シテは「心あてなる」と『橋掛リ』の方を向いて座り、しっかりと祈る様子。ワキはやさしげで、シテは初めしっかりと、次第に伸びやかなで綺麗な謡。
「あら面白や」と少し明るい様子で、「住吉の」としっとりとして、「今は入日や」と入日を見たり、「紀の海までも」と見渡し、「心のあり」と思い(景色)を納める様に扇を胸に寄せ、「見るぞとよ」での『足拍子』に意思の強さを感じた。
胸杖して「盲目の悲しさは」と、さっと進んで、ぶつかった様に崩れ、杖を探す姿がさらりと綺麗だった。


狂言『苞山伏』野村万作・野村万之介・竹山悠樹

竹山さんの山伏はしっかり、万之介さんの山人は、素朴な感じが出ているが、2人とも少し表現が弱い印象。万作さんは、慌てる様子がリアルで、祈られて、身体の自由が利かなくなる感じが、とても上手い。


『張良』高橋汎・辻井八郎・森常好・高野和憲・藤田次郎・観世新九郎・亀井実・三島元太郎
ワキは「そもそも〜」と、どっしりと語り出し、綺麗な道行。
シテは「いかに張良」としっかりと呼び止めるが、老人らしい静けさが有る。「我、先刻より」として、続く地謡も迫力が有る。
ワキは「ここに来たらめ」で膝を打って、『正先』を『サス』型は、力強いけれど、丁寧過ぎる気がする。
後ワキ『一セイ』はどっしりで、動きもはっきりと堂々と風格が有るけれど、やり過ぎなところも。。“沓”を投げられて、ワキは流される様に、クルクルと回りつつ、移動するが、体が重そう…。
その後は力強く、沓を取り返して、恭しくかかげる様子も決まる。シテも静かに威厳を持って、地謡もどっしりと抑えて綺麗。


またしても長丁場。今回は休憩もあるし…と思ったら、一部と二部の間って、外に食事にいけるほどは無かったのね…良く時間を確認していなかった、トホホ。
短い曲ばっかり続けて見ると、頭の切り替えが大変で、その割りに、すぐ終わっちゃう様で、かえって疲れた。。



能楽を御覧の皆様へ
2009-03-09 04:17
『先月28日の「昭門会」』の記事の余談(演目の切れ目にざわつく等の話)へのレスをただの愚痴にしないために、言わせて頂きます。もちろん私がそれを言う立場にないのも承知。私自身もご迷惑を掛けているかも…なので、自分も気をつけます。


役者が全員退場するまでは、席を立ったり、おしゃべりしたりは、控えましょう!
興味の無い演目等でも、それを楽しみに来ている人がいるのをお忘れなく!


現実には、休憩時間が短すぎる会も多々有るし、問題も反論もあるでしょう…どうぞ、書き込みを!



先月28日の「昭門会」
2009-03-09 01:06
 観て参りました。『鶴亀』と『太刀奪』についてのみ、極々簡単に感想を書かせて頂きます(各役紹介は敬称略)。


『鶴亀』
  岡本房雄、観世智顕(子方・亀)、観世喜顕(子方・鶴)、殿田謙吉、高野和憲、一?隆之、観世新九郎、柿原弘和、徳田宗久
  津田和忠、田邉哲久、清水義也、金子聡哉、菊池應子、中津川悦子、塩屋幸子、新見好枝
  観世恭秀、浅見重好

 狂言口開の後、真ノ来序の囃子でシテ登場、ワキ・ワキツレが続き、シテが一畳台に上がり葛桶(←「かずら」の字がどうしても正確に出ません。ワードの場合は出るのですが)に掛けようとして、何度かやり直しておりました。後ろで手を添えていた方との呼吸が合わなかったのでしょうか。しかしその後は荘厳な雰囲気を保ち、地謡後列が前列の声を包み込んでしまったという感が少々あったものの、この曲本来の明るく荘重、という趣を表現されている様に感じました。
 また、子方のお二人(故・観世元昭師の3人の孫の内、2人目と3人目)は容貌も大変よく似ており、三段之舞の相舞がほぼきちんと揃っておりました。智顕さんは次回の昭門会で舞囃子を務められるそうで、これまた楽しみです。


