新作能『野馬台の詩』野村萬斎・梅若玄祥・野村万作・野村裕基・石田幸雄・高野和憲・深田博治・月崎晴夫・竹山悠樹・時田光洋・岡聡史・中村修一・藤田六郎兵衛・大倉源次郎・亀井広忠・助川治 あらすじは… 遣唐使・吉備真備(萬斎さん)が高楼(作り物)に幽閉されている。 食べ物も与えられず、餓死寸前の状態であったその時、阿部仲麻呂の霊(玄祥さん)が現れる。 仲麻呂もまた、この国で無念のうちに死した事から、皇帝から真備に課せられる難題を教えようと現れたのだった。 まずは囲碁。二人は高楼の天井の格子を盤に見立てて囲碁を打つ。 次に文選の読解。仲麻呂は死してのち得た力を使って、空を飛び、博士たちが文選を読んでいる様子を、真備に見せる。 文選のすべてを会得した真備は仲麻呂に頼んで古い暦を用意させ、その裏に文選を書き散らし、楼内に撒いておく。 そこに真備を試そうという博士たち(舞台では通辞1人)が訪れると、撒かれた紙を見て、驚き、又、真備は文選など、日本では子供でも知っていると言うので、すごすごと引き下がる。 続いて囲碁の勝負になるが、なかなか勝負がつかず、ついに真備が勝つ。 そこで奥の手とばかり、「邪馬台の詩」を読ませようという事になる。 皇帝(万作さん)が随臣を引き連れ登場し、その前で読めと巻物を渡して迫るが、暗号文になっていて、読むことが出来ない。 仲麻呂も姿を消してしまい、やむなく神頼みと初瀬の観音に祈ると、空から蜘蛛が文字の上に降りてきて、その蜘蛛がたどった通りに読む進むと、それは日本が滅びるという預言書だった。 真備は急ぎこの書を持って帰国しようと、立ち上がるが、随臣たちの囲まれて、逃げる事が出来ない。 そこに仲麻呂の霊がこの国で死んだ恨みを晴らそうと現れる。 真備は、今は書を持ち帰り、日本を守るべきと、仲麻呂を止めようとするが、仲麻呂は、今帰れば真備一人の手柄となる事が悔しいと、怒りをあらわに書を横取りしようとする。 二人でもみ合ううち、世界は光を失い(急速に照明を絞って暗転)、真備は大地の扉(時間の穴)に落ちていく。 気がつくと真備は草茫々の野辺に、ただ一人(正先の階に片足を下ろして座っているところにスポットライトが当たる)。 「青き丘、赤き土、茫々と空に帰す」と手に持っている書を読む真備の声に続くように、「鳥はすべて沈黙した。まてしばし、やがてお前にも静けさが訪れる」と、どこからか声が響く(地謡と幕内の玄祥さん)。 真備は「おーい。邪馬台の詩を持って帰ったぞー」とただ一人叫ぶ。(暗転し萬斎さんが『角』に後ろを向いて立つと、うす暗い程度の照明になり、静かに帰っていく。巻物は正先に残っている)。 話は面白いし、出演者も上手い人たちばかりなので、面白かったのですが、基本的にセリフが多く、会話劇なので、『能』と言う感じはしません。。 国立の公演でこれをやった、という事実は今後の公演の幅を広げるのには良いきっかけになるのかも知れませんが、これを『新作能』と称するのは如何なものか。。 萬斎さんが『能楽劇』と言っているが、そのような何か新しい名前をつけて、新ジャンルとしての公演の方が納得がいく気がします。 これを『能』として見るならば、例えば、真備が「邪馬台の詩」を解読する場面で、子方の扮する蜘蛛の精が登場して初めは舞台を飛んで、巻物の上を飛んでいるというのを表していたのは面白いと思ったのですが、直後に子方は“打杖”の先に紐をつけて、蜘蛛のマスコットがぶら下がった物を持って、実際にその小さな蜘蛛を真備の持つ巻物の上に垂らしたのです。。これは説明し過ぎてつまらない。。 この場面は有名なので、いっそ子方も出さず、謡だけでの表現で十分だったのではないか。。 又、最後の照明操作は必要だったのか。。 『能』なら照明に頼らずとも、謡によって自在に表現出来るはずではないのか、との疑問が浮かんでなりませんでした。 ![]() 劇中で、通辞が「邪馬台の詩」を読ませる事になった。という話をする時に、「お手元に紙が御座るであろう。ちと、御覧下されい」と言って、観客に読めない文章が書いてある事を示すのに使われた。 配るのは良いけど、途中で見せる必要が有るのか疑問。 これには裏側には線が引いてあって、透かして見ると読む順番がわかるという、中々凝った作り。これはこれで面白いけれど現代的だなぁ。。 |
お久しぶりです。
2010-01-14 04:03こちらこそ、本年も宜しくお願いしたします。
さっそく、公演情報ありがとう御座います。
実はいろいろ停滞していて、大量の公演情報が更新されていない状況です。なので、各サイトのチエックも滞っていたので、お教えいただき助かりました。
なるべく、早く更新します。。
さて、村瀬さんがお亡くなりになったこと、知りませんで、大変驚きました。
まだお若いのに、とっても残念です。
ご冥福をお祈りいたします。