『太刀奪』
  野村萬斎、深田博治、月崎晴夫

 「泥棒を捕らえて縄を綯う」を表現した本曲、シテがおもむろに縄を綯い始める場面では特に笑いが込上げて参りました。


 仕舞と、『須磨源氏』は省略させて頂きます。『須磨源氏』を務められた各役だけご紹介しておきます。
  勝海登、森常好、石田幸雄、松田弘之、鵜澤洋太郎、安福光雄、助川治
  高橋弘、関根祥人、浅見重好、北浪貴裕、清水義也、金子聡哉、杉崎二郎、水野健一郎
  観世恭秀、観世紘顕


 余談ながら、最初の能が終わって狂言が始まる際に休憩時間と勘違いするのか、決まってざわつくのはいつも気になる所です。また、各能楽師が退場され終らない内に拍手が始まってしまう事も多く見受けられますが、どことなく能楽鑑賞には似つかわしくないと感じております(申し訳ございません、愚痴になってしまいました)。



09年2月11日  幸円次郎追善能(国立能楽堂)  (感想)
2009-03-02 02:12
今頃、ですが…。

一調『咸陽宮』木月孚行・幸正昭
良いスタートと思いきや、中盤はもう少し。最後は地味目だが良い感じ。


無謡一調『花重』福井四郎兵衛
初めは私の好みでは無い気がしたが、終わってしまうと、もっと聞きたいと思った。


『朝長・懺法・語』梅若万三郎・梅若紀長・梅若久紀・森常好・野村萬斎・一噌庸二・幸清次郎・亀井広忠・金春國和
静かで寂しげな『次第』。その後、しっとりだが重すぎず、美しい。
床几にかけて、「申すにつけて」と、どっしりと悲しげだが、艶やかで女らしい。シテが『中入』し、アイが立つと、太鼓後見が布に包まれた太鼓を持ってくる。
アイの語りの後、ワキが再び大崩の話をどっしりと語る(小書:語)。
ワキが経を広げ、ゆったり目に静に祈ると、太鼓方は少し『橋掛リ』の方を向いて、ナナメに前に出て、打ち始める。
音はいつもより少し鈍く、デーンとしているが、想像していたよりは軽く、違和感は少ない。
囃子にひかれての登場は『音取』に似ているけれど、もっとずっと重い気配で、 "間”が随分長い。(実は20分以上かかったのだが、飽きさせないのはさすが)。
シテ「あらありがたの」とサラリとして、地謡「心耳をすませる」の後「あら尊やの懺法やな」と再び言ってワキの方に『ツメ』る様子は優しく穏やか。
床几にかけてからのシテの謡は静か目で、地謡はどっしりと迫力を増していくが、シテの動きはゆったりとして、思いだけがそこに在るかの様に体に力が入っていない(もちろん良い意味)様に見えた。

これを見ていて、最近いろいろ考え過ぎていた…小さな、ちょっとした仕草に意味を見つけようとしていたが、上手ければ意味など自然に伝わるのだと、当たり前の事に気付かされた。


一調一管『江口』大槻文蔵・後藤嘉津幸・藤田朝太郎
しっとり目の謡に対して小鼓が若々し過ぎる様に思ったが、囃子のみの部分になると、じんわりと良い感じ。


一調『蝉丸』観世善之・後藤孝一郎
深みの有る謡。小鼓はなんとなく可愛いイメージがしたが、二人とも味が有って、良い雰囲気。


素囃子『獅子』寺井久八郎・福井聡介・安福建雄・助川治
華やかだけれど、みんなもう少し自由でも良いのでは…と思ったのだが…囃子の事は…いや、謡もだけど、知識が無いので良くわかりませんが。。


『三輪・白式神神楽』観世喜正・宝生閑・野村万作・松田弘之・森澤勇司・國川純・観世元伯
『作り物』は『角』を向くように、『笛柱』前に置かれた。
前シテはどっしりとした謡で、重めなのは、小書が付いているし、いいかなぁ…と思ったが、動きはちょっとため過ぎかも。
後シテは『作り物』の中から、「千早ふる」とはっきりで、少々元気過ぎる気もする。
シテ『サシ』「中にもこの敷島は」とたっぷりで、地謡がどっしりと続き、『クセ』でぐっと抑えて綺麗な謡。
『作り物』を出ると、仕草に気品が有り、「八百万の」でゆっくりと『作り物』の方を向いて、「千早ふる」と幣を振る様子は厳かで明るい雰囲気。
「天の岩戸を」と力強く『サシ』て「入り給へば」と、両袖を被ってゆっくり回り、『作り物』の方を向いて座って袖を下ろす。
「八百万の」とはっきり謡うと、立って『角』を向き、「岩戸の前に」と拍子を2つ踏んで、舞台を廻り、幣を肩に掛けての、ゆったりとした仕草は美しく、扇に持ち替えて、少しテンポは上がり、『橋掛リ』へ行って、顔を隠すなども神々しいイメージで、いかにも神々の神楽という感じ。
『作り物』の中に座り、岩戸を開く様にして出てからは、晴々しく、喜正さんらしかった。
『三輪』の後場は複雑に神々が交じり合っているけれど、三輪の神、天照、天鈿女(断定されていないけど)と1つ1つが分かり易く感じられた、こういう丁寧さも喜正さんらしいんじゃないかと。。


一調『願書』宝生和英・野中正和
野中さんは鋭く、和英さんはどっしりと迫力有り。


一調『勧進帳』浅見真州・柳原冨司忠
二人ともバランスが良く、男っぽい雰囲気が出ていた。


『道成寺』観世銕之丞・宝生欣哉・三宅右近・三宅近成・一噌隆之・船戸昭弘・亀井忠雄・観世元伯
シテの『次第』は鋭く、強い思いが伝わる。
烏帽子をつけて、大鼓の鋭い『アシライ』(忠雄さん素敵でした)で『一ノ松』から鐘を見、さっと舞台へ入り、「嬉しや」とハイテンションな様子が良い。
綺麗な『乱拍子』。小鼓も気合十分でマズマスだが、高い声が耳について気になる…伸ばすのは幸清流だからだけど、でも気になる。
激しい『急ノ舞』、「春の夕暮」とどっしりと謡い、『角』から鐘を見上げて、クルリと回りつつ烏帽子を飛ばす様子が決まって、超絶男前だけど、男前で良いのかなぁ…。
鐘の下に入り、両手をかけて「龍頭に」と足拍子して飛び上がって入るところは余裕が有って、勢いが有るのに、スロー再生で見たようにはっきりと見えた気がした。
鐘が落ちた後の、アイのやり取りが上手く、面白い。
シテは鐘が上ると、立って、ねっとりとした動きで衣を巻きくのが女らしいく、不気味。
にらみを効かす部分は微妙だが、常の様に『橋掛リ』に向かう時、衣を落とすのを、ゆっくりと手をギルギリまで離さずにいるのが、艶かしく感じられて印象的だった。


この日の前日の『幸清会(素人会)』にもお邪魔した。
梅若玄祥さんの『野宮』、梅若紀長さん『杜若』、野村四郎さん『姨捨』、浅見真州さん『景清』他に舞囃子や一調などで10時〜18時半までノンストップ。結局全部見てしまった(苦笑)。贅沢な二日間でした。



本日(2月28日)の「昭門會」
2009-02-28 02:17
管理人様

 こんばんは。久し振りに投稿させて頂きます。花粉症で辛い時期ですが、管理人様は如何でございましょうか。

 さて、第164回「昭門會」の狂言『太刀奪』は、昭門会のサイトでは野村万蔵師となっておりますが、平成21年昭門会予定番組には野村萬斎師と記載されております。前回(第163回)の番組の「次回予定」にも野村萬斎師となっておりますので、恐らくはそうであろうと思われます。

 私は観に行く予定にしておりまして(『鶴亀』は素謡の稽古で最初に習った曲で、特に楽しみです)、いずれ感想めいた事を書かせて頂こうかとも思っております。

Re^1: 本日(2月28日)の「昭門會」

2009-02-28 03:23
関東者様

こんばんは。ご指摘ありがとう御座います。どうやら仰る通り、萬斎さんみたいですね…観世能楽堂のサイトもそうなっていました。

御覧になったら、ぜひ感想をお聞かせ下さい。

このところ関東地方はは天気が悪くて、寒いですね〜。いつだったか、雪の中、観世能楽堂に行ったら、ガラガラだった事が有ります…あの坂を雪の日には歩きたくないのかなぁ、やっぱり。
今日は、もってくれると良いのですが。。風邪などお気お付け下さいませ。



09年1月31日  特別公演(国立能楽堂)    (感想)
2009-02-18 04:06
『源太夫・楽拍子』金春安明・山井綱雄・辻井八郎・飯冨雅介・橋本宰・椙元正樹・大藏千太郎・竹市学・成田達志・河村大・三島元太郎

シテは「朝清め」と、どっしりで、舞台に入ると、「これは当社に」と静か。
ワキの静粛な問いにどっしりと答える。
「景行第三の」としっかりで、ツレ「終には」と威厳が有って、シテ「或いはまた」で、ワキの方に『ツメ』る姿に貫禄が有る。
地謡はしっかりとした『サシ』、どっしりとした『クセ』で、まあまあ。。

中入後、アイが太鼓(台ごと)を持ち出す。
ゆったり目の『出端』、ツレはたっぷりと綺麗な謡。
シテはどっしりと静かで、動きもゆったり目。「昔も打ちたる」と“太鼓”の後ろに立つと、「秘曲を」とバチを取って、打つ型。
拍子を踏んだり、打つ型が有って…この辺りが『小書』で変化しているのではないかと思うが、なにせ初見なので、違いは分からず…。。
バチを落として扇に持ち替え、最初は静かで、力強く変化して、舞い納めると、静かにしっかりとして、いかにも脇能という最後。


狂言『梟』大藏吉次郎・大藏基誠・大藏教義

吉次郎さんが登場した時に、厳しい感じを出そうと、頑張っている様に見えたので、勝手に最後にはさぞや可愛い梟になるのではないかと想像した。
しかし実際の最後の場面は、ふるふると揺れつつ立つと、まだ鳴き慣れない様に「ホッホー」と言って、ガクッとうなだれた…味が有って、哀愁のある可笑しさで、予想と全然違ったのだけれど、とても良かった。


『当麻』梅若万三郎・長谷川晴彦・森常好・舘田善博・森常太郎・大藏彌太郎・一噌庸二・幸清次郎・亀井忠雄・小寺佐七

ワキ・ワキツレの綺麗な『次第』。
シテ『一セイ』はどっしりと静かで、ツレが「一筋に」でシテの方を向く姿にやさしさが有り、「心ゆるすな」と向き合う様子も互いに通じ合う様。
その後も静かで綺麗な謡。シテ「何事にて候ぞ」と、どっしりとして「あれは当麻寺」と上品な中に威厳が有る。
地謡『クリ』『サシ』はさらりと静かでとても美しく、どっしりとした『クセ』は壮麗な雰囲気。
地謡「光さして」としっとりとして、シテは「山なる故に」で『橋掛リ』の方を向き、少し進み、「坂を上り」で『角』を向き、「上る雲に」と『橋掛リ』を向いて、すぐに戻り、「乗りて」で持っていた“枝”を落とすと、数珠を右手に持ち替えて、ゆったりとした中入。…中入直前の動きは、しだいに気品が増して神々しい感じで、とても綺麗。

ワキは後場もゆったり良い謡。
『出端』で登場したシテは「只今夢中に」としっかりとした謡。
シテは地謡「惜しむべしやな」で舞台に進み、ワキも立って、シテに寄り、「唯心の」で膝を付いてシテから“経”を受け取って『ワキ座』に座り、“経”を広げる。
シテも座り、「為一切世間」と、どっしりで、「ただ頼め」で立って、「乱るなよ」と『ツメ』る様子も説得力が有る。
舞は初めゆったり目で、次第にさらりと爽やか。
「後夜の」と、どっしりと静かで、「さを投ぐる」とゆっくり左に回ると、風に吹かれて、音も振動も無く、ふんわりと遠ざかって行く様で美しかった。
地謡がとても綺麗だった事も有り、良い舞台でした。



08年1月27日  琉球舞踊と能の至芸(法政大学市ヶ谷キャンパス) (感想)
2009-02-06 03:47
ホールなので、通常は無い地裏にも席が…それはそれで面白そう…と思ったが、舞台上には既に井戸の作り物が設置されていて、その井戸は通常の半分位の高さしか無い…これは座るな!…地裏では見えないと思い、正面右よりの席に座る。


講演『中世の文化と能』西野春雄

講演は30分。もっと学術的な話かと思ったら、能を始め、茶や香などの文化の起源が中世である事、有名な落書「このごろ都にはやるもの…」を紹介。又近年の人の能についての発言を紹介した。


『井筒』浅見真州・宝生欣哉・山本泰太郎・栗林祐輔・田邊恭資・國川純

始まると照明が落ち、“井筒”にスポットライトが当たっている。少々明るすぎて(周りが暗すぎて)目に付き過ぎる。
笛が澄んだ良く響く音に聞こえ、小鼓が乾燥した音に思える…会場の影響か…?

シテは静かな『次第』、「さなきだに〜」と寂しげで、『上歌』から少し伸びやかで、「眺めは」と右を向くが、山というより、もっと近く…何もない草原でも広がっている様で、それがかえって寂しそうに見える。
「夢心」で座り、手に持っていた“桶”を置いて、手を合わせる。
ワキは静かに話しかけ、シテも静かに答え、地謡『上歌』はしっとりと綺麗。
シテはゆっくりと前に出、「ひとむら薄」とススキを見つめ、「草茫々として」とフイっと『角』を向くのが、ススキから目を背けた様に思えた…後で考えると、これは照明の影響かも。。「ひとむら薄」という言葉は、本来は荒廃した庭のイメージと一体のはすなのに、はっきりと照らし出されて、明るいススキと、周囲の暗い空間には隔たりが有る気がする。(これはこれで面白いけれど。)

シテは『正中』に座り、「昔、紀の有常が」と静かにしっかりと謡い、地謡「夜半に」としっとりとして、「あはれを」と暗くどっしりと、綺麗な謡で、ワキの方を向くと、物言いたげな気配。
『クセ』「昔のこ国に」と重く静かな地謡は、しだいにたっぷりと美しい。
ワキ「更け行くや」と、どっしりと綺麗。
シテはゆったりと『常座』に立つと、さらりした謡。
「形見の直衣」と左袖を見る様子は懐かしく、やわらかく微かに微笑んでるみたい。
さらりと美しい舞を舞うと、「昔ぞ返す」と悲しそうで、「寺井に」と“井筒”に寄って、下がり、『月の扇』。
シテ「筒井筒」と闇の中に沈み込む様な静けさ。
「業平の面影」とススキを左手で除け、座って覗き込む姿は、可愛らしい気配…しかし私の席からはススキに隠れて良く見えず…しまった、そこまで考えなかった。。
「見ればなつかしや」と感慨深げで、立ち上ると下がり、「しぼめる花の」と広げた手を閉じつつ下がり合掌して、そのまま座り、手を下ろして立つと、「寺の鐘も」と『角』を向いて静かな『足拍子』。
静かなラストで、『井筒』にしては、少し大人びた、既に昇華した魂が見せる夢の様な感じだった。

後シテの登場あたりで、僅かに周りの照明が明るくなった。微かな変化だがここで照明の調整をする意味が分からない…。



09年1月18日  金春会定期能(国立能楽堂)    (感想)
2009-01-31 04:35
『翁』山中一馬・善竹十郎・善竹大二郎・藤田次郎・鵜澤洋太郎・田邉恭資・古賀裕己・佃良勝

久しぶりに『下掛リ』の『翁』。
シテはどっしりとした謡い出し。
千歳はゆったり目…というか余裕が有る感じで、勢いは弱いものの、安定していて良い。
シテの舞は神楽の様な素朴な感じで、金春流らしい(?)丸みの有る、ほのぼのとした気配。
三番三は、揉みの段はがっちりと腰が入っていて、鈴の段はやや軽く、とても良い出来。


『高砂』金春憲和・中村昌弘・村瀬純・(ワキツレ2人)・大藏吉次郎・藤田次郎・鵜澤洋太郎・佃良勝・小寺真佐人

ワキ『次第』→『名ノリ』とテンポが速めで、軽快というより急いでいる様。
シテは静かな『一セイ』。『サシ』以降も静かで、「こなたのことにて候か」とさらりだが、かったるそうな謡い方…こんな声だったっけ??
ワキ「謂れを聞けば」とさらりとして、シテ・ツレはしっかりとした謡。
地謡『上歌』は良いテンポだが、バラつきが有って、シテは『正中』に座り、続く『クリ』『サシ』も、もう少し。
『クセ』「しかるに〜」と、どっしりで、「松が枝の」で立って、落ち葉を集める型は綺麗。
「神ここに相生の」としっかり上品で美しく、さらりと『中入』。

後シテは『一ノ松』に立ち、威厳有る気配だが、ボソボソとした謡で、動きも落ち着かない。
舞になると、こちらは落ち着いて、いいなぁ…と思ったが、やや単調。「声も澄むなり」と伸びやかな謡だが、動きはパタパタとして最後も、もう少し。


狂言『末広がり』善竹十郎・善竹富太郎・大藏吉次郎

吉次郎さんのすっぱは、優しそうで、これなら皆騙されてしまいそう。
主人は傘をだされて、苛立つが、どちらかと言うと、呆れた感じで、柔らかな印象。しかし、太郎を追い出して、飛び上がって座る姿が怒っているぞ!って感じがよく出ていた。
太郎冠者は、事実に気付いて、「さては都の者がたらしおったな〜」と幕の方を向く様子が、芝居くさく、"囃子もの”は楽しそうでは無かった…主人はノリノリで踊り出すのに…2人の間に温度差が有るようで、もう少し。


『景清』吉場広明・井上貴覚・(トモ)・工藤和哉・中谷明・幸清次郎・柿原弘和

ツレ・トモ『次第』はしっとりと綺麗。
ツレ「これは鎌倉の」とはっきりと上品。『下歌』『上歌』と寂しげな感じ。
シテは「松門〜」と重く虚しげな気配で、地謡もどっしりと暗く美しい。
トモのさらりとした問いに、シテはさらりと答えるが、2人が通過するのを待って、抑えきれずに手を震わせて「不思議やな」と、興奮している様。
「鎌倉亀が江の」と娘を心配する様な謡から、しだいに寂しくなる様な変化が綺麗。
呼び出されたワキは、しっかり目に答えると、「景清、景清」と事も無げに柱を叩くと、シテはうっとおしく苛立つ感じで、「名のらで〜」と悲しさを含んで、さらに苛立つ様に、力が入る様子が上手い。
少し右を向いて、「ゆるしおはしませ」と手を合わせる姿が寂しそう。
どっしりとした地謡で、「さて又」で、立ち、「荒磯に」と柱を掴んで下を見、地謡も静かに変化して美しく、「夕汐も」で外に出て、弱々しく歩んで「物語」で座る。
シテは静か、ワキはしっかりと話すと、ツレ「のうのうこれまで」とはっきりとしながらも、悲しそう。
シテ「御身は花の」とツレの方を向く姿がやさしく、「我を怨み」と腰を上げると、親の気配。
地謡は静かでとても良いが、「訪はれじと」と正面を向いての『両シオリ』はやりすぎな感じ。
シテは一度立って、床几にかけ、杖を扇に持ち替えて「頃は寿永三年〜」と老人らしい静かな語り。
「陸に上れば」と、少し右を向くと力が篭り、戻って「切ってかかれば」と、さらりと切る様にして、「四方へ」と右手を上げつつ、右を見るのは鋭く、その後もはっきりと分かりやすい感じ。
「のがさじと」と立って、「おっ取り」と引いて、その勢いのまま、落ちる様に床几にかけると、凄い力をかけた感じが出ていた。
扇を腰につけ、杖を持つと、「昔忘れぬ」と立って、(床几を引いて)座り、ツレの方を向いて、「命の」で戻って、杖をとって立ち、「はや立ち帰り」と再びツレの方を向くと促す意思が伝わる。
トモに促せれて、ツレは『橋掛リ』に進み、「ただ一声を」と振り向いて、シテと向かい合うと『シオリ』、「これぞ親子の(2回目)」でツレは幕へ。
シテは見送って、『シオリ』でトメ。無骨で不器用な男らしさが有って、なかなか良かった。



狂言終了までノンストップ。
最近、こういう正式なやり方で上演する会は少なくなった…どちらが良いかと聞かれるとその時によるなぁ、と思う。緊張感を保てる演者、観客が揃わなければ、結局と途中で抜け出す人が出るわけで、かえって微妙だし。。

附祝言は『嵐山』。



公演情報
2009-01-19 03:00
初めまして。演劇倶楽部『座』と申します。
この度、能楽の要素満載の舞台を公演致しますので是非皆様にご覧頂きたく書き込みました。


喜多流、松井彬さんの謡の声が流れます。

また、
中村 明一さんの尺八生演奏、新内 枝幸太夫さんの博多節、藤舎呂凰さんの小鼓など、
とても贅沢な音をバックに紡がれる泉鏡花の世界。
ご興味がお有りの方は是非ご来場下さいませ。

平成20年度文化庁芸術振興費補助金(芸術創造活動重点支援事業)
演劇倶楽部『座』第22回公演 詠み芝居「歌行燈」

あんまの笛を異常に怖れる流しの芸人。
芸事のできない芸者。
弥次喜多を模して旅する二人の老人。
得体の知れぬ登場人物を結ぶ縁の糸が、
芸人の独白によって解き明かされてゆく・・・。

【期間】2009年1月20日(火)?25日(日)

20日(火)19時
21日(水)14時/19時
22日(木)14時/19時半?秘本朗読
23日(金)19時
24日(土)11時半/15時
25日(日)11時半/15時

【場所】東京芸術劇場小ホール1
【料金】6,000円(前売当日共・全席自由)

作:泉鏡花/構成・演出:壤晴彦/振付:林千枝

【出演】
壤晴彦・真船道朗・内山森彦・中野壽年・高野力哉・相沢まどか・高山春夫ほか
【演奏】中村明一(尺八)
【博多節】新内 幸枝太夫
【小鼓】藤舎呂凰

尚、22日(木)に行います秘本朗読では『壇の浦夜合戦記』(伝・頼山陽)を
田原順子さんの琵琶をバックに壤晴彦が朗読致します。
こちらも重ねて宜しくお願い致します。

チケットのご予約、お問合せ、詳細等は劇団公式ホームページまで。
http://za01.com

宜しくお願い致します。

※管理人様、スペースをお借りして申し訳ありません。
もし内容が相応しくないようでしたら、お手数ですが削除お願い致します。

http://za01.com